親が産まれる
「おめでとうございます。無事に元気なお父さんとお母さんが産まれましたよ」
産婦人科医院の待合室。祈るような気持ちで待っていた私に、分娩室から出てきた医者がそう声をかけてくれた。その言葉に安堵のため息が出て、緊張が解けた私はその場にへたりこんでしまう。
「お父さんとお母さんにお会いしますか?」
私は頷き、分娩室へ入っていく。部屋に置かれた二つの大きなベッド。そこに寝かされていたのは、全身がびしょ濡れの成人男性と成人女性。私は恐る恐る二人の顔を覗き込んでみる。そして、その寝顔を見た瞬間、二人が間違いなく私の両親だってことがわかった。私の目は父親似で、耳の形は母親似。そんな共通点を一つずつ見つけながら、私はそっとお母さんの手に触れてみた。すると眠ったままのお母さんの手は、反射的に私の指をぎゅっと握りしめてくれた。
*****
昔は両親が先に産まれてきて、子供が後に産まれるという時代もあったらしい。だけど、どっちが先に死ぬのだって、絶対決まってるわけじゃないんだから、子供が先に産まれてきたって別にいいじゃないかと言う人もいる。でも、やっぱり。私個人としては子供の頃には両親がいて欲しいとずっとずっと思ってた。
「おかえり、麻衣子。帰ってきたら、まず手を洗いなさい」
学校から帰宅した私に、キッチンに立っていたお母さんが私にそう話しかける。私の友達なんかは嫌がるそんな言葉も、ずっと両親がいなかった私にとってはかけがいのないコミュニケーションの一つ。はーいと私は戯けて返事をする。するとお母さんは苦笑いを浮かべながら、そういうところがお父さんそっくりと呟き、私はその言葉でまた嬉しくなってしまう。
夜になると、仕事からお父さんが帰ってくる。お母さんが玄関でお父さんを出迎えて、バッグと上着を預かりながらお疲れ様と仕事の疲れを労ってあげる。私はソファに座りながら振り返っておかえりというと、陽気なお父さんは笑顔を浮かべ、軽口を叩く。
晩御飯の時間になったら、三人で食卓を囲んで夕食を取る。その日あった出来事をそれぞれが話したり、テレビの内容についてくだらないことをあーだこーだ言ったり。傍から見たら、何気ない日常の一コマでも、私にとってはそれがずっと憧れていた、家族の日常だった。
私のお父さんは生まれたのは三ヶ月前で、年齢は48歳。私のお母さんもお父さんと同じ三ヶ月前に産まれてきて、年齢は45歳。二人は元々同じ職場で働いていて、一目惚れしたお父さんの猛烈なアプローチによって付き合うことになり、その後紆余曲折ありながらも結婚に至ったらしい。その時のお父さんってすごいロマンチストだったのよ。お母さんが懐かしそう笑って、隣に座っているお父さんが恥ずかしそうに頭をかく。私はお腹が出て、ロマンチストとはかけ離れてしまったお父さんをからかうけれど、二人の昔を想像するとどこか心が温かくなる感じがした。
私の周りの友達なんかは、大体小学生のうちに、遅い子でも中学生のうちに親が産まれている。だから、中学になっても、高校になっても一向に親が産まれないことに私はすごいコンプレックスを持っていた。だから、こうして親子で一緒の時間を過ごすということが、私にとってはすごく幸せで、大事な日常だった。
「今度、うちの親にさ、英会話スクールの習い事に行かせようと思ってるの。だってほら、将来さ、海外旅行とかに行った時に頼りにしたいじゃん?」
若いうちに親が生まれた同級生なんかはよくそんなことを言ってるけれど、私は別にそんなことは思わない。私には親がいてくれるだけで十分だし、それ以上は何も望まない。今の日常を送れるだけで幸せだし、やっぱり家族っていいなと心から思う。
だから、私の父方の祖父母が生まれるというニュースを聞いた時だって、私は心の底から喜ぶことができた。お母さんは姑が生まれるということで正直そこまで喜んではいなかったけれど、それでも家族が増えることについては満更でもない様子で、なんとか仲良くやって行きたいわねと笑いながら話していた。
出産の日。私と父親は仕事と学校で立ち会えなかったけれど、家に帰るとそこには産まれたばかりのおじいちゃんとおばあちゃんがいて、孫である私を見ると、皺だらけの顔で微笑みながらおかえりと言ってくれた。お父さんも帰ってきて、私たちはちょっとだけ手狭になったテーブルで食事をとった。おじいちゃんとおばあちゃんの昔話は聞いていて楽しかったし、お母さんも姑であるおばあちゃんが優しい人だってこともあり、ほっとしていた。
