プロローグ
かつてこの世界は〝ヒトノクニ〟、〝リュウノクニ〟、〝ケモノノクニ〟、〝トリノクニ〟、〝ヨウセイノクニ〟そして〝マノクニ〟の六つの国で分かれていた。
彼らは互いに互いの国を牽制し合い、そして何かと戦争を繰り広げていた。
しかしそれを見ていた天上の神々は未だ収まらぬ紛争にこの世界の未来を憂い、それぞれにその国の王となり治める事で争いを無くそうと試みた。
まず〝ヨウセイノクニ〟に降り立った神は自らを〝妖精王〟と名乗り、そこに住まう妖精や精霊達に争いを止めるよう説得した。
すると彼らは最初こそは不満を口にしていたが、次第に妖精王の言葉に従い他国との交流をするようになった。
次に〝トリノクニ〟に舞い降りた神は〝翼神王〟と名乗り、鳥族達をその威厳を持って説き伏せた。
当時、鳥族達を纏めていた者は翼神王に挑むが、その強大な力を前に為す術もなく倒されてしまう。それにより鳥族達は完全に翼神王に従うことになった。
その後、〝リュウノクニ〟に舞い降りた神は〝龍神王〟と、〝マノクニ〟に舞い降りた神は〝魔神王〟と、〝ヒトノクニ〟に舞い降りた神は〝神王〟と、そして〝ケモノノクニ〟に舞い降りた神は〝獣神王〟と名乗り、それぞれに国を治める事となるのだった。
それにより世界は平和にして平穏な時代を迎え、他国との交流をしながら太平の世を謳歌する事になる。
だが、時の流れとは残酷なもので、時代が初代の王達の子々孫々へと受け継がれてゆくにつれて、自らに生まれ持った血、力、権力、地位によって他の国を支配せんという邪な思想を抱く者が現れた。
先ず動いたのは〝マノクニ〟の王であった。
彼は六つの国の中で最も力の弱き〝ヒトノクニ〟を支配しようと目論み、大軍を持ってその国への侵攻を始めた。
当初は迎え撃って出た人族達であったが、自身達よりも魔法や魔剣などに優れていた魔族にあえなく敗北することになる。
これにより地図上から〝ヒトノクニ〟が消えた。
次に狙われたのは〝ヨウセイノクニ〟……これを支配すれば他の国の支配など容易だと考えた当代の魔神王による判断であった。
しかし魔族は〝ヨウセイノクニ〟特有の聖なる空気にその力が半減されてしまうという予想外の事態に見舞われる。
だが魔神王は直ぐに自らの強大な魔力で〝ヨウセイノクニ〟全域を魔素で覆った。
これによりヨウセイノクニの聖域は徐々に魔素に侵食されていき、力を失い続けた妖精族達は魔族に敗北を喫する事となった。
ヨウセイノクニを支配したことで魔族達は勢いをつけ、残された〝リュウノクニ〟、〝トリノクニ〟、〝ケモノノクニ〟の王達は会合を開いてマノクニを迎え撃つ為の連合軍を結成する。
斯くしてここに、この先100年にも渡る大戦が幕を開けるのだった。
人族と妖精族などの戦奴隷を有する魔族軍に対し、連合軍は苦戦を強いられていた。
戦奴隷部隊には女子供までおり、連合軍の者達はかなりやりにくい状況……魔神王率いる魔族軍は容赦なく人族や妖精族達を駒として使い捨て、若しくは肉壁として用いることで自らは無傷で連合軍の兵士を屠っていった。
戦況は次第に傾き始め、連合軍にとっては辛酸を嘗める状況となっていた。
「戦況は非常に不味い状況だ……」
「こちらの戦力は日々削られていっておる……対して魔族軍は未だ健在か」
「あの奴隷部隊だけでもどうにかせねばなるまいて……さもなくばジリ貧だ」
「分かっておるわ!龍神王よ、其方らの兵士はもう少し上手く動けんのかえ?!」
「そう言う翼神王の兵士達も、翼があるくせに制空権も奪えぬとは……いったいその翼は何のために生えているのか」
「何じゃと?!お主……妾とやる気かえ?」
「ほう?鳥風情が龍たる我に挑むか!」
窮地に立たされているという現実を前に口論を繰り広げる龍神王と翼神王。彼らは互いに睨み合い、いつ喧嘩へと発展するか分からない。
