第25話 仮面舞踏会のワルツは、開戦のプレリュード
仮面舞踏会の夜。王宮大ホールは、現実とは思えぬほどの幻想的な光景に包まれていた。磨き上げられた床は夜の湖面のように静まりかえり、天井からは無数の星を模した魔導灯が瞬いている。誰もが素顔を仮面で隠し、その正体を声と仕草だけで探り合う、妖艶でどこか不気味な空間。ここでは、身分も立場も曖昧になり、誰もが偽りの自分を演じることができる。…スパイ活動には、うってつけの舞台ね。
私は、夜空色のドレスに白銀の仮面をつけ、公爵令嬢として完璧な淑女を演じながら、その実、全ての神経を研ぎ澄ませていた。会場の隅で給仕に扮しているのは、ヴォルフガング中佐の信頼する部下。シャンデリアの装飾に紛れて鈍く光っているのは、ミラベルが仕掛けた『どこでも監視☆カメレオンアイ(たまにウインクする)』。仲間たちが、それぞれの持ち場で息を潜めているのを感じ、私はそっと背筋を伸ばした。
やがて、音楽がひときわ優雅なワルツに変わる。ファーストダンスの時だ。会場の視線が、私と、私に向かって歩んでくる一人の男性に注がれる。黒い燕尾服に、夜闇のような漆黒の仮面。その下に隠された顔を知っているのは、この会場で、おそらく私だけ。レオニード王子だ。
「今宵のあなたは、ひときわ美しい。まるで、夜空そのものを我が物にしたかのようだ、リアナ様」
彼が優雅に手を取り、ワルツのステップへと私を導く。そのエスコートは、非の打ちどころがない。
私たちは、まるで運命の恋人同士のように、ホールの中心で踊り始めた。
「殿下こそ、その仮面は、ご自身の謎めいた魅力を一層引き立てていらっしゃいますわ」
「謎、ですか。私には、隠し事など何もありませんよ」
仮面の下で、彼の唇が弧を描くのが見えた。嘘つき。
「ですが、美しい星空も、やがて来る『夜明け』には、その輝きを失ってしまう。儚いものですね」
「いいえ、殿下」私は彼のリードに身を任せながら、はっきりと答える。「夜が最も深いからこそ、星は一番強く輝くのですわ。そして、夜明けを連れてくるのも、また星の光なのです」
それは、恋人たちの甘い会話の仮面を被った、最後の宣戦布告だった。私たちの周りを、他の貴族たちの楽しげなワルツが取り囲んでいる。この華やかな光景の裏側で、今まさに、国の運命を賭けた戦いが始まろうとしているとは、誰も気づいていない。
ダンスの最高潮、ターンをしたその瞬間。私は見逃さなかった。レオニード王子が、胸元に付けた黒百合のブローチに、そっと指で触れたのを。それが、実行部隊への合図だと直感する。
私もまた、踊りながら、誰にも気づかれぬよう、ドレスの裾に仕込まれた『淑女のささやかな自己主張☆超小型魔力衝撃発生装置』の起動スイッチに、そっと触れた。ピリッとした微かな振動が、仲間たちへの開戦の合図だ。
その瞬間、遠く離れた場所で、三つの戦いの火蓋が同時に切られた。
王宮の、湿って黴臭い地下水路。カレルの情報通り、重武装のテロ実行部隊が、音もなく水路を進んでいた。彼らの目的地は、魔導炉の直下にあるメンテナンス通路だ。しかし、その行く手を阻むように、通路の奥から複数の影が現れる。ヴォルフガング中佐率いる、非公式特別任務部隊だった。
「国王陛下の名において、これより先、ネズミ一匹通すわけにはいかん!」
ヴォルフガングの号令と共に、狭い地下通路で、剣と剣が火花を散らす激しい戦闘が始まった!
一方、王宮の屋根裏。ここからも、別の部隊が魔導炉の上部構造を破壊しようと侵入を試みていた。しかし、彼らが足を踏み入れた瞬間、床一面に撒かれていた大量のビー玉によって、派手な音を立てて転倒する!
「な、なんだこりゃ!?」
「うわっ!」
その混乱の最中、闇の中から暢気な声が響いた。
「ようこそ、ネズミさんたち。悪いが、こっちの道は今、俺様が絶賛工事中なんでな!」
梁の上から現れたのは、情報屋カレル。彼はニヤニヤしながら、ミラベル特製の『超ネバネバ☆スパイダーウェブ』が入った袋を逆さまにし、敵の頭上へとぶちまけた!
そして、王宮錬金術研究所。ミラベルは、監視モニターに映し出された赤い警告表示に、悲鳴を上げていた。
「ひゃっ! 魔導炉の制御システムに、外部から強力なハッキングが! プロテクトがどんどん破られていきますぅ!」
敵の過激派錬金術師による、本格的な攻撃が始まったのだ!
「わ、私の可愛いファイアウォールちゃんたちが次々と…! こ、こうなったら…意地でも守り抜いてみせます! いけー! 私が三日三晩かけて作り上げた、『ネズミさん突撃☆ディフェンスプログラム(友情出演:心霊写真のオジサン)』ですぅー!」
ミラベルは泣きながら、自作の対抗プログラムを起動させる。モニター上では、無数のネズミのアイコンが、ウイルスめがけて突撃していくという、非常にシュールな光景が繰り広げられていた。
ワルツが終わり、私はレオニード王子に優雅なカーテシーを見せた。
「少し、夜風にあたってまいりますわ」
彼の制止を振り切り、私はホールの喧騒を背に、テラスへと向かう。いや、真の目的地は、テラスに隣接した、今は使われていないはずの貴賓室。あそこが、敵の錬金術師が遠隔操作装置を持ち込んでいる可能性が最も高い場所だ。
貴賓室の、重厚な扉の前に立つ。中からは、微かだが、禍々しい魔力の脈動を感じる。間違いない、この中に敵がいる。
私はドレスの裾に隠した「自己主張」装置を起動準備し、髪に挿した銀の簪――その先端に塗られた、即効性の痺れ薬の存在を確かめる。
背後では、まだ華やかな音楽と、人々の楽しげな笑い声が聞こえている。
私は静かに息を吸い込み、決戦の舞台となる扉に、そっと手をかけた。




