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#3 その男、試される

よろしくお願いします。

 影喰いとの戦いを終え、アルトは街へと戻ってきた。

 しかし、街はどこか空気が違っていた。

 人々はいつも通り歩き、商人は品物を並べ、子供たちははしゃいでいる。

 だが、そのすべてが妙に静かだった。

 活気があるはずなのに、どこか無機質で、生命の鼓動を感じられない。

 まるで、この街全体が何かに支配されているかのようだった。

 アルトは酒場の扉を押し開け、昨夜と同じ席に腰を下ろした。

 店主は変わらず酒を注ぎ、無言で料理を並べる。

 しかし、その手の動きは妙にぎこちなく、目の焦点が定まっていない。

「……どうなってやがる」

 アルトは盃を傾けながら、周囲を観察する。

 客たちは普通に会話をしているように見えるが、その内容は不自然なほどに繰り返されていた。

 ある男は何度も同じ冗談を言い、別の男は毎回同じ相槌を打つ。

 まるで、一つの劇を演じる人形のように。

「何かが……おかしい」

 アルトは立ち上がり、店を後にした。

 街の中を歩きながら、違和感の正体を探る。

 すれ違う人々の顔には感情の揺らぎがない。

 喜び、怒り、悲しみ……そうしたものが完全に欠落している。

 それでいて、街は普段通りに機能している。

 誰も暴れることなく、混乱することもなく、ただ静かに生きている。

「まるで、街全体が"誰か"の手のひらの上にあるみてぇだな」

 アルトはふと、昨夜の影喰いの言葉を思い出した。

「お前の力を試しに来た」

 試す、とはどういう意味だったのか。

 もしかすると、影喰いは単なる使いであり、もっと大きな存在が背後にいるのではないか。

「この街そのものが……何かの"実験場"ってことか?」

 その可能性が頭をよぎった瞬間、背筋に冷たい感覚が走った。

 アルトは街の中心にある広場へ向かった。

 そこには大きな噴水があり、人々が静かに行き交っている。

 彼らの顔には、やはり生気がない。

 しかし、ただ一人——異質な存在がいた。

 噴水のそばに立つ、白衣を纏った人物。

 その男は、まるでアルトが来ることを知っていたかのように、ゆっくりと振り返る。

「ようこそ、閃光のアルト」

 男は微笑みながら、静かに手を広げた。

「俺を知ってるのか?」

「もちろんだ。お前は興味深い存在だからな」

 男の目は深く黒く、その瞳の奥には何かが渦巻いている。

 まるで、見ているだけで吸い込まれそうなほどに。

「この街……お前が何かしたのか?」

 アルトが問うと、男は軽く首をかしげる。

「したとも。だが、"何を"したのか……それを知る必要があるのか?」

「必要だな」

「ならば、答えよう」

 男はゆっくりと手を前にかざす。

 その瞬間、街全体が震えた。

 空気が揺らぎ、周囲の景色が変化する。

 街並みが一瞬で暗闇に包まれ、人々の姿がぼやけ、歪む。

 まるで、現実が書き換えられていくかのように。

「こいつは……」

 アルトは刀の柄を握りしめながら、目の前の男を睨む。

「これは、お前の知る世界の"裏側"だよ」

 男は楽しげに笑った。

「俺の知る世界の裏側……?」

「そうだ。この街にいる者たちは、今"存在していない"。お前が見ていたものは、ただの残像に過ぎない」

 アルトは眉をひそめる。

「つまり……どういうことだ?」

「彼らは"影"になったのだよ。影喰いが喰らったのは、ただの命ではない。存在そのものを"裏側"へと引きずり込む力だ」

 アルトは理解する。

「この街全体が……裏側……」

「そういうことだ」

 男はゆっくりと歩み寄る。

「そして、お前もいずれ"こちら側"へ来ることになる」

 アルトは鼻で笑い、刀を半ばまで抜いた。

「それはどうかな」

 男は手をかざし、闇が蠢き始める。

 次の瞬間、アルトの意識がかすかに揺らぐ。

 まるで、自分の身体が現実に縛り付けられていないような感覚。

「これは……」

「ようこそ、"影の世界"へ」

 男の声が響く。

 アルトは目を覚ますと、そこには元の街の景色はなかった。

 世界が変わっていた。

 先程までいた街とは異なり、すべての色が沈み込んだような異様な世界だった。建物は黒く歪み、空には太陽も月もなく、ぼんやりとした光だけが漂っている。

 人々の姿は影となり、輪郭を保ったまま揺らいでいた。声もなく、動きはぎこちなく、何かを訴えようとしているように見えた。

「さて、ここからが本番だ」

「お前がこの世界から抜け出せるかどうか……見せてもらおう」

 アルトは深く息を吐き、刀を鞘から完全に抜く。

「面白れぇな……なら、やるしかねぇだろ」

