ここは地獄の1丁目?
楽しんでいただければ幸いです。
「もう死ぬしかないっ!」
断崖絶壁の先端で冷たい北風を受けながら、俺は拳を掲げて決心を固める。
なぜそう思ったかって? 聞けば死にたくなる俺の気持ちがよくわかるぜ。まあ、ありがちな話かもしんねぇけどさ。アホな上司のミスのおかげで会社はクビになるわ、三年間同棲していた彼女には有金全部持って逃げられるわ、あげくの果てには借金の保証人になってやった親友が借金返さないままとんずらこきやがった。
職なし一文なしの俺はその日から借金取りの目に怯えながら逃げ回る毎日を過ごしてきた。
だが、それももう限界だ。
古瀬恭介、二十一歳。ついに人生の終止符を打つ時がきたのだ。
こんな時なら普通「お父さんお母さん先立つ不幸をお許しください」(って今時言わねぇか)とかって言うんだろうけど、俺にはそんな許しを乞わなければならない両親はさっさと先に逝っちまっている。どっちかっていうとあの世で息子が来るのを手招きしながら待っている。そんなカンジだ、俺の両親は。
おっと、感傷に浸ってる場合じゃなかったんだ。
しかし、覚悟を決めたとは言ってもやっぱこの高さから飛び降りるってのは勇気がいるよなぁ。落ちたら痛ぇだろうし、真冬の海ってのはすっげー冷てぇんだろうしなぁ。
俺は崖っぷちからばしゃ〜んっ! と波打つ海を見下ろした。
「やっぱやめよっかな」
思わず百八十度方向転換する。
と、俺の目に小さな立て看板が入ってきた。
「あれ? こんなのあったっけ?」
小さすぎて気付かなかったのか。っていうか、こんな所にこんな看板があること自体おかしいんだよな。どうせ「危険っ! 近付くなっ!」とでも書いてあるんだろうなぁ。なんたってここは自殺の名所だもんな。
しかし、その看板には俺の予想を裏切る言葉が書いてあった。
『 死にたいと思っているのに勇気が持てずに死ねない君っ!
ぜひ当社にお越しください。
楽な死に方をアドバイス致しますっ! 』
「………」
俺はあんぐりとした。
おいおい、いいのかよ? こんな看板立てちまって。
「パラダイスカンパニー?」
人に死に方をアドバイスするって書いてある割りには、これまた不似合いなネーミングの会社だな。信用できんのか? いや、そもそもそんな会社が実在するのか?
しかし、今の俺には願ってもないチャンスかもしれない。俺は藁にもすがる思いで、その会社を尋ねることにした。
看板に書いてあった住所を頼りに来てみると、俺はキャバクラ街に立っていた。昼間は人気もなく静かなもんである。
ホントにこんなとこにあんのか?
などと不安になりながらも、パラダイスカンパニーはあっさりと見つかった。何の変哲もない雑居ビルの二階にその会社はあった。一階は『クラブ楽園』になっている。どうせ飲 み屋だろうな。三階と四階には看板らしきものはない。空室かな。
あ、今はそんなことどうでもいいんだ。
俺は重い足取りで階段を上がると、『パラダイスカンパニー』のプレートが貼られたドアをノックする。
が、返事はない。
「あのー?」
俺はカギがかかってないことを確認すると、ドアを開けて中をのぞきこんだ。そして、俺はあ然とした。中には何もなかった。もぬけのからだ。
騙された? そうだよな。よく考えりゃわかることだよな。人に死に方をアドバイスする会社なんてあるわけがないんだよな。
「あら、お客さん?」
「っ?」
背後からの甲高い声に俺はビクついた。
「ってことは、自殺志願者ってことね」
あまりにも緊張感に欠ける口調に、俺はゆっくりと振り返った。そこには金髪碧眼の男が立っていた。声の雰囲気で女かと思ってたけど、あれは間違いなく男だ。長髪でかわいい顔で体付きも華奢なんだけど、胸はなさそうだし(けっこう体にフィットするセーターを着ているのだ)、何たって喉仏がある。
ってことは、おかまか? どう見たって、人に死に方をアドバイスするようには見えんぞ。が、人は見かけで判断しちゃいけないって言うしな。実際、俺は外見に騙されて何度も痛い目に合ってきたわけで。
「あの、看板に書いてあったことってホントですか?」
俺よりは年下に見えるんだが、とりあえず敬語で話し掛けてみる。
「ホントよ。死にたいけど死ぬ勇気が持てない人ってけっこう多いのよねー」
男がなめまわすように俺を見つめる。俺もそのひとりってわけか。
「おかげで商売は大繁盛だけど」
そう言って、男が俺に抱きついてきた。首に手を回して顔を近付けてくる。
「な、何すんですか?」
動揺して思い切り声が上ずる。
「何、って。君死にたいんでしょう? だから、死神が死の接吻で楽にあの世へ行かせてあ・げ・る♪」
全く緊迫感のない弾んだ声で、自称死神の男は唇を近付けてくる。ふりほどこうにも男の力はやたら強くて逃げられない。やっぱ人は外見で判断しちゃいかん。などと言ってる場合じゃねぇぞ。かわいい女の子ならともかく、何が悲しゅうておかまの死神にキスなどされにゃならんのだ!
