第5話
横振りの戦槌が、唸りを上げて大気を割る。
それを跳んで躱したシーナは横に身を捻り、片手一本で、正中線を斬り裂くような一撃を放った。
柄で受け止めた魔王の脚が、地面にめり込む。
「うおおッ!!!」
全体重を掛け、剣を上から下へ振りぬくと、魔王の身体がそのまま大きく後退った。
疾風のような速さで懐に飛び込み、突きを繰り出すシーナ。剣は魔王の胴を捉え、轟音とともに、黒い鎧に微かな亀裂が走った。
しかし、魔王は身を捻って突きを受け流すと同時に、柄尻でシーナの横っ面を殴りつけた。
到底、人間を殴ったとは思えない音が響く。
身体がぐらりと傾き、こめかみが裂け、鮮血が舞う――しかしすぐさま傷を完治すると、剣を振りかぶって斬り付けた。
剣が魔王の肩口を捉え、戦槌がシーナの脇腹を捉えた。
黒い鎧に、ひびが入る。シーナの肋骨が砕け、口から血が噴き出す。
両者とも反発するように、激しく吹き飛び、瓦礫に突っ込んだ。
しかし次の瞬間、土煙から飛び出す両者。剣と戦槌が衝突し、地面が震え、大気が揺れ動いた。
力任せに押し切ろうとする剣を、巧みに受け流す魔王。バランスを崩したシーナの顔面を、上から鉄拳で殴り付けた。
倒れ掛かるシーナに、戦槌が降り注ぐ。地面を蹴って転がり、すんでのところで躱すと、立ち上がりざまに脇腹を斬り付けた。
魔王は微かに怯んだが、すぐさま報復の戦槌がシーナの顔面を捉えた。
身体は軽々と宙を舞い、地面を跳ね転がる。しかし血を吐きながらもなんとか立ち上がると、また魔王に向かって走り出した。
「ぐうっ、おああああぁ!!!」
泣き喚くような咆哮を上げながら、シーナは剣を振るう。
剣を振り、殴られ、蹴られ、血を吐き、再生し、立ち上がり、躱し、投げられ、潰され、再生し、立ち上がり、走り、跳び、剣を振る。
その応酬を、ブルータスとマックスが離れて見守っていた。
「ははっ。やっぱりアイツぁ、不死身だ」
血の混じった咳を吐き、壁にもたれてニヤリと笑うブルータス。マックスは答えず、ただ息を飲んだ。
「……ッ」
マックスの小さな拳が、思わず硬くなる。
苦痛の表情で、血反吐に塗れながら戦うシーナを見つめながら、マックスは目に涙を浮かべていた。
――今お前が何を考えているか、僕にも痛いほど伝わってくるよ。『先生、何てことをしてくれたんだ』ってな。脳が沸騰するか、心臓が捻じ切れるか、肺が爆ぜるか……僕には、いや、お前以外の誰にも理解できない痛みが、お前を襲っているんだろう
シーナが殴られ傷付くたび、マックスも唇を噛んで呻き声を漏らした。
――それでも、常人が命すら容やすく手放すほどの痛みを、何百人分も背負ってもなお、お前が立ち上がるのはなぜだかわかるか? それはお前が、誰よりも強いからだ。お前は魔王なんかに負けやしない。頑張れ……頑張れシーナ。お前は、誰にも負けやしないんだ
「頑張れ、シーナ……!」