その状況に周囲の兵士達がハラハラする中、それまで静かだった獣神王が勢いよく机を叩いた。
「いい加減にしないか二人とも!!」
「「─────!?」」
大きなテーブルが揺れるほどの衝撃にそれまで睨み合っていた龍神王と翼神王は揃って獣神王へと目を向ける。
〝麗人〟とも言える美しい容姿の獣神王は二人を睨めつけ、地の底から響くような低い声音で叱責した。
「今、仲間割れをしている場合か?我々の敵はただ一つ、魔神王だ。そうだろう?」
「し、しかし……鳥共が制空権を奪っていたら今頃はこんな苦戦を強いられる事は……」
「龍共がさっさと地上を制圧していれば良かっただけの話じゃろう!」
「なんだと?」
「〝いい加減にしろ〟と私は言ったはずだ。くだらぬ口論はこの戦いが終わってからにしろ。それが出来ぬのなら二人とも……今すぐここから出ていけ」
「ぬぐぅ……」
「うむぅ……」
反論しようとした二人……しかし獣神王の鋭い視線を前に、二人は揃って呻き声を上げるだけに終わった。
「やはり何かしら策を講じなければならんな」
「そうは言っても、良策なぞありはせんだろう……」
「妾も同意じゃ。我が軍はもはや魔族軍の半数程の数にまで減らされてしもうておるしな……」
「ふむ……しかし逆に付け入る隙はあるのでは?」
「隙じゃと?」
獣神王の言葉に翼神王が訝しげな表情を浮かべる。
「獣神王よ、何やら策を思い浮かんだのか?」
「成功するかは分かりませんが……」
獣神王は自信なさげにそう言うと、二人にそっとある作戦を耳打ちした。
それを聞いた二人はギョッとした表情となるが、それ以外に策は無いと判断し、獣神王が提示した作戦を遂行する事に決めたのだった。
そうして翌朝─────
迫り来る奴隷部隊……しかし対する連合軍の兵士達は至って冷静で、しかし奴隷部隊の背後を付いて移動する魔族軍の姿を捉えるなり踵を返して走り去る。
それを見ていた魔族達は腹を抱えながらその姿を嗤った。
「はははは!見ろよ連合軍の奴ら……俺達を見るなりしっぽ巻いて逃げ出しやがったぜ?」
「見たところ数人程度だったし、ただの偵察なんだろ?まぁ、みすみす逃がしはしねぇけどな。行け、奴隷共!!」
隊長らしき魔族がそう命じるが、奴隷達はその場から一歩も動こうとはしない。
「おい、何してやがる?!さっさと動け!殺されてぇのか?!」
何事かと馬を降りて呆然と立っている人族に怒鳴り散らす魔族……しかし人族達は全員、虚ろな視線を何処かへと向けている。
「おい!!」
痺れを切らした魔族が人族の肩を叩くと、その人族がばったりと倒れたかと思えば、その場でビクビクと痙攣をし始めていた。
彼だけでは無い……気づけば魔族軍が連れていた人族達は全て同じように地面に倒れ痙攣を起こしている。
しかし妖精族達は何も無いのか、倒れている人族達を見てキョトンとしたり怯えたりしていた。
「どうなってやがんだ?!」
「隊長、あれを!!」
何が起きているのかさっぱり分からない魔族の隊長に、彼の部下がある方向へ指を差しながら声を上げた。
それに連られて目を向けてみれば、そこには何やら袋を持った、口元を布で覆った獣人の一種、〝人馬族〟の者達がしきりに口が開いた袋を振り回している。
よく見ればその袋の口からは何やら粉のようなものが出ている。
その粉は風に乗り、魔族軍の方へと流れていた。
「しまった!!」
その粉が何であるかを直ぐに理解した魔族の隊長が焦燥を浮かべる。
「テメェら!今すぐ人族共をどっかにどかせ!!奴ら……麻痺薬の粉をぶちまけてやがる!!」
隊長の命令により人族達は茂みの中へと移された。
そして隊長は今度は妖精族達に命令を出す。
「妖精族共!あの人馬族共を殺してこい!!」
妖精族達はたじろいだが、命令に背けばどんな目に遭うかをよく知っていた為、やむなく人馬族達へと向かっていった。