「ジョーダンじゃねぇぞっ! 誰が死んだりするもんかよっ!」
俺はやぶれかぶれになって叫んでいた。そうだよ。ホントは死にたくなんかねぇんだよっ!
「やっぱりねぇ」
男はにっこりと微笑むと、俺を解放する。脱力した俺はその場に情けなくへたり込んだ。
「死にたくないけど、死ななければならないところまで追い込まれているっていう人もけっこう多いのよね」
俺はぽか〜んと口を開けたまま、男を見上げた。その口調だと、俺は試されていたというカンジだ。
「よければ話てもらえるかしら? 力になれると思うわよ。あ、私の名前はミカエルよ」
「ミカエル?」
それって天使の名前じゃなかったっけ? そんな名前の人間(じゃないかも?)信用できねぇよな。
俺はもろ疑わしい目でミカエルを見た。
「あら、私じゃ頼りにならないかしら?」
「あ、すいません。俺ちょっと今人間不信になってて」
「どうして?」
「それは……」
俺はすべての経緯を話した。なんで話しちまったんだろうか。話す気なんかなかったのに。さっき出会ったばかりの人に。だってかっこ悪いじゃねぇか。恥以外のなにものでもねぇよ。
「そうだったの。それは災難だったわねぇ」
ミカエルは大きな瞳から涙をボロボロと流しながら、俺の手をしっかりと握りしめた。
「君が借金返せるまでずっとここにいてもいいから」
「でも、借金取りが」
「大丈夫よ、ここは特別だから。誰にもバレはしないわ。それにそれぐらいの借金ならうちの店で働けばすぐに返せるわよ。だから、がんばりなさい」
「ありがとうごさいますっ!」
ミカエルの親切な申し出に俺も目頭が熱くなってくる。世の中まだまだ捨てたもんじゃねぇんだよな。こんなに義理人情に厚い人がいるんだから。
この時の俺はすっかり舞い上がっていて、肝心の仕事の内容を聞くのを忘れてしまっていた。それがとんでもない事態を招くとは思いもしなかった。
「君、新人だね? 名前なんて言うの?」
中肉中背でどちらかというと二枚目な類に入るサラリーマン風の男が、隣に座った俺の肩を引き寄せる。まだ三十前といったところか。コロンの匂いがけっこう鼻につく。俺香水とかの匂いって苦手なんだよな。けど、今は仕事中。にーっこりと微笑んで名前を言わなければならないのだ。
「イシュタルでーす。よろしくお願いしまーす♪」
俺は甲高い声でしなを作りながら、営業スマイルで微笑んだ。
「イシュタルちゃんかぁ。バビロニア語で金星だね」
「お客さん詳しいんですねー」
「そりゃあここの子たちはみんなそういった名前ばかりだからねー」
げっ、こいつ常連でやんの。
「でも、イシュタルちゃんが今までの子の中で一番かわいいよ。これからはずっと君を指名させてもらうからね」
「きゃあ、イシュタルうれしいー!」
心にもないことを口走りながら、俺は男の胸に顔をうずめた。我ながらあまりの気色悪さに全身が泡立つ。
今の俺の格好はどう見ても女だった。碧い長髪のかつらをかぶり、何やら変な模様の入った体にフィットするようなロングのドレス。そして、ドレスと同じような模様を顔にも書いている。
クラブ楽園。
ここが俺の職場だった。はっきり言って、俺は騙されたと思っている。ったく、何が楽園だよ。確かにこの店にはキレイどこがわんさかそろってるけど、全員男なんだぜ。男! ここって要はコスプレゲイバーってことじゃん。そうとわかっていながらこの店にやってくる男たちの気がしれねぇよ。ここにいる奴は全員ゲイなのか? でも、たまに女がやってくることもあるらしい。ジョーダンじゃないぜ。
俺はノーマルだってんだっ! って言っても、こんな格好してヤローの胸なんかに顔うずめてる姿を見られたら納得してくんねぇだろうなぁ。
その日の夜は、新人っていうことで俺は引っ張りだこだった。
「疲れたぁ〜」
店が終わる頃には太陽が東の空から顔を覗かせようとしていた。素に戻り、俺は住居となる三階へ上がっていく。
ドアを開けると、札束を数えながら満身の笑みを浮かべてミカエルが出迎える。彼はこのビルのオーナーであり、自らも楽園で働いている。
