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夢見る聖女は悪魔の執事を落としたい!

作者: 泉出流

この場所は、いつも私を暖かく迎えてくれる。

どんなときでも、荒みそうになる心を優しく癒してくれる。

この場所があったから、私は今まで耐えてこられた。



* * * * *




「ねぇ、そろそろ私を連れて逃げてくれないかしら」

「嫌です」


今日も、ヴィルから返ってきたのはいつもの否定だった。

この言葉は何度も何度も伝えてきたけれど、私はいつだって本気で──決して軽い気持ちで口にしているわけではないのに。


「また今日もダメなの?」

「いつ聞かれてもダメなものはダメです。さ、今日は何にしますか?」


渾身の駆け落ちのお誘いは、今日もあっさりとかわされ、会話はあっという間に飲み物の話へと切り替わる。

わかってはいたけれど、拒否されるのには何度言われても慣れない。

私はわざと大きなため息をついて、目の前のテーブルに突っ伏した。


終始、優しげな微笑みを浮かべたままのヴィルは、今日も何も変わらない。

いつだって人当たりのいいその笑みを崩さず、私が初めて告白したときだって、一瞬たりともその表情を変えてくれなかった。


──そういえば、怒るところすら見たことがない気がする。


(少しくらい、動揺してくれてもいいのに)


私の想いでは、ヴィルの心を少しも揺らすことができなかった。


(いつかこの人の、別の顔を見られる日は来るのかしら)


もしそんな日が来るのなら、例え悪魔に魂を捧げたっていいくらいなのに。


「またお疲れのようなので、私特製のブレンドティーはいかがですか?」


そんなヴィルの言葉に、思わず私は顔をしかめる。


「嫌よ。あれ、すごく不味いじゃない。泥をそのまま口に含んだような味がするわ」

「おや、お嬢様は泥を食べたことがあるのですか?」


──あるわ。


とはさすがに言えず、私は口をつぐむ。


「体にはとてもいいんですよ」


心外だと言わんばかりに、執事服のヴィルは左右に小さく首を振って、手際よくお茶の準備を進めていく。

ヴィルが動くたびに揺れるダークグレイの髪。

あの髪は、私が子どもだったころはよく触らせてくれたのに、私が大人に近づくにつれて、だんだんとそういうことも許してくれなくなった。


なんだか、距離が離れていっている気がして、すごく寂しい。


「ねぇ、これでもう──九百九十五回目よ。いつになったら受け入れてくれるの?」


九九五回。

これは、私がヴィルに告白した回数。

そして、振られた回数でもある。


ただ私を連れて逃避行してくれるだけでいいのに。

どうしてこんなにも、受け入れてくれないのだろう。


「いよいよ大台に乗りそうな勢いですね。何よりです」

「何より、じゃないわ」

「それはそうと、テーブルに突っ伏すのはおやめなさい。はしたないですよ」

「はしたなくたっていいじゃない。どうせヴィルしか見てないもの」

「私は、はしたない子よりは、しっかりとしたお嬢様が魅力的に見えますけどね」


……そう言われたら、もう従うしかない。

渋々と顔を上げて背筋を伸ばし、お嬢様然とした態度でカップを口元まで運ぶ。


「……何度も言うけど、そういう言い方は狡いと思うわ」


恨めしげにヴィルへ不満をもらす。


「じゃあ、言われないようにしてみてはどうでしょう」


ヴィルはいつも通り、涼しい顔で私の訴えを受け流す。


「ねぇ、本当にダメなの?」


さすがにしつこいとは思いつつ、もう一度だけ聞いてみる。

どうせ九九五回も振られているのだ。今さら一回増えたって変わらない。


整った顔をじっと見つめると、ヴィルは呆れたように深いため息をついた。


「お嬢さんも懲りませんね。何がダメとかではなく、まず物理的に不可能だと、何度説明したらわかってくれるんでしょうか」

「ヴィルの言ってることは、理解してるつもりよ。でも──」


それでも、どうにかする方法が一つくらい、あるんじゃないかしら?


