【1】 逢魔ヶ刻
「そうそう。同窓会の葉書がきてるわよ」
仕事が忙しく、夏休みとしてはかなり遅い休暇をとることになった。
大学時代の友人たちは家庭に入って子育ての真っ最中だったり、すでに本当の夏の休暇を消化していたりでなかなか予定が合わなかった。
おひとり様には慣れている。一週間の休暇をひとりで過ごしてもかまわないのだが、久しぶりに実家に帰省することにした。
東京から新幹線、私鉄、バスを乗り継いでやっと実家へとたどり着く。
ただいまぁと玄関を開けるなり、荷物と駅で適当に買った東京土産を放り出した。長距離の移動で疲れきった身体を居間のソファーに投げ出す。
「お帰りなさい」と、呆れた表情をした母は、葉書を温かな緑茶と一緒にテーブルの上に置いた。
「同窓会? へぇ……どっちのだろう?」
中学か高校か。大学はSNSを通して連絡が入る。
手に取って裏返した葉書は、小学校の同窓会を報せるものだった。
小学校……。
卒業してから今まで、同窓会なんて一度も開かれたことはなかった。来年の一月二日。市内のホテルを会場としている。
「行くの?」
じっとその葉書を眺めていると、心配そうに母は声をかけてきた。
「うーん……。行かない」
「そう」
ほっとしたような声。
母もまた、あのことを思い出しているのだろう。いや、思い出しているというのは違うかもしれない。そもそも忘れようがないのだから。
「それよりさ、乗り継ぎで疲れちゃったよ。ホントに遠いわ。お腹も空いちゃった。今日の晩ごはんはなにを食べさせてくれるの?」
気にしていない素振りで伸びをした。葉書を無造作にテーブルの上にもどす。
「久しぶりに帰ってきて、訊くのは夕御飯のことなの?」
小言めいた母の笑顔に帰省したのだという実感がわく。だいぶ古くなってきた木造の実家の匂いはどことなく郷愁を刺激する。高校生までの自分にもどったような気分になった。
「今日は凛花の好きなハンバーグとから揚げとグラタンを作ったわよ。あなたが帰ってくるのも久しぶりだから、ちょっとはりきっちゃった」
「お母さんの作るご飯も久しぶり。楽しみだな」
「だったらもうちょっと頻繁に顔を見せに帰ってきなさいよ」
「だって遠いもん。仕事もあるしね。LINEもあるからいいでしょ。それに樹のとこにさっちゃんが生まれたんだから、もう子どもよりも孫でしょ」
六歳下の弟──樹に今年のはじめに長女のさつきが生まれた。
これで両親の興味は完全にわたしの結婚問題から孫へとシフトした……と思いたい。
「もう、そんなこと言って。お父さんも今日は早く帰ってくるって。ゆうちゃんとさっちゃんたちは樹の仕事が終わってから一緒にくるって」
ゆうちゃんは樹の小学校からの同級生だ。今はふたりは夫婦になった。
田舎は交友関係が濃い。それをどうのこうのというつもりはない。だが、わたしには息苦しく感じた。
「はぁい。実物のさっちゃんに会うの楽しみだな」
「本当に可愛いわよ。凛花の赤ちゃんのころみたい」
そう言った母は昔を思い出すようにして笑った。
✾✾✾
わたしは十一歳、李依瑠ちゃんは十歳の小学五年生のとき。
わたしたちはいつも一緒にいた。
李依瑠ちゃんは勉強も運動も得意ではなかった。宿題や連絡された持ち物を忘れてくることも多かった。
口数は少なかったがいつもニコニコと微笑んでいて、おっとりとした雰囲気があった。係の仕事などは何も言わずに傍で手伝ってくれた。子どもの目から見てもかわいい女の子だった。それは容姿が優れている……ということではない。静かな笑顔がとてもチャーミングだったのだと、今ならわかる。
のんびりとした李依瑠ちゃんとは気が合ったし、彼女のことは大好きだった。いつも一緒に遊んでいた。
あるとき、李依瑠ちゃんの家庭は複雑らしいと母がママ友のネットワークで聞いてきた。
もともと口数の少なかった李依瑠ちゃんは家族のことはなにも話さなかった。そういえば李依瑠ちゃんの家に上がったことはない。遊ぶときには神社の境内か小学校の校庭か、家でだった。
母が聞いてこなければ、遠足や運動会のお弁当を先生から李依瑠ちゃんにそっと渡していたりすることにも気がつきもしなかった。だって李依瑠ちゃんは悲しい顔なんかしないで、ニコニコと微笑んでいたから。
今から考えると毎日同じ洋服を着ていた。ジーンズ生地の長ズボンに黒いTシャツ。当時は気にもしなかったけど。
五年生の夏休みが終わった頃から、わたしと李依瑠ちゃんをターゲットとしたいじめが始まった。鈴木という女子がボスになっていたグループから、無視をされたり悪口を言われたりした。
きっかけはなんだったのか。
今でもはっきりとした理由はわからない。おそらくは、ボス鈴木の好きな男の子が李依瑠ちゃんのことを好きだという噂が流れたせいだと思っている。
秋の風が吹き始めるころ。いじめは突然に終わった。
李依瑠ちゃんが学校に登校しなくなった。
いなくなったのだ。
李依瑠ちゃんと最後に一緒にいたのはわたしだった。
さまざまな噂が流れた。
もともと育児放棄をしていた母親が真っ先に疑われた。しかし、母親には皮肉にも不在証明があった。当時に付き合っていた男と旅行をしていて家を空けていた。
李依瑠ちゃんは家出か、なにかの事件に巻き込まれた可能性が高いと考えられた。しかし、足取りはまったくつかめなかった。駅の防犯カメラに姿はなく、不審な人物や車の目撃情報もなかった。
唯一、神社から少し離れたコンビニエンスストアの防犯カメラに、李依瑠ちゃんらしき子どもが映っていた。だが、のちにそれは李依瑠ちゃんではない違う女児だと判明する。それ以降に設置されていた防犯カメラには姿が映ることはなかった。警察犬も出たらしいが、どういうわけか神社の境内から続く石段を降りると、そこをグルグルと回るだけだったという眉唾ものの噂も流れた。
おそらくわたしも疑われていたのだろう。
最後に一緒にいたわたしに、刑事たちはいろいろと聞いてきた。
「なんでもいいから思い出したことを話してほしい」
そんなことを言われても特別なことはなにもなかった。あの日もいつもと同じだった。神社の境内で遊んで、家に帰ることを促す防災無線のメロディが流れた。それを聞いてわたしたちは家に帰るために神社の階段を降りたのだ。言えることはそれしかなかった。それだけだった。
赤い赤い真っ赤な夕陽。いつもと違うことといえば、それだけだった。
それが、彼女の姿を見た最後だった。
『現代の神隠し事件』などと当時のメディアは無責任に騒ぎ立てた。李依瑠ちゃんの母親は娘の帰りを待つことはなく、ほどなくしてどこかへと引っ越していった。わたしたちをいじめていたクラスのボスは、李依瑠ちゃんがかわいそうだと泣いていた。わたしはそれを心の底から醒めた気持ちで眺めていた。
二十年たった今でも李依瑠ちゃんの消息は知れない。