どうせ捨ててしまうんでしょう?
「その髪留め、素敵ね……! さすが、エミュリア様だわ! ウィロウ様もそう思わない?」
「……そうね、とっても素敵」
クラスメイトの問いかけに、わたしは曖昧にほほえみ返す。
たった今、素敵だと称賛された髪留めと同じものがわたしの髪にも輝いている。エミュリアよりも五日も前から着けていたというのに、誰に称賛されることも、気づかれることすらなかったそれ。
――いや、違う。エミュリアだけがその髪留めの素晴らしさに気づいた。だからこそ、彼女は今、わたしと同じものを身につけているのだ。
「ありがとう。素敵でしょう? ラジェム家に出入りしている職人が作ってくれたものなの。そうよね、ウィロウ」
「ええ、そうね。……そう聞いているわ」
エミュリアはわたしに向けて、とても朗らかにほほえみかける。
わたし、ウィロウ・ラジェムとエミュリア・ラジェムはいとこ同士だ。
エミュリアはわたしの父の兄の娘で侯爵令嬢。対するわたしは格下、伯爵の娘である。
父親が兄弟同士なうえ、同い年ということもあって、わたしたちはまるで姉妹のように育てられた。しょっちゅう互いの屋敷を行き来し、遊んだり、勉強をしたり、一緒に出かけたりしていたし、王都の学園に通っている現在は、一緒のタウンハウスで寝泊まりしている。
そんな事情もあって、エミュリアはわたしにとっていとこであり親友だ。遊び相手のほとんどいない貴族の娘にとって、そういった存在がいることはとてもありがたかった。
だけど、エミュリアには一つだけ、困ったくせのようなものがある。
それがこれ――彼女はとても頻繁にわたしの真似をするのだ。
ドレスに髪型、化粧に髪留め、通学カバンや制服のリボンだって真似されたし、美しく繊細なガラス製の万年筆も、レザーの手帳も、密かに持ち歩いていた金細工の懐中時計すら真似をされてしまった。
そのくせ、本人に悪気はまったくない。それどころか、真似をしているという意識すらなく『自分が見つけた、気に入ったから手に入れた』という感覚なのだ。
(わたし、本当は嫌なんだけどな)
だって、先に見つけたのはわたしなのに。気に入ったからお迎えしたのに。
だけど、周りから『素敵』だと認識されるのはエミュリアが身につけたあと。彼女が身につけることにこそ大きな意義があるのだ。わたしが先だって主張したところで嘘くさいし、そのまま身につけていたら真似したのはわたしのほうだって勘違いされてしまう。
だから、エミュリアが真似をしてきたら、わたしは自分のお気に入りの品々をこっそり手放すのだ。
広大な学園の敷地の端、ゴミ捨て場まで足を運び、わたしは小さくため息をつく。
たった今手放した髪留めには、わたしの瞳によく似た緑色の石がさりげなく散りばめられている。高価な品ではなかったし、とてもシンプルなデザインだけど、それでもすごく気に入っていた。大好きだった。本当はずっと着けていたかったのだけど。
(バイバイ、だね)
大きなため息をひとつ。クルリと踵を返したそのとき、わたしは思わず固まった。クラスメイトの一人――ゲイル・プランタン侯爵令息が目の前に立っていたからだ。
「ゲイル様……あの、どうしてここに?」
普通、生徒はこんな場所に来たりしない。なんなら、ゴミ捨て場が学園の敷地内にあることすら知らないだろう。だから、彼が自分の用事でここにいるとは考えづらい。わたしは思わず首を傾げた。
「ウィロウ嬢が教室を出るのを見かけて……心配でついてきたんだ。さっきから元気がなかっただろう?」
彼はそう言ってそっと微笑む。わたしは思わず肩を落とした。
「えぇ? わたし、元気がないように見えました?」
「ああ。いつもあんなに元気なのに……しょんぼりと肩を落として、見ていてとても気の毒だった。どこに行くのだろうと気になり、思わず付いてきてしまったんだ」
正義感の強いゲイル様のこと。困っている人を放っておけなかったのだろう。だけど、自分の様子を客観的に説明されると、なんだかすごくカッコ悪く思えてくるし、恥ずかしい。思わず頬に熱が集まった。
「ご心配をおかけしてすみません。不要になったものがあったので、こちらに捨てに来ていたのです」
「不要……?」
彼は小さく首を傾げると、先程わたしが捨てたばかりの髪留めを手に取った。
