第1話
カルド山の砦から南東へと、街道を進む騎兵の一団があった。アリアたちは今、そのうちの一騎の荷馬車に乗って揺られている。
時刻は午後五時すぎ、なだらかな山間に夕陽が差し込んでいた。
「これは……」
件の手帳をめくりながらアリアが、驚きの声を漏らした。
「どうした? またトチ狂ったポエムでも書いてあった?」
シーナが訝しんだが、手帳を閉じて首を横に振る。
「いえその、何でもないわ――それにしてもまさか、戦槌の傭兵団とはね」
傍らに寝そべるスコールを撫でながら、驚き混じりに呟いた。
「何だ、知ってたの」
「ってことは、これから向かう先には『西風の獅子』、ピーター・モウブレーがいるってこと?」
「……やけに詳しいんだな」
シーナは意外そうな表情を浮かべた。アリアは黙り込んで、何事かを思案している。
「ねえシーナ、私を団長に会わせてくれないかな」
「団長に? 何でまた?」
「それは、その……ごめんなさい」
「ふうん。ま、問題ないと思うけど――」
シーナは随伴するチェンバースに、確認の意味を込めて目配せする。
「団長も喜んで会ってくれるでしょう。なにせシーナ君の初めての客人ですからね。兎に角、今は身体を休められてください。お疲れでしょう」
チェンバースは、万事心得た様子で快諾した。
「シーナ君も帰ったらちゃんと、団長に挨拶してくださいね。息子が勝手にいなくなって、ずいぶんお怒りでしたよ」
「玩具の間違いでしょう――それで、何でまた姐さんたちはあの砦に?」
「最近、あの近辺の集落で失踪事件が相次いでいましてね。何でもまるごと人が消えてしまった村もあるそうで……」
顔を見合わせるアリアとシーナ。二人の脳裏に浮かんだのは、あの廃村である。
「カルド山の化物が復活したなんてうわさも立っていましたが、おおかた最近増えている奴隷狩りの連中の仕業だろうということで、その討伐を依頼されたんですよ――まさか本当に化物が犯人とは思いませんでしたが」
「あ、いや。人さらいは、化物たちの仕業じゃなくて――」
訂正しかけたシーナを、アリアが目遣いで制止した。理由はわからないが、この娘はこの件を秘密にしたいらしい――察したシーナは口を噤んだ。
「いずれにせよお二人……いえ、お三方ともお手柄でしたね」
チェンバースも何かを察した様子だったが、とくに追求することはなかった。
やがて山岳地帯をぬけて海岸線に出ると、人里が散見されるようになってきた。村々を通りかかった際、村人たちが一行に向かってにこやかに手を振っていたのが、アリアには印象的であった。
「――変わった名前よね」
「ん? ああ、普通は女性名だよな。『シーナ』って」
シーナはまるで他人事のように答える。
「いいじゃねえの。お似合いだぜ、シーナちゃん」
そう言ってからかうのは、荷馬車を操る御者の中年男である。名をロランというらしい。
「うるさいな……唯一覚えてたのが、その名前だったんだ。自分の名前とは思えないけどな」
「奥さんとか、恋人の名前とか?」
「さあ、どうだろう」
「お前にそんな甲斐性があるとは思えないがな」
「なあロラン。俺をからかうのは、狼付きの美女をモノにしてからにするんだな」
心底自慢げなシーナに、アリアは呆れた様子で笑い声を漏らした。
「それで、一番最初の記憶はいつなの?」
「つい一ヶ月ほど前だよ。どこかへ移動中の幌馬車の中で目が覚めたんだ」
「それはまた……ずいぶんと変わったところで生まれたものね」
アリアは驚きに眉をひそめる。目覚めた場所も場所だが、まさか一ヶ月前とは。
「まったくだ。状況はまるでわからないけど、何だかそら恐ろしくなってね。気付かれないようぬけ出したんだ。幸いにも新月の夜だったから、なんとかばれずに済んだよ」
「それはなんと言っていいか、大変だったわね――あなたを運んでいたのは、どんな人たちだったの?」
「わからない、逃げ出すことに必死だったから。でも結構な人数だったことは確かだ。何にせよ、逃げ出した後あてもなく彷徨ってたら、運よく傭兵団の連中に出くわして拾って貰えたんだ」
「あれは、刺激的な出会いでした」
チェンバースが、わざとらしくうっとりした口調で口を挟んだ。
「確かに、刺激的だったね。追跡中の奴隷狩りと間違えた姐さんに射ぬかれたんだ」
「罪な女です。彼のハートを射ぬいてしまいました」
「いやマジでね。はは」
引きつった笑みを浮かべるシーナに、つやっぽく笑って眼鏡を弄るチェンバース。
――少し、変わった女性みたい……
チェンバースを横目に見ながら、アリアも引きつった笑みを浮かべた。
「あの魔法は? 最初から使えたの?」
「ああ、自分を治すのは、ほとんど無意識でもできるくらいさ。なんたって心臓を貫かれてもあっという間に治っちまう――ただ知ってのとおり、これを他人に使おうとすると難儀するんだ。頭と胸が張り裂けそうになるわ疲労感は尋常じゃないわ……死人を生き返らせようともしてみたけど、無駄に消耗して終わりだった」
自分本位の塊みたいな力だよ、とシーナは自虐っぽく吐き捨てる。
アリアはそれを否定するように、驚き顔を横に振った。
「それでも十分に凄まじい魔法よ。治癒魔法なんてかなり珍しい部類――それも致命傷を治癒するなんて聞いたことがないわ。というかそもそも、この国じゃ魔法自体珍しいんだけど」
「ふうん……君は? 魔法使えないのか?」
