第9話 惚れた……
ロダンはずっと勇者に憧れていた。
南方五国連邦のひとつ、ファランドの漁村で、平凡な漁師の息子として生まれた。
物心ついた頃は漁師になろうと思っていたが、ある日、漁村にやってきた旅の吟遊詩人に世界にはたくさんの夢が詰まっていることを教えてもらった。
人間とエルフの種族を超えた愛の小夜曲。ボケてしまった老英雄が鉄錆の鎧をまとって再び冒険をする戯笑譚。砂漠の蜃気楼の中から不思議な世界へ迷い込む少女の奇想曲。
だけど一番好きなのはやはり勇者が冒険して魔物を倒す英雄譚だ。
勇者の中でも特に好きなのは第32代目勇者アーバンテイン。彼は歴代最強の勇者として讃えらる。ケアンズロックの岩竜討伐、トーホーシア沖に巣くっていた海賊退治。シェアローン帝国とタイタル聖王国間で起きた十日戦争の終結、等数々の偉業を成し遂げた勇者の中の勇者。
その憧れの存在も約50年前、魔王が住むノースエンドに旅立って消息を絶った。
噂によると魔王と刺し違えたとか、流行り病で命を落としたとか、もうこの世にいないという暗い話ばかりが聞こえてくる。
しかし、勇者アーバンテインの仲間たちは現在も生きているが、いっこうに彼らの口から真相が語られることなく現在に至っている。
最強と呼び声の高い勇者でも魔王には敵わない。
そんな話を聞くたびに、村の同じくらいの歳の子や年長の子どもと喧嘩した。
そんなロダンは、つい数か月前に勇者の資格を得た。
父親の手伝いで小舟を漕いでいると、雷のように空から金色の光がロダンの頭上に落ちた。
勇者の証である黄金の光を受けたロダンは、村を出てバイナン王国で正式に国王から勇者であると認められ、ふたたび旅に出た。
向かう先は、魔王領ノースエンド。
かの地は魔族が支配している北の果てで、これまで幾度となく歴代の勇者たちが挑み敗れ続けている文字通りの魔境。
ここ百年ほど魔族との争いがないせいか、先代、先々代の勇者は魔王討伐に出征していない。先々代は五国連邦の盟主国エスマークのダンジョンで命を落とし、先代にいたってはシェアローン帝国に渡って、現在では将軍の地位に就いている。
だからロダンは3代前、アーバンテインの意志を引き継ぎ、魔王を倒すことにした。
魔王の眷属である魔族は見つけ次第、片っ端から倒す。そう決めていた。
そして、ピルキコの街というノースエンドに最も近い場所で魔族を見つけた。
別に恨みはないが、ここで死んでもらう。
「ちょっとアンタ達、早く出て行ってくれ!」
「そうです。店の中で剣を振り回したら大変なことになりますよ?」
「そんなの関係あるかぁぁー!」
国王から支給された大金で、冒険者専門店に保存食を買いに来た。
店内だが、そんなの関係ない。そう思っていたら魔族に注意されて頭に血がのぼった。
「はっ?」
剣を抜いて、全身鎧づくめの魔族に斬りかかったはずだった……。
気が付くと、見知らぬ路地裏でどんよりと曇った空を見上げていた。
そばには例の全身鎧を着用した魔族と兎耳をした獣人の少女がいる。
どうやって俺を気絶させた?
「ちょっと待ってください!」
「──なに?」
跳ね起きて再び剣を構える。
魔族が片手を出し、待ったをかける。
店の中では不覚を取った。
だが、どう不覚を取ったのかさえ、わからないのはあまりにも不気味だ……。
だから、癪に障るが相手の出方を見ることにした。
「街中で暴れたら大変なことになりますので」
相手が魔法の箱庭の中に入るよう誘ってきた。
──いいじゃん。
受けて立ってやる!
ウサ耳の少女、魔狼、ロダン、魔族の順番で魔法の箱庭の中に入る。
「ではハイビスとマルはここで待っていてください」
魔族についてこいと合図をされて、入り口からかなり離れたところまで歩いた。
「全力でかかってきてください」
全力で?
ずいぶんと見くびられたものだな。
俺はこれでも現役の勇者。先ほどはどんな攻撃を受けたか知らないが、全身を闘気で包めば、並の攻撃ならすべて無効化できる。
「はぁぁぁぁぁ!」
「煌煌闘炎ですか。懐かしい」
なっ──!
勇者しか使えないこのスキルのことを知っている……。
先代や先々代の勇者と会ったことがあるのか?
でも、もう後戻りはできない。
この魔族を打ち倒すのみ!
まともに当たればドラゴンの首だって落とす自信があった。
バイナン国王からもらった真銀製の剣に闘気をため込んで一気に振り下ろした。
爆風が巻き起こり、目を細めて自分が放った一撃の行く末を見守る。
嘘だろ──?
まったくの無傷。
鎧にすら、傷ひとつつけられていなかった。
「うわぁぁぁぁぁぁあ!」
その後、無茶苦茶に剣を振るった。
だが、構えもしていない魔族を一歩もその場から動かすことさえ敵わなかった。
「ハァハァ……」
「なかなかいい筋をしています。ですが……」
この程度の実力では、魔族の住むノースエンドに入ったら、すぐに死んでしまうと残酷な現実を告げられた。
くそっ!
目の前の魔族は、魔族の中でもとりわけ強いわけでもないと話している。
嘘だろ? 勇者に選ばれたのに魔族と人間とでは、ここまで力の差があるのか……。
「そこで提案です」
魔族がこの魔法の箱庭の中で修行したらいいと提案してきた。
普段は一人で鍛えて、3日に1回は稽古をつけてくれるという。
悪くない話だ。
だが──
「魔族の言うことなんか聞けるか!?」
「あなたさっきから……身の程を知りなさい」
「えっ、ちょっとハイビス?」
獣人族のウサ耳の少女が急に口を開いた。
魔族が困惑している様子だが、お構いなしにまくしたて始めた。
「アルコ様、愚かな者にははっきり言った方がいいと思います!」
「なっ──俺が愚か者だと?」
「ええ、愚か者です。アルコ様はあなたに死んでほしくないから提案しているのに、魔族だなんだと小っちゃいことを気にして愚か者にも程がありますわっ!」
「くっ」
「なにが『くっ』ですか! 悔しいのならアルコ様に傷ひとつでもつけられるようになってから言ってください!」
──強い。
主の陰に隠れたただの少女だと思っていたがどうしてなかなか芯のある女の子だ。
「惚れた……」
「えっ?」
今度は獣人の少女の方が目を大きく見開いて、口をつぐんだ。
「いいだろう。アルコさん、俺はここでアンタを超えてみせる」
「よかったです。それでは……」
アルコが何かを言いかけたが、こちらはまだ言いたいことがある。
「待て! 俺が勝った暁には、その子を俺の嫁にする」
「はぁぁ~~~? 何言ってるんですか。私は身も心もすべてアルコ様に捧げた身」
「彼女は物ではありません。ですが、ハイビスの心を奪えるならそれで構いません」
「アルコ様!」
ハイビス、か。
いい名だ。
困り果てた顔で魔族を見上げているが主人はいっこうに気にした素振りをみせない。
「よし、決まりだ。よろしくなアルコさん、ハイビス」
決まったなら全力でやるのみ。
必死に鍛えて、アルコさんを打ち負かして彼女の心を奪ってやる!