22.封じの土地の異変
平和な日だった。青い空には白い雲が時折流れ、地上に届く光は暖かく柔らか。王都には活気が充ちており、相変わらず王城には様々な思惑が蔓延っていたが、それでも諍いが起こることもなく、正に平和で静かな日であった。
——バヂン、と、大きな音が、王城の一室に響く。
「あ゛あ゛ッ!?」
弾かれたように椅子から立ち上がり、目を両手で押さえ濁った叫びを上げたのは、まだ年若い男だ。彼はイーメル王国に仕える宮廷魔術師の一人で、その日は通称封じの土地と呼ばれている、どの国にも属していない土地の見張り役を務めていた。
封じの土地は、その名の通りイーメル王国を含む周辺国が多大なる労力を用いて封印結界を張った場所。数百年前に稼働停止したらしいダンジョンを封じるために、当時は敵対していた国さえも一時休戦をしてまで結界を張ったという。
ただ、封じの土地及びダンジョンを結界で覆った理由はどの国の公式文書からも失われており、今ではイーメル王国も、他国も、如何に自国がその封印を解いて土地を手に入れるかで水面下の争いをしている。
魔術師の男は、他国からの抜け駆けがないように、結界の監視をローテーションで行うメンバーの中の一人だった。特に代わり映えのない風景を、ただぼんやりと眺めていれば良いだけの仕事。勿論、不審な人物や異常があれば即時報告の義務はあるが、そんなことは長い間起こっていないと、宮廷魔術師たちの間では当たりの簡単な仕事扱いだったのだ。
それが、今崩れた。異変などなかった、そう彼は後に言う。一瞬前まで、人の姿も鳥の姿さえみえない、今までと変わらない風景だったのだと。
「う、う゛……!」
「おいっ、どうした!?」
「け、っ結界が、やぶれ、た!」
目を押さえて蹲る男に、同僚が駆け寄る。小刻みに震える背中を撫でて問いかけると、喉の奥から絞り出すような応えが来る。魔術師の男——ハイノは、確かに見て、感じた。あれは、不可視の結界が破られたものだと。
肉眼では捉えられずとも、遠見魔術と魔力探知魔術を組み合わせた術式ならば、そこに結界があるという事実を捕捉することが出来る。ハイノたち宮廷魔術師は、結界近くに設置した魔道具と対になる魔道具を用いて、その観測をしていた。
本来ならば、結界が破られたところで直接触れてもいない魔道具に影響などなく、また、観測者たるハイノも痛みに呻くことはないはずだ。結界と監視魔道具は、全く関連性のないものなのだから。
しかし、現実は違う。ハイノは結界が破られた時、その両目へ耐えきれない程の激痛を受けることとなった。失神しなかったのは、彼が少々痛覚に対して鈍かったからに他ならない。
「おい嘘だろ……! 班長、ハイノから報告! 封じの土地の結界が破られたそうです!」
同僚がさっと顔色を悪くしながら、己らの長——封じの土地観測研究班、通称封研班、その班長へと声を張り上げた。それにより、室内は一気に慌ただしい雰囲気へと変わって行く。
元々班員は多くなく、部屋もそう広くはない。ハイノを襲った異変と結界が破られたという話は、その場にいた全員が目撃し、耳にすることとなった。
「ほ、報告……、報告、致します。結界が破られる寸前まで、人影はありませんでした。あれは、外側から破ったというより……内側から破裂したような、そんなイメージを感じました」
ハイノを襲った両目の痛みは、その瞬間さえ乗り越えてしまえば後に引くものではなく、深く息を吸って、吐いてから顔を上げる。その目には外傷がなく、視力に異変もないと、彼は言う。
「内側から……? まさか、ダンジョンが稼働した? それがどう結界の破壊に繋がるのか……、ああ、ハイノ。よく報告してくれた。すぐに医務室へ向かい、診察を受けるように。その後、帰宅して構わない。明日、登城可能ならば来てくれ。無理はしないように」
「はい、班長」
「フーゴは監視魔道具の使用が可能か確認してくれ。異変があれば即時報告。マルコ、宮廷魔術師統括に報告を上げるように。私はこれから現地へ向かい、事実確認を行う」
ハイノの同僚、フーゴが監視魔道具を起動を行う。マルコ——副班長に、封じの土地観測研究班を始めとした全ての宮廷魔術師のトップである統括へ、現時点での封じの土地についての報告を行うよう指示を出し、班長は席を立つ。
班の中では年嵩だが、宮廷魔術師としてはまだまだ若い部類に入る班長は、この場にいる誰よりも転移魔術に優れていた。適性と才能を求められる転移魔術、それも自分とはいえ生物の転移は、誰にでも出来ることではない。
「はい、班長。……お気をつけて」
「何、さっと見て帰って来るだけだ。マルコこそ、統括にいじめられないように」
「そう言うのなら、さっさと戻って来てくださいよ」
「はは」
軽いやり取りをして、班員に見送られながら班長は部屋を出る。王城から直接の転移は禁止されており、それを破ることが出来るのは王族に危機が迫った場合のみ。今回はそれに当たらないので、駆け足にならないよう、けれども急ぎ足で廊下を進む。
王城の出入口で手続きを行い外に出た班長は、その場で術式を組み転移魔術を発動させた。ただ、どこにでもポンと移動出来るわけではないので、途中幾つかの地点を経由して、最も封じの土地に近い場所へ転移する。そこからは徒歩だ。
魔術師は体力勝負。走り込みをしていて良かった、そんなことを思いながら最低限しか舗装されていない道を走って、走って、封じの土地へと向かう。どんどんと近づくにつれて、そこに今まであった重苦しい空気が綺麗さっぱりなくなっていることに気がつく。
途中、監視魔道具を見つけたが、それはもうギリギリ原型を保っている、としか言いようがない壊れ方をしていたため、溜息を吐いて回収した。
「——……はは。これは、これは……」
足を止める。小高い丘から見えたのは、一面の草原——そして、突如として現れた都市。白く美しい建物の外壁が、遠くからでも目に飛び込んで来た。
突如として結界が破られたかと思えば、どう見ても一昼夜で建てることが出来るはずのない都市の出現。一体この地で何が起こったのか、いや、起こっているのか。
暫し無言で立ち竦むしかなかった班長も、踵を返して王城に帰還することを選んだ。他国でも同じように結界が破られたことを察しているだろう、都市について気づいたか、否か。
「我が国の立ち回りをどうするべきか……、いや、そんなことは私の考えるべきことではないか」
願わくば、自国にとって利益のある変化であって欲しい——そう願いながら、己の目で見たものを報告すべく、班長も宮廷魔術師統括の元へと足を向けた。




