【31】 邂逅
ごめんね、李依瑠ちゃん。
あなたにこんなことをさせてしまうなんて。
あなたを巻き込むことになるなんて思いもしなかった──
夜須さんの唱える不思議な言葉。それは、病室に降る雪だ。言霊を降らせて積もらせることによって、四隅の濃密な闇を、これ以上は侵食させないようにと牽制しているみたいだった。
夜須さんの声に合わせて、雨と風が激しさを増したようにも思えた。
雨はさっきよりも強く窓を叩いている。風は窓枠をガタガタと震わせる。家鳴りのようなピシッという乾いた高い音も混じりはじめていた。
狂暴な雨風は窓ガラスを力まかせに叩き割り、窓枠を破壊してこじ開け、外から部屋のなかへと、強引にナニかが入り込もうとする手伝いをしているようにも思える……。
いや、そんなことを考えてはいけない。下手な想像力は現実にはないものを創りだし、恐ろしいと思う気持ちを増幅させてしまうだけ。
目を瞑っていても、瞼の裏にときおり激しい光が交差する。夜須さんの声をかき消すように、遠くにあった雷鳴も近づいてきている。
春の嵐が吹き荒れていた。
もう一度……集中しなければならない。
気持ちは緊張や不安で過敏に昂っている。神経を剥き出しにされたように、静電気が伝うときのピリピリとした感覚がねっとりと肌を這う。
気持ちを落ち着けるために、ふうと息を深く吐く。
大丈夫。
わたしはやり遂げる。
大丈夫。
夜須さんが手伝ってくれている。
大丈夫。
大丈夫。
わたしは大丈夫。
待っていてね、李依瑠ちゃん。
夜須さんの声に神経をかたむける。
詠唱されるのは、鼓膜を通して身体の芯にまで浸透していく摩可不思議な言葉たち。
深く深く、意識を束ねて集中させる。深海の底の底にまで潜るように、呪文に意識をのせて沈んでいく。
李依瑠ちゃん ──
李依瑠ちゃん ──
李依瑠ちゃん ──
わたしの声は届いている?
聞こえている?
わたしのことを心配してくれてありがとう。
わたしのことを思っていてくれてありがとう。
わたしのためにありがとう。
あの日から今まで、李依瑠ちゃんのことを忘れたことはなかったよ。いつも祈っていた。無事に帰ってきますようにって。また会えますようにって。
李依瑠ちゃんが幸せに暮らしていますようにって。
あの日、わたしにできることはあったのかな?
ふたりで遠回りをして、一緒に帰ればよかったのかな?
もっとふたりでお喋りをしていたらよかったのかな?
神社で遊んでいなければよかったのかな?
もっと李依瑠ちゃんのことを知ろうとすればよかった。
李依瑠ちゃん。
ごめんなさい。
助けてあげられなかった。
力になってもあげられなかった。
なにもできなかった。
李依瑠ちゃんはいつも静かにニコニコと笑っていたよね。
あなたの笑顔が大好きだった。
あなたの優しさはいつも和やかな気持ちをくれた。
あなたが大好きだった。
でもね……今なら解るよ。
あなたのその穏やかな笑顔の意味を。
そうするしかなかったんだよね。
甘えて守られているだけの存在ではいられなかったんだよね。
子どもではいられなかったんだよね。
自分の気持ちを押し込めて、泣くことも諦めて、どうすることもできなくて。
すべてを受け入れた笑顔だったんだね。
なにもしてあげられなくてごめんなさい。
あのときに気づかなくてごめんなさい。
でも今なら……。
わたしはもう子どもじゃなくなったよ。
李依瑠ちゃんに少しは追いつけたかな?
李依瑠ちゃん。
わたしのために、あなたはもうこれ以上、苦しい思いをする必要なんてない。悲しい気持ちを抱える必要なんてない。
わたしの呪いを引き受ける必要なんてない。
わたしのために本当にありがとう。
それから、本当にごめんなさい。
中野をこっちへ送って?