だが、その直後に何処からか網が放たれ、動き出していた妖精族達を意図も簡単に捕まえる。
それを見て慌てた魔族達が網を外そうとするが、それに触れた瞬間、自身の身体から力が抜ける感覚に襲われる。
「隊長ぉ!この網、魔力を奪う術がかけられてやがります!!」
「なんだと?!」
その報告に魔族の隊長は苦虫を噛み潰したような表情となる。
魔力に長けた種族である魔族にとって、魔力を奪う魔導具は相性が悪い……魔族の隊長は〝クソったれ!〟と悪態をつくと、自身の兵士達に号令を発した。
「こうなっては奴隷共は使い物にならん!たかが人馬族如き、俺達で始末するぞ!!」
隊長の号令に魔族達は一斉に人馬族達へと向かっていった。
それを見た人馬族達は直ぐに向きを変えて走り出す。
「逃がすな!!」
魔族達は骸骨馬で人馬族達を追いかけるが、馬の身体も自身の身体の一部である人馬族達に到底追いつけない。
それでも殺してやろうと追いかける魔族達だったが、彼らは自身が走っている道が、その道幅が徐々に狭まっていることに気がついていない。
そうして暫く人馬族達を追いかけていた魔族達であったが、ここでようやく魔族の隊長が違和感を感じ始める。
(おかしいぞ……人馬族共は本気を出せば軽く突き放せる程の脚力を持っている……しかし今、目の前を逃げ去ってゆく奴らはいつになっても離れてゆく気配がない)
まるで付かず離れずを維持しているかのような……そんな人馬族達の姿に魔族の隊長はそれが罠であることに、この時になって気が付いた。
「止まれ!これは罠だ!!」
そうして魔族の隊長は急停止したものの、他の者達は止まれずに走り抜けたり、他の者と衝突していたり……そして魔族の隊長も後ろを走っていた魔族と衝突し落馬してしまった。
その時だった─────突然、大きな音が鳴り響いたかと思えば、彼らの目の前で落石が起こる。
それは魔族達の行く手を阻むように落下し、止まれずにいた魔族達はそれに押し潰され即死してしまった。
「やはり罠だったか……おい、急いで戻るぞ!」
「隊長、駄目です!後ろも……」
部下の言葉に振り返ってみれば、確かに自分達の背後も同じように落石によって塞がれていた。
(しまった─────)
そう思うも、もはや後の祭り……文字通り八方塞がりとなった魔族達は直ぐに岩を破壊せんと動く。
しかしそうはさせまいと、一匹の〝竜〟がその岩へと降り立った。
岩に降り立った赤い竜は魔族達を睨みつけると、さも愉快そうな笑みへと変わりこんな独り言を放っていた。
「龍神王陛下より聞かされた時は上手くいくかと思っていたが、いやはや愚問であったな。左右は断崖絶壁、前後は岩……くくく、これならば周囲を焼く心配などせずに思う存分貴様らを焼けるという事か。これは獣神王陛下に礼を尽くさねばな」
「テメェ……いったい何の話をしてやがる?!」
魔族の隊長にそう問われ、赤い竜は退屈そうにこう答えた。
「いやなに……今まで溜まっていた貴様らへの怒りを、これで存分に晴らせるなというだけのことだ」
その言葉を最後に魔族の隊長が見た光景は、自身に迫り来る超高火力の炎であった。
その顛末を皮切りに、戦況は瞬く間に一変した。
奴隷達は無力化され、魔族達は三種族達により徐々に後退を余儀なくされる。
そうして数十年の時が経ち、遂に100年にも渡るこの戦争が終わりを迎えるときが来た。
「ようやく……だな」
「あぁ、本当に長い戦いであった」
「奴さえ倒せば、ようやく太平の世を迎えられるんやねぇ」
龍神王、獣神王、そして翼神王の三人は、眼下に映る魔神王の居城を見据えそう話していた。
その中で獣神王がふとこんな事を言い出す。
「二人とも……私はこの戦争が終わったら、王の座を退こうと思っている」
「「なんだと?!」」
獣神王の言葉に龍神王と翼神王は揃って目を見開いた。
