プロローグ
「……くっ……ん、……はぁ。」
私は顔を赤くしながら額に汗を滲ませ、荒く息を吐いて苦痛に表情を歪ませる。
う~ん。なんだか卑猥な……ごめんなさい。
只今、炎天下のなか坂道を自転車で上っているところ。
私は野地 明日奈、16歳、どこにでもいる普通の女子高生です。容姿・頭ともいたって並。運動は不得意で、こんな住宅街のなだらかな坂道でさえ一気に越えられないほどに。
立ちこぎまでして頑張っていると、横をスルリとおばさんに抜かれた。前後のかごに食材をどっさり入れたレジ袋を乗せたおばさんに、あっさりと。
「やっぱアシスト、すごいな。」
颯爽と坂を超えて見えなくなったおばさんに、ぼそりとつぶやく。私はあきらめて自転車をおりて押すことにした。
電動自転車かぁ。
ふぅむと、自転車を押しながら考えてみる。学生服を着て、スクールバックを前カゴに入れてこうしている姿はまるで通学中なのだろうが、ここはうちの通学路じゃない。ちょっと寄り道中なわけで。
もし、通学路に坂があっても、電動は買ってくれないだろうなぁ。
そもそも坂のある学校通いたくないなぁ。
うん。平地にある学校でよかった。
よかった、よかった。大きく頷きながらそんなことを考えていると、ちょうど、頂上にも着いた。よいせっ、と再び自転車に乗り今度は長い下り坂。もちろんビビりなのでゆるくブレーキをかけながら、とろとろと下っていく。すると、次は奥様に爽快に抜かれた。奥様は後ろに子供を乗せた自転車でブレーキをかけず、下った先の曲がった道を軽やかにすり抜けて姿を消した。
いやぁ、素晴らしい。
ほほうと、爺のように感心してしまう。私にはあんな風には到底なれない。スピード物は苦手、ついでに言えば高所恐怖症もある。ジェットコースターなどお金を貰っても乗りたくない。地べたを履いつくばっている方が落ち着くのよ。
平凡一番、平穏最高。
これ、座右の銘にしようかな?と思いついたところで、やっと目的地にたどり着いた。曲がり角を曲がった少し先に5軒連なる店の奥から2番目。店の前に自転車を止めて、カバンを手に店のドアを開ける。
「いやぁ、今日も暑いねぇ~。おじさん。飲み物よろしくね~。」
「おいこら。ここは喫茶店じゃない。それに、なんだそのおやじ口調は。あと、俺をおじさんと呼ぶなと言ってるだろう。」
ひょいとレジカウンターから顔を出した男性が、矢継ぎ早に指摘してくる。彼は真中 透。親戚のお兄さんで25歳、容姿は普通で別に老け顔でもない。おじさん呼ばわりするのは申し訳ないけど、呼び方が親戚のお兄さん?だと長いんだもの。
「ケチ~。」
私はあまり涼しくない店内にシャツをパタパタとさせながら店奥のレジカウンターまでズンズン進む。そして、いつものように隅に置いてある丸椅子を掴んでカウンター前に座って、カウンターに顎を乗せて体をダラリとさせた。
「ジュースはねぇよ。麦茶でいいな。」
「は~い。ありがと、真中お兄ちゃん♪」
文句を言いつつ昔からいつも世話を焼いてくれる彼。不意に、小さい頃の呼び方を思い出したので使ってみると、飲み物を用意するために立ち上がった彼に複雑な表情を向けられる。
「女子高生に言われると変なプレイみたいだな。」
「お兄ちゃんプレイって……。純真無垢な乙女に向かって、セクハラですか。」
「言ったことが理解できるのに乙女か?」
「彼氏がいたこと無くても知識は嫌というほど世間にあふれているもの。不可抗力です。」
私は両手を上げてひょいと首を竦めて見せた。彼は、そんな私のおでこにペシッとデコピンをしてくる。
「いてっ」
「お前はなんでも明け透けなんだよ。もうちょっと考えて喋れ。」
「え~。話振っといて、酷いよ。お兄ちゃん。」
「……。もう、いい。おじさんでも、おっさんでも好きに呼べ。」
彼はハァとため息を吐き出すと、裏にある冷蔵庫へと向かって行った。私はふふんと勝ち誇ったように鼻を鳴らし、クルリと身体を反転させて店内へと目を移す。
ここは、彼が経営するアンティークショップ。ジャンルやブランドにこだわりなく、彼が気に入ったものが集められ売られている。アンティークも名ばかりで、雑貨屋、いや雑多屋といったところだ。彼は大学を卒業して、しばらく海外旅行などフラフラした後、いきなりこの店をオープンさせた。けれど、周囲は彼の行動に驚くことは無かった。昔から物には独特なこだわりを持っていたからだ。おかげで、昔から付き合いのある私もかなり毒されているわけで。
にしても、この店、お客さんを見かけることがない。私は月1・2のペースでやってきているんだけどね。以前、よく潰れないなと聞いた事があるが、ネット販売があるので運転資金は稼げているらしい。まぁ、お客さんがいないほうが落ち着いていて、居心地がいいから私はいいけど。
「落ち着くのぉ。」
「年寄りくさいな。」
気持ち良く漏らした言葉に冷たい反応が返ってくる。せっかく浸ってたのにと、じとりと目をやれば、麦茶のグラスがカウンターにコトンと置かれた。彼は愛用のマグカップを手にレジ内の定位置に座る。
「で、今日は終業式だったんだろ?成績は?」
「まずまずだったよ。」
カバンから通知表を出して彼に渡す。彼はマグカップ片手にさっと目を通すと、ありがとうと返してくれる。
「相変わらず保体が悪いな。」
