逆さ虹の約束
小説家になろう「冬の童話祭2019」参加作品です。
とある山奥の場所に「逆さ虹の森」という名の、大きな大きな森がありました。
でも、その森の名前は昔からそんな名前ではありませんでした。つい五十年ほど前、森の空にいつもとちがう上下が逆になった珍しい虹――逆さ虹が出てから、そんな風に呼ばれるようになったのです。
その森には「リルル」という名前のリスが住んでいました。
リルルは、まだ若いオスです。
すぐにでもお嫁さんをもらって、樹上の洞穴のおうちで温かい家庭を作って暮らしてもいいくらいの年齢なのですが、リルルはお嫁さんをもらおうとはせず、今から旅に出ようとしていたのでした。
お父さんとお母さんにあいさつを済ませ、背中に大きなフキの葉っぱでできたリュックサックを背負ったリルル。
意気揚々と、洞穴のお家から出発していきました。
そんな元気いっぱいなリルルですが、そこはやっぱりリスでした。あちらこちらの枝になっているたくさんの木の実が、気になって気になって仕方ありません。
だからわき目もふらずに――とまではいきませんでしたが、それでもちょこまかちょこまか一時間ほどがんばって歩き、ようやく森の真ん中にある「根っこ広場」にたどり着きました。
ひと休みしようと切り株のイスに腰を掛けようとしたときでした。広場で、暴れん坊で有名なアライグマに声をかけられたのです。
「おや、リスさん。そんなに大きなリュックを背負って、どこに行くんだい?」
「ああ、アライグマさん……。実はこれから、ドングリ池に行こうと思ってるんだ。ボクたちリスの体は小さいから、同じ森の中とはいえ、隅っこの方にある池に行くのには数日かかっちゃうんだけど……」
「ええ!? あのドングリ池に行くのかい? やめときなよ、そんな危ない所……。それよりリュックの中身は何なんだい? もし食べ物だったら、オイラにもわけておくれよ」
背中のリュックの中身は、今回の旅のために家族みんなで集めたいくつもの大事なドングリでした。それを正直に話せば、食いしん坊で暴れん坊のアライグマさんのことですから、「おいしそうだね」とか言って、無理矢理にうばわれてしまいそうです。
「じゃあ、先を急ぎますので」
リルルは、あまり聞こえなかったようなフリをしてアライグマの前を通り過ぎようとしました。けれど、たくさんのドングリが詰まった背中のリュックはけっこう重く、いつものようにすばやく動けません。
結局、またアライグマにつかまってしまいました。
「ちょっとぉ、オイラを無視するのかい? さては……ドングリ池に行くなんてのは嘘っぱちなんだろ? だってあそこには悪い魔女がいて、迷い込んだ動物に呪いをかけては喜んでいるという噂だもの」
――そうなのです。
今からリルルが向かおうとしている森の奥のドングリ池には、実は恐ろしい噂話があったのでした。
それは、「今から五十年前、池に近づき魔女の怒りにふれた動物が呪いをかけられて石になってしまい、二度と戻って来ることはなかった。逆さ虹はそのときの呪いの魔法が発した光の欠片だったらしい」というものでした。
以来、その噂を信じた森の動物たちは恐れをなし、森の奥に近づかなくなってしまったのです。
「いや、ボクはドングリ池に行くよ。そして、ドングリを池に投げて願いを叶えるんだ」
「池にドングリを投げて願いを叶えるだって? 昔はそんな話もあったみたいだけど、今じゃ誰もそんなこと信じてないよ……。嘘を言うにも、ほどがある!」
そう言って嘲笑うアライグマに、リルルは想わずむっとしてしまいました。
「なにを! この広場の『根っこ』に賭けてもいい。ボクは嘘なんて言ってないから!」
