第4話
牢に一人佇むクックの耳にも、雷鳴のような音が届いた。
「騒がしくなってきましたね」
すると続けて、慌ただしい足音が近付いてきた。
「――あそこだよ、あそこの牢」
「――ああ、兄弟! どうしてパン1で倒れてるんだ! クソ野郎どもが、よくも兄弟を……」
「――違う違う、それ看守。兄弟はその奥」
間もなく牢の前にブルータスが忙しなく現れ、シーナも続けて姿を見せた。
「兄弟! ああ、間違いねえ!」
ブルータスは感極まった様子で鉄格子にしがみつく。
「シーナ君。これまたずいぶんとデカくて不細工な鍵を持ってきましたね」
ブルータスを眺めながら皮肉を叩くクック。しかしその顔は嬉しげであった。
「ああそうだった。オッサン、鍵は持ってんの?」
「ハッ、愚問だな。闇ギルドを舐めるなよ」
ブルータスは嘲るように鼻で笑い、腰みのから何かを取り出した。太くゴツい指につままれているのは小さな針金である。
「ピッキングか」
「これくらい朝飯前よ」
自信満々に言い放つと、ブルータスは身を屈めて早速ピッキングに取りかかった。
――見た目にゃ、よらないもんだな
ピッキングなど当然できないシーナは、思わず感心する。
しかし十秒が経ち、二十秒が経ったが鉄格子は開かない。
三十秒、四十秒。シーナもクックも、せこせこと錠前を弄る大男を死んだ目で見守っていた。
やがて一分が経過したころ。ピッキング音が止んだかと思うと、黙って立ち上がるブルータス。
何をするかと思いきや斧を手に取り、錠前目がけて力いっぱい叩き付けた。一発二発と、耳をつんざく金属音が無慈悲に響き続ける。
「……わぁお」
耳を塞ぎ、引きった笑みで蛮行を見守るシーナ。一方のクックは、いたって慣れた様子であった。
「オラアァッ!!」
咆哮とともに渾身の一撃が降り注ぎ、錠は大音を立てて斬り落とされた。
「――どうですシーナ君。これが闇ギルド秘伝の開錠術です。恐れ入りましたか」
「いやあいいモン見せて貰ったよ。熟練の妙技ここにあり、だな」
「黙れ。仕上げを御覧じろってんだ」
ブルータスは所在なさげに呟くと、気を取り直して鉄格子を開ける。
「ずいぶん待たせちまったな、兄弟」
ブルータスに続き、シーナも牢に足を踏み入れた。
牢の中に入った途端、血の腐った匂いが鼻を突いた。
外からではわからなかったが、クックは脇腹に大きな傷を負っていた。手当と言えば、雑に包帯が巻かれている程度である。また負傷してからしばらく経つのか、腐臭が漂い始めていた。
顔にはいくつも青あざができており、指は数本欠損、残った指もすべて爪が剥がれている。足にも深い矢傷が残っていた。
シーナはそのありさまに、思わず息を飲む。
「クソ野郎どもが……皆殺しにしてやる」
怒りを露わにするブルータスを、クックが宥めるように笑いかける。
「そう物騒なこと言わないで。それより、さっきの針金貰えますか」
クックは受け取った針金を口にくわえると、手枷の鍵穴を弄りだした。
手枷がクックの手を離れて地面に転がったのは、十秒と経たぬころである。
「お見苦しいところをお見せしまして……恥ずかしながら手を引きぬいたり、錠を叩き壊したりできないものですから」
手首をさすりながら、クックが上目遣いに皮肉を叩く。
「まったくだ。あんたも闇ギルドの一員なら、オッサンを見習って技を磨くんだな」
「お前らは皮肉を交えんと会話ができんのか」
シーナはからかうように笑うと、クックの前にかがみ込んで肩に手を置く。
「そんじゃあ、次は俺の番だな」
「男に触られる趣味はありませんよ」