「この髪留めが? けれどこれ、購入したばかりのものだろう? 壊れた様子もないし、捨てる理由などないように思うが」
「まあ、そうなんですけどね……」
本当はゲイル様の仰るとおり、捨てる理由なんてひとつもない。すごく大切で、気に入って購入したものだもの。思わずため息が漏れた。
「ん? そう言えば、今朝これと同じものをエミュリア嬢がつけていたな」
「ええ、そうなんです。それこそがわたしがここにいる理由なんです。だって、同じものを身につけていたら、真似しているみたいで嫌でしょう? だから……」
「けれど、君のほうが彼女よりも先にこの髪留めをつけていたじゃないか」
「……!」
驚いた。ゲイル様はわたしが先にこの髪留めをつけていたことに気づいていたんだ。絶対、誰も気づいていない――エミュリアが身につけた瞬間、わたしのなかですら『なかったこと』になっていたのに。
「だったら、捨てなくてもいいじゃないか。気に入っているんだろう?」
「……気に入っているからこそ嫌なんですよ。もう持っていたくないんです」
どうでもいいものなら、こんなふうには思わない。好きだからこそ、気に入っているからこそ悔しくて……手放してしまいたいと思うのだ。まるでケチをつけられた、汚されたみたいで、見ているだけでモヤモヤする。おまけに、わたしよりもエミュリアのほうが似合っているし。
我ながらプライドが高いとは思う。それに『簡単に手放してしまえる程度の気持ちだったんだろう?』って言う人がいるのもわかっているけど、こういうのは気持ちの問題だから仕方がない。
「……これまでにも、こういうことが?」
「ええ、割と頻繁に」
「その度にここへ来て、お気に入りのものを捨ててきたのか?」
「ええ。相手は親族だから家で捨てるのは憚られて……だって、理由を聞かれたくないでしょう? その点、学園に捨て置いたら、換価価値のあるものは売り払って孤児院やどこかに寄付してもらえるんじゃないかと思ったの。……そりゃ、学園側に要らぬ面倒をかけて申し訳ない気持ちはあるんだけど」
わたしはゲイル様の手から髪留めを受け取ると、ゴミ捨て場にそっと戻す。夕日を受けて輝く金細工が、緑色の石が、キラキラしていてとても綺麗で、なんだか涙が滲んできた。
「そういうわけなので。このことはくれぐれも他言無用でお願いしますね」
そう懇願したら、ゲイル様は「わかった」とうなずいた。
***
ゲイル様が約束を守ってくれたおかげで、わたしやエミュリアにまつわる噂が流れることはなかった。
とはいえ、エミュリアの髪留めを見るたびに、わたしの心は塞ぎ込んでいく。あれ、本当はわたしのだったのになぁって。すごく気に入っていたのになぁって。
(やめやめ。こんなこと、日常茶飯事でしょう?)
凹んでいたら時間がもったいない。
こういうときは街に新たなときめきを探しに行くに限る。
放課後、寮やタウンハウスへ帰るみんなと別れ、わたしは一人、王都へと繰り出した。
王都には全国各地からいろんなものが集まる。繊細な色付きガラス細工も、美しく絵付けされた陶器類も、シルクの布も、それらで作られたドレスも、惚れ惚れするほど鮮やかな刺繍の施されたベールやスカーフも、丁寧に仕立て上げられたカバンも、草花で染められた色とりどりの染紙も、ブックカバー等の小物なんかも。素敵なもので溢れていて、見ているだけで幸せになれる。
小さい頃は『待っていれば商人のほうから品物を屋敷に持ってきてくれるのに』ってよくお説教された。だけど、わたしはただ買い物ができればいいというわけじゃない。
わたしは心がときめくものを自分で探して、見つけて、それを大切に生きていきたい。別に高価な品じゃなくてもいいから、自分が心から『好き』だと思えるものに囲まれて暮らしたい。それがわたしの生きがいであり、ポリシーだ。
(まあ、大抵すぐに手放すことになっちゃうんだけどね……)
はあ、とため息をついたそのとき、わたしの胸をときめかせるなにかが視界に入った。
工芸店の店先に並ぶ、キラキラと光り輝くブレスレット。真ん中に鎮座するのは見たことのない色彩を放つ大きな緑色の石、その周りに散りばめられているのはダイヤモンドだろうか? 石以外の部分は紐で細く編みこまれている。
上品で、洗練されていて、見ていてまったく飽きない。
(可愛い、可愛い、可愛い、可愛い!)