「ほほう……面白いじゃないか。それなら、この広場の真ん中でそれをもう一度言ってみるがいいさ」
「あ、ああ。いいとも」
そう言いながらも、本当はリルルもドキドキしていました。
なぜって、両親からも「ドングリ池に行ってドングリを投げ、五十年前におじいさんのおじいさんがした約束を果たすんだ」くらいしか聞いていなかったリルルは、自分が本当にそこに行って願いを叶えられるのか、自信がなかったからです。
でも、リルルは勇気を出しました。
嘘をつくと大きな樹の根っこが伸びて来て、たちまちその動物を捕えてしまう――という噂のある広場の真ん中に立って、こう叫んだのです。
「ボクはこれからドングリ池に行く。何が何でもたどりついて、願いを叶えてみせる!」
その声があまりにも大きかったので、近くにいた森の動物たちのすべての眼が、リスの方に向きました。普段は陽気に歌ばかり唄っているコマドリの眼も、お人好しなキツネの眼も――みんなです。
「……」
しばらく待ちましたが、なにも起こりません。
つまりは、森の長老として森の真ん中にそびえる千年杉の根っこが、ぴくりとも動かなかったのです。
ほっとしたリルルは、言いました。
「ほらね。じゃあアライグマさん、ボクは行きますね」
「……お、おう。がんばれよ」
あっけにとられたアライグマを残し、重いリュックを背負ったリスのリルルが再び旅を始めました。
★
リスの足取りで、それから二日。
リルルは、森の奥へ行くためには必ず通らなければならないという大きな川にかかる 『つり橋』の所に来ていました。辺りを見回すと、森の緑がどんどんと深くなってきているのがわかります。
「これがオンボロ橋か……」
そのときリルルは、すでにある動物が橋を渡っている途中であることに気付きました。それは、茶色い毛をした体の大きなクマでした。
「こわくて渡れないよ……」
それは、橋の真ん中あたりで立ちすくむクマが出した声でした。
逆さ虹が出て以来、森の奥に住んでいるという魔女に恐れをなしてあまりここを渡る動物たちがいなくなったからなのでしょうか、噂に聞く「オンボロ橋」は見るからにボロボロでした。
クマはふらふらぐらぐらと揺れる橋の真ん中あたりで、前にも後ろにも進めずに困っています。そんな風に大きなクマが怖がって橋を渡れずにいる様子を見たリルルの中に、ついつい、いつものいたずら心が芽生えてしまいました。
(よし、いたずらしちゃえ)
リルルは橋の所までやってくると、音を立てないようにして、ちょこまかと橋の上を進んで行きました。そして、クマのそばで思いっきり体を動かし、頼りないつり橋をぶるんぶるんと揺らしたのでした。
「うわあ、落っこちる! やめろお!」
そう言って怖がるクマを横目に、リルルは増々面白がって橋を揺らしました。
我慢できなくなったクマが、橋の上で座りこみます。そのとき、クマの大きなおしりがリルルの小さな体に触れ、リルルがはじき飛ばされてしまいました。
「うわああ」
リルルは、橋から落ちて流れの急な川へと落ちてしまいました。
リルルが川に流されていきます。落ちた拍子で体も痛いし水も飲んでしまうしで、もうダメだと諦めかけたそのときでした。たくさんのドングリが詰まった背中のリュックが、川岸の岩に引っかかったのでした。
「ドングリの入ったリュックのおかげで助かった……」
岸に上がったリルルは、体を乾かすためにしばらくじっとしていました。
そんなときでした。リルルは今の自分がしていることが、急に馬鹿らしくなってきたのです。だって、こんなに苦労して向かっているのはまぎれもない自分なのに、その約束をしたのはリルルのおじいさんのおじいさんで、もう五十年も昔のことなんですから!