「理解しているなら諦めてください。さ、そろそろ時間ですよ」


話を続けようとした私の言葉を、容赦なく遮るヴィル。


「ちょっと! まだ話は──!」

「お目覚めください、シータお嬢様」


まるで本物の執事のように深々とお辞儀をするヴィルの姿は、私がこの人を好きになったあの日と何ひとつ変わらない。


薄れていく意識の中、私は思う。


「……でも、もう、私には時間がないんだもの──」




* * * * *




「ヴィル」

「いらっしゃいませ、お嬢様。今日もいい夜ですね」

「そうね」


──貴方がいれば、いつだっていい夜なのよ。


「神託が降りたの」


私は、ヴィルにそう告げる。


「そうですか」


ヴィルは少し驚いたように目を見開いた。

──いつもと違う表情。


ヴィル、気付いてる?

私、こんな単純なことで、嬉しくなってしまうのよ。


(できるなら、もっとヴィルと一緒にいたかった)


でも、それはもう叶わない。


「私は結婚しなければならないらしいわ」


それが、この国に生まれた聖女としての務め。

この国のために力を使い、この国のために身を捧げる。


それが、私の生まれ持った運命だった。


「何か言うことはないの?」

「ええ、それは……なんというか……。おめでとうございます。心から祝福いたします」

「祝福なんていらないわ」


私はヴィルの正面に立つ。

背の高いヴィルを見上げ、真っ直ぐに問い質すように睨む。


「相手が誰か、聞かないの?」

「聞く必要がありません。私には関係ありませんから」

「……聞きなさいよ!」


“聞く必要がない”──その言葉に、ダメだと分かっていながらも、私はカッとなってしまった。

反射的に、履いていた靴を片方脱いでヴィルに叩きつける。

しかも、しっかりとヒールの方が当たるように。


「いっ!? お嬢様……な、何を……」


いつも涼しげなヴィルの表情が歪んで、困惑が浮かんでいる。

──こんな酷いことをしても、きっとヴィルは私を嫌いにはならない。


「なんで聞いてくれないの! 少しくらい、私のこと気にしなさいよ!」


(……特別好きになってくれないとしても──)


「私は、ヴィルにとって“気にする必要もない”存在なの?」


一度口にしたら、もう止められなかった。

子供みたいに泣いて、わめいて、みっともない。

きっとヴィルは呆れているはず。

──“またお嬢様が我儘を言っている”

──たったそれだけで、私の渾身の想いを断ち切るんだわ。


(悔しい……)


こんなにも好きなのに、分かってもらえないなんて。


涙が、次から次へと零れていく。

ヴィルはまだ戸惑っていたけれど、やがて恐る恐る、割れ物に触れるように私の頬に触れ、そっと涙を拭った。


「泣かないで」

「泣くわよ。誰のせいだと思ってるの」


きっぱりと告げる。

この涙は、全部──ヴィルのせい。


「私のせいだとは思いたくないですが……もしかして、私のせいなんですか?」

「もしかしなくてもヴィルのせいよ。ちゃんと私を泣かせたという事実を実感して、何度も噛み締めて反省なさい」


優しいヴィルの手に触れていると、安心してしまう。

でも私は、それを軽く振り払った。


今まで、こんなふうにヴィルを拒否したことなんてなかった。

これは、私なりのささやかな抗議。


濡れた顔を袖口で雑に拭うと、ヴィルが小さく息を吐いたのが聞こえた。


「世界でただ一人の聖女なのに、高圧的すぎませんか? 育て方を間違えましたかね」

「少しも間違ってないわ。私はちゃんと、素直に育ったわ。そうでしょう? ──違う?」


──だから、好きな貴方に、いつだって全力でいられたの。


「そうですね。君は、いい子に育ってくれました」

「子供扱いしないで。してほしいのは、恋人としての扱いよ」

「できるわけないのを、お嬢様は分かっているはずですよ」

「分からない。分かりたくもない」


手に入らないから、泣いて、喚いて、駄々をこねる。

──こんなの、ただの子供だ。


(手に入るなら、子供だってなんだっていい。どんな手だって使うわ)


