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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

足音

作者: もちゃり

 いつからなのか?

 今までは聞こえなかったのに......。

 どうしてなのか?

 俺が何かをしたというのか......。


タッタッタッタッ


 ああ、まただ......。

 あの足音が聞こえてくる。

 止めてくれ。来ないでくれ。


 何故なんだ?

 こんな足音が聞こえるのは......。

 子供の頃には聞こえなかった。

 成人してから聞こえ始めた奇妙な足音。


 お前は何なんだ。

 何故、俺に向かってくるんだ......?



 俺は世界中で見ても、どこにだっている普通の人間だと自分では思っている。

 そんな俺も正社員として、都内の中小企業に勤めて今年で三年目。

 しかし、順風満帆とは言えず、去年辺りから、とある事が原因で悩み始めていた。


 それは俺に向かってくる奇妙な足音。


 姿は見えないが、確かにその足音は俺に向かってきている......。


「一体......あの足音は......」

「くぉら、吉田! ちょっと来いや!」

「は、はい!」


 上司である高沢係長に呼ばれた俺は急いで席を立つ。

 席を立つ瞬間、スーツのポケットに手を入れてしまう。

 それが最近の癖みたいなものだ。多分、暫くはその癖は続くだろう。


 係長の席はすぐ近くなのに足取りは重く感じる。

 目の前には俺の苦手な高沢係長。

 その顔は憮然としており、あまり良い用件ではないのだろう。


「あの、どうされましたか?」

「吉田......、お前、先方さんへの書類は出来たんだろうな!?」

「え? い、いえ、あれは高沢係長が直々にするって、ご自分で......」

「ああ!? 俺がいつやるっつった? おい、俺がいつやるっつったんだ? なあ!? ああ!?」

「い、いえ、すみません! 私の確認不足でした......」

「ちっ、大体お前はな――」


 まただ......、また係長からの長い説教が始まる。

 これは仕事に対する説教のはず。

 それなのに高沢係長のにやけ面はなんなんだ......。


タッタッタッタッ


 また......あの足音が聞こえてくる。




「今日の面接どうだった?」

「いやー、緊張したよ。今日の面接官がさ、うちの大学のOBで」

「うわっ、マジかよ!? それでそれで?」


 駅のホームで電車を待っていると、後ろでは就活生達が面接の話題で盛り上がっている。

 表情こそ見えないが、会話からは希望に満ち溢れているのが感じられる。


 俺も昔はそうだった。

 希望と期待に満ち溢れた社会人生活。

 

 だが、俺に突きつけられたのは現実だった。

 学生とは違う、会社員としての生活。

 残業は続き、上司からは怒鳴られる毎日。

 多忙な日々が続くので友人たちとも予定が合わない。

 家と会社を往復するだけの人生。


 それからだろうか?

 あの足音が聞こえてきたのは。


タッタッタッタッ


 また聞こえる。

 いや、これは違う。

 俺に向かってくる足音じゃない。

 足音のする方に顔を向けると、ホームの端には1人の男が立っていた。


 年齢は俺よりも上だろうか?

 着ている背広はお世辞にも綺麗とはいえず、顔には疲労の色が見て取れる。

 目にも生気が感じられず、どことなく消えてしまいそうな存在のようで......。

 

 俺も他者から見たら同じに見えるかもしれない。

 そう思いながら、俺は何となくホームの端に立つ男を見ていた。

 電車が来た瞬間、その男はホームから身を乗り出して飛び降りる。

 甲高いブレーキ音が響き渡ると同時に、何かが当たる音がした。

 そしてほんの少しの静粛の後、辺りは騒がしくなる。


 誰かの悲鳴が聞こえる。

 誰かの怒号が聞こえる。

 誰かの会話が聞こえる。


 多くの人が誰かの声を自身の耳に聞いているだろう。

 だが、俺は違う。

 俺の耳には常に奇妙な足音が聞こえている。


タッタッタッタッ


 その足音を聞きながら俺はふとあの男の顔を思い出す。

 俺は見てしまった。あの男が電車に飛び込む瞬間の顔を......。


 あの男は何故、あんなにも安らかな顔をしていたのだろうか?




 土曜日の朝、俺は休日だというのに部屋に篭り無気力に天井を見ている。

 実家を出て早三年......。俺は少しは成長したのだろうか?