そのとき、目の前に置いてあったリュックが不意にぱたりとたおれ、中からドングリがころころと出てきました。橋から落ちたときに落としてしまったらしく、ドングリの数がだいぶ減っています。
ドングリを拾ってリュックに入れながら、もしかしたら天国にいるおじいさんのおじいさんが何か言いたくてドングリを転がしたのかもしれないな――と、思い直したリルル。
「弱気になったらだめだ……。約束は守るものさ。例えそれが、おじいさんのおじいさんのものだったとしても!」
その約束の日は、明日なのです。
痛む足を引きずって、リルルはまた歩きだしました。
それからしばらくの後。
もうすでにかなり疲れてへとへとなリルルが、もうすぐ約束の場所だと自分の気持ちをふるい立たせ、眠たい目をこすって歩き続けていたときのことでした。リルルの行く手を、全身緑色のヘビが塞いだのです。
それは、長らくこのあたりの場所に住んでいて、旅をする動物に襲いかかることで有名なヘビでした。
「ここを通すわけにはいかないな……。なぜなら、今からオレがお前を食べるからだ!」
リルルは、あまりの怖さに逃げてしまおうと思いました。
ですが、おじいさんのおじいさんが交わした約束がありますので、それもできません。ぎゅっとリュックを握りしめて走り出そうとしたそのとき、リルルにひとつの考えが浮かびました。
(そうか! このドングリを使って……)
大事なドングリでしたがリュックからそれを取り出すと、リルルは次々に腹ペコのヘビに投げていきました。
最初は「おお、美味しそうなドングリだ」と喜んでいたヘビでしたが、あまりにたくさん投げられてそれが体にたくさん当たるものですから、「痛い痛い! もういいよ!」と言って、どこかへ行ってしまったのです。
「ふうう……なんとか、ヘビをおいはらったぞ」
ぺたり、地べたに座りこんでしまったリルル。
あんまりにも動き過ぎ、体がへとへとだったのです。でも、それよりも大変なことが起きていることにリルルは気付きました。ドングリをたくさん投げすぎたせいで、リュックの中にはもう、たったひとつしかドングリが残っていなかったのです。
「なんてことだ、ドングリがあとひとつしかない……。集め直す時間もないし、とにかく進むしかないよ!」
たったひとつだけのドングリを頬袋に収めたリルルは、リュックサックを投げ捨て、森の奥へと進んでいきました。
★
ようやく森の奥のドングリ池と呼ばれる場所にリルルがたどり着いたのは、次の日の夕方のことでした。
ぎりぎりでしたが、これならまだ約束の日のうちです。
リルルは急に力が抜けたように傷だらけの体で池のほとりにぺたんと座りこむと、大きく息を吸って言いました。
「おじいさんのおじいさん。ボクはちゃんとここまで来ましたよ……。あなたが、ちょうど五十年前に魔女と交わした約束を、果たすために!」
もう辺りは暗くなりかけています。
先祖代々、リリルの家で語りつがれてきた約束を果たすためには、夜になってしまう前にドングリを池に投げ、望みを叶えなければなりません。でも、森の動物たちの噂では池の近くに住む悪い魔女に呪いをかけられてしまうということでしたので、リルルの気持ちが揺れました。
でも、リルルは傷だらけの体に残っていたわずかな力とその小さな胸の奥に秘めた勇気をふりしぼって頬袋からひとつだけ残ったドングリを取り出し、それを池に投げ入れました。
「ボクのおじいさんのおじいさんが交わした約束を果たすという願いを叶えてください!」
けれど、しばらくはなにも起こりませんでした。
リルルの家に伝わるお話も、ドングリ池にまつわる願いを叶える話も、嘘だったのかと諦めかけていたそのとき――急に池が虹と同じ七色に光り出しました。
そのあまりのまぶしさに、リルルが目をつぶってしまったほどです。
「うわあ、まぶしい!」
すると、池の水の七色の光がふわりと浮かび上がるようにして、水面から離れました。その見た目はまるで、雨上がりの青空にかかる虹のようでした。