心の声が、口をついて出たとき、シーナの身体がぐらりと傾いた。
掲げられた戦槌が、黒い光をまとう。
「ヤバいっ!」
焦ったブルータスが立ち上がろうとしたとき、黒い閃光が迸り、大爆発が巻き起こった。
土石流のような粉塵が、ブルータスたちを襲う。しかし辛うじて、マックスの防御魔法が間に合った。
「シーナぁっ!」
粉塵を掻き分けながら、マックスとブルータスが叫んだ。
爆心地、土煙舞う瓦礫の山の真ん中。戦槌を振りさげろした体勢のまま佇むのは、戦槌の魔王である。
「……ッ! 野郎……」
そして魔王が、二人をゆっくりと見据えたとき――奇妙な風切り音が聞こえてきたのは、そのときであった。
回転する長剣が、高速で魔王に襲い掛かる。
戦槌が剣を弾き上げた次の瞬間、魔王の左側方から、土煙を裂いて影が飛び出した。シーナである。
一瞬で距離を詰めた彼に、反撃が降りかかる。
右に深く踏み込んだシーナの顔面の左真横を、戦槌がすりぬけた。
「うぁっ!」
短く叫んで、右下から拳を放つシーナ。
拳は魔王の顔面を捉え、その体勢が大きく崩れた。
どがぁん――大きな音を立てて、戦槌が地面に転がった。
そしてついに、黒い鎧が、魔王が膝を付いた。
弾き上げられた長剣が、近くに落ちて音を立てる。
「そのまま立つなよ、色男」
魔王を見下ろしながら、シーナは口元の血を拭った。
アリアは王宮の麓に建つ大議事堂の、二階廊下を駆けていた。
振りかえりながら、矢を番える。
彼女の背中には、六体の鎧姿の亡者たちが迫っていた。
放たれた矢は翡翠の光を伴って、二体の亡者を貫く。
素早く二射目を放ち、もう一体を倒した。迫る剣を、床を滑って掻い潜り、次なる剣を弓でなんとか受け止める。
しかし力で圧倒され、突き飛ばされた。窓際に叩き付けられながら、弦を絞る。
至近距離から放った矢が、一体を貫き、後ろの一体の胸に突き立った。
残る一体の攻撃をしゃがんで躱す。空を斬った剣が窓を割り、枠に食い込んだ。
すかさず足をかけ、敵を転ばせる。
立ち上がろうする亡者の背を、矢が貫いて串刺しにした。
「はあ、はあ……」
息を整え、汗を拭う。
――シーナたち、大丈夫かな
息を整えつつ仲間の顔を思い出していると、また呻き声が聞こえてきた。
見ると、亡者の一団が廊下に現れた。
「もう、お腹いっぱいなんだけど……」
恨み言を吐きながら、矢筒に手を伸ばしかけたそのとき――視界の端に何かが煌めいた。
――マズイッ!
咄嗟に伏せたアリアに、割れた窓ガラスの破片が降りかかる。廊下に撃ち込まれてきたのは、大量の矢であった。
息つく間もなく、先ほどの亡者たちが迫ってきた。
アリアは慌てて立ち上がり、全力で亡者から逃げる。
ちらと横を向いた瞳に映ったのは、議事堂前に並ぶ騎馬隊と、こちらに向かって飛んでくる矢の嵐である。
必死に走るアリアの直ぐ後ろの窓が、次々と打ち破られていく。
すると前方にも、亡者の一団が姿を現した。
――冗談でしょッ!