家族って素晴らしい。私はお父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃんを見ながら強くそう思った。そして、素晴らしいと思うからこそ、ほどなくして私のひいおじいちゃんとひいおばあちゃんが出産予定だということを聞いた時も、私は何も深く考えず、家族が増えることを喜ぶだけだった。
*****
「もう限界!」
ある日の夕飯時。お母さんの突然の叫び声に私はびくりと体を震わし、慌ててお母さんのいるキッチンへと駆けつけた。そこには床に横倒しになった大鍋と、その横で泣きながらうずくまっているお母さんの姿があった。何があったのかわからずに私が母親に近づくと、お母さんはこれ以上家族が増えるのは耐えられないと泣きながら訴えた。
「うちにはもう7人も住んでるのよ。それなのに……十ヶ月後にはひいひいおじいちゃんとひいひいおばあちゃんが産まれるなんて信じられない!」
その言葉に私は何も返すことができなかった。実際、両親が生まれた後に引っ越してきたこの一軒家も、四世代が一緒に暮らすにはあまりにも狭かった。また、基本的に家事はほとんどお母さんがやっていたし、前々から限界が近づきつつあったのは少しだけ感じ取っていた。
お母さんの訴えを受け、私たち家族は緊急家族会議を拾集した。議論はもちろん十ヶ月後に予定しているひいひいおじいちゃんとひいひいおばあちゃんの出産。お父さんの意見、お母さんの意見、おじいちゃんおばあちゃん、ひいおじいちゃんひいおばあちゃんの意見がぶつかり合い、長い長い議論が行われた。そして、最後ようやく議論が一つのまとまり、お父さんが重たい口を開く。
「本当にこれは苦渋の決断なんだが……うちの経済状況や住宅状況を考えると、もう堕ろすしかないだろうな」
みんなが申し訳なさそうに、そして傷ついた表情を浮かべながら、お父さんの言葉に同意する。こうして、ひいひいおじいちゃんとひいひいおばあちゃん二人については、中絶をすることが決まったのだった。
手術当日。特に立会う必要はなかったから、私はいつものように学校に行き、授業を受けた。その日の午前は生物の授業で、今年赴任してきたばかりの若い先生が生命の誕生について説明してくれていた。
「という感じに、私たちの生命のルーツを辿ると、全員が一つの生命体にたどり着くわけです。逆に、そのルーツの中の一つだけでもかけてしまっていたら、私たちは生まれることはなかったし、先生だってこうしてみんなの前で授業はできないわけです」
授業に身が入らず、先生の言葉が耳を通り抜けていく。私はふと時計を確認してみる。時刻はまさに、これから私のひいひいおじいちゃんとひいひいおばあちゃんの中絶手術が始まる時間だった。
「たまたま今の時代は子供の方が親よりも先に産まれてくるようになってるけど、この大きな枠組み自体は今もずっと変わらない。君たちのお父さんとお母さんがが存在しなければ、さらに言えばおじいちゃんやおばあちゃんが存在しなければ君たちは存在してないと言うことになる」
ふと私は昨日のことを思い出す。部屋で一人、両親や祖父母など家族を中絶したことがある人の体験談が転がっていないかなとネット検索をしていた。だけど、不思議なことにそんな体験談を載せている人は一人も存在しなかった。キーワードを変えてようやく見つけたのは、中絶をする予定だったけれどやっぱりやめたという日記が一件だけ。
家族が増えすぎて大変と言うのはよくあることだし、別に一人くらいそういった体験を載せてくれてても良いのに。実際、この前だって友達の誰かがそんなことを話してたような気がする。でも、それって誰だったっけ?
「じゃあ、そろそろ時間だから終わるぞ」
ちょうどそのタイミングで、さっきは話半分で聞いていたはずの先生の言葉が頭に思い浮かぶ。
ルーツの中の一つだけでもかけてしまっていたら、私たちは生まれることはなかった
私の背中から冷たい汗が流れる。そして、私はもう一度時計を見る。時計の針がなぜか先ほどよりもゆっくり動いているような気がした。そして、私は立ちあがろうとする。足に力がはいらない。そのまま平衡感かくがなくなって、からだぜんたいがぐるんぐるんとまわりながらしかいがものくろにはんてんしてぐちゃぐちゃになったさいごのしかいにうつったのは─────