「私は夢の中でしかお嬢様に会えない、そんな存在です。分かりたくなくても、これが事実ですよ」

「──じゃあ、貴方は私の“妄想”なの?」


今まで決して言ってはいけないと思っていた言葉。

言葉にしてはいけない、禁忌の問い。


でも私は、ついにそれを口にしてしまった。


(……違うと言って)


ヴィルは、今度は一切戸惑うことなく、いつもと変わらぬ微笑みを浮かべて──


「そうですよ」


と、静かに答えた。




* * * * *




 あれから、私はヴィルに会えなくなった。

 何度眠っても、どれだけ呼びかけても、返事はない。


──もう、本当に駄目なんだ。

 私はようやく、それを悟った。


「……言わなければ、貴方はまだ側にいてくれたのかしら」


 窓の外を眺めながら、ぽつりと呟く。

 けれどその声は、強い風にさらわれて、どこにも届かなかった。


 足元に目を落とすと、地面が遥か下に見える。


(……飛び降りたら、会えたりするかしら──)


──無いわね。


 ヴィルは、私が傷つくのを何よりも嫌がったから。


(……死んだりなんかしたら、それこそ何て小言を言われるか分かったものじゃないわ)


 会えないとわかっているのに、会えたときのことを考えてしまう。

 そんな自分に、思わず苦笑がこぼれた。


「聖女様、そろそろです」


 扉の向こうから、私を呼ぶ声がする。


 私の今の姿は、真っ白な花嫁ドレスに包まれている。

 準備は、もうとっくに終わっていた。


──それなのに、どうしても扉を開けて先に進む勇気が出ない。


(進みたくない)


 進んでしまえば、きっと全部が終わってしまう。

 この想いも、心の中のヴィルの姿も、遠い夢のように薄れてしまう気がした。


「……ヴィル、ごめんなさい」


 何度目かの謝罪を、そっと口にする。

 それでも、とうに覚悟はできていた。


「私、やっぱり──諦めが悪いみたい」


 目を閉じて、深く、大きく息を吐く。


──そして、決める。


「会えないなら、無理やり会いに行くまでよ」



私は、やっぱりヴィルしか好きじゃないのよ。




* * * * *




 気がつくと、私はヴィルに抱きしめられていた。

 こうして抱きしめられるのは、きっと幼い頃以来で──懐かしさが胸の奥にじんわりと広がる。


「……シータ」


 低く、近い位置からヴィルの声がする。


(抱きしめてもらえるのも久々だけど、“お嬢様”じゃなくて、名前を呼ばれるのは──いつぶりだったかしら)


 ひとまず、返事をした方がいい。


「──何かしら?」


「なんて馬鹿なことを……。死ぬ気ですか」


 怒っていた。

 初めて聞く、ヴィルの感情がにじむ声に、一瞬たじろぐ。

 幼い頃もお転婆過ぎて窘められることはあったけどこんな怖い声で怒られた試しはない。


「死ぬ気なんてないわ。ただ──」


 私は、死ぬつもりなど一切なかった。

 だから首を振って否定し、理由を説明しようとしたが──言葉は途中で止まってしまう。


「じゃあどういうつもりだったんですか! 自分に眠りの術をかけるなんて……」

「こうすれば、絶対に会えると思ったのよ」

「──じゃあ、あなたの目論見は成功したわけですね。……いいですか、二度としないでください」

「しないわ。もう、会えたから」


 鋭い視線と責めるような口調に、私はそっと顔を背ける。

 悪いことをしたつもりはなかった。


けれど──


(無茶をした自覚は、ある)


 だからこそ、目を合わせることができずに視線だけが宙をさまよう。


「無謀にも程があります……眠りを操れる私だったから良かったものの、聖女の術なんて、解ける人間がいるかどうか……」

「死ぬ気はさらさらなかったけど、夢の中ならずっといても良かったのよ、私」


 私のすべての行動は、ヴィルが原因。

 全てヴィルが根源にあるの。

 何度言っても分かってくれないなら、分からせてやるまでよ。


「それくらい、ヴィルと一緒にいたかったの。──これが私の覚悟よ」


 本気だった。

 だって、来てくれるって信じてた。

 私が困っているときに、ヴィルが来てくれないなんて──少しも考えたことなかったの。


「どうしても駄目なら、いっそのこと……嫌いって言って。突き放しなさいよ」


(ヴィルにそう言われたら……私は本当に諦めがつくかしら?)