俺は騙された思いでジト目で彼を見つめた。
「あら、なんだか不服そうね? あの衣裳気に入らなかった?」
「そういう問題じゃないでしょうっ! 俺あんな仕事だって知ってたら断ってたのに。何が楽園ですか? 俺にとってここは地獄と何ら変わらない」
「まあ、失礼しちゃうわねー。ここにはみんな一時の安らぎを求めてやってくるのよ。それを地獄だなんて」
何か安らぎだよ。そんなので安らげれば俺なんか今頃こんな苦労してないぜ。
「じゃあ、ホントの地獄に行ってみる?」
俺はぞっとして、首をぶんぶん横に振った。この人の場合洒落ですまないような気がすんだよな。
「君もそのうちにわかってくるわよ」
納得できない俺に、ミカエルはまるでだだをこねる子供を諭すような笑みを向けてくる。
「それよりも、これ。今日のお給料よ。おつかれさま」
「え? 俺まだ一日しか働いてませんよ?」
「うちは日払いなの。その日の稼ぎはその日にみんなにあげることにしてるの」
へぇ、景気のいい話だな。俺にとっても願ったり叶ったりだ。
「ありがとうございます」
俺は素直に受け取ると、中を確認した。げっ、けっこう札束入ってるぞ。俺は何かの間違いのような気がして、ミカエルを見た。
「イシュタルちゃんには期待してるのよ。初日で疲れたでしょう。君の部屋は四階に作っておいたから早く休みなさい」
正直俺は感激していた。ここでは自分の実力を出せばそれを給料という形で評価してくれるのだ。俺が前に勤めていた会社とはえらい違いだ。ま、仕事の内容もかなり違うんだけどな。
あれから何日経ったんだろうか。ここに来てからはすっかり日にち感覚というものがなくなり始めている。俺も今やここでは看板娘(?)と言ってもおかしくないほど客の人気を集めていた。ちょっと複雑な心境だけど。しかし、聞けばこの店で働いている人たちはみんな俺と同じような境遇に合っているらしく、妙な仲間意識なんかも生まれてきていた。
嫌なことはすべて忘れかけていた頃、あいつが俺の前に客として現れた。俺を借金の保証人にしたあげくに、とんずらしやがった史上最低の親友・黒川正臣だ。
「へぇ、君がここでナンバー・ワンの子かぁ。確かに噂通りのかわいい子だね」
「テメェ、親友の顔もわかんねぇのかよっ!」
俺はかつらをあいつに投げつけた。正臣はあ然とした顔で俺を見たかとも思うと、腹をかかえてげらげらと笑い出した。
「恭介、お前なんて格好してんだよ。そんなに金に苦労してんのか?」
「誰のせいだと思ってやがんだっ? テメェが借金作ったままとんずらすっから俺が」
「あぁ、そうだったっけ。悪い悪い」
正臣は悪びれもせずに言う。
ぶちっ。
俺の頭に中でそんな音が聞こえたような気がした。
その後のことはもう何も覚えていなかった。気が付いた時には他のやつらに羽交い締めにされていた。目の前には顔面血だらけの正臣が気絶して倒れていた。
借金取りに正臣を差し出したものの、あいつは借りた金を半分以上キャブルとかに使い込んでいて、結局保証人である俺が残りを返済するはめになった。しかし、楽園で稼いだ金のおかげで困ることはなかった。おつりがくるぐらいだった。
こうして、俺は晴れて自由の身になったのだ。
新しい会社に勤め、新しいアパートを借り、新しい彼女もできた。また以前と同じ普通の生活が戻ってきたのだ。
だけど、何か物足りない気がする。
何事にもやる気が起きない。こんなにつまんなかったっけ、俺の日常って。
朝起きて会社に行って、アホな上司に怒られて、挙句サービス残業までやらされて、夜遅く帰宅し着のみ着のままで眠る。
日曜日には彼女とデートして、お金を使わされる。
それが今までの俺の日常生活だった。
普通のつまらない日常。
俺は思い出していた。
あそこで過ごした数ヶ月間の日々を。
ホントはわかってる。あそこが俺に一番充実した日々を与えてくれていたことを。
俺の生きる場所はここじゃないっ!
そう思った瞬間、俺は取るものも取らず駆け出していた。
俺にとって本当の『楽園』に向かって―――――
おわり