 

 働けば働く程、学生の頃が懐かしく感じてしまう。

 楽しかった学生生活。仲間達と笑い合った日々。


 学生という身分の間は社会からは庇護される。

 学生だから仕方ない。学生だからこれからがある。


 しかし、学生という身分を卒業してしまうと、その庇護は外される。

 社会人としての責務。

 大人だから我慢しろ。大人なんだから問題は1人で解決しろ。

 当たり前の様で、社会からは冷たく突き放される大人たち。


「皆が苦労している。だから、お前も耐えなさい」

 就職をして1年後、帰省した際に両親から言われた言葉を思い出す。

 確かに俺だけじゃない。皆が何かしらの苦労をしているのは分かっている。

 だから、言われた通り今は耐えている。しかし、耐えた先には何があるのだろう......。


 ようやく掴めた就職先がこんなにも自分の理想とは違うなんて......。

 とはいえ、転職なんて、こんな不況なご時世では難しい。

 ようやく仕事も覚えてきたのに......。今、もし仕事を辞めたら、また面接からのやり直しだ......。

 それを考えると全てが嫌になる。


タッタッタッタッ


 またあの足音だ。

 一体コイツは何者なんだ。

 俺は遂に耐えきれず、ベッドに倒れて叫んでいた。

 

「何なんだ!? 一体何なんだよ、お前は!? もう来ないでくれ! 頼む!」


 俺は目に見えない――だが、確かに俺に向かってくる足音をその耳に聞こえながら、懸命に叫ぶ。

 毛布を頭から被り、足音が去ってくれるのを願いながら耳を塞ぐ。


 誰か......誰か......助けて......。



 いつの間にか寝ていた俺は壁に掛けた時計に目線をやる。

 時計の針は、たった今0時を指し示していた頃だった。

 何も考えが思い浮かばない。足音は今は聞こえない。

 束の間の安息に、ぼんやりと時計の針の動きを眺めていると、突然、俺の携帯が鳴り始めた。

 画面には《高沢係長》の文字が表示される。


 俺は震える手で通話ボタンのスイッチを押した。


「はい、吉田です......」

「おう、吉田か!? 明日だが休日出勤な。遅れんなよ!」

「え!? こんな時間にいきなり――」

「はあ? 会社に行けねえってのか!?」

「いえ、そうでは......」

「なら良いじゃねえか! ああ、それと俺は明日、体調不良だからな? 俺が居ないからってサボるんじゃねえぞ?」

「はあ......」


 携帯を握る手に力が入る。

 耐えるしかない。これもまた耐えれば良い。

 俺は学生じゃない。今は社会人なのだから。


「ねえー? 係長さん、まだー?」

「え?」


 電話越しに聞こえたのは高沢係長の奥さんとは思えない若い女性の声。


「ちょ、ちょっと待ってろ! ...........おい、聞こえてるか? とにかく良いな!? 明日は休日出勤だ! じゃあ、切るぞ!? 俺は体調が悪いんだからな!」

 

