残留確定
―――――今になって思えば、私が|此処迄《来たくも無かった場所に》来た意味はあったのだろうか。始まりは状況に流され、仕方なく、我が身に襲い掛かる敵を、その力で打ち倒した。自分と似た様な状況で、行先も目的もなく、途方に暮れていた同士達を、一時の希望で誤魔化し、奮い立たせ、共に今日まで戦い抜いた。
何だかんだと嫌だ嫌だと思いながらも、まるで私こそが同志達を集め、目的を見据え導いて来たかの様に、皆に慕われているのは妙な気分だ。私は何処にでもいる様な偏屈な人間でしかないのにだ。
そして、そんなむず痒くて妙な気分にさせられる真似事も、漸く終えられる。
私達の望みはただ一つ、生きて家族に会い、家に帰る事。
例え、姿形を嘗ての自分達から変えられようとも、この魂に抱いた想いまでは変えられはしない。
何度繰り返すことになろうと、我々は帰るその日までこの旅を続ける。
邪魔をするな。道を空けろ。
一歩一歩を、噛み締める様に歩き出せ。
我々はダスクウォーカー。時が夕暮れから、夜へと、そして日の出へと変わり移ろい行く様に、異世界と言う夜を彷徨い、元の現実世界と言う名の日の出を求めて、歩む者。現実世界から異世界へ流されようと、異世界から、私達の帰りを待つ人々がいる限り、決して歩みを止める事など有りはしない。
「ダスク。やったな。ようやく帰れるぞ。やった・・・!俺達はやったんだっ!!!なのに、なんで、なんで・・・こんなっ・・・!」
冷たい石製の床へと寝そべっている私を見下ろしながら、奴の嫌いな豆の炒り物でも出されたかの様に、顔を歪ませ、吐き出される悲痛な友の声に、私は薄く笑みを浮かべ、友の顔を見上げながら、言の葉を紡ぐ。
「友よ。これで良い。これしかないんだ・・・。我々が帰るのに必要な事だ」
出来るだけ聞こえ易い様に、体中から力の抜けて行く我が身を気力で叱咤しながら、事実を告げる。
「だからってお前が犠牲にならなくても、他に、方法は在ったんじゃなかったのか!?」
「ない。そもそも、我々を異世界に放り投げ、混乱して生きて行くのか、それとも惨めに死ぬのかを眺め楽しむ様な、神等と自分達を称する、管理者面の得体の知れない連中だった。私はどうしても、素直に奴等が、我々に帰還手段を提示してくるとは思えなかった・・・。」
「どうして相談してくれなかったんですか・・・?」
友の隣に佇みながら俯く様に、私を見下ろし、美しい淡い青い瞳に、涙を浮かばせる女性を、視線だけ向けてもう一度口を開く。
「内通者の可能性を考慮していた。そして、それは見事に的中してしまった。奴を取り逃がした事だけは私の心残りだが・・・。まぁ、二度と君等が、奴と会う事も無いだろう」
くつくつと喉を鳴らす様に、私は意地悪く表情を変えて小さく嗤う。
「・・・何をしたんだ?」
友はひくりと口の端を吊り上げながら、尋ねてきたので素直に答える。
「私の現状と同様に、致命傷になるダメージを与えた。奴はもう二度と、エーテルを用いての術を行使出来ないだろう。つまり、波渡りは出来なくなった故、帰還出来ない。それは、私も同じだが・・・。」
「抜け目がない、と言うより、手癖が相変わらず悪いな」
「必要な事ならば、躊躇う事が必要か?私は、そうは、思わない」
友の躊躇う様な口振りに、思わずと言った形で私は毅然と返す。私達は、様々な犠牲の下にここまで来た。最早手段は選んでられる程に、私達は、高尚な存在でもないだろうにと、言外に滲ませればその場にいる全員が口を噤む。
「さぁ・・・行け。私に構うな。道は、安定している時間は短いぞ・・・。私は、別手段での、帰還を試みる」
肉体から煙の様に立ち昇り、宙へと霧散して行くエーテルの消失していく光景と、最早、今まで体にそれが、満ちていた等という事実が消え失せるかの様な脱力感を覚えながら、知覚すら覚束無くなってきた今まで、頼りにしてきた力へと別れを心中で告げる。
(さよなら、我々を支えてくれて、感謝している。求めた訳ではないが、随分と世話になった)
裏切り者に付けられた、私の左胸を貫いて、背中の傷口からも夥しく石製の床を染め上げ、流れ出る命の雫を、震える左手の平に、たっぷりと塗りつける。