「筆記だけではこれ以上なんとも。」
「お前の運動神経は壊滅的だもんな。」
「壊滅してないよっ。自転車には乗れる。」
「俺のおかげでな。」
ぬなっ。やられた。これは、さっきの仕返しだ。しれっとした顔しやがって。だけど、親にも見放された自転車練習に根気よく付き合ってくれたのは真実なので、負けを認めざるを得ない。私は出された麦茶をゴクリと飲んで、話題を変えることにする。
「ぜ、全体的によかったんだからいいじゃない。ところでいい子は入った?」
「お前の気に入るような品物は今のところないかなぁ。」
「残念。運命の子には会えなかったか……。」
私はあからさまにがっかりとして、また麦茶に口をつける。せっかく自分へのご褒美にと、素敵な物があれば奮発しようと思って来たのになぁ。
「お前、物に対して運命を感じてる場合か。せっかくの高校生活なんだから、彼氏でも探せ。」
「おじさんに言われたくな~い。大学の時以降、女っ気ないくせに。」
「合コンとか、飲み会には行ってるけどなかなかな……。」
「へ~。より好みし過ぎなんじゃないの?」
は?といった顔で彼がこちらを見てくるので、こちらもなにか?と見返した。
「その、俺がモテモテな発想はなんだ?」
「え?モテないの?いい男なのに。」
彼は顔をさらに渋くさせる。私は小さく首を傾げた。何か悪いことを言ったかな、どちらかといえば褒めてんだけど。彼は、カウンターに置いてあった雑誌を手に取るとパラパラと数枚めくり、ずいっと私の目の前にかざす。
「この中で誰が1番カッコイイ?」
そこには、いま大人気の男性アイドルグループの写真があった。私は迷うことなく5人組の真ん中に写っている男性を指差す。
「目が腐ってるわけじゃないんだな。」
「ハァ?失礼な。何が言いたい。」
「俺がいい男とか言うからだよ。イケメンじゃないだろ。」
「あぁ、そゆこと。顔も性格も普通がいいって事よ。並が1番よ、自信持っておじさん。」
私はふっと悟ったような遠い目をして、薄く笑う。
「そうか。腐ってたのは精神か。思考が老けすぎなんだよ。あっ!そうだ!!」
彼は何かを思い出したようで、いきなりカウンター下に頭を潜り込ませると、ガサガサと音を立てて何かを探った。
「どこいったかな。まだ、処分してないと思うけど……。あ、あった。いでっ」
派手にカウンターに頭をぶつけながら、彼はひとつの箱を取り出してきた。真っ白な箱にはデジタル文字で『10players・乙女版』と書いてある。
「なに、これ。」
「お前が好きだったRPGの10プレに乙女ゲーム要素を足したものらしい。俺の友達が間違えて買ったからいらないと押し付けられた。そのうち、他のものと一緒にリサイクルにだそうと思ってたんだが、ちょうどいいからやるよ。」
「いや、いらない。」
「ま、やってみろ。乙女ゲームって、イケメンに甘い言葉ささやかれてときめくゲームだろ?それで少しは乙女の感性を取り戻せ。」
確かに『10players』、略して『10プレ』とは、私が昔はまっていたいRPG。10人の仲間とパーティーを組み替えながら、ラスボスの魔王を倒す物語と定番のRPGなので特に売れたゲームではない。そういえば、主人公も10人の仲間もレベル99にして装備も武器も最強にしたけど、魔王のところに行く前でやめているんだった。確実に勝てるだろうが終わらせるのがもったいなくて何年も眠らせているなぁ。それが乙女ゲームになっても、別に好きなキャラがいるわけでもないし……。
というか、この手作り感満載のゲームソフトって大丈夫なんだろうか?開けて見てもソフトのラベルはパッケージと同じでパソコン文字でタイトルが書かれているだけだ。
「これ、怪しくない?」
「動作確認済みだそうだ。市販品じゃないから、こんな作りらしい。個人的に数本作ったものなんだと。プレミアム品らしいぞ。」
「え~。じゃあ売りなよ。」
「買い手がつかなかったって。俺の販売網も違うしな。せっかくの縁だ、貰ってくれよ。お前の運命の子かもしれない。」
いや、それ、完全に売れないプレミアム品を押し付けるつもりですよね。しかし、彼はこの子を見捨てるのか可哀相だろ?といった顔をしてくる。こういう顔には弱いんだよなぁ。まぁ、そこまで毛嫌いする要素もないし。
「わかりました。貰いますよ。」
「もちろん、ちゃんとやって報告な。」
「くっ。」
彼は放置はするなと、きっちり釘を刺してくる。さすが長年の付き合い、こちらの考えは読まれていたか。しぶしぶながらソフトをカバンにしまい込む。かなり不満顔だったのか、彼はポンポンと頭を撫でてきた。
「たまには、いいだろう。今から落ち着いてたら、若さがもったいない。」
「いや、ゲームしてる方がもったいないかと。」
「どうせ、夏休みにたいした予定も入ってないんだろ。多少ドキドキするようなことをしてみろ。」
「で、2次元キャラに萌えろと……。まぁ、少しは冒険?してみるよ。」
「よし。前向き発言が出たし、飯いくか。」
彼は観念した私の発言に楽しげに笑い、レジの席から立ち上がった。私もカバンを持って、座っていた椅子を元に戻す。いつもおじさんの店に寄った時は、隣の定食屋で夕食を奢ってもらうのが定番だった。今日は、学校が早いので昼食だけどね。
こうして、私の手元に変なゲームソフトがやってきたのだった。