 二人の間の空気が変わる。


 アルトは刀を構えたまま、周囲を見渡した。

「ここは……何なんだ?」

 アルトが問いかけると、白衣の男は静かに笑った。

「お前は今、"影の迷宮"の中にいる。この世界は現実の裏側にあり、選ばれた者しか足を踏み入れることはできない」

「選ばれた、ねぇ……そんなもん、俺は望んじゃいねぇぞ」

「選ばれるとは、望むこととは違う。この世界に足を踏み入れた時点で、お前はすでに"こちら側"の法則に組み込まれている」

 男はゆっくりと手を広げると、影が地面から立ち上がり、形を持ち始めた。

 それはアルト自身の姿をした影だった。

「また俺の真似事か?」

「いや、影喰いのようなただの模倣ではない。お前の記憶、技、すべてを反映したもう一人の閃光だ」

 影のアルトは、同じ刀を持ち、まったく同じ構えを取っていた。しかし、その瞳には感情がなく、ただ無機質な輝きが宿っているだけだった。

 白衣の男が指を鳴らすと、影のアルトは一歩踏み出した。

 アルトはわずかに口元を歪める。

「自分と戦えってか……そりゃあ、面白ぇな」

 影のアルトは静かに動いた。

 その動きは、アルト自身と寸分違わぬ速さで、無駄なく洗練されている。

 一歩踏み込み、刀を抜き放つ。

 アルトもまた、同じように動く。

 二つの刀が交差し、互いの間合いを測る。

「なるほどな……間合いも含め完璧な俺のつもりってわけか」

 アルトは微笑みながら、一歩下がる。

 影のアルトもまた、それに応じるように動く。

 しかし、アルトはすぐに違和感を覚えた。

 攻撃のリズムが妙に機械的なのだ。

「強さは本物だが……"俺"じゃねぇな」

 アルトはすぐに確信した。

 この影は確かに自分の剣技を完全に再現している。だが、そこには何の迷いも、意志もない。

 戦いとは、ただ技を繰り出すだけではない。

 そこに、"剣を振るう理由"がなければ、本物ではない。

 アルトは刀を鞘に戻し、ゆっくりと息を整えた。

「お前に足りねぇもんを教えてやるよ」

 影のアルトは、再び動く。

 しかし、アルトは刀を抜かず、ただその動きを観察していた。

 影のアルトは攻撃を続けるが、アルトは最小限の動きでかわし、流す。

「どんなに完璧な技を持っていても、そこに"何か"がなきゃ意味がねぇ」

 アルトは間合いを詰め、一瞬で懐へ入り込む。

 影のアルトは対応しようとするが、その瞬間、動きがわずかに乱れた。

 アルトはその隙を見逃さず、刀を振るう。

「――迅雷烈風」

 一撃で影のアルトの胴が裂け、闇が霧散していく。

 白衣の男が微笑を深めながら手を叩く。

「やはり興味深い……"迷い"こそが、お前の本質というわけか」

 アルトは刀を収めながら、男を見据える。

「剣を振るうってのは、ただ技を極めるだけじゃねぇんだよ。そこに意志がなきゃ、戦う意味もねぇ」

「なるほど。ならば、次の試練は"意志"そのものを試させてもらおう」

 男は手をかざし、空間がねじれる。

 再び、世界が変わる。

 アルトが目を開けると、そこは見覚えのある場所だった。

 かつて訪れた村、かつて出会った人々。

 しかし、そのすべてが燃え尽きていた。

 瓦礫の中には、かつての仲間たちの姿が横たわっている。

 彼らの目は開かれたまま、何かを訴えようとしているように見えた。

「こいつは……」

 アルトは眉をひそめる。

 これは過去の記憶ではない。

 それとも、未来の幻か。

 白衣の男が背後に立ち、静かに言葉を投げかける。

「お前が生きる限り、剣を振るう限り、お前はこの運命から逃れられない」

 アルトは黙って、地に伏した者たちを見つめる。

 剣士である限り、誰かを斬り、誰かを失い、戦い続けることになる。

 それを受け入れるのか。

 それとも、拒むのか。

 男は手を広げた。

「選べ、閃光のアルト。このまま剣を振るい続けるのか、それとも——」

 アルトは、静かに目を閉じた。

 そして、答えを出した。

「……バカか」

 アルトは再び目を開け、刀の柄を握る。

「選ぶも何も、俺はもうここにいるんだよ」

 白衣の男が、満足げに笑う。

「ならば、最後の試練を見せてもらおう」

 世界が再び暗転する。





 暗転した視界の中、アルトはゆっくりと目を開いた。

 そこには、見慣れた景色はなかった。

 地面は灰色の石畳で覆われ、空は深い闇に包まれたまま。建物はなく、ただ無限に広がる廃墟のような風景が続いていた。

 白衣の男が静かに佇んでいる。

「ここはどこだ?」

 アルトは辺りを見回しながら問いかけた。

 男は微笑を崩さずに答える。

「ここは"虚無の空間"。この世界には、法則がない」

「法則がない……?」