聞かれてアリアは苦笑する。
「残念ながら。子供のころ、わざわざヴィリ・シアンから呼び寄せた家庭教師に教えて貰ってたんだけど、才能がなかったみたい」
「へえ……家庭教師、ね」
シーナが意味深に呟く。
「え、ええ」
「君さ、なぜか家族の元に戻る気は一向にないみたいだけど……結構な名家の出身だったりするのかな?」
アリアは痛いところを突かれたように、言葉に詰まった。
「そ、それは……私のことはいいじゃない。それよりも、もっとあなたの話を聞きたいな」
「俺のはさっきで全部さ。なにせ一ヶ月分しか持ちあわせがないからな」
「そ、そっかあ……そうだよねえ」
わかりやすく目を泳がせながら、なんとか話を誤魔化そうとするアリアだったが、どうにも間が持たない。そんな彼女を見て、シーナは悪戯っぽく笑っていた。
「いいさ、無理に話さなくても。美人にゃ秘密が付きものだって、こいつらに教わったしな」
「そうそう。なんたってウチの団長でさえ、ミセス・チェンバースの出自を知らないんだ」
ロランの言葉に、傭兵団の皆が笑い声を上げた。
それからしばらくして、辺りを夜闇が包んだころ。一行はようやく『オダリア』の街へと辿り着いたのであった。
オダリアはノルズヴァン王国の中部に位置する、サントエア領内の港町である。
漁業・交易に栄え、また南西には王都・ミュールが位置することから、諸外国との海の玄関口という王国全体にとっても重要な役割を担っている。
真夜中ということもあって街は静まり返っているが、未だ歓楽街だけは賑やかさを保っていた。そしてその一等地に建つ街一番の大旅館、『金獅子亭』こそ戦槌の傭兵団の活動拠点であった。
傭兵団がオダリアを拠点としたのはここ最近のことだが、街にとってすっかり欠かせない存在であり、金獅子亭は実質的に傭兵団専用の宿となっていた。
五階建ての立派な旅館で、一階部分は食堂となっており、今は毎晩恒例の宴会が催されている。
「ミセス・チェンバース! おかえりなさい!」
「シーナぁ! 俺たちを置いて、どこ行ってやがった! 詫びに一曲歌え!」
帰ってきた一行を、大勢の団員が賑やかに迎えた。
「兄弟姉妹よ! カルド山の悪魔に冥福を! そしてシーナ君の剣に祝福を!」
チェンバースが高らかに叫ぶ。皆は大いに歓喜して口々にシーナを称え、それを口実にまた酒を飲み交わす。
しかしシーナたちと一緒のはずのアリアやスコールの姿は、どこにも見当たらなかった。
「団長はどこに?」
チェンバースに尋ねられ、金獅子亭の主人が満面の笑みとともに答える。
「最上階の、いつもの部屋にいらっしゃいます」
するとチェンバースはシーナに目配せし、どこかへと姿を消した。
それから間もなくシーナは、最上階のスイートルームの前に立っていた。
扉をノックすると「入れ」と野太い声が返ってきた。
「何だフィアメッタ、ずいぶんと早い――シーナ……?」
「ただいま、団長」
ヘラヘラと笑うシーナを見て、中にいた中年男が驚きの表情を浮かべる。この男こそ戦槌の傭兵団・団長、ピーター・モウブレーその人である。
斜めに撫でつけた茶髪に、紳士風の口ひげ。大柄で肥えた身体に上品な白のダブレットをまとい、その上から毛皮のコートを羽織っている。
しかし何より印象的なのは、右目の上の大きな切り傷であった。
革張りの椅子にもたれてワイングラスを傾けていたモウブレーだが、シーナを見てはズンズンと詰め寄り、その身体を強く抱き寄せた。
「はは、そんな大袈裟な……ちょっ痛っ。待っ、痛いって団長痛い、痛い! 痛い痛い痛い痛い!」
「勝手に、どこに、行ってやがった。んん?」
顔こそ笑っているが、その眼は怒りに燃えている。
「あぁ痛たたた! ちょっ、ちょっと、アレだって! 野暮用を思い出して!」
シーナが叫ぶと、モウブレーは意外そうな様子で身体を放した。
「思い出したって……記憶が、戻ったのか?」
「はぁ、はぁ……ほんの、少しだけ。そ、それより、会わせたい人がいるんだ」
四つん這いで息を切らすシーナ。すると間もなく、扉を叩く音が聞こえた。
「団長、ただいま戻り――シーナ君、何やってるんです?」
「ああ、いや別に。それより、二人を、ね」
怪訝な表情のチェンバースの後ろから、緊張した様子のアリアとスコールが姿を現した。
「……まさか、アリアお嬢様? それに、スコール殿?」
「ご無沙汰しております、モウブレー様」
幽霊でも見たかのように目を丸くするモウブレーと、懐かし気に微笑むアリア。
するとモウブレーはアリアの前に跪き、チェンバースもそれに続く。
「再びお目にかかれるとは。この日を、どれだけ待ち望んだことか……」
「ちょ、ちょっとそんな……ほら、立ってください」
慌てて二人を立ち上がらせるアリア。シーナは困惑に顔を歪ませながら、当然の疑問を口にした。
「あの、団長? こちらのお嬢さんは、いったいどなたで?」
「どなたって……お前が連れてきたんじゃないのか」
「それが、あんまり言いにくそうにしてるからさ。聞くのも気の毒になっちゃって……」
そう言って決まり悪そうに笑うシーナに、アリアが頭を下げた。
「ごめんなさい。どこまで打ち明けていいかわからなくって……でも、よければ一緒に話を聞いてくれる?」
「……なるほど。どうやら少々、長話になりそうですな」
モウブレーは安堵と懸念の入り混じったような、複雑な表情を浮かべていた。