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第2話 「Singing」



惜しみない拍手が彼女へと捧がれ、儚くもそれが曲の終わりを意味していた。

駿と一旦離れてから彼女の歌が終わるまで、ほんの数分の出来事であっただろう。

しかし僕にとっては、星の瞬きのような一瞬に感じられた。

すると、余韻で立ち尽くす僕を嘲笑うかのように、周囲の聴衆は三三五五に散っていくのだった。

なんて呆気ないのだろう。

一方の僕はといえば、一向に動けだせそうにないというのに。

もう一度、彼女の歌が聞きたいという思いで一杯だったからだ。

だがそこで突然やってきた展開に、状況は激変する。


「キミ、もうライブは終わったよ?」


なんと、目の前の彼女が話しかけてきたのだ。

恐らく、いつまで経っても帰ろうとしない僕の様子が気になったというところだろう。

「ん?」と小首を傾げて微笑む彼女の仕草はとても可愛らしく、僕の動揺を誘うのに十分すぎる効力を発揮していた。

その表情には、ライブ中の凛々しさとは異なり、小動物のような途方もない愛くるしさを孕んでいた。


「あっ、いやその…、もう歌わないのかな~って思って」


それでも、なんとか返答できた自分を褒めてやりたかった。こんなにも心臓が痛むのは、生まれて初めてのことかもしれないのだから。


「うーん、今日は十分歌ったし、もうやめようと思うんだ。明日の準備もしなきゃだし」

「そう、ですか…」


その言葉を聞いた瞬間、僕は隠すこともせず露骨に顔を歪ませたことだろう。

それを見た彼女も困ったような表情に移り変わり、やがてむむむと顎に手を当てながら、「考える人」を彷彿とさせるポーズをとる。

かと思えば何かを閃いたらしく、大げさに指をパチンと打ち鳴らして、ふてぶてしさすら感じるほどに大仰な態度で言い放った。


「そうだ!だったら君も歌おうよ!私伴奏弾くからさ!」


飛び出してきたのは、そんな爆弾発言だった。


「はいっ!?ちょっ、なんで僕が!?」

「え~別に良いじゃん。減るもんじゃないし」


少し拗ねるような表情を浮かべたかと思えば、僕の抵抗はお構いなしといった調子で、彼女はスマホをイジりだす。

遠目でも、彼女が楽譜を検索しているのだということが分かった。

どうやら完全に自己完結してしまっているらしい。


(いやいやいや無理だって!)


