第2話
四人と一匹はソファに腰掛け、各々ワインの満たされたグラスを持っていた。
アリアは苦笑を浮かべてワインを持て余している。シーナはというと一口味を確かめて、喉を鳴らした。
スイートルームの中には執務机や武器棚、ワインセラーなどが運び込まれており、完全にモウブレーの私室と化している。
「ご立派になられましたな」
グラスを揺らしながら、慈しむように対面の少女を見つめるモウブレー。アリアは照れくさそうに髪をいじった。
「スコール殿も、相変わらずお元気そうで何より」
行儀よくソファに座るスコールも、短く吠えて答えた。スコールを見るモウブレーの目つきは、慈愛というより畏敬に近い。
するとシーナが口を挟んだ。
「それでさっきの質問だけどさ……」
「お嬢様、本当に宜しいので?」
「ええ。彼さえできれば、聞いて貰いたくて」
「わかりました。まあ、コイツなら問題ないでしょう」
アリアが静かに頷くと、モウブレーは一つ咳ばらいして話し出した。
「いいかシーナ。このお方は、アリア・ウォーカー様と言ってな。『雪原の大狼』にして『終戦の英雄』と謳われた、あのアダム・ウォーカー様がご息女だよ」
驚いたか、と言わんばかりの語り口である。しかしシーナの頭上にはクエスチョンマークが浮かんでいた。
「団長、シーナ君は記憶が……」
チェンバースが耳打ちする。
「そうか、そうだったな――だがウォーカー公のことくらい常識だろう。いかんぞ、勉強せんと」
「あんたらが戦い方しか教えてくれないからでしょう」
「傭兵にとって、何より大事なことだろうが」
「ああ言えばこう言う……」
呆れ顔でシーナがぼやく。その遠慮のないやり取りに、アリアは笑みを溢した。
するとモウブレーは咳ばらいして、説明を付け足してくれた。
「――ノルズヴァン王国の最大戦力にして、北方地帯を統治する『白の戦士団』という王都直属の兵団があってだな。ウォーカー公はその長として、長年に渡って我が国を守護してこられた英傑だ。そして今から遡ること、二十数年前。隣国キースランドとの攻防が激化する中、公は切り札として戦線に派遣された。そしてそこに我々傭兵団も雇われたことがあってな。ウォーカー公やスコール殿とはそれからの付き合いだ」
「つまり戦友ってやつですか」
「そのとおり。あの方とともに戦えたことは、俺の生涯の誇りだ。だがな、ウォーカー公が真に英雄たる理由はそれだけじゃない。平和を望み、そして彼はそれを実現してみせたからだ」
思わせぶりなモウブレーの言葉に、シーナが片眉を上げる。
「……というと?」
「終わりの見えない戦争に嫌気が差した公は、中央軍部の反対を押し切って、キースランドと和平協定を結んだんだ。連中も面食らったことだろう、まさかあの大狼が和平などと――しかし戦争に疲弊していたのは、あちらも同じだったんだ」
モウブレーは当時のことを思い出してか、しきりに頷いてはグラスを干している。するとアリアが言葉を継いだ。
「そしてその和平の輪はノルズヴァン、キースランド、そしてアカシア連合諸国の全体にまで広がり、やがて『三国協定』が結ばれた。大陸を蝕んでいた戦乱が終わったの。今から16年前の話よ」
「アリア様はそのころまだ二つか三つでしたな。本当に愛らしかった――その後、公はその外交能力を買われ、国王陛下直々の頼みを受け、外務大臣として王都に招かれた。あのときの歓迎っぷりは凄まじかったですな。平民は勿論ですが、陛下も和平を望んでおられたとは思いもしませんでした」
「ええ。戦争を望んでいたのは一部の特権階級だけで、その者たちが陛下すら操る力を持っていたと思うと恐ろしいものです」
「しかしその者たちも世論に圧され鳴りを潜め、ついに平和が訪れた」
「……なるほど。それで『終戦の英雄』ってわけか」
シーナは感嘆のため息をつき、ワインを一口含んだ。
その隣でアリアは、ふと思い出したようにチェンバースに視線を投げた。
「しかしミセス・チェンバース。私がウォーカーの娘だと、よくわかりましたね。モウブレー様とは王都でも何度かお会いしていましたが……失礼ですが、貴女ともどこかで?」
「いいえアリア様。私が入団したのはここ数年ですし、貴女様のお顔は存じませんでした。ただ、スコール様を連れたお姿と、その瞳のお蔭で直ぐにわかりましたわ。ウォーカー公とアリア様、スコール様のお話は、団長から毎日のように聞かされていましたから。話に聞いていたとおり、本当に美しい瞳ですこと……」
恍惚とした表情でチェンバースに見つめられ、アリアは顔を赤らめる。
するとモウブレーが口を開いた。
「何か言いたげだな、シーナよ」
