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よろしくお願いします!
ルティアの知るクルト・アルフヴェートは、いつだって緩やかに微笑んでいる青年だった。
王都学園の一際目立つ集団の中で、この国の王太子に続いて2番手くらいの人気を誇っていた。
蜂蜜色の甘やかな髪はさらさらと彼の頬をくすぐり、アーモンドの様な綺麗な形の目には、菫色の瞳がキラキラと輝いていた。
身長は随分と高くて、着る人を選ぶと有名な制服をこれでもかとしゃんと着こなしていて。
誰が話しかけても丁寧で、邪険にされることはないというーーーけれど彼の特別はいつもたった1人だった。
ステラ・ハーバル。彼女もまた絵本の中から飛び出してきたかのような少女で。
光を詰め込んだように輝く金色の髪に、まんまるの桜色の瞳はいつだって砂糖菓子のような輝きを携えていた。
中庭で穏やかに談笑する2人は、それはそれはまるで一枚の絵画の様で、ルティアは見かけるたびについ足を止め、ほぅと息を吐き見惚れてしまうのだった。
ルティアの婚約者はステラと幼馴染で、彼らが婚約を結んだ時から2人を横目で見て楽しんできたらしい。
羨ましい、それが彼女の率直な感想だった。
ーー昔から大好きな絵本がある。
その絵本の特に印象に残るとっておき。
呪いの解けた麗しい騎士と、天真爛漫なお姫様。
色とりどりの花に囲まれた絵本の中の2人はそれはそれは幸せそうに微笑み合うのだ。
まるで咲き誇る花の香りまで伝わってきそうなその絵がルティアは本当に好きで。
物語の最後の1ページをそのまま現実にしたかのような、そんなーー
お似合いの2人だった。
本当に。
※
「久しぶりね、ルティア。私が学園を卒業してからだから…1年半ぶりくらいかしら?」
「お久しぶりです。アルトネア様。会いに来てくれて嬉しいです。…そうですね…もうそんなに経つのですね。学園にいる間は外界と隔離されているようなものですから時間の流れもよくわからなくなってしまいます。私もあと半年で解放されるかと思うと…本当、本当に嬉しくて」
学園の特別応接室。
この部屋は特別な魔術が仕組まれており、ここで話したことが外に漏れ聞こえてしまう事はまずあり得ないのだと言う。
入学してから初めてその部屋に入ったルティアは少し緊張しながらも目の前に置かれた紅茶を一口啜る。
(…美味しい!こんなに美味しいお紅茶を飲んだのは久しぶり…)
お土産よ、とアルトネアが持参した紅茶はこの国の北部地方で作られた一級品…王家御用達のものだ。
アルトネア・シュリーク。学園にわざわざ訪問した彼女は1年半前までここの生徒だった。
元々親同士仲が良かったこともあるけれど、それを抜きにしても彼女はルティアを可愛がっている。
王都学園は入学したら最後、卒業するまで外に出ることは許されない。
家族との手紙のやり取りが唯一の外との繋がりで、休日も家に帰ることは許されず。
長期休暇もなく、12歳から17歳までの5年間徹底的にありとあらゆる知識や技術を叩き込まれるのだ。
そうして自分の得意分野を見つけ、伸ばしていけるように鍛えられていく。
王族も、貴族も、平民も、求められる学力、能力があれば誰だって入れるし、在学中は自身の身分を振りかざすことは許されない。
その代わり平民だってしっかりとしたマナーを身につけなくてはいけない。
どこまでも平等に、けれど相手を尊ぶように。
それがこの学園の方針なのだ。
事実、この学園の授業内容は普通でないものも多くて、同じクラスメイトになれば身分など気にしてる間もなく友情が生まれる。
毎日クタクタになって、互いを励まし合って食事をとり、寮に帰って泥のように眠る、そんな日々が続く。
それは別にいい。毎日疲れるけれど楽しいことの方が多い。
仲の良い友人たちとずっとこんな時間を過ごせたら、とルティアは思う時もある。
だから、彼女が解放されたいのはそこではなかった。
「…いきなり尋ねてごめんなさいね…けど疲れてるだろうなと思って」
「……ありがとうございます…」
ルティアの口から重たいため息が漏れる。
一応貴族の端くれでもあるルティア・フェストニアにもつい半年程前まで婚約者が居た。
なんなら彼女と同じ教室で斜め前の席に座る青年こそ、その婚約者であった。
――恋だの何なのでは無いけれど、ルティアは彼のことを嫌いじゃなかった。
話も噛み合うことが多かったから勝手に相性は悪くないと思っていたし、良い夫婦関係を築けるのでは、とさえ思っていた。
「外の情報は怖いほどに入ってこないので…どうしてそうなったのか私には本当に理解できないんです。彼も決して理由は教えてくれなくて…君は悪くない、しか言わなくて…。ならば父に聞いてみようと手紙を出したのですけど、なんの要領も得ない、仕方がないのだという返事ばかりで…」
