第1話
オダリアの街を出てから丸二日後の晴れやかな朝、アリアたちを乗せた幌馬車は、クリーグの街のすぐ傍まで辿り着いていた。
「あれが監獄島か。想像よりもずっとデカいな」
助手席のシーナが感嘆の声を漏らす。その視線の遠く先には、監獄島の中央にそびえ立つ、巨大な塔の姿があった。
「国中の重罪犯が集まる場所だからね――はあ、そんな国の要所を調べる手立てなんてあるのかしら……」
アリアは手綱を握りながら、弱気な声を漏らす。
「昨日の勢いはどこ行ったんだ、スーパーガール。この国を救ってみせるんだろ」
「そりゃそうだけど、現実的に考えて……実際問題、どうしたら……」
モゴモゴと弱音を吐くアリアに、シーナは苦笑を浮かべた。
幌馬車は静かな森の街道を進んでいく。そして、いよいよ街の門へと差し掛かったそのとき、スコールが後ろの幌の切れ間から、ぬっと顔を出した。
「あれ、どうしたの――きゃあっ!」
アリアが短い悲鳴を上げる。スコールが突如、彼女を幌の中へと引きずり込んだのである。
「ちょっ、何してんの200歳! お盛んすぎるって!」
シーナが慌てて手綱を取り、慣れない手つきで門前の脇に停車させる。すると間もなく、十数騎から成る馬車隊が、門の中から現れた。
「――ッ! あれは……」
幌から顔を覗かせたアリアが目を見張らせ、慌てて身を隠す。
煌びやかな青揃いの僧衣を身にまとった騎兵たち。彼らが掲げる旗には、王冠と杖、そして剣が描かれていた。
――なるほど。『聖王騎士団』ね
左隣を通りすぎる一行を眺めながら、シーナは息を飲む。
そしてその中央を進む派手な馬車の窓から覗く、一人の男の横顔が、彼の眼に焼き付いた。
輝く金髪に、透き通るような白い肌、すぎるほどに整った目鼻立ち――絵に描いたような美丈夫である。
――あの男が……
「――どうした、ラインラント」
聖王騎士団・団長、ルディ・フォン・ラインラントに、野太い男の声が掛かる。
シーナからは見えなかったが、ラインラントの向かいの席にもう一人、男が同乗していた。
「いや、何でもないよ。ネイサン」
ラインラントが、甘く囁くような美声で答える。その相手はミュール王宮騎士会・筆頭騎士にして、アリアの父の仇とも言える、ネイサン・ハモンドであった。
アリアの記憶どおり、短い黒髪で図体が大きく、角ばった精悍な顔立ちである。
青い僧衣のラインラントに対し、ハモンドは騎士然とした銀の鎧を身に付けていた。
「妙なんだけど、たださっき、ほんの少しだけ……柱の気配がしてね」
「監獄島の近くだからな」
当然だ、と言わんばかりに、ハモンドは腕組みして目を閉じた。
ラインラントは、思案気な表情で窓の外に目をやる。その右顎から頬にかけて、一本の切り傷が付いていた。さほど深くはなく、ほとんど治りかけである。
薄目を開けて傷を見るハモンドの視線に、ラインラントが気付いた。
「何?」
先ほどと打って変わって、ラインラントの声には体温が感じられない。
「……いいや、何も」
ハモンドは気まずそうに、視線をそらして目を閉じた。
二人を乗せた馬車隊は、オダリアへと続く道を進んでいく。
聖王騎士団をなんとかやり過ごしたアリアたちは、クリーグの街へと入り、今はモウブレーに紹介された宿屋へと到着していた。
「ここは団長の知り合いの宿屋らしいから、安心していいってさ」
「……」
荷を下ろしながらシーナが話しかけるが、アリアは答えない。
「さっきの連中のこと、考えてるのか?」
「……え? ああ、うん」
「あれがうわさの聖王騎士団か。ラインラントらしき男が乗ってるのを見たよ。姐さんの言うとおり、えらい男前だったな」
「……あの人たち、カルド山に向かってたんじゃないかな。オダリアにも立ち寄るかしら」
心配げなアリアの言葉に、シーナは思わず吹き出した。
「何だ、お嬢。やけに深刻そうな顔してると思ったら、団長たちの心配してたのか」
「だ、だって……」
「大丈夫だよ。傭兵団が騎士団と一戦交える理由なんてないだろう。それに何かあっても、ウチの傭兵団なら大丈夫さ。NO・12の言うことを信じなさい」
自信たっぷりなシーナに励まされ、アリアの表情もようやく明るくなる。
「そうね、ごめんなさい。とにかく、できることをやらなくっちゃね――先ずは、情報集めかしら」
「だな。ただ、ジイ様は目立つから、宿で待機ね」
幌馬車の中のスコールが、寂し気な声を漏らした。
情報収集のため、アリアと二手に別れたシーナは、市場をぶらついていた。