「いや、続きを聞いてもいいのかなって……要するにその、終戦の英雄の娘がたった一人で廃村を彷徨っていた理由を、さ」
「……もちろん。あなたに聞いてほしくて、こうして話をしているんだもの」
そう答えるアリアの笑顔は、どこかぎこちない。
「一年前にね、政変があったの」
「政変?」
シーナの疑問に、モウブレーが答えた。
「三年前、陛下が急逝されたんだ。そのころ、お世継ぎはまだ六歳かそこらでな。先王の弟君が助言役として摂政に就任されたんだが、それを機に雲行きが怪しくなっていった。軍国主義の復権を狙う連中が台頭してきたんだ――そして一年前、ついに政変が起きた。そしてその中心的な出来事とも言えるのが、ウォーカー公の疑獄事件だった」
***
それは静かな朝、アリアが父と食卓に付いていたときのことだった。国王が逝去して以来、常に慌ただしくしていた父だが、最近は表情の険しさに拍車がかかっていた。
母はアリアを産んで間もなく流行病で死去しており、後妻も取っていない。そのため父娘二人とスコール、それから司祭女と使用人だけの五名で、王都にある小さな屋敷に暮らしていた。
「あの、お父様。お身体は大丈夫ですか? ここのところ顔色が優れませんが……」
「ん、ああ大丈夫だよ。実は今が正念場でね。厳しい局面には違いないが、嬉しいことに頼れる仲間ができたんだ」
「へえ……」
「お前にも色々と我慢させてすまないな。これが済んだら、久しぶりに旅行にでも行こうか」
「本当ですか! やったあ、どこがいいかな!」
玄関の戸が打ち破られたのは、そんな話をしていたときのことだった。
静寂を引き裂き、甲冑の騎士たちが屋敷になだれ込んできたのだ。
「ハモンド殿! これは何事か!」
父が叫び、スコールも吠える。ハモンドと呼ばれた大柄の騎士は、整然と答えた。
「アダム・ウォーカー、国王陛下への反逆の罪により拘束する」
後はあっという間だった。アリアは有無を言わさず王宮へと連行され、知る由もない父の罪とやらについて厳しく尋問された。
それから数日後。アリアの元に届いたのは、父の首が撥ねられたという知らせであった。
尋問官の話によれば、昔のツテを使ってキースランドと内通し、また王都の裏社会を牛耳る闇ギルドと共謀してスパイを引き入れ、機密情報を横流ししていたのだという。
***
「すべて、軍部の復権を望む連中の謀略に違いない。事実、この事件を機に反キースランドの機運が高まって――」
モウブレーは怒りで詰まらせた喉にワインを勢いよく流し込むと、大きく溜息を吐いた。
「ですがお父様は裁判で罪を認め、そして処刑されました」
「アリア様、それは――」
「ええ、わかっています。お父様が、いえ、あの人がそんなことをするわけがないと。しかしそれでもなぜ、無実の罪をを認めたか……私のために決まっている。罪を認めれば娘の安全は保障する、とでも言われたに違いありません」
アリアは俯いて、唸るように言葉を絞り出す。
「私はただ、それだけが悔しい……」
まるで自分の責任であるかのように話すアリア。そんな彼女を見て、この娘はいつもこうして自分を責めてきたのだろうと、シーナは悟った。
「それからはスコールとともに、遠縁の親族の元に身を寄せて暮らしていました。ただ私の素性が周囲に感づかれたようで……世話になっている親族に迷惑をかけられないと思い飛び出し、それからはあちこちを放浪してきました。その途中、亡者の彷徨う森に足を踏み入れてしまって、追われるうちにスコールともはぐれ……そんなときにシーナに出会い、助けて貰ったんです」
上目遣いに見つめられ、シーナは困ったように眉根を下げて微笑む。
「お互い様、って言ってるだろ?」
そのあっけらかんとした口調に、暗く沈んでいたアリアも自然と笑顔を取り戻した。
「御苦労、されましたな。政変があったと知り、八方手を尽くしてお探ししたのですが、時すでに遅く……誠に不甲斐ない」
「そんな、モウブレー様が謝ることでは……」
「ですがもうご安心ください。私を頼ってくださった光栄に、全力でお応え致しましょう」
「ありがとうございます――ですがここに立ち寄ったのは、とあることをお聞きしたかったからなんです」
モウブレーは力強く答える。
「私に答えられることなら、何なりと」
アリアもまた、真剣な面持ちで口を開いた。
「――信じてはいただけないかも知れませんが、私たちは今日、絶界の発現に立ち会いました」
「……!」
アリアの言葉に、モウブレーは驚いてシーナの顔を見る。
シーナはただ、黙って頷いてみせた。
「そして、柱と思われる存在にも遭遇しました。ただ、絶界となった砦には以前、そこを拠点にして人攫いを働いていた者たちがいたようなのです」