「できないなら、もう諦めて。私を娶りなさい」


 返ってくるのは沈黙だけ。

 でも、ヴィルが明らかに肩を落としたのがわかる。


(……さすがに怒られるかしら)


 勢いに任せてやり過ぎた。

 強気な態度を見せていたが、心臓が張り裂けそうなほどバクバクしているのが分かる。

 どうか断らないでと握ったヴィルの執事服の裾が震える。


「……はぁ。やっぱり私は、育て方を間違えましたね」


 観念したような、困ったような、それでもどこか優しげな声。

 その直後、ヴィルの顔が近づいて──


 ──私は、深く口付けられていた。


「──ッ!?」


 目を見開いて驚く私に、ヴィルは悪びれもせず、まるで“ご馳走様”と言うように、ペロリと舌を出してみせた。


「お仕置きですけど、何か?」


「なっ、なっ……!!」


 言い返したいのに言葉が出てこない。

 喜んでいるかと聞かれれば……いないとは言えない。

 でも、でも──初めてのキスが、こんなに突然だなんて。


 顔が熱い。頬を押さえて、赤くなっているのを隠すようにヴィルを睨みつける。


「あれだけ拒否の姿勢を見せれば、いつか諦めると思ってたんですけど……貴女のしつこさには、もう完敗です」


 軽く両手を上げて、降参のポーズ。

 まったくもう、そうやって逃げるような態度を取るんだから。


「私は一途なのよ」


 この想いは、どんな夢よりもずっと確かなものだった。


「違いますよ。貴女はまだ知らないだけです。──世の中には色んな人間がいます。もちろん、私より貴女に合う人間だって……これから先、出会うこともあったでしょう」


(この人はまた、そんなことを言う)


 あれだけ伝えたのに、まだ足りないというの?


 反論しようと、口を開きかけたそのとき。


「そんなの、いらな──」

「──ですが、もうその機会は、貴女に訪れない」


 ヴィルの言葉が、私の声を遮った。


「私が──貴女を貰いますから」


 その言葉とともに、ニッコリと笑ったヴィルは、どこか悪魔のように美しかった。

 そして再び、唇を重ねられる。


「……本当に馬鹿ですね。もう逃がしてあげられませんよ」

「逃げないから、いいのよ」


 この状況こそが、私の“願った未来”。

 まるで夢を見ているみたい。

 ふわふわとした感覚に身体を委ねていると


 額をコツンと小突かれた。


「しっかりしなさい」


 ヴィルの声が、やさしく笑っていた。


「さ、私からは逃がしてあげられませんけど──どうやらこの場からは、逃げた方が良さそうです」


 ヴィルがふとそんなことを言うので、私は首を傾げる。


「ここは……夢の中じゃないの?」

「ええ。ここは現実です」


 言われて初めて私は辺りを見渡した。

 ここは確かにいつもの夢の世界ではなく、私の部屋だった。


「ヴィル、貴方……夢の中にしか出てこられないんじゃなかったの?」

「今まではそうでした。私は“夢を司る悪魔”ですから」


 ──やっぱり、そうだったのね。

 なんとなくそんな気がしていた。けれど彼がそれを肯定するのは、これが初めて。


「今までは、ってことは……?」

「今、私は人間なんですよ」


 あっさりとそう言うヴィルに、私は思わず目を見開く。


「悪魔としてのルールを破った罰みたいなものです。現実に干渉するべからず──それが夢魔の基本ルールですから」


「夢の中なら、何でもできるんですけどね」と、苦笑しながら付け加えた。


「今回、貴女の“眠り”を解くために、夢から現実へ魔術を行使しました。その罰として、脆い人間の肉体と力の減退を受けてます」

「えっ……?」


 ではもう、ヴィルは──二度と悪魔には戻れないということ?


