開けて
朝七時半。指定された場所に着くと、すでにその人はいた。こげ茶色のマッシュルームカットは、自分より歳上であるはずのその人をいやに幼くさせていた。眉がもう少し細ければ完全に女性と勘違いしそうなほど整った顔をしたその人は、時折、手に持ったスマホから視線を上げてあたりを見回している。
誰かを探している。それは、きっと。
手に持った名刺と彼をもう一度見比べ、大丈夫だと自分に言い聞かせて、足を踏み出した。
「あっ、あの・・・細谷さん、ですか?」
「はい、そうです」
声をかけた途端、その人はパッと目を輝かせ、そしてすぐにその目を細めて白い歯をのぞかせた。
「あの、今日から、お世話になります。木野浦智巴です」
「こちらこそ!初めまして、細谷希望です」
名乗ると細谷は、はじけんばかりの笑顔を智巴に向けた。
「宜しく、お願いします」
「よろしくね~。立ち話は疲れるから、さ、中に入ろうか」
細谷はそういうと、自らが待ち合わせ場所に指定したカフェの中に、智巴を導いた。
☆
「ごめんね~、朝早く呼び出しちゃって。ありがとう来てくれて」
注文を控えた店員が去ってすぐ、希望は木野浦に手を合わせた。「いえ、大丈夫です」と頭を下げた木野浦の声は、機嫌でも悪いのか、低い気がする。
「昨日、どうだった?社会人一日目」
気に障らないように質問を選ぶ。けれど木野浦は一向に希望の方を見ようとはしない。
「先輩方が優しくしてくださって、その、充実していました」
「そっかぁ」
笑顔で相槌を打つ。今のはセーフなのだろうか。
「それならよかった。ほら、ぼくさ。昨日いなかったでしょう?ぼく一人だけ君と会えていないのがなんか悔しくてさ」
「・・・そうですか」
「うん、だからほら、名刺だけ。ごめんね、ちゃんと直接渡せなくて」
木野浦が希望の職場に入ったのは昨日である。しかし出張が被り、希望一人だけが木野浦と対面できなかった。それが不満だった希望は、同僚に頼んで木野浦に自分の名刺を渡してもらい、この約束を取り付けたのである。
「大丈夫ですよ、あの、気にしてないですから」
木野浦は胸の前で小さく手を振った。
「本当?よかったぁ。あ、でも緊張してるよね。ごめん、リラックスしていいよ?って、難しいか」
早口でまくしたてたようになってしまい、希望は焦った。緊張しているのはおそらく自分のほうだ。木野浦はまだ視線が交わるのを拒む。
「お待たせいたしましたァ、ブレンドコーヒー二つでェす」
女性ウェイトレスが白いカップを二つ持ってきた。目の前に置かれたコーヒーに、頭を下げる。
「ごゆっくりどうぞォ」
女性ウェイトレスが二人に背を向けてすぐ、木野浦はおしぼりに手を伸ばした。それを見て、希望はなんとなく不安になった。自分はこの青年とちゃんとなじめるのだろうか・・・?
突然、希望の仕事用の携帯が鳴った。
「ごめん、出るね」
「あ、はい」
木野浦に申し訳なく思いながらも、希望は少々救われたような気持ちで電話に出た。
☆ ☆
「おはようございます、細谷ですー」
細谷の視線が自分から逸れ、智巴は初めて肩の力を抜いた。そして、細谷を見た。きっとこの人はさっき自分を見ていたときと同じ表情で電話の相手に対応している。この人のこの笑顔は営業スマイルだ。そうとわかっても不自然さを全く感じさせないその笑顔を、智巴は食い入るように見ていた。
「ええ、わかりました。そうしましたら、いつごろお伺いすればいいでしょうか?」
電話に対応している細谷を見ながら、智巴は申し訳なさに浸っていた。それと同時に、上手に話すことができない自分を憎んだ。
幼いころから人と話すのが苦手だった。自分がものを言うと否定されそうで怖かった。それでいつだって無難な受け答えをしてきたけれども、それも後ろめたさで声が震える。何より、相手に気を遣わせてしまうのがひたすら申し訳なかった。自分が話せないことで相手を困らせるのが嫌で嫌で仕方がなかった。
さっきの細谷に対しての受け答えも、思い返せば後悔しかない。無愛想だと思われただろう、礼儀が成っていないと思われただろう、話しかけられるのが嫌なのだと思われただろう・・・。
「木野浦くん?」
いつの間に電話対応を終えたのか、細谷が智巴の目を覗き込んでいた。細谷と目が合ってしまい、智巴の身体は硬直する。
「・・・ぼくの顔、なんかついてる?」
きょとんとした顔で細谷が訊いてきた。
「いえ、なにも・・・」
「そう?」
細谷はまた、白い歯をのぞかせた。
「木野浦くん、今ぼくのことすごく見てなかった?」