「いいから。あとさ、俺が倒れたら運んでくれよ? まだここでやることがあるんだ」
無言で頷くクックを見て、シーナは静かに目を閉じた。
「コイツは何やってんだ」
「奇跡を起こそうとしているんですよ。彼が嘘つきでなければ、ね」
「あ? ――おい、兄弟。そりゃあ何だ」
クックの身体が、淡く儚い光に包まれ始めた。
肩を掴む手に、力が入った。シーナは眉間に皺を寄せ、唇を噛み、額に汗を浮かべている。
十秒が経過したころ。やがて光が消えると、シーナがぐらりと倒れたので、クックが受け止める。
眠るように息を切らす青年と、青年を支える己の手を見つめる。その手には、失ったはずの指や爪が、すべて元どおり生え揃っていた。
クックはシーナを抱えたまま、軽々と立ち上がる。身体には傷一つなく、おまけに服にこびり付いていた血の染みさえまでが消えていた。
「き、兄弟。こりゃあいったい……この男はいったい……」
「アホでお人好しな、私のお隣さんですよ」
クックはあちこちに巻かれた包帯を取りながら、ため息交じりにくたびれた笑みを浮かべる。
「まったく。人生よ、あなたという人は……」
するとドタドタと足音が聞こえ、牢前に看守たちが押し寄せてきた。
四名の看守たちはそれぞれ剣を構えているものの、オークに怖気づいているのか、あるいは制服を着てうな垂れるシーナを人質と勘違いしているのか。何にせよ怒鳴り声を上げるばかりで斬りかかってこようとはしない。
「兄弟が大きな音を立てるからですよ」
そう言ってクックは、シーナをブルータスに任せ、無手のまま看守たちに歩み寄っていく。
先頭の看守が剣を振りさげろすが、クックの姿は眼前から消え、ついでに掌から剣までが消えていた。
背後で物音がしたので慌てて振りかえると、そこにはクックの背中が。その手には看守の剣が握られ、三人の同僚は血を流して倒れている。
直後、悲鳴を上げるより早く、看守の首が宙を舞った。
「――あいつ、『戦いは苦手だ』って言ってたんだぜ」
青白い顔のシーナが、ブルータスの背中で細い声を漏らす。
「あのユダって男を信じるな。あのクズは意味のない嘘を吐くからな」
「意味が解らん……っていうか、クックじゃなかったのかよ……」
「彼は死にました。私はユダ、ただのユダです。宜しくどうぞ、シーナ君」
闇夜迫る監獄島の地下牢にて。
看守の骸と血だまりの中、故クックことユダは爽やかに笑っていた。
最上階では、未だ激しい魔法合戦が続いていた。
フレイザーは雷雲の塊のような物体を大量に召喚し、一斉に発射する。
しかしマックスが杖を左右に振るだけで、それらは軌道を変えて明後日の方向へと飛んでいってしまう。
フレイザーの攻撃は本棚や法具を次々と破壊し、火の粉を散らしていた。
「どうした『雷皇』。ちゃんと狙わないと、大事な研究成果が燃えてしまうぞ」
「ハッ! 今更、そんなものがどうした!」
マックスの挑発に、フレイザーは嘲笑を返す。その顔には只の負け惜しみとは思えぬ自信が滲み出ていた。
「技術はすでに確立した! 禁呪を取り戻しにきたんだろうが、手遅れだったな!」
「何……?」
マックスの表情に動揺が生じる。その隙を突いて、フレイザーが特大の電撃を放った。
電撃はマックスのみならず、後ろのアリアやスコールも飲み込んで、そのまま部屋の一画を大破した。
勝利の高笑いを上げるフレイザー。しかし次の瞬間、強烈な突風が襲った。
その細い体は軽々と扉を打ち破り、部屋の外、吹きぬけの通路まで弾き出されてしまう。
「……が、くそがぁ」
吹きぬけの柵にもたれながら、呻き声をあげる。すると視界に、小さなブーツと緑のローブが映り込んだ。
