【8】 恵と望
その夜も夢を見た。
いつものように李依瑠ちゃんと神社の境内でかくれんぼをしている夢だ。ただし夢の中でのわたしは「いつものように」とは思わない。
「もぉーいーかーい」
「まーだだよ」
そんなやり取りを何回か繰り返したあとに、背後で玉砂利を踏む音がする。
李依瑠ちゃんだと思って振り返ると、高校生くらいの女の子と大学生ほどの年齢の青年が立っていた。見知らぬふたりだ。
「お姉さんたち、だれ?」
「わたしたちはね」
女の子は質問に答えようとして──
そこで目を覚ました。
いつものように悪い夢にうなされるのではなく、今夜は女の子と青年が立っていただけだった。恐ろしくも不快でもない夢。
起き上がってスマートフォンの時計を確認すると午前三時の少し前だった。今朝はもう少し眠れるかもしれない。
昼に社食から出ると、フロアの非常口を抜けて階段へと移動した。
母から送られてきたボスの携帯番号に電話をかける。
大至急連絡してほしいと伝えられていたが、そんなことは構わずに一晩の時間をおいた。わたしにとって大至急であることならば和葉から連絡がくるはずだ。
そんなにお人好しの性格はしていない。
子どものときのこととはいえ、嫌なことをされた相手のために……もっというのなら、嫌いな相手のために動く気にはなれない、というのが本音だった。
正直にいうと頼まれたって連絡など取りたくもない。だが、実家に連絡をしてきたとなると、ボスには何かのっぴきならない事情があるのだろう。壺や数珠を売りつけるためでなければ。
ボスのことはどうでもいいが、自分の良心のために一応、連絡をしてみようと思った。
呼び出し音をワンコール鳴らしたところで相手が出た。
「もしもし……?」
登録されていない番号に、こちらを警戒をしているような用心深い声だった。
記憶にあるボスの声だ。
「一倉です」
ゆっくりと名乗る。
「凛花ちゃん?! よかったぁ! ありがとう! 連絡してくれて!」
わたしだと分かると途端にボスの声色が変わる。
「鈴木さんから実家に連絡がきたって母から聞きました。わたしに何かご用ですか?」
なにが「凛花ちゃん」なのか。明るく媚を売るような声にいらっとした。必要以上に慇懃無礼に応えてしまう。旧姓で呼んだのは今の名前を知らないからでもあるが。
「あ……。ごめんなさいね。ちょっと相談があって……」
わたしと自分との温度差に気がついたのか、ボスは言いにくそうに言葉を濁した。
「相談なら、わたしではなく石田さんや柿本さんたちにしたらいかがですか?」
鈴木一派の主要な名前を上げる。
「それは、そうなんだけど……いいえ、そうじゃなくて……。たぶん、凛花ちゃんに相談するのが一番いいと思ったから」
「……お役に立てるとは思いませんが」
「そんなことない! だって……!」
感情を露にして否定をしたボスは続けた。
「だって……李依瑠ちゃんのことなんだもの」
✾✾✾
ボスには四歳になる一人娘がいる。
結婚してから四年後に産まれた子ども。
お正月の加曽蔵小学校の同窓会のあとから、その娘──望ちゃんが不思議なことを言い出したという。
「押し入れを開けたままにしてじいっと下の段を見て喋っているの」
「どうしたのって訊くと、お姉ちゃんがいるよって」
少し気味が悪いとは思ったものの、望ちゃんには怖がっている様子はなかった。幼い子どもはその子にしか見えないお友達──イマジナリーフレンドを作ることがある。その類いかもしれないと思い、口を出さずにしばらくは様子をみることにした。
望ちゃんは幼稚園から帰ってくると、押し入れを開けて下の段に向かって楽しそうにおしゃべりをすることもあった。むろんボスには何も見えない。
そのうちに幼稚園で描いたという絵を持って帰ってきた。
縦に大きな細長い円と、その隣には小さな細長い円が描かれている絵だった。細長い円には手足と思われる線も描かれている。黒色で塗られている部分は頭で、どうやら髪の毛らしい。
「上手に描けたわね。これはママと望?」
ボスの質問に望ちゃんは首をふる。
「ちがう。のぞみちゃんとれるちゃん」
望ちゃんの組に「れる」ちゃんという女の子はいたかしら? ボスは不思議に思ったものの、ほかの学年のお友だちかもしれないと思った。
幼稚園から電話があったのはその次の日だった。
望ちゃんが幼稚園の門を乗り越えて出ていこうとしたという。
