旧型の猫
ある春の昼下がりの事。
古ぼけ、滅多に人の寄り付かなくなった僕の診療所に、一人の少女がペット用のキャリーを抱えて現れた。
「すみません、こちらでペットをなおしてもらえるって聞いたのですが……」
「ええ、承りますよ」
「あの……。実はウチの猫、旧型で」
「えっ?! あ、旧型はちょっと。旧型を診たのは研修生の時が最後でして……」
「やっぱり診たことがあるんですね!! 他のとこでは旧型なんて一回も診た事が無いからと全て断られてしまって。お願いです!! 一度、診るだけ診てもらえませんか??!」
そう言って、少女が僕の許可も得ぬままキャリーバックの中から診察台の上に出したのは、丸まったまま小刻みに震える猫だった。
電脳化の跡も無く、メモリーがクラウドにも接続されていないため、ハードが破損したらそこで終わりの旧型の猫。
「なおりますか?」
「なおらないでしょうね」
バイタルチェックと触診の後、祈るようにして問われた少女の質問に端的に返す。
ところどころ毛がパサついて、足腰が弱り立つこともままならない様子から察するに、この旧型の猫は老朽化に伴う機能停止が目前に迫っているのだろう。
「そうですか……」
そう言って、少女がその猫を温めるかのようにそっと胸の中に抱き上げた瞬間、診察室に旧型だけが持つ独特の、陽だまりの様な懐かしい香りが微かに広がった。
「電脳化を希望されるなら、可能な機関を紹介しますが……」
「結構です!!」
僕の提案を瞬時に固い声で拒絶した後、彼女はしまったとばかりにその顔を青ざめさせ慌てて頭を下げた。
「すみません! 私、つい感情的になっちゃう悪い癖があって……」
「多様性とは種の生存戦略に基づき培われたものです。他人と異なる貴女のオリジナリティが誰かを救う事もあるでしょう。人と違う事を、わざわざ悪癖と銘打って恥じる必要はありません。ですが……。どうして電脳化に反対するんです? 貴女の記憶を媒体にある程度の復元は可能でしょうが、オリジナルのデータが残っていた方が、復元はより精度を増しますよ?」
「……だって、可哀そうじゃないですか」
「可哀そう?」
僕はオウム返しに彼女の言葉を繰り返した。
「旧型にはせっかく終わりがあるのに。その理から外れるようにデータを切り取られ、クラウドの中に永遠に囚われるなんて。“私達”新型が寂しがりやだからって、旧型にそんな真似をするのは残酷だって、私はそう思うんです」
「……そう、ですか」
結局、彼女は旧型の猫を来た時と同じキャリーに入れ、鳴き声一つデータに残さぬまま僕の診療所を去って行った。
彼女のオリジナルが亡くなったのは、もう百八十年も昔の事。
彼女はやはり、自身の電脳化を拒否したまま亡くなったから、彼女が言ったように寂しがりの僕は、僕の記憶を元に彼女を復元したのだ。
もちろん、僕が愛した非合理的で感情豊かな面もそのままに。
終わりを望んでいた彼女を、僕と同じ、終わりのないこの世界に捉えた犯人が僕だと知ったら……僕の記憶の複製である彼女は、一体何を思うのだろうか。
オリジナルが纏っていた柔らかなココナッツに似た香りの無い無臭の診療所の中、感情を露わに怒って見せたコピーである彼女の存在にそれでも救われながら。
僕は彼女がいつかデータを残さなかった事を後悔した時の為にと、診療の際に勝手に保存した3Dデータと音声データを元に復元した“新型”の猫を撫でながら、一人そんな事を考えるのだった。
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