ジュエリーショップに並ぶ品々と遜色ない――というか、どこで売られているとか、そういうことはどうでもいい。とにかくわたし好みだ。
本当にひたすら可愛い。見ていてすごく癒されるし、制服にもドレスにも似合いそうなデザインだと思う。
「ああ、ウィロウお嬢様、いらっしゃいませ」
そうこうしているうちに、店主がわたしに声をかけてきた。しょっちゅう入り浸っているので、すでに顔と名前を覚えられているのだ。
「おじさま、これ! とってもとっても素敵なんだけど! 一体どこから仕入れてきたの?」
「そちらのブレスレットですか。ああ……ウィロウお嬢様ならお気に召すと思っておりましたよ! 実はそちらはブランタン領のガラス職人から買い付けた品でして」
「ガラス職人? じゃあこれ、ガラスなの?」
「さようでございます」
店主の言葉にわたしは思わず息をのむ。
どうりで工芸店に置いてあるはずだ。わたしは身を乗り出した。
「これ、ください!」
「ありがとうございます。しかし……相変わらず事前に値段を確認なさらないのですね。いえ、私どもとしては嬉しい限りなのですが」
「だって! 買い逃したら絶対に後悔するもの! 本当に綺麗! すごく素敵!」
伊達に金持ちの娘に生まれていない。しめるところはしっかりしめているし、父や母もわたしと似た性格をしているからダメは出ないのだ。
しかも、よくよく確認してみたら、ガラス製ってことで想像以上に安かった。お値段の数倍の価値があるとわたしは思うんだけど。
「ありがとうございます。ウィロウ様のお言葉、必ずや職人たちに伝えましょう。きっと喜びますよ」
店主はそう言って嬉しそうに微笑んだ。
次の日のこと、わたしは早速ブレスレットを着けて学園に向かった。
(どうか! どうかエミュリアが興味を持ちませんように……!)
願いはすれど、こればかりは自分の力ではどうすることもできない。だからといって着けていかないという選択肢もない。
だって、わたしの望みはあくまでも『自分が気に入ったものに囲まれて暮らす』ことなんだもの。あの子に見つからないようにこっそり宝箱に隠して愛でるのじゃ意味がないのだ。
「おはよう、ウィロウ嬢」
「……! ゲイル様、おはようございます」
教室に入ると、すぐにゲイル様が声をかけてきた。元々そんなに親しいわけじゃなかったから、一緒に登校したエミュリアや他の令嬢たちが少しだけ驚いた表情を浮かべている。
「そのブレスレット、すごく綺麗だ。ウィロウ嬢にとても似合っている」
彼はわたしの左腕を指差し、ニコリと笑う。
(あ……!)
