獣人令嬢は人族と出会う・その2
レオーネの屋敷でのお茶会を過ごしたウルスラは、皇家の紋章が入った馬車に揺られながら、向かいに座るライアナにお礼を述べた。
「送って貰ってすまない」
「私もですよぅ」
ウルスラの隣に座るのは聖女キャトル……二人はお茶会がお開きになったあと、ライアナの厚意でそれぞれの向かう場所へと送って貰う事になったのである。
そんな二人からの感謝の言葉にライアナは手を振りながらやんわりとその言葉を否定した。
「別にお礼を言われる程ではありませんよ。キャトルが所属している教会は城に向かう道中にありますし、ウルスラはこの後、城に向かう予定だったのでしょう?私も城に戻るつもりでしたし、どうせなら二人とお話しながらの方が楽しいですから♪︎」
つらつらとそう話すライアナに二人は顔を見合せ笑みを浮かべた。
キャトルは勿論だが、ウルスラも騎士として活動していた頃はなかなかライアナと顔を合わせる事が少なかった。
妃教育が始まってからは更にその機会が少なくなり、その頃のライアナは本当に寂しそうであったと、レオーネからそう聞かされていた。
ライアスとの婚約を破棄するとなった今、ウルスラには僅かな余暇が与えられている……ならば久しぶりに親友との話に花を咲かせるのも良い事かもしれない。
「そういえばぁ……ウルスラ様はぁ、殿下との婚約を破棄すると仰ってましたがぁ、陛下はそれをお許しになられたのですかぁ?」
キャトルがのんびりとした口調でそう問いかけると、ウルスラは大きく頷いて返答をした。
「その辺については今、父様と母様が話をしている頃だろう。まぁ、二人とも今回の殿下に対しては相当頭に来ていたようなので、何がなんでも婚約破棄を受け入れて貰うつもりのようだ」
ウルスラは非常に優秀な人物である。
身分からしてみればレオーネの方が上なのだが、そのレオーネを含め城の者達はウルスラこそが将来の皇妃に相応しいと認識している。
それは国皇も例外ではなく、彼は何としてでもウルスラを皇太子妃に迎え入れたかった。
特に現皇妃がウルスラを大層気に入っているので、どうしても手放したくないのだろう。父親からそのせいで婚約破棄の手続きが難航していると聞かされていた。
「まぁ、私としても非常に残念な事ではありますね……ウルスラを〝お義姉様〟と呼べる日が来たと思っていましたのに」
「婚約破棄したとしても、ライアナ様のことは妹のように思っておりますよ」
普段は体裁的な理由により、過度なスキンシップこそしてはいないが、ウルスラにとってライアナは可愛い妹のような存在であった。
これは男兄弟しかおらず、しかも末っ子でもあるウルスラの〝妹が欲しい〟という願望故のものであった。
対するライアナも立場上そう接することはしないが、ウルスラの事を姉のように思っている。
そんな姉のような存在であるウルスラにそう言われたライアナは途端に嬉しそうな表情を浮かべた。
「はぁ……ラインハルトに婚約者がいなければ、ウルスラを貰って欲しかったところですが……」
この国の第二皇子にしてライアナの弟であるラインハルト─────彼は王位継承権第二位の位置付けではあるが、密かに城の者達から次の王位を継いでもらいたいと思われている人物である。
当然、そのラインハルトにも現在は婚約者がおり、その婚約者である侯爵令嬢〝アメリア・ジャン・ペルシア〟はウルスラに負けず劣らずの美貌と頭脳の持ち主であった。
一つだけウルスラと違う点を上げれば、ウルスラは剣術が優れており、アメリアは魔法に優れているという事だろう。
どちらも皇族の婚約者としては申し分無い二人であった。
しかも互いに仲の良い二人である。
「そうそう、ちなみにアメリア嬢なのですが、最近ではラインハルトによく愚痴を零しているそうですよ」
「愚痴……ですか?」
アメリアは大人しく誰かに不満を漏らすような性格では無い。それをよく知っているだけにライアナのその話はウルスラにとって眉唾ものであった。
「珍しいな……彼女が愚痴を零すなど」
「当たり前でしょう……なにせ愚痴の理由は例の男爵令嬢なのですから」
「「あ〜……」」
何となくアメリアが愚痴を零してしまう理由が分かったウルスラとキャトルは揃って妙に納得したような声を上げた。
それを前にライアナはブツブツとその時の話をする。
「なんでもあの男爵令嬢は当然のように愚兄との婚約を認められると勘違いしているのか、まだ男爵令嬢という身分なのにも関わらずアメリア嬢に偉そうな振る舞いをしたそうなのです」
「何を考えているんだあのご令嬢は……自分よりも上の身分の者に無礼な振る舞いをするのは貴族社会ではご法度だというのを分からないのか?」
「私はぁ貴族ではありませんけどぉ、それでもぉそれが駄目な事くらいは分かりますよぅ」
ラビリアに関する話にウルスラは頭を抱え、キャトルはそんな事が起きるものなのかと信じられない様子でそう話した。