「綺麗な顔してるなって・・・」
「え?」
「あっ」
智巴は反射的に口を塞いだ。考え事をしていたせいで、隠していた言葉を思わず漏らしてしまった。どうしよう、絶対気持ち悪いと思われた。どうしよう、どうしよう・・・。
「ふふっ」
細谷は口元にこぶしを作り、少し困ったように笑った。
「綺麗、か。それは初めて言われたよ」
「えっ?」
想定外の返答に、思わず智巴は細谷の目を見る。細谷も智巴のほうを向いた。目が合った途端、細谷はいたずらを仕掛けた中学生のような笑みを浮かべて口を開いた。
「ぼくね、女子みたいな顔してるね、ってよく言われるの。笑ったときとか、かわいいかわいいって毎回言われるんだ。それでね、ぼく名前も『のぞみ』でしょ?だから『生まれてくる性別間違えたんじゃないの?』ってよく言われるの。『細谷ってかわいいよね』って」
たはは、とおかしそうに笑った。
「でも、綺麗だ、っていうのは初めて言われたよ?なんか、かわいいって言われると複雑だけど、綺麗って言われるとうれしいんだね」
細谷は、智巴の目を見たまま照れたように笑っていた。その顔を見ているとなんだか自分まで恥ずかしくなってきて、智巴は耐え切れず目を逸らした。
「あ~ごめんね!なんか、どうでもいいこと話しちゃって!コーヒー飲もうコーヒー!冷めちゃってる」
「あ、はい・・・」
下唇を噛んだままひたすらコーヒーをかき混ぜている細谷を見ていると、自然と肩の力が抜けた。智巴はカップを持ち上げ、まだ温もりの残るコーヒーをすすった。
☆ ☆ ☆
「さっきぼくのこと初めて見たとき、女子みたいな顔してるなって思った?」
目線だけを木野浦のほうに向けてそう聞くと、彼は無言でうなずいた。
「あと、あの、名前の読み方知ったときは、何かの冗談かと思いました」
その表情にハッとして、希望は木野浦のほうに顔を向けた。この子、こんな顔して笑うんだ。まったく表情を変えなかった木野浦の笑顔で胸がいっぱいになり、希望は満面の笑みを木野浦に向けた。
「・・・そっかぁ、やっぱ名前が駄目だよねぇ。あとね、ぼく木野浦くんの名前の読み方わからなかったの。『ともは』っていうんだね」
「そうです。その、・・・僕もよく、読めない、女子みたいって言われます」
「ふふっ、ぼくと一緒だぁ~」
細谷って安心すると幼児みたいな話し方になるよね。いつしか友人から言われたその一言を思い出し、希望は慌てて背筋を伸ばす。木野浦が一瞬怯えた。
「あ、ごめん。何でもないんだ」
「?・・・はい」
木野浦を安心させようと、希望は意識して笑顔を作った。
「なんかね、ごめんね。安心したんだ。木野浦くん最初全然笑ってくれなかったから」
「あぁ、えっと、それは・・・」
木野浦が目を伏せた。
「僕、昔から友達いなくて、人と話すのとか、すごく苦手で・・・」
「そうだったんだ。ごめんね、そうとは知らずにこんな、なんか・・・」
「いやあの、でも、話しかけてっていうか、気にかけてくださったのは、本当に、嬉しくて・・・」
「ほんと?」
煩わしく思われていたのではないとわかって、安心した。
「でも、なんか、自分がうまく返せないのが、申し訳なくて・・・」
「ふふっ、大丈夫だよ。少なくともぼくと話すときは、そんなの気にしなくて平気だよ?」
含みのある声で言ったその台詞に、木野浦が顔を上げる。希望と、目が合う。
「だってぼくは、コミュ力モンスターだもんっ」
決まった。そう思った。
☆ ☆ ☆ ☆
「ごちそうさまでした~」
そういって店を出る細谷の背中を追う智巴の心臓は、まだ激しく鳴っていた。自分のことを、自分の言葉で、こんなにも他人に話したのは初めてだった。きっと細谷にとっては何でもないことなのだろうけれど、智巴にとっては歴史に残る大事件だ。
そして何より。
「ん?ぼくの顔に何かついてる?」
「あ、すみません。見てただけです」
自分の話をあんなに真剣な顔で聞いてくれる人に出会ったのは、初めてだった。この人になら、話せるかもしれないと思った。
「ふふっ、生憎ぼくには男を好きになるような趣味はないよ~?」
「・・・違いますよ?」
自分が負い目に感じていた、過去のこと。大嫌いな自分を作り上げたすべての元凶を、この人になら話せるかもしれないと、智巴は思った。
今日という日はまだ、始まったばかりだ。
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作者は希望がいちばんお気に入りです。
智巴はただただ頭を撫でてやりたくなります。かわいい。