監獄島は、クリーグの街の南の、ルブア湖という湖に浮かぶ島で、巨大な橋によって町と結ばれている。
街自体は小さいが、半日ほど南下した位置に王都がある関係から、流通も盛んで市場もそこそこ栄えている。
ただやはり、街のどこからでも視界に入る監獄島の塔が、陰鬱な影を落としていた。
シーナは、人の好さそうな老爺から果物を買うついでに、最近何か変わったことがないか尋ねてみた。
「何でも、政変に関係のあった闇ギルドのリーダーが、つい数日前に王都で殺されたんだと」
「へえ、ギルドの……」
――確か一年前の政変のとき、お嬢の父上はギルドと共謀して隣国のスパイを引き入れたと、嫌疑をかけられたんだったな……
果物をかじるシーナの脳裏に、アリアの話が蘇った。
「その腰の剣……兄さん、旅の剣士さんかい?」
「ああ。王都の知り合いに聞かせるような、何か面白い話はないかと思ってね」
「そうか……だったら、早めにこの街を離れたほうがいい」
シーナが理由を尋ねると、老爺は顔を寄せて小声で話し出した。
「監獄島が変わっちまったんだよ。一年前に、看守長が交替してからな。ウチの甥もあそこの看守だったんだが、暇を出されちまって、今じゃ得体の知れない連中があそこを仕切ってる」
「一年前?」
「ああ、それからだよ。あそこは元々、重罪犯が集まる監獄だったのに、今じゃチンケなスリでも引っ立てられて、二度とツラを拝むことはなくなっちまった。だからよ兄さん、余計な騒ぎに巻き込まれる前に、ここを去ったほうが身のためだ」
「はは、気を付けるよ。ありがと」
――どちらかと言えば、騒ぎを起こす性質なんだけど
シーナは内心でそう呟きながら苦笑した。
するとどこかから、言い合う声が聞こえてきた。
「ったく、言ってる傍からどこのどいつだ――っておい、兄さん! 近付いちゃダメだって! つまんねえことでも捕まったら、出てこられないんだぞ!」
「だったら尚更、止めてやらなきゃ」
シーナは老爺の制止を背に受けながら、騒ぎの元へと近づいていく。
どうやら装飾品の屋台の前で、店主の男と緑色のフードを被った少年が、買い取り価格について揉めている様子であった。
「100ガレンだと!? お前の目は飾りか? このシアン細工を見ろ、大陸なんかじゃ滅多にお目にかかれない逸品だぞ!」
少年がネックレスを手に、澄んだ怒り声を響かせる。
「滅多にどころか初めて見たわそんな細工! お前のお手製か? 文句があるなら他所を当たれ、クソガキ!」
「なっ……ガ、ガキ、だと……」
怒りに震える少年が、小さな拳を振りあげる。
すると、その拳を掴む手があった。シーナである。
「な、何だお前は!」
「まあまあ、落ち着いて、ね? それにオッサンも、何も子供相手にそんなムキに――」
と店主を宥めるシーナの脇腹を、軽い衝撃が襲った。
少年を見ると、右拳を抑えて震えている。殴った手を痛めたらしい。
彼は白のブラウスに、深緑のフード付きのローブ、黒のズボンにブーツという装いであった。背丈はシーナの肩にもおよばない。
「だ、誰が子供だ! 僕はなぁ、お前なんかよりも、よっぽど年上なんだぞ!」
少年は涙声で叫ぶと、勢いよくフードを取り、その顔を露わにした。
――金髪の美形を、よく見かける日だな
シーナは思わず、目を見開いた。
黄金色の長髪に、細雪のような白く透き通る肌、やや吊り上がった碧く大きな瞳、まっすぐ通った高い鼻筋……男にも女にも見える中性的な顔立ちだが、そのどちらにせよ芸術的なほどに整った造形だと、心の底から感嘆した。
しかし真に注目すべきは、その顔立ち以外にあった。
「お、お前……その耳は、その長耳は……」
怯える店主の言葉どおり、その耳は、異様なほどに長く尖っていたのだ。
「ふん。『エルフ』がそんなに珍しいか、人間」
吐き捨てるような、その言葉を聞いた店主は顔面蒼白になると、
「エ、エ、エエエルフだぁ! エルフだぞぉ!」
半狂乱で叫び、辺りを囲んでいた野次馬たちとともに、蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていった。
自称・エルフもフンと鼻を鳴らし、売り損ねたネックレスを掴むと、どこかへ立ち去ろうとする。
「お、おい、アンタ……」
とシーナがその小さな背に呼びかけたとき、野次馬を掻き分けてアリアが現れた。
「シーナ! いったい、何の騒ぎ――」
そう言いかけたアリアが、エルフの顔を見て言葉を飲んだ。
「……マックス、先生?」
「……アリア、お嬢様?」