「何を馬鹿な事を!この戦争が終わってからが我々の力を見せる時であろう!」
「そうじゃ!それにお主がいなければケモノノクニはどうなる?!」
「この戦争が終わるからこそだよ龍神王。それと後継に関しては既に見つけてある。だから安心して欲しい、翼神王よ」
「お主よりも優れた王などおるものか!」
「獣神王よ……つまらぬ冗談を言っている時では無いのだぞ!」
「冗談なんかじゃないさ。実際、後継についても私よりも優れていると思っているよ」
獣神王はそう話すが、二人は未だ納得がいかず更に抗議をしようと口を開く。
しかしそれを獣神王は手で制し、二人に向けてこう話した。
「ねぇ二人とも。君達は私の事を高く買っているようだけれど、私はただ戦術が得意なだけの獣人だよ。平和になった世界には必要の無いものだ。これから世界に必要なのは戦争をする術ではない。国や民達の平和を守るための術だ。それに……」
獣神王はそこで言葉を区切ると天を見上げ瞑目する。
そして静かに目を開けると、真っ直ぐに二人を見据えてこう言った。
「それに私はね。これからは王ではなく、一人の〝女性〟として過ごしていきたい」
「王としてではなく、民として過ごすことを欲するか」
「おかしいかな?」
「王族らしからぬ望みではあるのぅ」
二人の呆れた表情に獣神王は苦笑いを浮かべていた。
「それじゃあ、行こうか」
そうして連合軍はマノクニへと侵攻し、ここにマノクニは滅びを迎えることとなった。
終戦後、魔神王が捕縛され一族と共に処刑された事により魔神王の血筋は途絶える事に。生き残った魔族達も法で裁かれたのだが、その何人かは国を出て逃げ去っていった。
その後マノクニは三国によって分割されそれぞれの支配下に置かれる。
ヨウセイノクニは妖精王が囚われていただけであったので再建する事が出来たが、残念ながらヒトノクニは神王とその一族が殺されていた事により再建は不可能であった。
それにより人族は散り散りになって他国に移り住むことになり、ヒトノクニの領土は翼神王が面倒を見ることとなった。
そして獣神王は王の座を後継へと譲った後、そのまま行方を眩ませたという。
その彼女の行方を知る者はおらず、親友でもあった龍神王と翼神王でさえも遂に見つけ出すことは出来なかった。
これが今から語られる物語の数年も前の話─────
そして時は現在……ファリス歴1596年、かつて〝暗黒時代〟または〝大戦時代〟と呼ばれた時代から今年で100年になろうかという年を世界は迎えていた。
創世記に存在した六つの国は、今ではそれぞれの種族が治める大小様々な国へと分かれており、魔族に滅ぼされた人族や妖精族の国も今では再建していた。
その国々の一つ……かつて〝ケモノノクニ〟と呼ばれていた国はその名を新たに〝獣皇国レオニダス〟へと変え、密林、砂漠、荒野といった三つの土地を持つ国へと発展していた。
そのレオニダスの皇都アスラの皇城にて舞踏会が開かれていたのだが、その楽しげな雰囲気は一人の若者の一言で突如終わりを迎えた。
「〝ウルスラ・ヒルデガルド・ヴォルフガング侯爵令嬢〟!たった今、余は貴様との婚約を破棄し、愛するラビリアと新たに婚約を結ぶことを宣言する!!」
その場において相応しくないその一言に周囲の貴族達は何事かと声を発した人物に注目する。
その言葉を言い放ったのは獣皇国レオニダスの第一皇子である〝ライアス・ムハマド・レオニダス〟であった。
獅子のたてがみを彷彿とさせる見事な金色の髪を持つライアスは、その傍らに兎の耳を生やした少女……ラパン男爵家令嬢の〝ラビリア・フェルアリ・ラパン〟を抱き寄せながら、目の前にいる少女、この国で最も力を持つ四大貴族の一つであるヴォルフガング侯爵家令嬢の〝ウルスラ・ヒルデガルド・ヴォルフガング〟を睨みつけていた。
ライアスとウルスラは親同士により決められ婚約を結んでいた二人であったが、どうやらライアスはラビリアを新たな婚約者として迎え入れようとしていた。