そもそもなんで僕が歌わないといけないんだ?ただ彼女の歌が聞きたいだけなのに。


「だってさ、私だけ歌うのってなんか不公平じゃない?アンコールを望むのなら、それ相応の対価を支払って頂かないと~」


そんな僕の心境を見透かしたかのような言葉が彼女から届けられる。

なんだその理論は。やけに楽しそうだし。


「でも、こんな人前で歌うなんて」

「そんなの大丈夫だって!誰も私たちのことなんか気にしてないよ」


あれだけの注目を集めいていた張本人には絶対に言われたくない言葉だ。

それでも彼女の屈託のない笑顔で言われると、こんな自分でもなんとかなるような気がしてくるから不思議だ。


こんな臆病者な僕にでも、だ。


それに、全く鳴り止む気配をみせない僕の心臓が伝えている気がした。

彼女の歌う姿に、一目で憧れてしまったのだと。

猛々しいその佇まいに、僕もなりたいと。

僕はそんな気概を覚えるほど、彼女の歌声に感化されていた。

そんな僕にとって、今この瞬間に彼女と歌うことができるということは、とんでもない僥倖なのかもしれない。


「…分かりました。歌います」


そこまで考えると、答えは自然と口から出ていた。


「やった!じゃあ早速なんだけど、これなんかどう?」


そう言うと彼女は立ち上がり、僕のすぐそばへ画面を見せるために寄ってきた。

いかにも女の子といった甘い香りに鼻孔をくすぐられ、思わずドキッとする。

彼女が差し出した画面には、大手携帯メーカーのCМソングに抜擢された曲のタイトルが記されていた。

記憶から思い出す限り単純なメロディだった為、この曲なら歌えそうである。


「これなら大丈夫そうです。歌詞は見てもいいですよね?」

「全然いいよー!ちょっとチューニングするね」


弦の音を調節し始めた彼女を尻目に、僕はスマホで曲名を検索する。

すると、すぐさまに歌詞を見つけることができた。


「よし準備おっけー!そっちは?」

「こっちもおっけーです」


丁度良いタイミングでお互いの準備が完了し、目線が合う。

透き通るような瞳からは、何一つ迷いのない輝きが放たれているように見えた。


「それじゃあいくよー!3、2、1」


カウントダウンが終わり、彼女がイントロを奏でだす。

臨場感が加わることによって、その音は原曲とはまた違った響きで聞こえてきた。

まもなくAパートだ。

彼女もタイミングを計るかのように、柔和な視線を僕に送ってくる。

そして、僕は歌った。

冷静に考えれば、音楽の授業を除いて、果たして僕に人前で歌う機会などあっただろうか?

カラオケなどにも行ったこともない平凡な僕にとって、恐らくこれが初めての経験だ。

歌ってみるとこの曲は案外音が高いようで、ひょっとすれば大分音を外しまっているのかもしれない。

だがしかし、僕が途中でやめることはなかった。

腹筋に力を込めて声を届かす。

歌い始めてしまえば、周囲の視線など気にもならなかった。

それどころか、むしろ思いがけず自分が楽しんでいることに気付かされる。


(やばい…これ楽しい!)


そう、歌うことが途轍もなく楽しかったのだ。

彼女の誘いが、彼女に対する憧憬の念が、僕に歌わせるきっかけを与えたのかもしれない。

でも蓋を開けてみれば、僕はそんなことなど意識してはいなかった。

ただどこまでも純粋に、歌うことに夢中になっていたのだ。

今まで体感したことのない心地よさに包まれながら、僕は歌い続けた。

やがて、一番が終わる。

しかしそこで訪れたのは間奏ではなく、唐突な沈黙だった。

伴奏が止まったのである。


「どうしたんですか?いきなり止めちゃうなん」


て、と言いかけた僕の思考は、一瞬のうちに停止する。

僕は歌っている最中、歌詞ばかりを目で追っていた為、他の映像など視界には入ってこなかった。

故に、それはあまりにもいきなりすぎた。

彼女が、泣いているのだ。


「!?」


僕だけでなく彼女自身も驚いているようで、慌てて頬を伝う雫を拭き取ろうと手で擦るが、一向に止む気配を見せることは無かった。


「えっと…あの」


狼狽する僕を尻目に彼女が決意したのは逃亡だった。

彼女は手際よく片付けを始めると、瞬く間に支度を完了させる。

あまりの早急さに、僕は口を挟むタイミングを完全に逸してしまっていた。

最後にギターケースを背負い、白いシンプルなデザインのヘッドホンを装着した彼女は、こちらに視線を戻して告げた。


「…君の名前は?」

「えっ?」

「名前、教えてよ」


潤んだ瞳を隠すように、伏し目がちで話す彼女の声は震えていた。

キラキラと輝く彼女の涙は、この世の何よりも美しいと僕は瞬間的に感じた。


「東雲奏汰、です」

「東雲…奏汰君…」


あたかも反芻するかのように囁くと、彼女は背をこちらに向ける。


「またね、奏汰君」


そしてその言葉を最後にして、彼女は立ち去っていった。

みるみるうちに姿は見えなくなっていき、人込みの渦へと飲み込まれていくようだった。

僕は立ち尽くす。ただ茫然と。

彼女の涙の意味を、この時の僕は知る由もなかった。

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