「そんな……私のせいで……ごめんなさい。そんなことになるなんて、思ってもみなかったのよ」


「謝る必要はありません。これは私の選択ですから」


 後悔なんて微塵も感じさせないその表情に、私はますます胸が痛んだ。

 それでも、ヴィルは微笑んだまま言った。


「これはこれで、悪くありませんよ。シータと共に生きられる。術も完全に使えなくなったわけではないみたいですし」


 そう言いながら、彼は扉の方へ視線を向ける。

 つられてそちらを見れば──扉の向こうは、どうやら私を迎えに来た者たちでごった返しているようだった。


 それでも、扉が開かないのは──


 その扉に浮かび上がった、見たことのない文字のおかげだとすぐにわかる。


「これは……ヴィルが?」

「ええ。人間になっても、どうやら人間よりは多少強いみたいです」


「…………じゃあ、問題ない、のかしら?」

「ええ、特に問題はありませんね」


 仕切り直し、というようにヴィルがパチンと一度両手を打つ。


「さて、まずはここから脱出しましょうか」


 そう言うヴィルが少し楽しげなのは何故なのかしら。


「シータお嬢様──私と一緒に逃避行をしたいというお気持ちは、まだ変わりありませんか?」


 聞かれて、私はやや食い気味に即答する。


「当然じゃない! 私は一途なのよ!」

「では、両者合意ということで──」


 その瞬間、私はひょいと肩に担がれていた。


「行きますか」


 まるで荷物のような扱いに、私は抗議の声を上げる。


「……こういう時はお姫様抱っこが定番だと思うのだけれど、何故この抱き方なの?」

「片手が使えるという点で、こっちの方が利便性が高いです」

「……それなら仕方ないわね」


 ロマンスの欠けらも無いけれど。

 あっさり納得する自分が、ちょっと悔しい。


「じゃあ、こちらから出ますか」

「ひゃっ──!? えっ、ちょ、ちょっと待っ──ッ!」


 その言葉と同時に、窓からひょいっと飛び降りるヴィル。

 悲鳴もまともに出せず、私は空中に投げ出された。

 昔からヴィルは効率重視だった──と、そんな冷静な考えが頭をかすめながら、私は全身が浮く嫌な感覚に意識を飛ばしかけていた。


「……多少、人間より強い?」

「ええ、多少」


 なんとか無事に地面に着いた私たちは足を進める。

 相変わらず私は担がれたままなので足を進めているのはヴィルだけなのだけれど。


「大抵の人間は、あんな高さから飛び降りたら確実に死ぬわ。覚えておいた方がいいわよ」

「人間って脆いですね」


 飄々と歩くヴィルは、どこか上機嫌に見える。

 一方、肩に担がれた私は、さっきの浮遊感がまだ体に残っていて、ぐったりしていた。


 塔の下から見上げる“元・私の部屋”。

 そこに閉じ込められていた日々が、ようやく遠ざかっていく。


(……ようやく、出られたのね)


 今になって、じわじわとした開放感が胸の中に広がってくる。


 そのまましばらく進むと、先に広がる花畑が見えてきて、私たちは自然と足を止めた。

 ようやく、ヴィルが肩から私を下ろしてくれる。


「わぁ……! 見てヴィル。とても綺麗だわ」

「そうですね」


 風に舞う花弁がまるでヴィルと会っていた夢の中の庭園のようで懐かしく思え、気分が自然と浮き立っていく。


「そういえば、今までどうしてヴィルは私の側にいてくれたの?」


 ずっと、聞けなかったこと。

 でも今なら、聞いてもいい気がした。


(聞いてしまったら夢が終わってしまう気がして怖かったのよね)