外遊びのために組のみんなで園庭に出て遊んでいるときのことだ。先生たちが見ていたために未遂で済んだ。
望ちゃんは神社に行こうとしたという。
驚いたボスは幼稚園に迎えに行った。望ちゃんに神社に行こうとした理由を問い質すと「れるちゃんがおいでっていった」と言う。
困惑したボスは幼稚園の先生に「れる」ちゃんのことを尋ねた。すると望ちゃんの通う幼稚園には「れる」ちゃんという名前の子どもはいないとのこと。それならばアダナやニックネームかもしれない。だが先生たちにも心当たりはなく、首をふってわからないと答えた。
ボスはもしやと思い、イマジナリーフレンドのことを訊いてみた。
「ねえ、望。押し入れの下の段にいるお姉ちゃんって、れるちゃんなの?」
望ちゃんは頷いた。
「じんじゃにおいでって。いっしょにかくれんぼしてあそぼうって」
✾✾✾
「つまり、「れる」ちゃんが李依瑠ちゃんっていうことですか?」
向かいに座った矢井田さんは今日はぱりっとしたスーツではなく、カジュアルな格好をしていた。
色の褪せたヴィンテージ風のジーンズに長袖のTシャツと黒いダウンジャケット。ダウンジャケットは脱いでソファの上に丸めて置いていた。
わたしは平日休みの矢井田さんに合わせて有給休暇を使った。
「少なくともボ……鈴木さんはそう思っているみたいです」
そう答えて、矢井田さんの隣に座った新名さんをちらりと見る。新名さんも矢井田さんと同じような格好をしていた。
新名さんとは初対面だが、どこかで見かけたような気がする。でも、思い出せない。
新名さんは手首に巻き付けていた勾玉のような飾りのついたブレスレットをはずして、手のひらに握っていた。そのまま目を閉じている。眉間をよせたまま難しい表情をしていた。さっきから一言も話さない。
ボスと電話で話しをしたあとに、矢井田さんに連絡を取った。ボスのためではない。李依瑠ちゃんと望ちゃんとわたしのためだ。
ボスは望ちゃんが李依瑠ちゃんに呼ばれてしまうのではないかと恐れていた。「れる」ちゃんは「りえる」ちゃん。望ちゃんがうまく発音ができていないだけで。ボスはそう思っている。
「望が李依瑠ちゃんみたいにいなくなったら……! お願い! 李依瑠ちゃんと仲の良かった凛花ちゃんならなんとかできるでしょ!? 連れて行かないでって頼んで! 望から離れてって頼んで!」
「そんな……」
ボスの勢いに呑まれかけながらも怒りが湧いた。李依瑠ちゃんが望ちゃんに取り憑いているとでもいうのか。呪っているとでもいうのか。李依瑠ちゃんはそんなことをする子ではない。真っ先にそれが浮かぶ。
「お願いします! 意地悪したことは謝るから! 望になにかあったら、わたし……」
ボスの嗚咽がスマートフォンの向こうから聞こえてくる。
「李依瑠ちゃんはそんなことはしない。それにその言い方だとまるで……李依瑠ちゃんはまだ行方がわからないだけです」
「でも! 中野くんだってあんなことになって……! 凛花ちゃんだって本当はもうわかっているんでしょ?! 二十年なのよ! 李依瑠ちゃんはもう……!」
ボスが叫んだ言葉は、わたしの胸を突いた。
喉に乾きを感じる。ホットコーヒーを口に運んだ。口の中に広がる苦味と甘味。それを飲み込む。
矢井田さんと新名さんのテーブルの前には、ホットコーヒーがふたつ、アイスレモンティーがひとつ置かれている。変わったな注文の仕方だと思った。
アイスレモンティーは矢井田さんか新名さんのどちらが飲むのだろう。
「で、千歳。どう?」
矢井田さんは新名さんに話を向ける。
「……そうだな」
ゆっくりと目を開けた新名さん。
二十年前の『神隠し事件』のこと、同窓会のこと、中野の動画と事故のこともすべてふたりには伝えてあった。
この回に千歳もやっと登場です。
★新名千歳
拙作のホラー作品『憑いてます』に登場する主人公です。
タグにも「スピンオフ的な」と入れましたが、『誰そがれかくし』の主人公は凛花です。
『憑いてます』を読まれていなくても大丈夫なように描いております(*´꒳`*)
もしご興味がありましたら『憑いてます』も覗いてくださるとたいへん嬉しいです。こちらでは千歳が活躍しております<(_ _)>
★ 次回の更新は8月18日の18時30分を予定しております。よろしくお願いいたします( *ˊ꒳ˋ* )