190話 ハーケーンの小悪党
懐かしい基地の稼働音。昔はこの低音が妙に気になって、苛立っていたものだと、女は苦笑する。
「会議の準備は良い? 失敗はできないのよ?」
薄暗い作戦室。扇状に席が配置されており、端末のモニターから漏れる光がネオンのようだ。オペレーターたちが緊張の面持ちで座っており、女の側近たちは後ろに待機している。
「はい。全通信スタンバイ完了。会議が開始されるまで残り3分」
女の後ろに立つスーツ姿の男が硬い口調で返答をする。
「そう。それならば良いわ。今日の私も美しくきまっているかしら?」
「はい、今日の閣下も美の女神も羨む美しさを持っており、眩しいほどで後ろに立つ我らもその美しさを前に身体が震えております」
「ふふっ、それは私が怖いからではなくて? お世辞もすぎれば苛立ちを覚えるけど………まぁ、良いわ。躊躇いなく歯の浮くようなセリフを出せると言うことは、今日の私も美しくはあるのでしょうから」
満足そうに髪をかきあげて女は楽しそうに笑う。いつものやり取りであり、特に意味はないが、それでも褒められるのはなかなか良いものだ。
モニターから漏れる光の中で女の姿はたしかに輝いていた。人を引きつける魅力があり、その笑顔に慣れてはいても思わず見惚れるほどだ。
ピンクの髪を背中まで伸ばしており、その顔立ちは美しくもあり可愛さもある。大人になっても純粋さを忘れずに、されど妖艶さを伴った微笑みを浮かべている。モデルも敵わない整った肢体。ドレスがよく似合っており、この女性を知らないものであれば、10代の深窓の令嬢と判断してもおかしくはないだろう。
肌にはシミ一つなく、艷やかで、白魚のように細く色白の手で髪をかきあげる姿は、お世辞ではなく女神のようだ。
そして、髪の間から覗かせる耳は笹のように尖っていた。その耳からわかる通り、彼女はエルフであった。
「シトリー様ならば、誰しも賛辞を贈ることでしょう。今回の会議も名ばかりで、既定路線で進められることと確信しております」
本心からの言葉を告げて、恭しく頭を下げると、おべっかではないと見抜いて、機嫌良さそうにコロコロと女は笑う。
彼女こそ、多くのグループ会社を持つハーケーンの副社長にして、現地の監督官であり——ランピーチが見たら驚いたであろう光の主人公だ。武装家門であったが、没落した悠海家の当主。人とは違う長寿の種族にして、その姿を誰もみたことがないという噂のエルフである。
かつては表舞台にいたが、未だに生きていることがバレないように没落したふりをして、裏の世界で暗躍している。
そして、ソロモンの72柱の悪魔の一人。愛欲を司る大悪魔シトリーでもあった。
「この美しさを保てるのだから、悪魔の身体も良いものだけど、日の当たらない世界で、文明を忘れた地上人を相手にするのはとても疲れたわ」
広々とした作戦室、前面にある巨大なモニターに光が灯り、画面がいくつにも分割されて異形の顔を持つ者たち、悪魔たちの姿を映し始める。
「ゲームの主人公として動いたら、暗がりに隠れてコソコソと動くこの飽き飽きした生活もなにか改善するかと思っていたら、まさかここまで来るとは思わなかったわ。『ルナティックライブラリ』もたまには良い情報をくれるというものね」
その様子を見ながら、人差し指に髪を巻いて、シトリーは薄っすらと嗤う。
「閣下、会議の時間です。全員揃いました」
「ご苦労さま。では会議を始めるとしましょうか」
オペレーターの言葉に頷くと、一歩前に出て、意識して可愛らしいあどけない表情を作ると両手を広げて歓迎の笑みを魅せる。
まるで女神が降臨したかのような姿にモニターに映る悪魔たちの何人かが、顔を赤らめて目を逸らす。
シトリーの美しさに思わず見惚れたのだが、シトリー自身は不満であった。
(全員が見惚れて良いはずなのに、2割程度しか効果はないわね………。直接会わなければ効果は半減といったところかしら。ムカつくわ)
全員がシトリーの美しさにやられなければならなかったのに、真面目な顔でまったくシトリーの美しさに興味がない者たちが多すぎることに苛立ちを覚える。
(でも、もはや悪魔になった者たち。美的センスも変わったに違いないわ。きっとイボガエルとか、トカゲとかコウモリに劣情を抱くようになったのよ、可哀想な奴らね、私の美しさがわからないなんて)
だがすぐに苛立ちを抑えて、同情心を持つ。その論理は他の悪魔たちの美醜センスは変わりがないことと矛盾するが、絶対の美しさを信じているシトリーにとっては無視するものだった。
なにせ、蛙や狐とまた存在する生き物ならばよいが、顔が崩れていたり、苦悶の表情が身体中に浮かんでいる怖気を催す悪魔もいる。美醜センスも変わっているに決まっている。
「全員揃ったようですね。皆様お久しぶりです。いえ、皆様にとっては一瞬の夢現の時間でしょう。ですが、私共にとっては久しぶり。1200年ぶりといったところでしょうか」
恭しく低姿勢で優雅にカーテシーを魅せるシトリー。だがシトリーの美貌を見てもまったく平然としていた悪魔の一人が鼻で嗤う。
「1200年ぶりとはな。しかし我らが起きるのは遥か未来。たった1200年とも言える。なぜ緊急事態として我らを起こしたのだ? 当然正当な理由があるのだろう?」
その顔は悔しいが美男子と言えるだろうが、見下すような表情に怒気を覚える。何様のつもりなのだ。