「お前が理解している現実の原則は、ここでは通用しない」

 男が軽く手を振ると、地面が波のように揺れ、景色が変わり始めた。

 次の瞬間、アルトの目の前には、自分自身の姿が映し出された。

 それは影ではない。本物の"もう一人のアルト"だった。

 男が続ける。

「お前が戦う相手は、"もう一人の自分"……ただし、単なる写し身ではない」

 目の前のアルトが口を開く。

「俺は"剣を捨てたアルト"だ」

 アルトは一瞬、目を細める。

「剣を捨てた?」

「そうだ。もし、お前が剣を手放していたら、こうなっていたかもしれないという"可能性"」

 アルトはゆっくりと息を吐いた。

「また俺自身と戦えってのか?」

「違う」

 剣を捨てたアルトが一歩踏み出す。

「俺は戦わない」

 アルトは僅かに戸惑った。

 剣士が剣を抜かないとはどういうことなのか。

 だが、目の前の自分は確かに何の武器も持たず、ただまっすぐこちらを見つめている。

 白衣の男が付け加えた。

「ここでお前が戦うのは、剣ではなく"選択"だ」

 アルトは目の前のもう一人の自分をじっと見つめた。

「お前は、本当に剣を捨てたのか?」

「ああ」

 剣を捨てたアルトは迷いなく答える。

「戦いのない人生を選んだ」

 アルトは刀の柄を軽く叩いた。

「そんな生き方が、俺にできるとは思えねぇな」

「お前は剣を振るうことが生きることだと思っている。だが、それは本当に"お前の意思"なのか?」

 アルトは眉をひそめた。

「どういうことだ?」

「お前が剣を持ち続ける理由は、本当にお前自身が選んだものなのか、ということだ」

 剣を捨てたアルトの目は静かだった。

 怒りも、疑いもない。ただ、真実を問いかけるような眼差し。

「俺たちは、生まれた時から"戦う者"として生きてきた。だが、それが本当に俺たちの選んだ道なのか?」

 アルトは言葉を返せなかった。

 剣士であることに疑いを持ったことなど、一度もなかった。

 剣を手にし、戦い、強敵を斬り伏せる。それが当たり前だった。

 しかし——

 それが"運命"ではなく、本当に"自分の選択"だったのか?

 その問いは、今まで考えたことのない角度から突き刺さった。

「もし、お前が戦わなかったら——」

 剣を捨てたアルトが続ける。

「救えたものもあったかもしれない」

 アルトの脳裏に、今まで関わってきた者たちの顔が浮かんだ。

 戦いの果てに命を落とした仲間。

 斬らなければならなかった敵。

 自分が剣を振るわなければ、彼らの運命は違ったものになっていたのかもしれない。

 だが——

「そんなこと、考えたってしょうがねぇよ」

 アルトは低く呟いた。

「俺は、今この道を歩いてる。過去がどうとか、別の選択肢があったとか、そんなもんは意味がねぇ」

「お前は、自分の剣に迷いがないと本当に言えるのか?」

 剣を捨てたアルトは、静かに微笑んだ。

「迷いがないなら、なぜ今、こうして考えている?」

 アルトは息を飲んだ。

「……」

「もし、"戦わない選択"があるとしたら?」

 その問いに、アルトはしばらく沈黙した。

 確かに、考えたことはなかった。

 戦い続けることしか知らず、それ以外の道があるとは思っていなかった。

 だが、もしも——

 剣を手放した世界があるとしたら?

 しかし、アルトは次の瞬間、ゆっくりと口を開いた。

「それでも……俺は、戦う道を選ぶ」

 剣を捨てたアルトは静かに頷いた。

「そうか」

 その瞬間、彼の姿がゆっくりと消えていく。

 世界が元に戻り、再び白衣の男が目の前に立っていた。

「お前は、剣を選んだか」

 白衣の男は満足げに微笑んだ。

 アルトは刀を軽く持ち直し、短く息を吐く。

「結局のところ、俺は剣と生きるしかねぇってことさ」

「それでいい。だが、今のお前の剣は以前と違う」

「……何が違う?」

「お前は"戦う意味"を見直した。今まで無意識に迷い振るっていた剣ではなく、自らの意志で剣を選んだ」

 アルトは何も答えなかったが、確かに何かが変わった気がしていた。

「試練は終わった。だが、旅はまだ続く」

 白衣の男が手をかざすと、世界がゆっくりと崩れ始める。

 次の瞬間、アルトは元の街の広場に立っていた。

 空は晴れ、街はいつものように賑わっていた。

 先ほどまで影となっていた人々の表情には、確かに"生"の感覚が戻っていた。

 白衣の男の姿は消えていた。

 アルトは腰の刀を軽く叩き、歩き出した。

「結局、俺は俺の道を行くしかねぇ」

 迷いは完全に消えていた。

 

最後まで読んでくださりありがとうございました。

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