気づいてくれたんだ。新しくブレスレットを買ったこと。しかも彼は、エミュリアや他の令嬢たちの前で、それを言葉にしてくれた。これなら、わたしが真似したと思う人は誰もいないし、エミュリアも簡単には真似しづらい。嬉しくて胸がじわりと温かくなった。
「ありがとうございます。すごく、気に入っているものなんです」
腕に手を当て微笑めば、彼はそっと瞳を細める。
「うん、そうだと思った」
そう口にしたゲイル様の笑顔は本当に優しくて、みんなにバレないようにして少しだけ泣いた。
ゲイル様はそれ以降も、わたしが新しいものを購入するたび、すぐに声をかけてくれるようになった。
涼し気なスカーフに、カバンに付けるチャーム、エナメル素材のペンケースに、ブランケットにいたるまで。
それに、少しだけ前髪を切ったこととか、香水を変えてみたこととか、そういった些細な変化にも気づいてくれる。
こんなの、家人ですら気づかない。本当にわたしのことを気にかけてくれてるんだって、そう思うと嬉しくて、照れくさくて――それからほんの少しだけ申し訳ない。あの日、わたしがしょげてるところを見せなかったら、ゲイル様にこんな手間をかけなかったはずだから。
「――別に、手間だなんて思ってないよ」
だけど、あるとき思い切って尋ねてみたら、ゲイル様はニコニコと首を横に振った。
「本当に? こんなに声をかけていただいて、ゲイル様の負担になっているんじゃないかと……」
「ううん。自然に目が行くだけだから、気にしなくていいよ」
「……自然に?」
「そう。気づいたらいつもウィロウ嬢を見ているんだ。なんでだろうね?」
ゲイル様はそう言って目を細めて笑う。恥ずかしさのあまり、わたしは頬が熱くなった。
(自然に目が行くだなんて……ものすごい殺し文句だ!)
本人無自覚みたいだけど、聞いてるこっちの心臓がもたない。
(だけど、ゲイル様に他意はないんだろうなぁ……)
本当に、ごく自然に、誰かの喜ぶことをしてくれる人っていうだけで。それがわたしだからっていうわけじゃなくて。正義感が強くて、困っている人を放っておけなくて、誰にでもこんなふうに優しいんだってわかっている。わかっているんだけど。
(ゲイル様の特別になれたらいいのに)
ちらりとゲイル様の横顔を見つめたら、彼はまたニコリと微笑んだ。
「最近はエミュリア嬢に真似されていない、よね?」
「ええ。ゲイル様のおかげで……彼女もわたしが購入したと周りが認知しているものを身につけるのはさすがに抵抗があるみたいで」
エミュリアは本当にピタリとわたしの真似をやめた。おかげでわたしは、自分が心から好きだと思うものに囲まれて活き活きと生活できている。
それから、エミュリアがわたしの真似をやめたことで、わかったことがひとつある。
それは友人たちのなかにはエミュリアの習性――というか、わたしの想いに気づいていた子がいたらしいということだ。
『本当はわたくし、あの髪留めをウィロウ様が先につけていたことに気づいていたんです。けれど、あの雰囲気のなかでは言い出しづらくて……あれ以降、ウィロウ様は髪留めを着けてこなくなったでしょう? なんだか申し訳なく思っていたんです』
数日前のこと、とある令嬢と二人きりになったタイミングで、わたしはそんなことを打ち明けられた。
正直、誰にも気づいてもらえていないと思っていた。どれだけ素敵な品も、エミュリアが身に着けなきゃ意味がないんだって。
だけど、本当はそうじゃなかったんだって。そう思えるだけで、なんだかすごく嬉しかった。
『すごく似合っていましたし、エミュリア様はすでに別の髪留めを使っていらっしゃいますから……是非またつけてきてください。もしそれでなにか言う方がいれば、わたくしがきちんとフォローしますわ』
加えて、彼女はそう言ってくれた。わたしは素直に嬉しかった。
だけど、あの髪留めはすでに手放してしまっている。他のお気に入りの品々も。
(今なら……)
ゲイル様に勇気をもらえた今なら、あの髪留めを身につけられるかもしれない。わたしが先に買ったんだって。すごく気に入っているんだって。きちんと主張できるかもしれない。
なんて、後悔したところでもう遅い。大事だ大事だと言いながら、わたしはそれらを手放してしまった。無下に捨ててしまった。自分のプライドを守るために。本当に、申し訳ないことをしてしまった。