アリアはそう言って、件の手帳を取り出した。
「これは、いったい……」
「砦に残されていた手記です。この内容や砦の状況から察するに、この持ち主は絶界や柱を信奉する邪教徒で、攫ってきた人間を使い、何らかの儀式を行っていたと思われます。さらには、クリーグの監獄島にも彼らの仲間が存在するようです」
「……」
「そして一年前の日付で、こんなことが書かれています。『ついにウォーカーを排除できたらしい。これで邪魔者はいなくなった』――と。政変が起きたとき、お父様は何かを探っていました。それはもしかして、この邪教徒たちを探っていたのでは? そしてその動きを察知され、消されてしまった……」
アリアは確信と怒りに満ちた口ぶりで、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
その怒りが冷めるのを待つかのように、室内を静寂が支配した。微かに聞こえるのは、スコールの吐息と、階下から伝わる宴会の賑わいだけである。
「――アリア様は、ご存知ないかも知れませんが」
モウブレーが髭をいじりながら、静かに沈黙を破った。
「今、我々のような傭兵連中を中心に、あるうわさが流れています」
「うわさ、とは?」
「近ごろ、王国の各地で、小規模の絶界が発現している、と」
「なっ……」
アリアもシーナも、言葉を失った。
「あ、あんなものが、幾つも?」
シーナの声が思わず上擦る。
「数のほどはわからん。邪教徒共の仕業とうわさされてるが、そもそもデマだと思っていた――だが、その眼で見たんだろう? 絶界を、柱を」
「……で、でもアレがそのまま放置されてるんなら、うわさなんてレベルじゃ済まないでしょう。国をあげて対処すべきだ。軍隊とか、それこそ俺たちみたいな傭兵団を動かして――」
口早にまくしたてるシーナの言葉を遮るように、モウブレーも苦い顔で「まったく同感だ」と答えた。
「しかし、国家治安維持の要である『白の戦士団』はこの数年、北海の海賊との戦いで手いっぱいだ。くわえて、このうわさには続きがあるのさ――各地の絶界は『聖王騎士団』・団長、ルディ・フォン・ラインラントたった一人によって、鎮められているとな」
「たった、一人……」
「ああ。聖王騎士団――アーネスト王を信仰する、騎士修道会の一派だ。絶界を鎮めるのは、アーネスト王の意志と教えを継ぐ者の使命だと標榜しているらしい」
「ラインラント団長は今や、『柱崩しの騎士』なんて異名まで付いて、そのルックスも相まって、王都では大変な人気だそうですよ」
チェンバースがそう言うと、モウブレーは露骨に嫌な表情を浮かべた。
「アイツはどうもきな臭くて好きになれん。そもそも聖王騎士団を法王庁直属にまで引き立てたのは、あのハモンドのクソガキだぞ」
「ハモンド……」
アリアの脳裏に、父を奪い去った騎士の姿が蘇る。黒い短髪で大柄で、武骨な印象の男だった。
「ええ、ネイサン・ハモンド。『ミュール王宮騎士会』の筆頭騎士です。摂政殿下のお気に入りで、先王の死後に頭角を現し、政変の際は、誰よりも激しくウォーカー公を糾弾したと言われています」
モウブレーは忌々し気に、ハモンドの名を吐き捨てた。よほど嫌っているらしい。
「えーっと……」
シーナは口元をさすりながら考えを整理する。
「邪教徒に敵対視されていたウォーカー公を排斥したのがハモンド、ってことは……」
という、シーナの言葉をアリアが継いだ。
「ハモンドと邪教徒は協力関係……いえもしかしたら、絶界を発現させている黒幕かも知れないわ」
「でも、そのハモンドの仲間のラインラントが絶界を消して回ってるんだろ? いったい何のために?」
「それは……わからない。けど、そもそもあんな辺鄙な土地に絶界を創り出す目的は何? もしかしたらだけど、それ自体は目的じゃないとしたら?」
そのアリアの言葉に、シーナが眉をひそめる。
「……俺たちが遭遇した絶界は、事故的に発現した、偶然の産物だと?」
するとモウブレーが、傷をさすりながら大きく頷いた。
「それなら、ラインラントが動く理由は『事故のもみ消し』ということで、一応の辻褄は合いますな」
「彼らの本当の目的はわかりません。しかし手記によれば、砦から監獄島に何らかの『成果』を送っていたとのことです」
「となると監獄島こそが、邪教徒どもの本拠地ということですな――何を企んでいるのか、我々のほうで調べてみましょう。今こそ、ウォーカー公の無念を晴らすときです」
モウブレーは意気込み、ワインを一気に飲み干そうとしたが、
「飲みすぎです」
チェンバースに、グラスとデカンタを取り上げられてしまった。