「申し訳ありませんが、最低限の礼節は忘れないで頂けますか? 悪魔となっても人の姿をとっている見栄っ張りさん? 醜い本当の姿を見せてもよろしいのですよ」
人間の顔をしているということは、悪魔の姿が醜いからに決まっている。微笑みながらも皮肉気に伝えると、男はムッとした不機嫌な顔となるが、シトリーは追求をやめない。自分の立場というものを思い知らさないといけない。
「私はハーケーンコングロマリット全体を管理運営する中核の会社の副社長。貴方たちより遥かに偉いのです。その私が丁寧に歓迎の雰囲気を出しているのに、子供っぽく傲慢な振る舞い。その行動が果たして正しいのか、自身の胸に手を当てて聞いてご覧なさい」
「む………それは失礼した、シトリー殿。目覚めたばかりで悪魔の本能に引き摺られていたようだ。謝罪を伝えよう」
まったく謝罪する様子もなく、口だけの男を前に、シトリーはもっと追い詰めてやろうかと考える。小物の悪魔など私にとってはチェスの駒でしかない。
(だけど、今はそれどころではない。現在の状況を鑑みて、主導権を手に入れるためにこの辺で止めるべきね)
他の悪魔たちは面白そうに眺めていたり、通信を今にも止めそうに欠伸をしてつまらなそうな顔のものもいる。つまらないことに時間を費やすべきではない。
「謝罪を受け入れます。では、先程の問いに答えましょう。実は『地球図書館』の最後の作戦内容が判明したのです」
シトリーの言葉に、ざわりと空気が震え、驚きの様子となる。
「まだ『地球図書館』が稼働していたというのか? そんなことがあり得るのか?」
「そうだな、あり得ない。『宇宙図書館』ならばともかく、『地球図書館』がまだ停止していないなど考えられないことだ。『ルナティックライブラリ』はなにをしていたのだ?」
信じられないとざわめく悪魔たちを見て、内心でしてやったりと、彼らの思いもよらなかった情報を持っている自分に優越感を持って、口端を歪めるが、すぐに優雅な笑みへと戻す。
「その通り。『地球図書館』が未だに稼働しているのには、この1200年間、人類が余計なことをしないように管理していた我らも驚きました。ですが本当のことなのです」
ムゥと唸る悪魔たちを一瞥して話を続ける。
「『地球図書館』は密かに稼働していたようです。最後に我らに反撃をと考えていたのでしょう。特殊な『精霊体ポーション』を用意しており、密かに特異体を選び、偶然を装い飲ませておりました」
「『精霊体ポーション』? 申し訳ないが寡聞にして我らはそのようなアイテムの名前を知らぬ。それはどのようなものなのだ?」
「この1200年間で密かに『地球図書館』は人間たちを導き、悪魔に対抗する肉体と魂を持つ者達を作っていたようです。この肉体は悪魔たちを倒せる力を持っており、その肉体を十全に使えるようにする魂を作る最終段階」
胸元から一本のガラス瓶を取り出して、皆に中身が見えるように、軽く振る。緑色の液体はゆっくりと揺れて妖しく輝く。
「この中身はある記憶が入っており、飲んだ対象はその記憶に染まり、全くの別人となります。まぁ、ほとんどの人間は死ぬのですが、成功した者は、『地球図書館』にアクセスすることができ、我らに対抗できる戦士となる——と思われてました」
「思われてました、だと? ということは違ったのか。もはやほとんど停止している『地球図書館』の力など大したことはあるまい。片付けたのだろう。いや、そのポーションを手に入れたと言うことは、最初から防ぐのは可能であったのではないか? ………わざと防がなかったな?」
責める目つきで睨んでくる悪魔。その視線はとてつもない魔力を秘めており、画面越しであるのに、身体を震わせて崩れ落ちるオペレーターたちが出始めていた。
だが、涼しい風でも受けたかのように、涼やかな笑みで、罪悪感なくシトリーは頷く。
「正直にいいますと、飽き飽きしておりました。もはや『宇宙図書館』も死に体で、ろくな戦力もない。そして、起きていても同化が進むことが判明しており、会長を覚醒させることができると判断したことから、この現状を変えるために、敵の作戦を逆手に使うこととしたのです」
「あぁ、会長の規制が厳しすぎて柔軟性がなかったためか。あの時はさっさと眠りにつかないと、次元封印でそもそも同化もできなかったから仕方ないが………だが、もう少し穏当な覚醒の仕方があったはずだ。なぜにウァプラが倒されている? そこまで『地球図書館』の戦士たちは強かったのか?」
「本来はもっと穏当な方法の予定でしたが——我らも騙されておりました。『地球図書館』は最初から『ルナティックライブラリ』にこの作戦が漏れると考えており、本当の作戦は他にありました」
それこそが一番の計算違い。ありえない作戦。
「『地球図書館』はもとより自身で我らを倒すことを諦めていたのです。最強の戦士は『宇宙図書館』に任せることを決めておりました」
皆の注目が集まる中で、シトリーは道化のように礼をする。
「悪魔王に対抗できる戦士が生まれてしまいました。そして、『宇宙図書館』は大幅に戦力を回復してると『ルナティックライブラリ』は推測しております。そのため、貴方がたのご助力が必要なのです。第二次悪魔戦争が開始されました。この戦争、今度はハーケーンの勝利で終えたくありませんか?」
妖艶なる悪魔シトリーは、血のような真っ赤な唇を舌でチロリと舐めて微笑むのであった。
その瞳に挑戦的な光を宿して。