「――声をかけてもらえてよかった。実は、ウィロウ嬢に渡したいものがあったんだ」
「渡したいもの、ですか?」
差し出した手のひら。冷たい金属の感触にドキッとする。次いで視線を落とせば、そこにはわたしが捨ててしまったもの――お気に入りの髪留めが載せられていた。
「あ……これ」
「俺のほうで保管しておいたんだ。いつか、取り戻したくなる日が来るんじゃないかと思って。おせっかいだったかな?」
ゲイル様が優しく尋ねる。わたしはブンブンと首を横に振った。
「いいえ……いいえ! すみません、ゲイル様。わたし、あんなにひどいことをしたのに……」
「謝らなくていいよ。気持ちはわかる。俺だって自分が好きなもの、大切なものを横取りされたら嫌な気持ちになる。当然のことだ」
ポンと頭を撫でられて、目頭がグッと熱くなる。
ゲイル様はわたしに共感してくれた。わたしの大切なものを守ってくれた。
(わたし、ゲイル様が好き)
穏やかな微笑みを見上げながら「ありがとうございます」と言葉にする。胸がとても熱くなった。
***
長期休暇に入る前日のこと、今夜は社交の練習を兼ねてパーティーが開かれている。男性も女性も、おろしたてのドレスや夜会服に身を包み、とても華やかな雰囲気だ。
エミュリアたちと一緒に会場に入り、ぐるりとなかを見回す。ゲイル様はまだ会場には入っていないらしい。わたしは小さく息をついた。
(今夜、ゲイル様をダンスに誘ってみよう)
女性からダンスに誘うなんて、あまり褒められたことではない。けれど、おしとやかに、控えめに、壁の花に徹するなんてわたしのポリシーに反する。ただ待っているなんて性に合わない。ほしいものは自分の手で掴み取るべし、だ。
彼に少しでも可愛いと思ってもらえるように、ドレスだってとびきりの一着を選んだ。エミュリアとかぶらないように、侍女たちにもいろいろと協力してもらったし、彼の髪や瞳の色をさりげなく取り入れた。それがゲイル様の瞳にどんなふうに映るかはわからないけれど。
「ねぇ……ウィロウは最近、ゲイル様と仲がいいわよね」
そのとき、エミュリアがおもむろにそんなことを切り出した。
彼女は今、わたしが今夜のために用意しておいたダミーのドレスに身を包んでいる。狙いどおりに服装がかぶらなかったので、わたしは内心ホッとしていた。
「え? ……と、仲がいい、ように見える?」
実際のところはわたしが一方的に懸想をしているだけ。もっとも、わたしは教室でもいつも彼を視線で追っているし、話しかけるタイミングをうかがっている。声をかけられたら嬉しくて、そのまま必死に話を長引かせて、ゲイル様はそんなわたしのとりとめのない話に付き合ってくれている。それを仲がいいと形容されるなら――とても嬉しい。わたしにも少しぐらい可能性があるんじゃないかって、そう思えるから。
「……今夜もダンスの約束をしているの?」
「いいえ、まだよ。でも、どうしてそんなことを聞くの?」
「それは……わたくしたちにも縁談が来ているという話だし、そろそろ色々とわきまえなければならない頃合いだと思ったものだから」
「え……? 縁談? わたしたちに?」
エミュリアの言葉に心が塞ぐ。
そんなこと、お父様からもお母様からもなにも聞いていない。そりゃ、わたしたちは貴族の娘で、必要ならば親の言うとおりに結婚をするべきなんだろうけど。
「おめでとうございます、エミュリア様! お相手はどんな方なんですか?」
「それがね……」
エミュリアはそう言って会場入りしたばかりのゲイル様のほうをちらりと見遣る。意味深な微笑み。友人たちのキャー! という声が聞こえてきて、心がズタズタに引き裂かれるような心地がした。
「ほら、わたくしも彼も同じ侯爵家で釣り合いが取れているでしょう? それで、お声がかかったみたいなの。わたくしも彼なら不足はないし」
ウキウキと浮かれた口調のエミュリアに反し、わたしの心はどんどん沈んでいく。
(ゲイル様に不足はない? そんな気持ちで彼と結婚なんてしないでほしい)
だってわたしは、ゲイル様がいい。
ゲイル様じゃなきゃ嫌だ。
それなのに、どうして――どうしてエミュリアなの?