前方の集団がこちらに向かって走り出したが、アリアも足を止めるわけにはいかない。
数十秒にも感じられた一瞬の逡巡の後、半泣きの彼女が出した答えは――窓に向かって跳ぶことであった。
「~~~ッ!!!」
窓を破り、二階から外に身を投げ出した。
着地までのほんの数瞬の中、頭上を駆けぬける大量の矢が、やけにはっきりと感じられた。
アリアが降り立ったのは、議事堂前の噴水そば――騎馬隊から見れば、噴水の影である。足の痛みを感じるより速く、手は矢筒に伸びていた。
敵の矢が降り注ぐ中、近くの花壇に向かって走りながら、必死に矢を乱れ打つ。
花壇に身を隠し、また立ち上がって、迫りくる騎兵を撃ち崩した。
隠れ、走り、撃つ――矢の嵐に抗うように、がむしゃらに弦を引き絞り続ける。
しかしついに、矢筒が空になったことに気付いたとき、左肩に矢が突き立った。
燃えるような痛みに足がもつれ、倒れ転がる。
耳に届くのは、徐々に大きくなる蹄の音。
「ぐ、うぅあああぁっ!!!」
泣き叫びながら、肩の矢を引きぬいて弦に番えた。
立ち上がったアリアを狙って、一体の騎兵が弦を引き絞る。
直後、騎兵と少女の矢が同時に放たれ、それらは真っ向から衝突した。
相手の矢を打ち砕き、見事敵の胸を貫いたのは、真紅と翡翠に輝く少女の矢である。
敵が倒れるのも見ずに、アリアは花壇に隠れ、荒い息を整える。
残る騎兵たちは、遠巻きにこちらの様子を伺っているようであったが、やがて馬の嘶きが轟き、一斉に殺到してきた。
「……最高ね」
アリアは儚く笑い、そばに落ちていた矢にゆっくりと手を伸ばす。
そして傷付いた体に力を込め、立ち上がろうとしたそのとき――
「ッ撃てェ!!!」
猛々しい男の掛け声に、大量の弓矢の放たれる音、そして騎兵たちの低い悲鳴が響き渡った。
それがしばらく続いた後、辺りは静けさに包まれた。
「――アリアお嬢様! ご無事ですか!?」
聞き覚えのある声につられ、恐る恐る顔を覗かせる。
視界に飛び込んできたのは、数十騎の騎馬隊と、大きな槌の紋章が描かれた、風にはためく軍旗、そして鎧姿のピーター・モウブレーの姿であった。
「……モウブレー様! ミセス・チェンバース!」
二人を見て安心したアリアは腰がぬけ、思わずその場にへたり込んだ。
慌てて駆け寄ってきたモウブレーが、肩の傷を見て青ざめた。
「アリア様、お怪我を……フィアメッタ!」
「ええ! アリア様、失礼致します」
チェンバースは急ぎ、アリアの傷口に手を当てると、そこから仄かな明かりが発せられた。
「これは……治癒魔法? どこでこんな高度な――」
シーナの魔法とは異なり、ブラウスの染みこそ直らないが、傷はゆっくりと塞がり、痛みが和らいでいく。
「ふふ、淑女の嗜みですわ。と言っても、応急処置以上の効果はありませんが……傷はそこまで深くないようです。これなら安心していいでしょう」
チェンバースの見立てに、アリアもモウブレーも安堵する。
「でも、どうやってここが?」
「アリア様が助けられた人々を辿ってきたんですよ」
「己が身を削り、民を救うそのお姿――正しく、あの方のご息女ですな。私は心から、貴女が誇らしい……」
モウブレーが感極まったように涙を浮かべたとき、議事堂前に新たな隊列の足音が届いてきた。
「フィアメッタ、アリア様を頼んだぞ」
「お任せを。団長こそ、アリア様の傷の借り、百倍にして返してやってください」
チェンバースの言葉に、涙目のモウブレーが馬上から、狂喜の笑みを返した。
「馬鹿を言え。万倍でも足りるものか」
激しく剣の撃ち合う音が、地下墓所の最奥聖域に響いていた。
交錯する技の応酬。血を流しうずくまるスコールが見つめる先で、二人の卓越した剣士が、一進一退の攻防を繰り広げている。
実直に、それでいて嵐の如く振るわれる、ラインラントのマジックスレイヤー。それをするすると躱しながら、その間隙を縫い合わせるように、ユダは鋭く剣を振る。
しかし徐々に、嵐が勢いを増していった。
「ふっ!」
ラインラントの突きが右頬を掠め、微かな血が舞った。
ユダは腰を落とし、剣を振りあげる。ラインラントは大きく跳び退り、剣はその残像を斬り裂いた。
