第4話
衝撃が、地下墓所を揺るがした。
ユダが剣を構え、スコールが唸り声を上げる。
陰湿な石造りの通路の先では、聖王騎士団・十数名が剣を構えている。その背後にある大扉からは、妖しい光が漏れ出ていた。
「何隠してるんです? 見せてくださいよ。見せてくれなきゃ、殺しますよ?」
ニヤリと笑ったユダが、疾風の如く走り出す。スコールも後に続いた。
騎士たちもまた、一斉に動き出した。
剣が振りさげろされるより速く、スコールの爪が、敵の喉元を引き裂いた。
ユダは攻撃を掻い潜り、敵陣の真ん中で舞う如く剣を振るう。
迫りくる刃の、僅かな間隙をすりぬけながら、剣と牙、爪を舞わせる一人と一匹。しかし、相対する騎士たちの剣も鋭かった。
大本営を守る部隊だけあって、選りすぐりの精鋭が集結しているようであった。
激しく剣を撃ち合う音が、地下墓所に鳴り響く。
そしてついに、ユダの剣が最後の一人を切り伏せたとき、背後で狼の悲鳴が上がった。
「――スコール殿ッ!」
振りかえると、スコールがよろめきながら後退っている。脇腹の毛が、血で赤く染まっていた。
「まさか、ここまで来るとは……」
現れたラインラントが、剣に付いた血を振り払っていた。
その背後の扉から微かに覗いたのは、光を囲んで儀式を行う、ローブ姿の集団である。
ユダはスコールを庇うように、前に立って剣を構える。
「教典に書いてありましたか? 『汝、我が封印せし柱を復活させよ』ってね。こんなジメジメしたところで魔王サマにシコシコと力を送りながら、余生を過ごされるおつもりで?」
「貴様に言われるまでもない。我らが魔王は、じきに本来の力を取り戻される。そうなれば儀式も不要だ」
自負に満ちたラインラントの言葉に、ユダは失笑を禁じえない。
「『我らが魔王』ときましたか、ずいぶんと敬虔なことで……聖王騎士団、王は王でも魔王とは。そう言えば、相棒の姿が見当たりませんが?」
「相棒……ああ。哀れで愚かなネイサンのことか。今ごろ、お子様や爺さんたちと一緒にくたばってるんじゃないか」
「なるほど、彼も利用されていたということですか――あなた、吐き気を催すほどの嘘吐きだ」
ユダが、軽蔑の眼差しでラインラントを睨んだ。
これ以上の言葉は不要、と剣を構えると、ラインラントもそれに応じた。
大気で殺気が衝突し、反発して混ざり合う。
剣士二人の世界を、静寂が支配した。
氷のひび割れる音が、シーナの目を覚まさせた。
瓦礫に埋もれたまま視線を上げると丁度、魔王を封じ込めた巨大な氷塊が、亀裂を走らせて崩壊するところであった。
その前では、傷だらけのマックスが杖を構え、苦悶の表情を浮かべている。
氷漬けの封印から放たれた魔王が、一瞬で距離を詰めた。
戦槌がマックスを捉えたとき――その身体は光の鎖へと姿を変え、逆に魔王の身体を縛り上げた。
魔王は鎖を掴み、力任せに引きちぎろうともがく。しかしそれより早く、上方から呪文を唱える声が響いた。
見上げると、瓦礫の上に移動したマックスが、深緑のマントをはためかせ、杖を大きく振っていた。
すぐ傍の壊れた水路から、大量の水が溢れ出ている。
マックスはその水を頭上の一点に集め、瞬時に球体を形成する。直後、巨大な水の塊が魔王に叩き付けられ、辺りは白い霧に覆われた。
「う、ぐ……」
身体を再生し、よろよろと立ち上がるシーナ。すると彼の元に、一つの小瓶が転がってきた。
拾い上げた小瓶の中には、どす黒い光を放つ水晶石が浮かんでいた。
――これは、まさか……
すると呻き声がして、近くにハモンドが血を流して倒れていることに気付く。
「……そいつが例の、賢者の石か」
振りかえると、全身傷だらけのブルータスがよろめきながら立っていた。
「オッサン、大丈――」
そう言いかけたとき、霧が一瞬にして消し飛んだ。
健在の魔王を見下ろしながら、マックスが歯噛みしている。
「怪物めが……」
ブルータスが忌々し気に呟いて、魔王に向かっていこうとする。その手を、シーナが掴んだ。
「止めるなよ」
「止めやしないさ」
ブルータスの身体が光に包まれ、あっという間に傷が塞がった。
「お前……」
「悪い。ほんの少しで、いいから……時間を、稼いでくれ。それから、先生を、ここに……」
膝に手を置いて、ぜえぜえと息を切らすシーナに、力強く答えるブルータス。
「任せろ」
借りるぞ、と言ってハモンドの剣を拾うと、斧と剣を打ち振りながら魔王に歩み寄っていく。
「先生ぇ! シーナのところへ! こいつは、俺が止める!」
