第五章 「避難所のコンサート」
交代要員の子達に歩哨を任せ、私達三人は体育館に足を踏み入れたの。
青いビニールシートが敷かれた、広い体育館の床。
逃げ込んできた近隣住民が家族ごとで一塊になって座っていたし、アサルトライフルを装備した特命機動隊や、各々の個人兵装を手にした特命遊撃士に特命教導隊員、そして共同作戦を展開している警察官や自衛官の方々が護衛の任に就いている。
体育館が避難所として運用されている現状では、それは当然の光景だった。
しかし避難民達に焦燥感と疲労感は意外な程になく、その顔付きは穏やかにリラックスした物だったの。
その理由については、体育館の舞台へ目を向ける事で直ちに思い至ったよ。
四十歳前後と思わしき三人の男女が、室内楽のクラシックを演奏していたの。
艶やかな黒髪をハーフアップにしたピンク色のドレス姿の女性は、体育館の備品であろうグランドピアノを優雅な指捌きで弾き鳴らし、軽いパーマをかけた茶髪の女性はヴァイオリンを、タキシード姿の男性はチェロを奏でている。
この人達はどうやら、避難してきたオーケストラ団員みたいだね。
滑らかな三重奏の調べを聞いていると、思わず緊張の糸が緩んじゃうよ。
この曲、どこかで聞いた事があるんだよね…
「ベートーベンのピアノ三重奏曲第七番…俗に言う『大公』ですわね。」
演奏の途中からでも、ピタリと曲名を言い当てちゃうんだなんて。
さすがはハープ奏者の御母様を御持ちのフレイアちゃんだね。
「本日の浜寺公園でのコンサートで、笛荷さん御夫妻と浪切さんが演奏予定だった曲なのですよ。」
声がした方を振り返ると、携帯用ハープを抱えた金髪碧眼の西洋人女性が、気品ある美しい微笑を浮かべていたの。
「御無事で何よりですわ、御母様!」
エネルギーランサーを得物とした若き防人乙女は、美貌のハープ奏者に快活な笑顔で応じたんだ。
祖国である北欧フィンランドに降り積もる初雪を思わせる木目細やかな色白の柔肌に、目にも鮮やかなブロンド。
そして何より、互いの美貌を映し合う、碧一色の切れ長な瞳。
そうした外見的特徴の酷似は、母と娘だからこそ起こり得る遺伝子の功績と言えたね。
フィンランドの名門貴族であるブリュンヒルデ公爵夫人にして、堺県トリ・コンフィネ交響楽団所属のハープ奏者。
そして何より、我が最愛の親友であるフレイアちゃんのお母さん。
このノルン・ブリュンヒルデさんは私にとって、そんな人なんだ。
「よく戦いましたね、フレイア。それでこそブリュンヒルデ家の娘。母として誇りに思いますよ。」
「おだてられては困りますわ、御母様。管轄地域を守るべく戦うのは、特命遊撃士として当然の務め。それに何より、ここまで私が戦い抜けましたのも、戦友達との絆と連携あっての事ですの。そうですわよね?葵さん、手苅丘さん?」
照れ隠しにブロンドを軽く掻き上げながら、フレイアちゃんが一瞥した物。
それは後ろに控えていた、私と美鷺ちゃんの二人だったんだ。
「うん!私達の連携の前には、怨霊武者なんてものの数じゃないよ!」
「ま、まあな…フレ公…いや、もとい…ブリュンヒルデさん。」
美鷺ちゃんったら、どうもぎこちないなぁ…
私みたいに、自然体で良いのに。
まあ、本人のお母さんを前にして「フレ公」呼ばわりは、さすがに抵抗があるんだろうけど。
そんな私達の遣り取りに、柔らかいソプラノ声が楔を打ち込んで来たんだ。
「そうは仰っても…フレイア御姉様達の御尽力があったからこそ、パパやママが安心して、慰問コンサートを行える…私、そう思うんです!」
居ても立ってもいられないとばかりに身を乗り出したのは、私立鹿鳴館大学付属堺中学校の制服であるグレーのブレザーを身に纏った、ローティーン程度の女の子だったの。
赤いリボンを巻いた黒いストレートヘアーの髪質といい、年齢の割には落ち着いた理知的な美貌といい、体育館の舞台でグランドピアノを優雅に演奏している女性ピアニストに何処となく雰囲気が似通っていたんだよね。
「知り合いの子なの、フレイアちゃん?」
「フレイア御姉様…だって?フレ公、兄貴だけじゃなくて妹もいたのかよ?」
私の問い掛けに、美鷺ちゃんが追従する。
注意が黒髪の少女に移ったせいか、また「フレ公」に戻っているね。
「御戯れは御止し下さいませ、手苅丘さん…紹介致しますわ。こちらは笛荷興奈さん。堺県トリ・コンフィネ交響楽団のピアニストである笛荷千恵子さんの御嬢様ですわ。」
「特命遊撃士の皆様、はじめまして。私は鹿鳴館大学付属堺中学校二年C組、笛荷興奈と申します。私達民間人を守るために日夜尽力されている人類防衛機構の皆様には、感謝の思いで一杯です。」
フレイアちゃんの言葉を引き継いだ黒髪の少女は、美しい所作で一礼したんだ。