素早く距離を詰めたユダが、地を踏みしめ、大振りの一閃を放つ。ラインラントも渾身の一撃で応えると、衝突した剣が激しく火花を散らした。
刃を滑らせ、ラインラントが前に出る。
鍔迫り合いで押し退けると、間髪入れずに乱れ突きを放った。神速の突きを紙一重で躱しきったユダが、脚目がけて剣を低く振る。
しかしそのとき、ラインラントはユダの頭上を舞っていた。
宙で身を捻り、脊椎から後頭部目掛けて剣を振るラインラント。ユダは剣を背に回し防御するが、その威力に圧され後退る。
ラインラントは容赦なく距離を詰め、下から掬い上げるような一撃を放った。ユダも振りさげろしで応えるが、敢えなく跳ね上げられ、胴ががら空きになった。
ラインラントの一閃が、ユダの胴を引き裂いた――かと思われたが、マジックスレイヤーはただ空を斬り、ユダは間合いの僅か外で、高らかに剣を構えていた。
――しまった……
ラインラントが自身の過ちに気付いたとき、青の僧衣は斬り裂かれ、右の肩口から血が噴き出した。
深手ではないが、決して浅くもない傷に、後退る。
「それは、お気に入りの隣人の分」
呟きながら、すかさずユダが距離を詰めた。
しかしラインラントは、なおも冷静に剣を構える。
そして次の瞬間、消えたかと思うほどの俊敏さで、ユダの右隣に身を移した。稲妻のような、激しく鋭い突きが放たれる。
必中必殺の確信を持って繰り出した技だったが、ラインラントに与えられたのは、またもや空を突く感触と、疾風の如き何かが左横をすりぬける感覚、そして脇腹の裂ける痛みだけであった。
「ぐうっ……!」
僧衣を血でにじませ、冷や汗を流しながらも、ラインラントは構えを崩さない。
「それは、お気に入りの狼の分です」
刃の血を振り払い、ユダはラインラントに向きなおった。
「残るはウォーカー公と、お嬢様。そして、この我慢ならない茶番に巻き込まれ散っていった、無垢の人々の分……まとめて払っていただきましょう」
睨みを利かせるユダ。ラインラントは思わず息を飲む。
「――神の行方を」
「……はい?」
唐突なラインラントの言葉に、ユダが眉をひそめた。
「お前たちの信じる王の、神の行方を知る者がどこにいる」
ラインラントは血走った眼で、荒れた呼吸で言葉を紡ぐ。
「我らが王は、主は今まさに、この都に御座すのだ。真に崇拝すべきは、姿なき虚像などではない。いいか。我々が踏みしめるこの大地の先に、超越者が存在するという事実に喜び打ちひしがれ、焦がれ、恐れおののくべきなんだ」
まるで「わかってくれ」と言わんばかりに、もどかしげに捲し立てるラインラント。そんな彼を見るユダの眼には、明らかな侮蔑が込められていた。
「どんな武力を持っていようと、何を超越しようと、やっていることは只の人殺しでしょうが」
「それは違う。そうではないのだ。彼らの司る真の力は、知恵は、輪廻と虚無による邂逅の――」
「知りませんよ、んなこと。それに、アーネスト様がどこにもいない、なんて誰が決めたんです? 今ごろどこぞで、茶でも飲んでるかも知れませんよ」
ユダが茶化すように嗤うと、ラインラントは途端に黙って、剣を握る手に力を込めた。
「そうだ。それでいい、私たちは」
ユダは構えず、僅かに右足を退いて剣をだらりとぶら下げたまま、ラインラントを見つめていた。
しばし、睨み合いが続いた。
時間にして僅かだが、二人の脳裏は、凝縮された殺意に溢れんばかりであった。
そしてぶつかり合う殺気が臨界点に到達し、ついには弾け飛んだとき、二人は同時に動いた。
次の瞬間、二人の立ち位置は入れ替わっていた。それぞれ背中合わせに、剣を振り切った体勢のまま静止している。
しかしやがて、ラインラントの剣が手から零れ落ち、体勢が崩れて両膝を付いた。
横一閃に斬られた胴を押さえ、ただ茫然と息を切らしている。
「失礼します、野暮用があるんでね」
扉に向かって歩き出したユダもまた、顔に汗を浮かべていた。懐から滴り落ちる鮮血が、床を赤く染めた。
汗を流し、息を切らしながら、それでも一歩一歩と進んでいく。
そして、扉を押し開いたそのとき――眩い閃光が、ユダを襲った。