 我ながら臆病だったと思う。


「貴女のご両親の願いですよ。国に貴女が連れていかれる前に私と契約をしました」

「私の両親?」


 予想もしていなかった答えに私は目を丸くする。


「私に両親なんて居たのね」

「当然居ますよ。残念ながらお会いすることは出来ませんが」


 ヴィルの言い方で気付いた。

 きっと、もうこの世にはいないのだろう。

 気を遣ってくれたのか、ヴィルが私を後ろからそっと抱きしめた。


「ありがとう。でも私は大丈夫よ。物心着く頃にはもうあの部屋にいたから、両親の顔すら覚えていないの」


 それは事実だった。

 私の幼い記憶は、全てあの部屋の中だけにある。


(薄情かもしれないけれど、覚えていなければ、思い入れなんて持ちようもないわ)


「そうですか。──けれど、娘を守って欲しいというのが二人の願いでした」

「私……愛されていたのね」


 顔も知らない両親から貰う愛。

 全く実感はないけれど、その両親からの愛がヴィルに会わせてくれたのなら感謝しかない。


「そうですよ。だから私が今ここにいます」


 そう言って、ヴィルは私の肩にそっと顔を寄せる。

 少しだけ甘えるような仕草が、妙に可愛い。


「ただ私は夢魔のルールを破って人間になってしまったので、契約はもう破棄されてるんですよね」

「……契約の、破棄?」


 まさか……もう一緒にいられない、というの──?


「だから、これからは”貴女の夫”として貴女を守っていきたいんですが」


 私が慌てて振り向くと、ヴィルは断られる可能性などこれっぽっちも考えていないような顔で、にやりと笑う。


「いかがでしょう?」


 涙が溢れてくる。

 気がつけば、最近泣いてばかりだ。

 小さい頃も、よく泣いてはヴィルを困らせた。


(でも……この涙は、悲しさからじゃない)


 私は泣きながらも、笑顔でヴィルに答えた。


「……夫だなんて、恋人にもなっていないのに気が早くないかしら?」

「じゃあ断りますか?」

「まさか!」

「渾身の告白が大台に乗らなくて良かったですね」

「ほんとにそうね!」


 二人で顔を見合わせて笑った。



──そして、私の新しい夢が始まった。







* * * * *


【おまけ】


「一生夢の中でというのも考えました」

「そうよ、それでも良かったのではないの?」


 それならもっと簡単だったでしょうに。


「許せなかったんですよね。現実世界の貴女の体が好き勝手されてしまうのが。」

「思ったより狭量なのね」

「そのようです」


 自分のことを初めて知ったと首を振るヴィルが少し可笑しくて笑ってしまう。


「それにどうせ手に入れるのなら全部手に入れたいと思いませんか?」

「強欲ね。悪魔的思考だわ」

「元悪魔なので。というか、シータ。気付いてました?」

「?」

「私は”夢を司る悪魔”だと伝えましたが、それにも種類が幾つかありまして」

「……? ええ」


 突然何の話だろうか。


「夢魔なんかもいますが、私はどちらかというと”淫魔”的な方向なんですよね」


 ──絶句。


「なん……ですって……ッ!?」

「人間にはなりましたが、あれやこれやは悪魔の時のまま健全ですのでということを伝えておこうと想いまして」

「絶対健全の意味を履き違えているわね……!」

「なので、心配しなくてもシータを満足させられる自信はありますよ」

「心配なんてしてないわ!」


 私はただ、ヴィルがいればそれだけで満足なのに。


 (この男はきっと気持ちだけでなく私の全てを満たそうとしてくれるのね)


 これは元悪魔を好きになってしまった私の負けだ。


「そうですよ、諦めて私にドロドロに甘やかされていて下さい」

「ちょっと、心を読まないで」

「読まなくても長年一緒にいるので分かるだけです」


 そう言って彼は私の髪に優しくキスを落とす。


(仕方ない。どうせ逃げることなんて出来ないのだわ)


 逃げるつもりもない私は、きっと何処までもこの元悪魔の深みに落ちていくのだろう。



執事が強い女の子に翻弄される話が突然書きたくなり、半ば衝動的に書きました。

強い女の子が書けて満足です!

もし見たい方がいれば続編も書くかもです。


ここまでお読み下さり、ありがとうございました!

また次の作品もよろしくお願いしますー!

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