それはライアナも同じようで、更にこう続けた。
「本来ならばその場で不敬罪に問われても仕方の無い事……しかしあの愚兄はそれを窘めるどころか、擁護し始めたのです。愚兄に〝お前の未来の姉になるのだから敬うのは当然だろう〟と言われたアメリアが可哀想だったわ」
「あ、頭が痛くなってくるな……それにしても殿下はそこまで愚かであったか?」
「少なくともウルスラが婚約者の時はもう少しマシでしたよ。あぁなったのは、あの男爵令嬢と出会ってからだと思われます」
「〝恋は盲目〟というやつですかねぇ」
「それにしても盲目過ぎると言いますか……ともかくお父様もさっさとラパン男爵を罰せれば良いものを」
「確かに……未だあの男爵家に何もしていないのは不思議だな」
男爵家の令嬢が妃になるというのは貴族の間では例を見ない事である。それにラパン男爵家は昔ながらの貴族ではなく、つい最近貴族入りを果たした新興貴族であった。
確かにラビリアが妃と認められれば、その他の新興貴族達にも機会があると希望が生まれるのだが、残念ながらこの国の貴族は歴史と伝統を重んじている為、例えラビリアが迎え入れられたとしても非難の的にしかならないのは目に見えていた。
「何故、陛下は男爵家に関して対処をしないんだ?」
「ラパン男爵家にとっては巡ってきた大きなチャンスですから……あの手この手で何としても娘を妃にしたいようなのです」
「つまり?」
「現在、ラパン男爵の後ろ盾である〝カマロッソ伯爵家〟と〝ノックス子爵家〟がその他貴族に賄賂を送ってあの男爵令嬢を妃に迎え入れるよう求めているそうなのです」
「馬鹿なのか?」
ライアナの話にウルスラは思わずそう口にした。
カマロッソ伯爵家はラビリアの父親の実家、そしてノックス子爵家は母親の実家である。
もしラビリアが皇太子妃となれば当然、後ろ盾となっているその二つの家にも旨味があり、もしかしたら〝陞爵(※爵位の昇格)〟の可能性が大いにある。
古参の貴族家では特に興味があるものでは無いが、新興貴族家にとって〝陞爵〟は喉から手が出る程欲しいもの─────故にラビリアがライアスに見初められた事はラパン男爵家、カマロッソ伯爵家、そしてノックス子爵家にとっては意図せず転がり込んできた大きな機会であった。
これをみすみす逃すような三家ではなく、彼らから賄賂を握られた親交深い貴族家さえもラビリアを後押しし始めたのである。
ラパン男爵家だけであったらならば、さっさと対処していたのだが、流石にいくつもの貴族を相手するとなるとそうはいかない。
〝愚かにも皇子を拐かした〟という理由は使うことが出来なくなった。そんな理由でラパン男爵家を切り捨ててしまえば、その家と親交がある貴族達に何を言われるか分かったものでは無い。
ラパン男爵家を切り捨てたとしても責められることの無い正当な理由が、レオニダス皇家には必要なものであった。
「普段は紅茶を愛飲し、珈琲はたまにしか口にしないお父様が、今は浴びるように珈琲を飲んでいるとレグルス宰相が話していたそうです」
「それは……陛下の苦労が伺えるな」
「あ、あのぅ……陛下に今度、私の歌を聞きに来てくださいと伝えて下さい……せめて私の歌で少しでも心が癒されて貰えればと思いますよぅ」
キャトルは獣皇国の聖女故に優秀な回復魔法や治癒魔法の使い手ではあるが、歌唱力も相当なものであった。
毎週金曜日のミサでの彼女の歌を聞きに皇都どころか遠方の街からわざわざ聞きに来る者がいる程である。
歌うキャトルの前で来訪者達が全員涙する様子は圧巻で、もはや集団デトックスと言ってもいい光景である。
そんな彼女からの伝言を頼まれたライアナは、その時は自分も参上しようと心に決めた。
「ともかく、現時点であの男爵令嬢を追い出す事は出来ないですし、ラインハルトを皇太子にする事も難しいですし、せめて……せめてこれ以上あの男爵令嬢がやらかさないよう祈るしかありません」
「そうか……殿下との婚約を破棄したら本格的に騎士に戻ろうかと思っていたが、少し考えた方が良さそうだな」
「騎士団長様が残念がるでしょうね……」
「そう言われても、あの男爵令嬢にあれこれ指図されるのは嫌だからな」
「それならばぁ教会の聖騎士なんてどうでしょう?いつでも私とお会い出来ますしぃ」
「駄目ですよキャトル……もしこのまま男爵令嬢が正式に愚兄の妃になったら、ことある事に教会に現れますよ」
「あ〜……そうでしたねぇ……」
婚約式や結婚式はもちろん、立太子の儀による洗礼や国皇に即位した際の獣神王の加護の継承の儀など、皇家が教会に訪れる行事が沢山ある。
確かに普段は会うことが無いだろうが、ことある行事の度にウルスラはラビリアと顔を合わせる事になる。
それを予測したライアナの言葉にキャトルは苦い顔をしながら答えていた。