焦土と化した広場に、ブルータスの声が雄々しい轟いた。
その声に何かを感じたマックスは、すぐさま二人の元へと転移する。倒れ込むように着地した彼の顔にも、疲労が濃く浮かんでいた。
「先生、シーナを頼む」
「頼むって……たった一人でやる気か!? 無茶だ! 殺されるぞ!」
遠ざかる背中に向かって、マックスが必死で呼び止める。しかし、ブルータスは歩みを止めない。
「マクスウェル、『ものは試し』って知ってるか?」
「……クソッ、いい言葉だ……死ぬんじゃないぞ、ブルータス」
マックスは唇を噛んで背を向けると、シーナの元へと駆け寄った。
シーナは膝を付き、苦し気に息を切らしている。
「これ、を……」
彼が差し出した小瓶を見て、マックスが目を見張る。
そのとき、耳を劈くような金属音が響いた。ブルータスの渾身の攻撃を、魔王が柄で受け止めているところであった。
激しい戦闘音に負けないよう、シーナは必死に声を絞り出す。
「こいつを、俺に……フレイザーが、やったように……」
「なっ……」
その提案に、マックスは言葉を失った。到底信じられないという表情で、シーナを見つめる。
「馬鹿な……柱に、成るというのか?」
「頼む、このままじゃ……先生なら、できるはずだ……」
項垂れて、血を吐きながら懇願するシーナ。
強く握らされた小瓶を見ながら、マックスは葛藤する。
「無理だ。何が起こるかもわからない……大体、ラインラントに受けた傷さえも治っていないだろう。そんな身体では、死んでしまうぞ」
「はは。優しいね、先生は……でも、迷ってる場合じゃあ、ないはずだ」
顔を上げたシーナの眼差しは、危険なほどに研ぎ澄まされ、吸い込まれそうなほどに美しい。
すると、直ぐそばで衝撃が起きた。ブルータスが瓦礫の山に突っ込んだのである。
「まだ、まだァ!」
自分自身、そしてシーナとマックスを励ますように叫び、魔王に立ち向かっていくブルータス。
その背中を見送ったマックスは、シーナを見つめ返すと、ゆっくりと頷いた。
魔王が一瞬で距離を詰め、戦槌を振りかざす。
ブルータスも自ら詰め寄ると、巨大な槌頭ではなく、その根元の柄を受け止めた。
しかし柄に触れた瞬間、殺人的な重圧が降り掛かった。
全身が、肉が、骨が音を立てて軋む。それはそのまま、命が削れる音なのだと、身に染みて理解できた。
圧し掛かる重圧に耐えきれず、血管が破れ、血が噴き出る。
「――ッウ、オォアァァ!!!」
咆哮を上げながら、死ぬ思いで攻撃を受け流すと、戦槌が地面を叩き割った。
痺れた左手に、祈るように力を込め、斧を脇腹に叩き付ける。
ダメージを与えた感触はない。それどころか最早、腕に何の感覚も感じられない。それでも攻撃が通じていると信じ、さらに右手の剣を振るう。
だが、魔王に右手を掴んで止められた。そして力いっぱい引き寄せられると、頭突きが顔面に突き刺さった。
半ば意識を失いながら、鼻血を吹いて後退る。
その懐目がけ、戦槌を振るう魔王。
咄嗟に斧と剣とで防御したが、刃は粉々に砕け散り、衝撃でブルータスの巨体も吹き飛んだ。
激しく壁に叩き付けられ、がくりと崩れ落ちる。
微塵も動かぬ身体を壁に預け、なおもブルータスは声を上げる。
「……だ……まだ」
鎧を鳴らしながら、重い足音が近付いてくる。
確実な死が、すぐそこまで迫っていた。
僅かに開いた視界に、振りあげられた戦槌が映ったとき――場の空気が変容した。
変容したというよりは、さらに重圧が増したようにすら感じられた。
振りかえった魔王が目にしたもの。
それは、死にかけていたはずのシーナであった。
しかし今の彼は、それまでとはまるで別人と言えた。黒かった頭髪は色素を失い、白一色となっている。
そして何より、蒼く滾る炎のような、鋭く沸き立つような魔力が全身から噴き出していた。
次の瞬間、魔王が動いた。
瞬きする間もなく、戦槌が振りさげろされる。
シーナは、真っ向から剣で受け止めた。いや、受け止めてみせた。
「ぐぅうっっ! うぅおおおっ!」
悲鳴じみた雄叫びを上げて、シーナが地面を踏みしめる。大地が震え、亀裂が走った。
「らあァッ!」
マックスは、我が眼を疑った。魔王の戦槌が、シーナの剣に跳ね上げられたのである。
シーナは満身の力を込めて、横一閃の剣を放つ。
その一撃はがら空きの脇腹を捉え、魔王を真横に吹き飛ばした。
唖然とするマックスに、血を吐いてよろめくシーナ、そして笑みを溢すブルータス。
「ザマぁ見やがれ、クソ魔王」