彼がエミュリアとの結婚を望んだのだろうか? わたしは思わずうつむいてしまった。
「ああ、一応ウィロウも候補に挙がっていたみたいなのよ? だけど、ウィロウは一応分家の娘――伯爵令嬢だし」
「…………そう」
エミュリアの言い分は一応わかる。主家の娘が分家の娘より優先されるのは仕方がないことだ。だから、ラジェム家に対して縁談が来たなら、エミュリアをと言われるのは当然だろう。
だけど、わかっていても感情が追いついてくれなかった。
「それに、ウィロウってせっかく買ったものをすぐに捨ててしまう悪い癖があるんだもの。結婚相手をすぐに捨てたりしたら大変でしょう? だから、わたくしのほうが適任だって説明をして……」
「待って――今、なんて言ったの?」
「え……?」
わたしの問いかけに、エミュリアが静かに息をのむ。周りの令嬢たちが戸惑った様子で数歩後ずさった。
「わたしに『買ったものを捨てる癖がある』ですって? どうしてエミュリアがそんなことを知っているの?」
「え? それは、その……」
エミュリアは視線を左右に彷徨わせつつ、ふらりと踵を返す。逃さない――わたしは彼女の手首を掴んだ。
「つまりあなたは『全部知っていてわたしの真似をしていた』ってわけ? わたしがあなたに真似されるのが嫌で、あなたに真似されるたびにお気に入りの品々を捨てているのをわかっていたの?」
正直言って信じられない。信じたくない。
エミュリアに悪気はないと思っていたから――だからこそ、これまで必死で我慢してきたんだもの。
それなのに、エミュリアは本当は全部わかっていたんだ。わたしが真似されるのが嫌だってこと。それが嫌でせっかく買ったものを捨てていた事実を。
だとしたら、許せる気がしなかった。
「……別に、わたくしに真似されたって気にせず使い続けたらよかったじゃない? 捨てたのはあなたの勝手でしょう? つまり、その程度の思いだったってことよ。それに、先に買ったのはウィロウでも、他の誰も気づいてなかったでしょう? それをわたくしのせいにされたって困るわ」
「……っ!」
たしかに、エミュリアの言うとおりだ。
結局のところ、わたしはエミュリアの真似をしていると思われてまで、自分の『好き』を押し通すだけの強さが足りなかった。悔しくて苦しくて、見ているだけで辛くなるからと、手放すことを選んでしまった。
だけど本当は、自分が大好きなものを諦めたくなかった。わたしのほうが先だったって言いたかった。真似しないで――取らないでって言いたかったのに。
「さあ、話はこれでおしまい。皆様、嫌な雰囲気にしてごめんなさいね」
「ちょっと、まだ話は終わってないわ!」
「わたくしには、ウィロウと話すことはなにもないもの。こんな華やかな場で、雰囲気をぶち壊してまで話すことかしら?」
「……っ!」
エミュリアの言葉に口をつぐむ。彼女の言うとおり、このままここで口論を続ければ、周囲からはわたしが一方的に悪く見えるだろう。
ものすごく腹が立つし悔しいけど、ここはいったん矛先を収めるべきだ――わたしはグッと拳を握った。
「それにわたくし、嘘は一つも言っていないもの。ああ、間違っても今夜、ゲイル様と踊ろうなんて考えないでよね。手に入れたところで、どうせ捨ててしまうんでしょう? 彼はわたくしと婚約するんだから――」
「俺が君と婚約をすることはないよ、エミュリア嬢」
そのとき、背後からそんな言葉が聞こえてきた。わたしの大好きな少し掠れた低い声。肩を優しく抱き寄せられて振り返ると、そこにはゲイル様がいた。
「ゲイル様! どうして……」
「どうして? 聞きたいのはこちらのほうだ。俺はラジェム家と縁をつなぎたかったわけじゃない。ウィロウ嬢が好きで、彼女と結婚がしたくて婚約を申し込んだんだ。それなのに、無関係な君と婚約をするはずがないだろう?」
ゲイル様の言葉に心臓が跳ねる。エミュリアの頬が真っ赤に染まっていく。驚きの声、嘲笑の声、周囲がにわかにざわめいた。
「そ、んな……だって! だってわたくしは主家の娘で、家格も釣り合っていて、だから……」