その婚約破棄を突き付けられたウルスラは大きくため息を零し、それにつられる様に彼女の種族特有の狼の耳と尻尾がくたりと垂れ下がった。
「殿下……それは本気で言っているのですか?」
ウルスラのこの質問はその場にいた貴族の大半が抱いた疑問であった。
そもそもライアスとウルスラの婚約はいわゆる政略結婚であり、元より互いに信頼関係を築いていたレオニダス皇家とヴォルフガング侯爵家の更なる関係を確固たるものにする為のものであった。
ウルスラはその事を重々理解しており、妃になる為の教育もどれだけ厳しくても根を上げずに頑張ってきたのだ。
しかしライアスの一言で両家の意図も、ウルスラの努力も、その全てが無駄になろうとしている。
それ故にウルスラはライアスにそう訊ねたわけだったのだが、ライアスはふんっと鼻を鳴らし、ウルスラの質問をさも愚問だと言わんばかりにこう返した。
「当たり前だろう!余の隣に立ち、余を支え、そしてこの国の妃に相応しいのは貴様ではなくこのラビリアだけだ!貴様らもそう思うだろう?」
「はい!流石は殿下!ご聡明であらせられる!」
「ラパン嬢が妃になった暁には、この国の安泰が約束されるでしょう!」
「ヴォルフガング嬢が妃になってしまったら、どれだけこの国が荒んでしまうものか……」
ライアスの言葉に賛同の声を上げたのは極わずかな……それもライアスと同じ年齢の貴族の子息達であった。
他の貴族達は皆一様に〝殿下は何を言っているんだ?〟という表情を浮かべている。
先程、賛同の声を上げていた子息達の親は驚愕と焦燥が入り交じった表情を浮かべ、周囲の反応を伺うようにキョロキョロと辺りを見渡している。
その様子を横目で見ていたウルスラは更にため息を零した。
「はぁ……殿下、ご自身の立場を理解して下さい。皇家と我が侯爵家の結婚がどれだけこの国において大切なのか分からないわけではないでしょう?」
「貴様は本当に煩いな!そういう態度が昔から気に食わなかったのだ!」
「殿下……ちなみに陛下達はこの事を知っているのですか?」
「父上達にはこの後話す予定だ。父上達もラビリアを一目見れば、彼女が貴様よりもどれだけ優れているのかきっと理解してくれるはずだ」
この言葉に遂にウルスラまでも唖然として何も言えなかった。
再度言うが二人の婚約は両家が決めたこと……つまりライアスの両親である国皇とその妃である皇妃がウルスラをライアスの婚約者として認めているという事である。
その二人が認めた相手を切り捨て、たかが男爵家の令嬢を妃に迎えようとすれば他の貴族達が黙っていない。
いや……国皇と皇妃が一番に黙ってはいないだろうと、ウルスラはこの時点から予測していた。
ライアスはこの国の第一皇子である。つまり必然的にライアスが現時点で次期国皇の最有力候補であり、王位継承権第一位の座にいるのである。
故にそれ相応の振る舞いをしなければならないのだが、残念なことにライアスはその座に胡座をかいているのか幼い頃から我儘で横柄な性格に育ってしまった。
国皇夫妻もライアスが長男という事もあって必要以上に甘やかしてしまったのも原因の一つであろう。
それでも国皇夫妻は大人になったら立派に成長してくれると信じて今の今まで彼を厳しく律しなかったのである。
その結果が〝今〟となっているのだが……。
ウルスラは我儘ながらも、そんなライアスを溺愛し接していた国皇夫妻の姿を思い浮かべ、そのライアスを正しく導けなかった自身の力不足を、脳内の国皇夫妻に詫びた。
「ウルスラ……今、余との婚約破棄を受け入れるのであれば、貴様がラビリアにしてきた悪行の数々については不問としてやろう」
気を落とすウルスラだったが、ライアスのこの言葉に〝は?〟と思わず顔を上げた。
(悪行?私が?ラパン嬢に?いつ?)