 高沢係長の電話は乱暴に切れてしまった。

 携帯を耳から離すと、画面には《通話終了》の白い文字。

 それを確認した俺は携帯をベッドに放り投げる。ふと時計を見ると、既に深夜の1時を指し示していた。


タッタッタッタッ


 また......あの足音が聞こえてきた。



 日曜日の朝。

 重い体に喝を入れると会社の入口に入っていく。

 平日とは違う殆ど人が居ない社内は何とも言えない物悲しさがあった。


「よう吉田!」

「あっ、おはようございます。安田先輩」


 俺が会社に到着すると既に居たのは1年先輩の安田先輩だけだった。


「安田先輩も休日出勤ですか? 大変ですね?」

「まあなー、あの係長の野郎、若い俺たちにだけ休日出勤を言いつけやがって。そんで自分は体調不良と来たもんだ! やってらんねー」

「あはは......」

「せめて金曜には言って欲しかったよな? 昨日の昼に電話が掛かって来た時は正直、イラついた」

「昨日の正午に連絡ですか......」

「ん? お前は違った?」

「い、いえ! 自分も同じ位に連絡が来ました。皆、同じかなーと思って......」

「ハハハッ、まぁ大体は同じ時間だろうな」


 安田先輩は知らないのだろう。

 昨日の夜の電話の事も。


 それに今日の朝、俺は見てしまった。

 高沢係長の運転する車を。

 助手席には若い女を乗せて楽しそうにどこかへ向かって行ったのも。


「吉田、大丈夫か?」

「えっ? あっ、はい! 大丈夫です」

「お前も大変だと思うよ。あの係長に目を付けられて......、課長も係長と仲が良いから黙認状態みたいなもんだし......」

「いえ......」


 そういえば、何故、俺は係長から色々と言われているのだろうか。

 俺の何かが悪かったのだろうか......。

 多分、俺の努力が足りないのだろう。


「そういえば今週は有給取ってたよな? 少しは気晴らししてこいよ」

「ありがとうございます、先輩」

「なーに、有給を決めるのは俺じゃねえよ。それに有給は働く社員の当然の権利だからな!」


 そう言って笑う安田先輩を見ていると、俺も釣られて笑ってしまった。


 休日出勤を終えた後、俺は安田先輩に連れられて居酒屋で飲んだ。

 久しぶりの酒は少しほろ苦くて、それでいても美味しかった。


 その日の晩、俺は久しぶりに足音を聞かなかった。



 月曜日の朝、いつもと変わらず出社する。

 いつもより早い出社。出勤している人は、まだ少ない。


 トイレに入り洗面所の鏡で身なりを整える。

 鏡に映るのは俺自身――のはずだった。だが、そこには以前よりも痩せている男が映っている。それは年齢のせいか、疲労のせいかは分からない。

 こんなになるまで気付かなかったなんて、俺はもしかしたら何かが狂ってしまったのかもしれない。あの足音のせいなのか、それとも......。

 

 もう1度だけ鏡を見ようとした時、トイレの扉が開かれた。

 入ってきのは高沢係長......。


「あっ......、おはようございます、係長」

「おう、おはよーさん......」


 俺は後輩として――部下として係長に挨拶する。

 何人(なんびと)も挨拶だけはしっかりする。挨拶を欠かさないのは、社会人として最低限のマナーでもある。

 それが苦手な相手だったとしてもだ......。


「吉田、お前......、見てただろ?」

「え? ――うっ!?」

 

 振り向いた瞬間、俺は腹部に強烈な痛みを感じた。

 痛みを感じ、咄嗟に床を見ていた視線を上に戻すと、高沢係長はニヤニヤと笑いながら拳を握っていた。


「良いか? 会社にチクるんじゃねえぞ? 日曜日の俺は体調が悪くて家に居た。良いな?」

「ごほっ、高沢係長......」

「吉田ー、お前が黙っていたら全てが丸く収まるんだ。なあ? 分かっているだろうな?」

「......」


 そうだ。俺が黙っていれば良いんだ。

 そしたら何も起きない。いつもの業務をこなせば1日が終わる。

 俺が我慢すれば......。


「おい、分かったか?」

「......はい」

「そーか、そーか! 流石は俺の部下だな。いやー、誇りに思うよ、吉田君! あっ、それとだな? お前が申請していた有給休暇だけど、あれはお前自身の取り消しで良いよな? 会社熱心な部下を持つと俺も鼻が高いよ、ガハハハ!」


 そう言うと高沢係長は俺の肩を二度叩くとトイレから出ていった。


「......」


タッタッタッタッ


 あの足音が聞こえてくる......。


タッタッタッタッ


 俺は何をしているんだろう?


タッタッタッタッ


 何で俺だけが我慢を?


タッタッタッタッ


 これが俺の憧れていた社会人なのか?


タッタッタッタッ


 それなら......俺はもう......。




「高沢係長、ちょっと良いかね?」

「あっ、はい、山岸部長。ど、どうされましたか?」

「いや、要件は応接室でする。既に社長もご同席済みだ」

「え? あっ、はぁ......」


 山岸部長に呼ばれた高沢係長は不思議そうに応接室へと向かっていく。

 課長は下を向いて黙って椅子に座っている。

 応接室に入った二人を確認した俺はふと笑みを浮かべて呟いた。


「ざまあみろ......」


 既に証拠は提出済みだ。

 パワハラの記録は全て付けてあるし、不倫の写真だって同封済み。

 不倫の写真は念の為、係長の自宅にも送ってある。

 それに音声はポケットに忍ばせたボイスレコーダーで保存は完了。USBでコピーもある。

 後はアイツが慌てふためけば、それで良い。

 

 だが、今の俺はアイツの最後を見届けようとは思わない。


 俺はふらりと席を立った。

 応接室から出てきた高沢係長が俺に向かって何かを喚いている。

 でも、俺には聞こえない。

 俺が聞こえているのは、もうあの足音だけだ。


タッタッタッタッ


 ほら、あの足音が聞こえてくる。

 まるで俺を導くかのように......。

 気付けば俺は階段の方へと足を向けていた。

 それを俺はゆっくりとした足取りで登っていく。

 何故かは知らない。

 だが、今の俺の顔には笑顔が張り付いている。


 屋上に続く扉を開け、俺はゆらりと歩を進める。

 目の前には俺を阻む緑色のフェンス。

 それを鼻で笑いながら登っていく。

 下を見下ろせば幾多もの人が行き交っている。

 まるで指ですり合わせたら潰せそうで......。人ってほんとにちっぽけだ。


タッタッタッタッ


 ああ、足音が段々と大きくなる。

 でも、不思議だ。

 この足音を聞いてるだけで。

 今はとっても心地が良い。

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