わたしの呪いはわたしが自分でけじめをつけるよ。中野には面と向かってたくさんの文句を言ってやる。それこそ、目が覚めないほうがマシだったっていうくらい、言いたいことは全部言ってやるんだから。
李依瑠ちゃん、ありがとう。
あなたにもう苦しい思いはしてほしくない。
李依瑠ちゃん、中野のことはわたしに任せて。
李依瑠ちゃん、ありがとう。
李依瑠ちゃん ──
「凛花ちゃん」
耳元ではっきりと李依瑠ちゃんの声が聞こえた。
はっとして目を開ける。
そこは加曽蔵神社の境内だった。
ここは……。
中野の病室にいたはずなのに。
「凛花ちゃんてば」
李依瑠ちゃんの声に振り向くと、社を背にした李依瑠ちゃんが立っていた。
「李依瑠ちゃん……!」
頭上にはあの真っ赤な夕焼けがあった。
空も雲も社もわたしたちも、すべては赤く塗り込められている。
秋のはじめの夕暮れ。
陽の温度を奪われつつある風が頬を撫でて、さらさらと笹を鳴らしていく。
まるであの日のあの ── 昼と夜の間の時間。
李依瑠ちゃんは黒いTシャツにジーンズ、黒いスニーカー。姿も服装も当時のままだった。
「李依瑠ちゃん!」
気持ちは勝手にあふれだして、自然と身体が動いていた。
玉砂利を蹴って駆け寄ると、李依瑠ちゃんを思いきり抱きしめる。
「李依瑠ちゃん! 会いたかった……!」
懐かしさと会えた嬉しさ。喜びと悲しみ。後悔と安堵。それにくわえてさまざまな感情が入り交じってしまい、言葉にならない。
涙は自然とわきあがってくる。すぐに視界は歪んでいった。
李依瑠ちゃんと同じ目線のわたしも、当時の姿にもどっているようだった。
抱きしめた腕のなかにある李依瑠ちゃんの細い身体には温もりがある。規則正しい呼吸づかい。黒いTシャツの綿の感触。
李依瑠ちゃんは今、確かにここに存在している。
「凛花ちゃんとこうやってお話するのは久しぶりだね」
わたしの両肩に手を置き、李依瑠ちゃんはトンと力を込めて押した。わたしの腕を解くと、首をかしげながらくすくすと笑う。
「中野くんのこと……もう、やめちゃうの?」
「ごめんね。本当にごめんね……! わたしのせいで李依瑠ちゃんに嫌な役をさせて。嫌な思いをさせて……! もう、いいの。李依瑠ちゃんは犠牲にならないでいいの。わたしが、ちゃんと自分でけじめをつけるよ」
涙はとめどなく流れる。手の甲で頬を拭いながら、ずずっと鼻水もすすった。
「べつに凛花ちゃんのせいじゃないよ?」
「でも……わたしがあんなことを思わなかったら……!」
「あんなことって?」
「中野のことを呪わなかったら……!」
「ふぅん。でもね、悪いことをしたのは中野くんだよね?」
「中野はしてはいけない事をした。李依瑠ちゃんもわたしのことも傷つけた。確かに中野を憎いと思った。でも、こういうことを望んでいたわけじゃ……。ううん。違う。本当は中野に罰が当たればいいのにって思った。やっぱりわたしの……せいだよ。ごめんね、李依瑠ちゃん。それからわたしのためにありがとう。もういいんだよ。もうやめよう」
涙も鼻水もとまらない。
李依瑠ちゃんはずっとくすくすと笑っている。
そのことに、どことなく……どことなく違和感を覚える。目の前にいるのは李依瑠ちゃんだ。だけど、どこか、なにか……。
「凛花ちゃんはそれでいいの?」
「うん。いいよ」
「本当に?」
「うん」
「そっかぁ。……でもね、李依瑠はそんなのつまんなぁい」
ふっと目を閉じたら……あっという間に3月で……。
二度寝したら、え? もうこんな時間? みたいな。
いや、言い訳です<(__;)>
難産でした。こう、なんというか、きっかけを掴めたらスルっと書けそうだったのですが、それがなんとも難しくて。
ラストは描き上がっています。なにしろ、このラストを描きたくての物語です。
毎週土曜日更新でしたが、完結までは不定期になると思います。なんとか3月が終わるまでに完結したいと思っています。残り話数も多くはない……はず。
もう少しだけ気長にお付き合いくださると、たいへん嬉しい & ありがたいでございます(๓´͈꒳`͈๓)
ここまで読んでくださってありがとうございます。