ライアスの言葉の意味を理解しようとする度に疑問符ばかりが浮かんでくる。
「この後に及んでとぼける気か?いいだろう……丁度ここにはこの国の全ての貴族達がいるからな。是非とも聞いて貰おうではないか……貴様が行ってきた悪行の数々をな!」
ライアスはそう言うと、その場にいる全員に聞こえるように大きな声でウルスラが行った悪行とやらを話し始めた。
やれ〝ラビリアに罵詈雑言を浴びせた〟だの、やれ〝勉強道具を壊し破り捨てた〟だの、やれ〝ラビリアを突き落とした〟だの……聞けば聞くほどウルスラには身に覚えの無い話であった。
あまりの事実無根な話にウルスラは思わずこの場に同席していた自身の両親に顔を向ける。
彼女の両親は〝そんな馬鹿な!?〟といった表情でウルスラを見ており、ウルスラもそれを否定するように無言で首を横へと振る。
だがそんなウルスラの様子を見ていたライアスは憤怒の表情となり、今度こそ彼女を激しく責め立てた。
「貴様!これでもまだ自分はやっていないと抜かすか!!」
指を突き付けられそう怒鳴られたウルスラはただただ無言で首を横へと振るしかない。
しかし周囲の視線が鋭いものとなっている事に気付いた彼女が周囲を見渡すと、両親以外の貴族達がヒソヒソと話しながらウルスラに冷ややかな視線を向けていた。
「違っ……わ、私は……私はそんな事してな─────」
一瞬にして周囲が敵となった事を理解したウルスラが涙を浮かべて弁明をしようとしたその時であった。
何処からか声が聞こえ、それは段々とウルスラ達に近づいてきているような気がした。
そしてその直後、会場の窓が割れ、そこから何者かが現れ丁度ウルスラとライアスの間の空いた空間に転がり落ちてきた。
『─────!?』
突然の事で目を見開いて固まってしまったのはウルスラやライアスだけでは無い……その場にいた全員が窓を突き破って現れたその人物に注目していた。
その注目を集めながら、その人物は頭を擦り立ち上がる。
「いってててて……なんで空を走ってる時に限ってぶつかるんだか……」
その人物は男であった。
何処と無くウルスラやライアスと同じ年齢に見えるその少年は、よく見れば彼女達と同じ獣人族の人間では無かった。
牙も爪も、獣の耳も尻尾も無い……その少年はかつて魔族によって滅ぼされ、創世記の頃よりもその数が激減し、今のこの世界となっては非常に稀少となっている〝人族〟であった。
その人族の少年は立ち上がった後、周囲を見渡し自身が今いる場所を把握しようと頭を働かせる。
そして自分が今いる場所は貴族達が集まる場所だと……そして今はパーティーが行われている最中だと気付いた少年はその場にいた全員に頭を下げ謝罪の言葉を述べた。
「あ……お楽しみのところ騒がしてしまって申し訳無い。直ぐに出ていくんで」
そう言って何事も無かったかのようにその場から立ち去ろうとする少年。しかし当然ながら近くにいた兵士に引き止められた。
「いやいやいや待ちなさい!君は何者だ?どうしてこの場に現れたのかね?」
兵士にそう問われた少年は先ず気まずそうな顔をしながら、その質問に答え始めた。
「いやぁ、俺はここのギルドに所属している冒険者なんスけど……宿に帰る為に空を走ってたんスよ。そしたらたまたま、空を飛んでいた鳥族の人とぶつかっちまって……その衝撃でって感じです。あ、別に襲撃してきたとかじゃないんで安心してください。それじゃあ俺はこれで」
口早にそう説明し終えた少年が再び立ち去ろうとするも、またしても兵士に引き止められる。