そんな虹の光を、今度はドングリ池が反射します。
反射した光は空へと向かい、逆さになった虹をはるか上空に映し出しました。こうして、森に五十年ぶりの逆さ虹が現れたのです。
しばらくしてリルルがおそるおそる目を開けると、池の水面の上に、女神のような美しい女性が浮き上がるようにして立っていました。
――池のそばに住むという、魔女に違いありません。
「あなたが――ボクのおじいさんのおじいさんと約束をした方なのですか?」
「ええ。私が、約束をした魔女です。あなたは、あのときのリスさんの子孫なのですね……。ありがとう、あなたが五十年前の約束をきちんと守ってくれたおかげで、私はこうしてよみがえることができました。お礼に、あなたの体の傷を治しましょう」
魔女はそう言って、池のほとりで力尽きたように座りこんだリルルに向かって何やら呪文を唱えました。すると、息も絶え絶えのリルルの体が七色に輝き出し、体の傷や疲れがみるみる消えていったのです。
びっくりしたリルルは目をぱちくりさせ、跳ね起きました。
「うわあ、魔女さんありがとう! 元気になったよ!」
「それは良かった」
「申し訳ありませんが、五十年前にどんなことがあったのか、ボクにお聞かせ願えませんか? ボクの家では、とにかく今日という日に池にドングリを投げて約束を果たすとしか聞かされていませんし、逆さ虹の森ではこの池と魔女さんにまつわる変な噂が立っていたりで――本当のことがよくわからないのです」
「わかりました……では、お話しをいたしましょう。でもそれは、私の家でゆっくりとです」
もう一度、魔女が呪文を唱えました。
すると、リルルも魔女と同じように体が浮き上がりました。そして、そのまま池のほとりにある太い幹をした大きな樹木の所まで一緒に飛んで行きました。どうやらその樹の中が魔女の家らしいのです。
ですが長年使っていませんでしたから、蔦がからまってるやら倒木やらで、とても人が住めるようには見えません。けれどそこは魔女、すぐに魔法で綺麗になりました。
そうして、太い幹の部分にある扉から中へ入ることができました。
「あなたのおじいさんのおじいさんがこの池にやって来たのは、ちょうど今から五十年前の日のことでした」
木の器に入った、魔女の作った暖かいスープを前に魔女が語り出します。
「あなたのおじいさんのおじいさんは、ドングリ池にひとつのドングリを投げ、現れた私にひとつのお願いをしてきました。それは、両手いっぱいに抱えたドングリの代わりに、家で病気に臥せっている妻のリスを魔法で助けて欲しいというものでした」
「そうだったんですか」
「ええ。ですが、病気――とくに寿命に関わる病気は、いくら魔女でもそう簡単には治せません。しかも話を聴けば、どうやらそのリスさんは悪い魔物のかけた厄介な呪いにかかっているようなのです。そのリスさんを元気にする魔法を使うためには、私の命の力も使う必要がありました」
「それで、あなたが封印されてしまったのですね」
「そうなのです。私の命の五十年分を分け与えることで、あなたのおじいさんのおじいさんのお嫁さんの病気を治すことができました。でも、私もあなたのおじいさんのおじいさんと約束をさせていただいたのです。力の弱くなった自分の力だけで復活できませんので、五十年後、あなたの子孫をここに寄こしてドングリを池に投げ入れて私の魂に呼びかけてもらい、その力で私を復活させてほしいと」
「ウチの家に伝わっていた話は本当だったんですね……。本当に、本当にその節はお世話になりました」
「いえ、こうして私も復活できたのです。あなたたちの家族の約束を守ったお気持ちに、感謝します」
その夜、リルルは魔女からの大変な歓迎を受け、美味しい食事と美味しい飲み物で楽しく過ごしました。
その後、自分の家に戻ったリルルはすぐにお嫁さんを迎え、たくさんの子どもたちとともに末永く楽しく暮らしたということです。
<おわり>
お読みいただき、ありがとうございました。