「…そうよね、貴方からしたら本当に無配慮で、最低で、斜め後ろから刺してもおかしくない話だと思うわ」
「いえ、刺しはしませんが…」
「私もね2.30発殴り倒してやりたいなと思っているのだけど…流石に貴女が介入するのは違うだろうって止められてしまって…毎晩悔しくて歯軋りしているわ」
ぎりり、と歯を食いしばるアルトネアを見て思わずルティアに笑みがこぼれる。
「私、アルトネア様をはじめ友人には本当に恵まれたと思っています。同じクラスのライラとジェーリンに至っては彼の横を通るたび舌打ちまでしてくれて…その度揺れる肩にいつも笑いを噛み殺してるんです」
「その2人と私、仲良くなれそうだわ。今度紹介してくれないかしら?」
「ええ、是非」
「ふふっ楽しみだわーーー…ねえ、ルティア」
アルトネアがルティアの名前を呼んだ瞬間、少し空気が変わった。
とても重要で、真面目な話をしようとしている。
ルティアは持ち上げかけたティーカップを受け皿へと戻した。
「なんでしょう、アルトネア様」
「この学園は卒業するまで外には出られない。唯一の家族からの手紙でも貴方の知りたい真実は濁されているでしょう?ーーけれど、私は知っておくべきだと思ったの。何も知らないままに、何も知らない人たちから哀れまれるのは嫌でしょう?」
「いいのですか?」
「ええ、今回、関係者全員の許可はとってきました」
※
事の始まりは王太子であるジークフリード・ヴァルディアスの愚かな夜だった。
その日彼は、少し深酒をし過ぎてしまった。
最近ずっと悩んでいた事案が無事片付いたからかもしれない。
自分で気づいた時にはもう意識はふわふわとしていて、足取りもおぼつかなかった。
慌てて侍女に水と薬を用意してもらおうと、かろうじて保たれた意識の中ベルを鳴らした。
ベルを鳴らして暫くしてやってきたのは城の侍女服を着た婚約者だった。
常であればそれがおかしいことだとジークフリードはもちろん気づいただろう。
けれど、酔った彼の頭と仕事から解放された高揚感がもたらしたのは婚約者への欲だった。
なぜこんなところでこんな格好をしているのかはどうでもいい。
彼女が欲しいと、その手を引いた。
聡明だと言われる男にはあり得ない失態だった。
ーー彼が朝起きた時、隣にいたのは愛しい婚約者ではなく事切れた見覚えのない女が1人。
満足気な笑みを浮かべた女は1枚のカードを握りしめており、そこにはこう記されていた。
“これで憎き王族は呪われた!
次の満月の晩、この男は惨たらしい姿へと変貌するだろう。哀れな女の悲しみをとくと味わうがいい”
後から調べたところ、ジークフリードが夜飲んだ葡萄酒から多量の意識を混濁される薬が確認された。
それも女の手によるものだったのだろう。
どれだけ後悔しても彼は呪われてしまった。
満月の夜、何が起きるのか。
誰しもが戦々恐々としていた。
なぜならこの国の王子はジークフリードただ1人。
このことは緘口令が敷かれ、特定の者しか知り得ない真実であった。
※
「という事があったのが今から約半年前の出来事よ」
「…それ、私が聞いてもいい話なのでしょうか?」
色々と聞きたいことは多々あった。
そもそもそれが何故ルティアの婚約解消の話に繋がるというのか。
けれど、1番はーー
「…大丈夫ですか、アルトネア様」
「ーーそうね、正直全てを投げ出したくもなったわ…薬を盛られたとはいえ他の女に触れた彼を汚らわしいとも思ったーーでも、でも私は未来の国母ですもの。私くらいしか、務まりませんわ」
アルトネアは王太子ジークフリードの婚約者だ。
今の話は大いに彼女を傷つけたはず。
それでも、自分にしか務まらないと言い切るアルトネアをルティアは本当に格好良いと思う。
そんな彼女だから、尊敬している。
「ーー私、いつか王太子様とすれ違う事があったらたくさん舌打ち出来るよう今から練習しておきます。なんならこの片足をあの長いおみ足に引っ掛けることも吝かじゃありません」
「そうね、私が許すわ。どんどんやってちょうだい……あぁ、ごめんなさい。それでこの話がなぜ貴方に繋がるかというとね」
「はい」
「秘密裏に呪いを解く方法は無いか事実を知る者で必死に調べたわ。騎士団長、宰相、ーー魔術師長は特に必死に。使われた呪いはね、遥か昔に滅びた西の国の古代魔術だと言うことは判明したのだけど…それがどんな内容なのかも、解呪方法もまるで掴めなかったの。資料が無さすぎて…。刻まれた古代文字の解読さえ何一つ手がかりが無くてーー…ただひとつ言えるのは術者本人の、命をかけた禁術だということだけ」
「そんなものが…」
「期限はどんどん迫ってきて…そして呪い自体は解けない代わりに一つ、一つだけジークから呪いを取り除く方法があると魔術師長が仰ってね…彼もその方法だけは選びたくなかったみたい…そうね、私も聞いた時それが正しいとは言い切れなかったわ。なにせ、何が起こるかもわからない呪いをそっくりそのまま他者へ移す、というものだったから」