「待ちなさい!」
「え?いや、だから俺は怪しいヤツじゃないって」
「そうじゃない。飛び込んできた理由も、それを詫びているのも分かったが、それじゃあ君が突き破った窓についてはどうするつもりだ?まさかこのままにするつもりじゃないよな?」
兵士にそう言われた少年はポンっと手を鳴らして今になって気づいたような反応を示す。
そして手を振って朗らかに笑うと兵士に向かってこう言った。
「もちろん直していきますよ〜」
「直すって……どうやってだ?この場から逃げる為に適当なことを言っているのならば容赦なく牢へぶち込むが?」
「脅かさんでも直しますって……ほら?」
少年はそう言うなり破られた窓に手を触れる。
すると驚くことに少年が触れた瞬間、散らばっていた窓の破片が一人でに動き出したかと思えば、あれよあれよという間に窓は綺麗さっぱり元通りに破られる前の状態に戻った。
これにはそばにいた兵士は勿論、それを見ていたウルスラやライアス、そしてその場にいた貴族達全員が呆気に取られていた。
「さてと……これでいいッスかね?」
「え?あ、あぁ……も、問題ない……」
確認を求められた兵士はそう答えるしか無かった。
その返答を聞いた少年は満足そうに微笑むと、踵を返して今度こそその場から立ち去ろうとする。
だがその直前で自身を見ているウルスラに気が付くと、何を思ったのか彼女の許へと近寄った。
「な、何か?」
ウルスラがそう問いかけると、少年は訝しげな表情で彼女の顔をじっと見たあと、コソッと彼女にだけ聞こえる声でこう話す。
「何があったのか知らんがせっかくの美人な顔が台無しだ。何か言いてぇ事があるなら遠慮せずに言った方がいいぞ?そういうのは溜め込んでも良い事なんてねぇからよ」
「え?」
言いたいことは言ったのか少年は励ますようにウルスラの肩をポンっと叩いてからバルコニーへと向かっていく。
そして戸惑いながらウルスラが目で少年の姿を追う中、少年は何食わぬ顔でバルコニーから飛び降りたのだった。
「おい!ここは三階─────」
この城の三階から飛び降りた少年に兵士が慌てて駆け寄るが、その兵士の視線に映ったのは少年が軽快に跳躍しながら城を去っていく姿であった。
その姿に兵士はポカンとしていたが、貴族の一人の〝彼はどうなった?〟という言葉に直ぐに我に返り、今しがた自身が見た少年の姿を説明した。
それを聞いた貴族達は揃って〝ありえない〟と口にしながら顔を見合せている。
こうなるともう舞踏会だの婚約破棄だの言ってられるような空気ではなく、舞踏会はその時点でお開きとなった。
そして婚約破棄騒動の当事者であるウルスラは自身の家の馬車に揺られながら、先程少年に言われた言葉を思い返していた。
(〝言いたいことは言った方がいい〟か……)
何気ない一言ではあったが、その言葉は妙にウルスラの心に響くものがあった。
そして馬車の窓から夜空を見上げていた彼女はキュッと口を結ぶと、意を決した表情を向かい側に座る両親に向けながら、自分でも驚く程のしっかりとした声でこう告げたのだった。
「父様、母様……私、殿下との婚約を破棄しようと思います」
その言葉にウルスラの両親は目を見開いたが、直ぐに優しげな表情へと変えそれを了承したのだった。
月夜の晩の婚約破棄騒動の最中に出会った少年とウルスラ……しかしこの出会いがその後のウルスラの人生を大きく変え、更にその先へ続く縁にまでなろうとは、この時のウルスラは勿論、あの少年でさえ知る由もなかった。