見上げると、無傷のマックスが険しい表情でこちらを睨んでいた。後ろには、同じく無傷のアリアとスコールが控えている。
「大勢の生贄、それからヴィリ・シアンから盗み出した『乖命の禁呪』……邪教に堕ちたか、フレイザー。お前たちは『賢者の石』を生み出そうしているんだな」
「賢者の、石……?」
耳馴染のない言葉に、アリアは眉根を寄せる。
「アレに手を出した魔導士が過去どうなったか、知らないお前ではないだろう。悪いことは言わない。今からでも成果を破棄するんだ」
マックスは厳しくも、優しく諭すように語りかける。
しかしフレイザーは柵にもたれたまま、くっくっと、低い笑い声を漏らすばかりであった。
「お前は、どこまでも私を馬鹿にする。否定する。コケにしやがる。眼中にすらないと言わんばかりに、気にも留めやがらない」
「……! フレイザー、お前は……」
フレイザーの言葉に、意外そうな表情を浮かべるマックス。
そして一瞬の沈黙の後、彼は意を決したようにゆっくりと手を差し伸べた――眼前に稲妻が走ったのは、そのときであった。
不意を突かれたマックスが、大きく後退る。
「先生!」
「……問題ありません! お二人とも、下がって!」
マックスは焦って杖を構える。ローブの左袖が焼け焦げ、また微かではあるが、上腕が黒く焼けただれていた。
その傷を見て、アリアもスコールも戦闘の構えを取る。
すると、立ち上ったフレイザーが怒りの声を響かせた。
「『生み出そうとしている』だと!? 私を舐めるんじゃあない! 私はすでにお前を超えた! 私が、お前に、教えてやる! 誰一人として届かなかった真理の結晶を! その可能性を!」
狂ったように叫ぶフレイザーの手の上で、禍々しい輝きを放つ、黒い小さな水晶石が浮かんでいた。
「あの石、この感覚……そんな……」
アリアの顔に、絶望が影を落とした。
「彼らもなかなかしつこい。しかしこうでなくっちゃ、国一番の監獄って感じがしませんよね。ははっ」
「笑ってる場合か! 確認するが兄弟、看守長の部屋は最上階なんだな!?」
「ええ! ……多分」
「多分つったか、今!?」
ユダとブルータスは大勢の看守に追われながら、迷路のような地下通路を走り回っていた。
ブルータスの背では、シーナが青白い顔でぐったりと揺られている。
「……シーナ君の様子は?」
「こいつ、このまま死ぬんじゃないのか。まるで生気を感じられんぞ」
階段を駆け上がり地上を目指す二人。数を増した看守たちが後を追う。
すると突如、胃の腑を押し潰すようなプレッシャーが島全体を襲った。
途端に冷気が立ち込め、それまでとは比較にならないほどの瘴気が辺りを包んだ。
思わず二人の脚が止まる。
「なっ……! なんだ、この重圧は……?」
「は、はは……尻から手を突っ込まれて心臓を鷲掴みにされたら、きっとこんな感じがするんでしょうね」
間もなく、悲鳴がこだました。
振りかえると看守たちが、大量の亡者たちに襲われていた。
「何だあいつら、どこから湧いて出やがった」
「兄弟、壁を!」
壁を見ると、ブロックの隙間や亀裂から、液状の何かが漏れ出している。そしてそれらは、ひとりでに動いて集まり、やがて異形の化物に変形すると、いきなりユダたちに襲い掛かった。
しかし強烈な斬撃に迎え撃たれ、あえなく地面に崩れた。
斬撃を見舞ったのは、シーナである。
「お前、もう動けるのか」
剣を杖にして息を切らすシーナの顔色はまだ青いが、その眼光は鋭い。
そうする間にも、あちこちから亡者が姿を現し続けていた。
「急ごう……ここは、絶界になった」