床に広がる我が命の雫と、体内血中に残留するエーテルを用いての、今生最期になる術式を即座に編み出し、行使する。
―――――仄かに、蛍の揺らめく光の様な、幻想的でか細く、消え行く儚さを感じる紅い光が、左手の平から、仲間達へと消え入りそうに点滅を繰り返しながらも緩やかに向かい、彼等の胸元まで辿り着くと彼等の肉体へと消える様に収められる。
「ダスク。一体何を・・・?」
「この温かい光は・・・?」
「ダスクさんこれは?」
「・・・!」
皆の質問に、これがもしや、こいつ等との最期になるかもしれないとうっすらと意識しながら、震える右手で、この長く険しい旅の最中、一度として、今まで口元以外決して見せなかった素顔を彼らに晒すべく、重厚に創った髑髏を模したヘルメットと一体化させたフルフェイスマスクを取り外そうと指を動かす。
プシュリと、小さくマスクから空気の抜け出る音が響き、前面で固定されていたマスクが、後部との接続を解放された。私はそれを掴み上げ、ゆっくり顔の横にずらしていき、顔の横へと棄てる様に置く。久方ぶりの外気へと素顔を晒す。
「あぁ・・・。直に吸う、空気は・・・違う・・・なぁ・・・。」
「「「「!!!!」」」」
皆の驚愕して、息を飲み込んだり、悲鳴を上げそうになりながら、口元を手で押さえ、辛うじて抑えた隙間から漏れる吐息の音を、耳で受け取りながら、微笑む。
「ダスク、あんた・・・」
「君達に、この様な・・・傷痕ばかり残る顔を・・・見せたくはなかった・・・。」
眉間から、鼻筋を掛けて左頬まで大きく切り裂かれた傷痕に、右側の唇から、下顎まで縦一文字に裂けた
痕に、極め付けには、右目の眼球が、白く濁って変色しているのが皆に分かるだろう。
彼等に出会うまでに、私は、一度死んだ方がマシだと言えるような扱いを受けた事がある。右目は如何しようと変色し、治りようが無かった。だがこれは、私の生きてきた証でもあるのだ。決心が付いたからこそ、最後に彼等へと晒した。
「これは、さよ・・・なら・・・では、ない・・・。また、会おう・・・。」
一方的に混乱中の彼等へと、突き放す様に本名を囁き、最期の術式を人差し指と、中指を突き立て発動させる。
エーテルからなる強烈に抜き抜ける一陣の風が、彼らの体を押し出し、重力に逆らって天へと昇って行く【滝】へと突き出す。
「ダスクゥゥ!!!こんな!俺達はこんな、結末望んでねぇぞ!お前も帰るんだ!ダスクゥゥゥゥ!!!」
「・・・今まで、ありが・・・とう・・・。」
最期まで喧しかった、私とこの世界で居た時間が最も長いクルスや他の奴等の姿が、【滝】の中へと消えて行くのを見送り、彼等へと向けていた左手を床へと放り投げるように、力を抜いてから咳き込む。
「ゴッホッ・・・!ゴボォ・・・!」
咳の反動で幾分か、上体を床から跳ね上げながら、喉から湧き上がる血泡を盛大に吐血する。ビシャビシャと、宙を一瞬浮かんだ血液が顔を叩き、肌を、唇を赤く濡らしていく。傷口から、私が呼吸を繰り返す度に、微かに聞こえる空気の抜ける音。そして、抜けて行く空気の動きによって、傷口の血の泡立つ音。それが却って、死へと刻々と近づいているのを、冷酷に、より一層自覚させてくる。
まだ死ぬ訳にはいかない。しかし、心が、如何に折れていなかろうが、貰った致命の一撃によって、意識が、思考がだんだんと纏まらなくなっていく。
私は、このまま、朽ちるのか・・・。
右手を胸の傷へと宛がい、塞いでいるのに、血は止まらない。止まる気配もない。何処とも決めずに視線を彷徨わせてみても、この窮地を脱する術になる様な物は何もない。目に映るものは、ぼやけて消えて行く景色と、エーテルが扱えないと、身を浸す事すら不可能な、今や帰還不能となった手段の【滝】、足掻いて見せると、僅かばかりに動く左手の指を、床に這わせてみても、何も起きない。
全てが、急速に、赤く、紅く染まって見える。五月蠅い位に、自分の心音が、耳朶を叩いて来る。心臓の鼓動が・・・緩やかに、間隔が長くなっていく。
―――――――来世で、また、会おう。
私が意識を失う直前、その最後で、私はそう願い、深い眠りへと誘われた。