【25】 荒魂と和魂 7
AさんはBさんに呪いをかけている。そのことをBさんがもしも知っていたのなら ──。BさんにはAさんに恨みを買うような心当たりがもしもあったのなら ──。
呪いを信じる、信じない以前に、Bさんの気分は確実に上々とは言い難い。考えようとしなくとも、恨まれている、呪われているという事実は頭の隅に巣食ってしまう。ふとしたときに、それに気をそがれてしまい、普段はしないようなちょっとした不注意を誘発するのかもしれない。そしてそれは、骨折のようなケガにつながることもあるのかもしれない。
「そう。そんなこともあるかもしれないし、ないかもしれない。でも、結果だけをみれば、Aさんが呪ったとおりに骨を折った。当然Aさんはそれを呪いが効いたと考える。Aさんにとっては呪いは実在するものになる。ではBさんはどう思うか? 仮に転んでしまって腕を骨折したとして、呪いに足を取られて転ばされたと考えるのか? たんに自分の不注意で躓いたと考えるのか? それとも自己暗示のようなものにかかり、怯えや恐怖から幻覚を見たせいで転んだのか……?」
夜須さんはやわらかく笑う。ボスに向かって。
「つまり、呪いをかけられたり祟られたりした側は、それが呪いや祟りだと思ったら呪いや祟りだし、違うと思ったら違うんです。Aさんが呪ったという事実はある。でも、その結果に至る過程を呪いや祟りのせいだと証明することはできない。非科学的だと云われていることを立証することは、とても難しい。ほぼ不可能です」
「それは……そうかもしれませんが。でも、望は……。李依瑠ちゃんのことを知るはずもないんです。それなのに……神社へ誘われて……もしも神社なんかへ行っていたら……。夜須さんの仰っていることもわかります。でも……! 望のことはそれとは違う!」
ボスは戸惑いながらも強く否定をした。感情が昂ぶったせいなのか、両目からは涙がしたたり落ちる。頬を伝うそれを拭おうともせずに、ボスは夜須さんから目をそらさない。
「泥」
「どろ……?」
「そう。恨み、妬み、嫉み、怒り、後悔など。そんな負の感情は『黒いモノ』を引き寄せやすいんです。『黒いモノ』というのは陰の気。簡単にいうと、陰です。どろどろに濁ってヘドロのように腐敗した感情の成れの果てです。それが寄せ集まったものを、僕は『泥』と呼んでる」
それがお嬢さんに憑いていた。
夜須さんのその一言でボスの顔色はさらに悪くなった。
「そんなものが……どうして望に?」
「原因はあなたですよ。西脇さん」
「わたし……?」
「結果的にあなたの負の感情が泥を引き寄せた」
夜須さんの圧が増した。あの瞳はボスを逃さない。
「小学生の当時にあなたと同じクラスになった少女は、あるときに行方不明となってしまう。少女の消息は不明。事件なのかも事故なのかもわからない。解決の糸口もない。それから二十年も経った今に、その行方不明事件をなぞる動画を作るため、小学校の同窓会が企画された。当時の顔ぶれがそろう。懐かしい思い出と一緒に、忘れたかった感情や封印していた出来事もよみがえった。そして、投稿された動画にはナニかが映り込んでしまう。さらに動画を撮った同級生は事故に遭い、意識はもどっていない」
ゆっくりと語り聴かせるような口調だった。
「あなたはその少女をイジメていた。それは……さぞ不安にもなることでしょう。あなたには負い目がある。少女は自分を恨んでいるだろう、きっと祟られているに違いない。次は自分の番かもしれない、とね。だけど……あなたはものすごく強い人です。なんだかんだと言っても、生きている人間の力が一番強いんです。とくに我の強い人ほどね。泥はあなたの周りを囲んではいますが、憑けなかった。だからお嬢さんに憑いたんです」
あなたの負の感情を吸い込んで形を成したもの。それがお嬢さんの「お友だち」ですよ。
「そんな……」
ボスの唇は震えていた。テーブルの上にポタポタと涙が落ちる。
「とにかく……間に合ってよかったです。お嬢さんが泥に取り込まれる前に。あなたもこのままの状態が長く続けば、いくら精神が強くても、体力的にももたない。負の感情を伝って泥は増殖し、伝染します。いずれは家族全員が泥に取り込まれて、さらに厄介なことになっていたでしょう」
夜須さんの営業スマイル。それが、今はとてつもなく場違いに思えた。
「安心してください。さっきもお伝えしたように邪気を払い、結界を張りました。もう泥はお嬢さんにもこの家にも、手を出すことはできません」
紅茶のカップにほんの一口だけ、義理のように口をつける夜須さん。
「もしなにか気がかりなことがありましたら、連絡してください。名刺の番号でもいいですし、一倉さんを通してくださってもかまいませんので。おそらくはなにもないと思いますが」
……勝手にわたしを連絡係にするなんてあり得ない。さらりと余計なことを言わないでほしい。
「あ、それから。後日に交通費と経費を含めた請求書を送らせていただきますね」
にこりと微笑んだ夜須さんは席を立った。
合わせてわたしも席を立つ。
ボスは放心したように目の前の一点を見つめていた。悪夢の中に登場した、恨みがしい上目でわたしを睨んでいた憎らしいボスは、そこにはいなかった。
「……鈴木さん。夜は……ちゃんと眠って」
聞こえていたのかはわからない。それでもボスは、前方を見つめたままゆっくりと頷いた。
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夜須さんは運転席でハンドルを握りながら「どこか美味しい店とか、この辺りの名物はないの?」と訊いてくる。
「お腹空いたね。僕さ、朝も食べてないんだよ」
第一ホテルまで迎えに行ったのに、ロビーから連絡してもらうまで寝ていたのならそれはそうだろう。
下林市内ならば全国区のファーストフードやフランチャイズの店ならある。少し考えてから答えた。
「上ヶ丘までもどれば……ちょっと山の上のほうになるんですけど。地元では美味しいって評判の、山の湧水を使ったお蕎麦屋さんがあるんです」
「へえ、いいね。そこに行こう」
ネットで店の住所を調べてナビゲーションを開始する。母には上ヶ丘を夜須さんに案内すると言ってある。これも十分に上ヶ丘を案内することになっているはずだ。
助手席から見上げる空は、朝と変わらずにどんよりと曇っている。少し開けた窓からの空気は湿気を含んでいる。雨の匂いもするが、お天気キャスターのお姉さんは夕方の時間までは降らないと言っていた。
「あの、訊きたいことがあるんです」
「なに?」
「中野くんの……動画を撮影した同級生のことなんですが」
「うん」
「事故のあとに意識がもどらないのは……なにかあるんでしょうか?」
泥はわたしに糸をつけた。ボスに憑こうとした。
中野にもなにかそういった影響は及んでいるのかもしれない。その考えは、今日のボスと望ちゃんの件もあってもはや確信に近かった。
あのクラスにいたわたしたち。人によって差はあるはずだが、李依瑠ちゃんに対する想いはそれぞれに持っている。
夜須さんは「うぅん」と、唸るような返事のようなものを発した。
「あのさ。それ、本当に訊きたい?」