「た、他者に…?」
「えぇ。それもジークフリードと縁の深い者で無くては駄目だった。彼と関係のない人間…例えば囚人とか、そういった人では繋がりがないから移せなくて…だから、魔術師長は自分自身に移そうとしていたーーーそれを止めたのはクルトだったの。自分の方が国への被害が最小限になるからって」
「え…」
「クルトとジークが仲が良いのはきっとルティアも知っているわよね。学園にいる時だって大体一緒にいたもの。親友と言っても過言ではないわ。ジークだって彼のこと心から信頼しているし…私が少し嫉妬を覚えるほどにお互いを理解して…。学園を卒業してからもジークを支えるのだと宰相の下でよく働いていたわ。未来の宰相は彼だという声だって少なく無い。
ーーそして彼はジークが呪いにかけられた経緯もよく知っていた」
「……」
「彼ね、ジークの事馬鹿だなって言いながらその呪いは自分がもらうって笑ったのよ。ーーどんなに酷い呪いかもわからないのに」
語るアルトネアの声は震えている。
その顔に浮かぶのは悲痛そのものだった。
「それは……」
「ええ、それで呪いを移そうと、ジーク以外が彼の覚悟を受け入れて、実行しようとしたの。…でもそんなの、他の誰よりジークが許さない。彼は呪いをそのまま受けるって覚悟を決めていたわ。全ては自分が愚かだったから、と」
「……そう、なのですね」
ルティアは学生時代のジークフリードの様子を思い出す。
そんなに関わりがあったわけではないが、『実直』を絵に描いたような人だった。
とてもそんな過ちを犯す人には、見えなかった。
「えぇ、今回のこと…誰よりもジークを許さないのは彼本人だわ。侍女服を着た私の偽物に釣られたんだもの。
偽物を私だと思い込んだことも、その結果国を揺るがす事態になったこともーー死んでしまいたかったでしょうね。
けれどそれで自死なんて選んだらそれこそ本物の阿呆だもの。それもまた彼が1番わかってる。だから、呪いを移さなくてはいけない事も、本当は理解していたと思うわーーけど、理解と納得は別物だものね」
確かにジークフリードは悪いのだろう。
けれど呪いをかけられるほどの人間が用意した薬に、果たして抗う事ができるのだろうか。
ほんの少しだけルティアはジークフリードに同情した。
「……ジークは誰にも呪いを移したくないと言い続けたわ……結果、彼を魔術師長が強制的に眠らせてその間にクルトに呪いを移したの。ーー目覚めたジークは本当に怒っていたわ。初めて見る怒りだった。でもそんな彼を笑顔で諌めたのもクルトだった」
「そんな、事が…」
「国のほんの一部しか知らない出来事だけれどね」
「……クルト様は、どうなったのでしょうか?」
アルトネアはその長いまつ毛を伏せて、眉をかすかに寄せた後、少しだけ掠れた声で続きを話した。
「ーー死んだ女の、悲しみとやらは成就したわ。……クルトは生きているけれど、人前には出られなくなった」
「……?」
ルティアの疑問に気づいているだろうアルトネアはそれには答えず、彼女を真っ直ぐに見据えると重たい言葉を口に出した。
「そしてーーハーバル嬢は、変化したクルトを受け入れられなかった。……彼女はその悲しみに寄り添う相手を求めた」
そこでようやくルティアはこの話が何故自分の婚約破棄に繋がるのかが分かった。
(ーー寄り添う相手に幼馴染は、とても相応しかったのではないかしら)
「ーー…あぁ、そう…なるほど…父は知っていたのですね」
「えぇ…フェストニア伯爵の口の堅さは有名だしーー大事な娘の、それも婚約破棄に関わることを王家が理由で隠すのはあんまりでしょう」
(そういうことでしたか…)
唐突な婚約破棄。
はっきりしない元婚約者の態度。
父が仕方がないとした理由。
「ーー受け入れられなくても仕方がない。本当に、そういう類の呪いだったの。誰も彼女を責められないわ……ルティア、貴方とクルト以外は」
「だから誰も、理由を教えてくれなかったのですね。言えない事が多すぎるから……アルトネア様」
「なぁに?」
「アルトネア様が私の元婚約者を殴り倒そうとした時止めたのは王太子様ですか?」
「いいえ、クルト本人よ」
「そうですか、良かったです。もし王太子様だったら私2.30発程殴り倒してたかもしれません」
「あら、実現していいのよ?」
アルトネアはそれは嬉しそうに笑った。
少しだけ綻んだ部屋の空気に、アルトネアはほっと一息ついた後言葉を続けた。
「それでね、ルティア。もう一つ話があって。
貴方の卒業後の進路の事なのだけどーーー」
その夜、ルティアは寮の部屋で一冊の絵本を開いた。
呪われた騎士とお姫様。
これは絵本だから綺麗なお話なのだ、と彼女は思った。




