【10】 その男
ハンカチを口に押し当てたまま、昂った感情をなんとか落ち着かせる。新名さんと矢井田さんはなにも言わずにその時間に付き合ってくれた。
「……すみませんでした。もう大丈夫です。続けてください」
「……基本的に、俺は話し合い重視なんです。話して納得して上がってもらう。だから話し合いができないモノは論外なんです。今回の件は……俺の手には負えない。カミと呼ばれるモノにはかかわることはできません」
「……でも、神様なら……話し合えるはずですよね?」
「一倉さんの考えている『神様』と俺の話している『カミ』は、おそらく違います」
「どういうことでしょうか?」
神様は神様のはず。
人々の願いを聞き届けて手を差しのべてくれる。皆を守ってくれる存在。そう信じられている。
「うぅん……。説明は難しいんで簡単にいうと『神様』の概念が違うんです。俺のいう『カミ』は人間とは違う次元に存在するモノ全般です」
「千歳ちゃ~ん。俺らシロートにはもっともっと簡単に説明してってば」
矢井田さんは……なんというか、いい性格をしている。新名さんの冷たい視線にもめげることはない。
「存在する次元が違うということは、存在そのものが異なるんです。人間とは違うものだから、人の『道理』は通じない。だから話し合いたくても、話は通じない。お互いに折り合うポイントがまるで違う」
「たとえば? どんなことよ?」
質問をしたのは矢井田さんなのに、新名さんはわたしに向かって説明をしてくれる。
「そうだな……これはあくまでたとえですが……コンビ二で二百円を出せばアイスは買えます。だけどそういったモノはこちらが二百万円出しても売らないという。かと思えば、小石ひとつで交換してくれたり、必要のないときに全部を無料でよこしてきたりする。その基準は独特のものだし、それぞれに違う。俺たちには理解することはできないし、向こうもこちらに譲歩はしない」
「神がアイスって……」
「だからたとえだよ」
イラッとしたような新名さんに矢井田さんは肩をすくめた。
「そういったモノが相手の場合は、俺は引き受けられません。下手に受けるとお互いに痛い目に合うから」
依頼を断る理由を信じるのであれば、人間の道理が通じない神様……モノは相手にできないということ。つまりそれは、今回の原因はそのモノ……そう考えてしまってもいいのだろうか。
それでは……境界を越えてしまったという彼女はいったい──
「じゃあ、李依瑠ちゃんは……」
李依瑠ちゃんの行方を新名さんに訊ねても仕方のないことだ。そんなことは解っている。李依瑠ちゃんの身に起こったことは、彼女にしか解らない。
それでも、思わず口からこぼれてしまった。そのあとに言葉を続けることは難しくとも。
新名さんは黙ったままだった。肯定も否定もしない。
ボスの言葉は受け入れられなかった。それを認めたくはなかった。だけど新名さんの沈黙は……。
手にしていたハンカチをぎゅっと握りしめる。
この二十年。李依瑠ちゃんはどこかで幸せに暮らしていると信じたかった。自分のために。彼女のために。それでももう、ごまかし続けることはできないのだと、そう思った。
「一倉さん……もうひとつのほうをお伝えしてもいいですか?」
「……お願いします」
「社長に……夜須に頼んでみますか?」
「げっ」
またもや先に矢井田さんが反応した。
「俺にはムリだけど。社長なら引き受けてくれるかもしれないから」
「えぇ……。夜須社長って……大丈夫かよ?」
「腕は確かだ」
「それはわかってるけどさぁ。え? それ、よくない報せとそうじゃない報せって逆じゃね?」
矢井田さんの口元に曖昧な笑みはない。なぜだか引き結んだ唇は「へ」の字をつくっている。
「あの、頼めるのならぜひ。夜須社長さんにお願いします」
考えるまでもなく答えた。
矢井田さんの反応は気になるが、答えはすでに決まっている。
「わかりました」
そう言った新名さんは、すぐにでも夜須社長と連絡を取るために席を立った。
「一倉さん。まさか千歳が断るとは思わなくて……。せっかく連絡をくれたのにすみません」
矢井田さんにも頭を下げられてしまった。
「いえ、謝らないでください。矢井田さんにあの時にお声をかけていただいて感謝してるんです。こんなことってほかに頼れる伝手もありませんし……。なにをどうしたらいいのかも全然わからなくて」
それを伝えても、矢井田さんは微妙な表情のまま変わらない。
「あの、夜須社長さんというかたは……?」
「えぇと……なんというか。独特にクセが強いというか。よくいえば非常に個性的なひとでして……」
矢井田さんは言葉を濁す。
クセが強くて個性的。心霊特番や動画などで見たことのある誇張されたキャラクターや、奇抜な服装をした「そういう」人たちを思い浮かべた。
「あ、でも千歳も言ってますが、祓い屋としての腕はめっちゃ一流です」
矢井田さんは慌てて付けくわえた。
「お待たせしました」
ほどなくしてもどってきた新名さんは、薄い灰色のチェスターコートを着た長身の人物を一緒に連れていた。
「え? いくらなんでも来るの早くね……?」
「ちょうど近所の教室にいたんだよ」
矢井田さんのつぶやきに、その人物はぶっきらぼうに答える。
肩まで伸びたゆるく巻かれた髪は、全体的にミルクティー色に染められていて毛先だけが青い。かけられた大きな黒いサングラスも人目を引く。顔の面積に対しても、サングラスのほうがだいぶ幅をとっているようだ。それでもなんとなくわかるのは中性的な顔立ち。ぱっと見では女性……いや、男性なのか。答えた声は男性にしては高く、女性にしては低かった。
「社長の夜須です」
新名さんの紹介に、夜須社長は大きなサングラスを人差し指ですっと下にずらした。その隙間からじっとわたしを覗いた目は新名さんと同じだと、直感的にそう思った。
✾✾✾
「一倉と申します」との自己紹介も終わらないうちに、夜須社長はわたしの隣の席にどかりと腰を下ろして足を組む。スキニーのブラックジーンズに編み上げのブーツを履いた足は、前釦をとめていないコートの裾から盛大にはみ出した。
「千歳からざっと話は聞いたよ。それで? 僕にどうしてほしいの?」
そう言ってサングラスをコートのポケットにしまう。
覗きこんできた瞳は、やっぱり新名さんと同じ。見られている。でも、わたしでもない、ここでもないどこかを見ている。新名さんと違うのはその瞳の強さだ。
なんというか……とてつもなく圧が強い。
一瞬の間、気圧されてしまった。すぐには言葉が出てこなかった。
「……聞いてる?」
「あ……すみません」
「いやいやいや、夜須社長、相変わらずに怖いって。一倉さんびっくりしちゃってるじゃないですか」
矢井田さんが間に割って入ってくれた。
「そう? 僕は普通なんだけどね」
夜須社長は近くのテーブルに飲み物を運んできた店員さんを捕まえて、チョコレートパフェを注文した。
★次回の更新は8月30日の18時30分を予定しております。
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