「たしかに、ラジェム家からは『エミュリア嬢を』と遣いが来た。けれど、それじゃ意味がないと伝えたし、既に誤解はとけている。先方も了承済みの話だよ」
ゲイル様はそう言ってわたしを見つめる。それはエミュリアに向けた厳しい言葉とは反対に、とても温かく優しい表情で、なんだか目頭が熱くなってくる。
「だけど! だけど……」
「そもそも、エミュリア嬢は俺と結婚をしたいわけじゃない。『ウィロウ嬢と仲のいい俺』を手に入れたかったというだけだろう?」
なおも食い下がるエミュリアに、ゲイル様が冷ややかに言い放つ。
「先程君はウィロウ嬢に向かって『どうせ捨ててしまうんでしょう?』と言っていたが……君のほうこそ、どうせウィロウ嬢の真似しかできないんだろう? もっと自分というものを持ったらどうだ?」
エミュリアはその瞬間、己の手のひらに視線を落とし、頬に触れ、全身を見回してから唇を噛む。ドレスも、化粧も、香水も――今の彼女を構築しているものは全部、わたしが過去に選んできたものだ。
「……っ! …………っ!」
エミュリアはなにも言い返すことができないまま、夜会会場から飛び出した。
***
「ごめん。夜会、楽しみにしていたんだろう?」
ゲイル様がわたしに尋ねる。
騒ぎを起こした手前、その場に留まるのも気が引けて、わたしたちも会場を抜け出すことにしたのだ。
「そんな……とんでもない! むしろ、原因を作ったのはわたしのほうですし……嬉しかったです。ゲイル様がわたしを守ってくれたこと」
ずっとずっと、エミュリアに言ってやりたかったことを、彼は言葉にしてくれた。それで失われたものが戻ってくるわけではないけれど、これまで捨ててきた大事なものを拾い上げられているような――本当の自分を取り戻せているような――そんな気がする。
「だけど、その……一緒にダンスを踊りたい男とか、いたんじゃないのか?」
ゲイル様が質問を重ねる。
ふと見れば、彼の顔は真っ赤だった。繋いだ手に力を込められ、わたしの胸がキュッと疼く。
「いましたよ」
「……!」
「わたしは今夜、ゲイル様にダンスを申し込もうと思っていたんです」
緊張と恥ずかしさのあまり、涙がこぼれ落ちそうだった。だけど、なんとかわたしの想いが伝わってほしくて――必死にゲイル様のことを見つめる。
彼は少しだけ目を見開いたあと、わたしの頬をそっと撫でた。その表情が、手付きが、あまりにも優しくて、ポロリと涙がこぼれ落ちる。
「俺はウィロウ嬢が好きだ」
ゲイル様がわたしのことを抱きしめる。わたしとゲイル様の二人分の鼓動の音が聞こえてくる。わたしは「はい」と小さく呟いた。
「ずっと前から君のことが気になっていた。明るくて、愛らしくて、いつも『こうありたい』という自分を持っている芯の強い素敵な女性だと――そう思っていたんだ」
ゲイル様の告白に胸がキュッと甘くなる。
もしかしたら、わたしが好きになるよりずっと前から、ゲイル様はわたしのことを見ていてくれたのだろうか? だからこそ、わたしの悩みに気づいてくれたのだろうか? ――だとしたら、とても嬉しい。
「わたしもゲイル様のことが好きです。ずっとずっと、ゲイル様の特別になりたいと思っていました」
ゲイル様はわたしの悲しみに気づいてくれた。寄り添ってくれた。
それだけじゃなく、彼はわたしに新たな道標を与えてくれたのだ。
どうやったら大切なものを横取りされないか。守れるのか。大事に生きていけるのか。
だから、これからはもう、絶対に手放さない。
彼が教えてくれたように『これはわたしのもの』だって、『わたしが先に見つけたんだ』って、『好きなんだ』って示し続ける。そうするって決めたんだから。
「それじゃあ――末永く、お付き合いいただけますでしょうか?」
「もちろん! 絶対絶対、手放しません!」
問いかけにそう断言すると、わたしたちは声を上げて笑いあうのだった。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
もしもこの作品を気に入っていただけた方は、ブクマやいいね!、広告下の評価【★★★★★】や感想をいただけますと幸いです。
改めまして、ありがとうございました!