「とはいえ、ウルスラ様の騎士としての腕前は凄いですよぅ。このまま騎士にならなかった場合、少し勿体なく思いますよぅ」
「確かにそうですね……本音を言えば私の専属騎士になって頂きたいものですが、流石に私の我儘でウルスラに嫌な思いをさせられません。さて、どうしたものか……」
騎士としてのウルスラの腕前を高く評価しているライアナとキャトルはどうしたものかと頭を悩ませる。
するとウルスラがその件に関して自身の意見を述べ始めた。
「私は皇都の駐在騎士の職に就こうかと考えている」
「「駐在騎士?」」
〝駐在騎士〟とは城や貴族の屋敷ではなく、皇都や街に配属される騎士の事である。
軍の駐屯兵よりは所属人数が少なく、主な役目は皇都や街の巡回と警備であり、皇都の駐在騎士はパレードや祝典などの国の行事での警備も担っている。
「普段から駐在所で勤務し、城に向かうことはほぼ無い。行事中も都内の警備に回るからな……男爵令嬢と顔を合わせるのは皆無と言っていいだろう」
「侯爵家の令嬢が駐在騎士だなんて……課業中、貴方と行動を共にする騎士は気が気では無いでしょうね」
「でもでもぉ、もし駐在騎士になったのならぁ、いつでも私と会えますねぇ♪︎」
ライアナとしてはウルスラが駐在騎士というのは勿体なく思っているが、キャトルとしては会う機会が増えると知り嬉しそうであった。
それにウルスラ本人も何も突拍子にそう言っている訳では無い。
「国を護るのであれば、そこに住む民の事を知らなければならない。出来るならば辺境の街の駐在騎士が望ましいが、そうなると父様が心配なさるだろうからな」
「そうね……侯爵様は泣いて引き留めるでしょうね」
自身の記憶の中にあるウルスラの父親の泣き顔は想像出来なかったが、それでも娘を溺愛しているあの父親がウルスラが辺境の駐在騎士になる事を許しはしないだろう。
そうなると皇都の駐在騎士という道が一番無難な選択なのかもしれない。
「まぁそれに関しては婚約破棄の手続きが済んだ後に父様に話をしてみるとするよ。ところで、そろそろ教会に着く頃─────」
ウルスラがそう言いかけた時だった。
突然、御者の悲鳴が聞こえたかと思えば馬車が大きく揺れた。
その勢いにキャトルの身体が崩れ、向かい側に座っていたライアナがウルスラ達へと飛んでくる。
ウルスラは直ぐに倒れ込んでくるキャトルと飛び込んでくるライアナの身体を受け止め、彼女達を護るように抱き寄せた。
馬車は大きく揺れたものの横転することはなく、しかしその動きを止めたまま走り出す様子が無い。
ウルスラが恐る恐る目を開けて見てみると操縦席には誰もおらず、ただただ外からは悲鳴や騒がしい声が聞こえていた。
「ありがとうございます、ウルスラ……」
「ありがとうございましたぁ」
「いえ……ところで何かあったようだ」
ウルスラは向かいへと座り直したライアナにそう話すと、様子を見に一人で馬車から降りた。
しかし降りた彼女の視線の先には民衆が群がっており、その先の様子を見ることが出来ない。
(やれやれ、困ったな……)
何が起きたのか分からないが、ウルスラは何となく事故を起こしてしまったのだという気がした。
皇家の馬車が事故を起こした……となれば相手への謝罪やら賠償やらの問題が起こるのは確実で、ただでさえ自身の婚約破棄騒動で迷惑をかけてしまっている国皇に更なる迷惑をかけてしまう事になる。
とりあえず状況を把握しなければならないのだが、どうにも野次馬が邪魔でその中心に向かうことが出来ない。
するとその民衆をかき分けて馬車を操縦していた御者の男が姿を現した。
その顔はまさに〝顔面蒼白〟といった様子であった。
「どうしたのです?」
「も、申し訳御座いませんライアナ皇女殿下!わ、私……平民の者を撥ねてしまいました!!」
「なんですって?!」
御者の報告にライアナは驚いていたが、ウルスラは〝やはりか〟と自分の推測が間違って無かった事を知ってやけに落ち着いていた。
「い、急いで治して差し上げないとぉ……」
撥ねられてしまった平民には申し訳ないが、撥ねたのが自分達の乗る馬車で良かったと、ウルスラはそう思った。
何故ならこの馬車には聖女であるキャトルが乗り合わせていたのだから。
ウルスラと、彼女のエスコートで馬車を降りたライアナとキャトルの三人は急いで御者と共に撥ねられた平民の許へと向かう。
御者の男を先頭に民衆をかき分け進んで行った先では、取り囲む民衆の中央で数人の男女の前で倒れている男の姿があった。
当たり所が悪かったのか、男はピクリとも動く気配が無い。
その姿にライアナは青ざめキャトルは両手で口を覆って絶句していたが、ウルスラだけはその男を見て驚愕の表情を浮かべていた。
馬車に撥ねられ横たわる男─────その男は他でもない、舞踏会の夜に突如としてウルスラの前に現れ、そしてお茶会で話題に上がっていたあの少年……〝カムラ〟その人だった。