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6クラッシュ 「殴りたい腹」

 住吉美卯はオタサーの姫ではない。

 ロリータファッションが大好きな――最近は甘ロリが好きな――どこにでもいる普通の女子大生だ。

 少なくとも本人はそう思っている。


 そんな彼女は今、予選よせん第三回戦さいしゅうせんまでやってきていた。

 三回戦目の種目は、『お帰りなさいませご主人さま競争』だ。


『オタサーの姫とは、心技体、すべてを兼ね備えている存在でなければなりません! そう、オタサーの姫とは究極の生命体なのです! 姫とはよく言いました! それは女子と対等に付き合うことをもはや諦めた男子にとって、永遠の憧れ! 今生の救い! まさしく姫なのです!』


「だいぶ主観が入っている気がする……」


 美卯はスタートラインに立ちながら、うめく。


 実況を担当するのは『マイクを握れば喋れる非モテ。ただし女子と目を合わせるのだけは勘弁な!』でお馴染みの(美卯は知らなかったが)部費谷ぶひたにレオンである。


「きゃーきゃー、美卯ちゃんがんばってー!」


 美卯が見上げれば、二階の観客席から両手に握るサイリウムを振っている藤井ヒナの姿が見えた。

 予選敗退者の藤井ヒナである。


 実は彼女、予選敗退でめちゃめちゃ落ち込んでいた。


「もうこうなったらこの一生を美卯ちゃんに捧げます……。朝も昼も夜も永久にわたしの魂は美卯さまのものです……。死しても守護霊となって美卯神をお守りし続けます……」とかなんとかうつろな目で言い出していたので、頭にチョップして正気に戻した。


 そんなヒナは、立ち直りもめちゃめちゃ早かった。


「手伝ってくれてありがとう、あとは美卯がひとりでがんばるよ。せっかくだからヒナちゃんはお祭り、楽しんでいってね」と伝えると、泣きながら暗黒幕張メッセの二階席へと走っていった。


 それが今では他のオタクと一緒に美卯を応援してくれていて、なんだかやたらと楽しそうで僭越ながら腹が立ってくる。

 美卯としてもヒナが楽しそうにしてくれているのが一番なので、あまり強く責められなかった。どっちみち、ここから先は自分ひとりでやるしかないだろう。


 いいのだ、もともとそのつもりだったのだ。やるしかないのだ。がっでむ。


 今まであえて意識的に目を逸らしていたことだったが、住吉美卯の人気は相当なものなのだ。

 無論、美卯は去年の優勝者である。

 人気がないわけがない。

 アリーナ席――ちょうどヒナがいるところだ――では、住吉美卯ファンクラブ的なものが、大きな横断幕を広げていた。


 そこには『四つ耳の兎姫(フォーチュンバニー)』と描かれ、さらにウサ耳をつけた美少女がウィンクをしているギャルゲーチックな絵があった。


「は、恥ずかしい……」


 顔を真っ赤にして、手で覆う。


 住吉美卯はオタサーの姫ではないのだ。

 声援を同じぐらいパワーに変えられるような、周りの姫たちとは違う。

「もっともっとあたしを見て!」ではないのだ。むしろ見ないでほしいのだ。

 手近な幸せがあればそれでいい。なのに去年、ものすごくたまたま運命のめぐり合わせで優勝をさらってしまったから、こんなことになっている。過度な期待だ。


 美卯が立っているだけで、辺りから嫉妬の視線が注がれる。

 姫の中の姫。『プリンセス・オブ・オタサー』の称号を持つ美卯を、皆が妬んでいるのだ。

 

 日陰の花でいたいのに。

 自分よりも目立つべき人はたくさんいるだろうに、どうして自分なのか。


 美卯は自分に人を惹きつける才能がないことを、あまりにもよく知っている。


 なんといっても藤井ヒナという幼馴染がいた。

 ヒナは予選敗退してしまうぐらい友達がいないけれど、その代わりに恋人がたくさんいた。すっごいいた。彼女は信じられないぐらいモテるのだ。モテていたのだ。

 燦々と輝く太陽の近くに一匹の兎がいたって、誰が気づくというのか。昼間に月の兎は見えないのだ。


 美卯もそれは当たり前だと思って生きてきた。


 それなのに世間に出てみたら、美卯は地味で平凡な娘よりはちょっぴりだけ目立ち、ちょっぴりだけスペックが高いことが明らかになってしまった。

 だが、今さらチヤホヤされたところで、そんなのは今さらなのだ。

 もう美卯の人格は固まってしまった。これ以上は挫折もなく、大きな変革もなく、ゆるふわな毎日を送りたいだけなのだ。


 まったくもう、まったくもう。

 しぼみつつあった炎が再び胸に蘇るのを、美卯は感じていた。



『それでは、はじめ――!』


 スタートの合図とともに、美卯たちは一斉に走り出した。

 俯瞰で見ると、なかなかにすごい光景である。

 明らかにオタサーの姫っぽい容姿を持つ女子たちが数百人、猛然と走っているのだ。

 中にはあからさまにやる気なく歩いているものもいるが、美卯は高いヒールに注意しながらもひたむきに走っていた。


 うすうす気づいていることではあったが。


「これただの徒競走だ!」


 美卯は思わず叫ぶ。

 高いヒールをチョイスしてしまった美卯は、早足に毛が生えた程度の速度で走っている。


 だが、それでもトップグループを維持していたのは、他の走者ひめがあまりにも遅いからだ。


『おおっと、先頭集団遅い、遅い! それも当たり前だ! 運動神経の良い女の子がオタサーの姫になるはずがない! もっと他の道を選ぶでしょう! 自明の理です!』


 喧嘩を売るようなアナウンサーの言葉に、こめかみをひきつらせながらも美卯は走る。

 うっかりするとウサギ耳がずり落ちてしまいそうで、あまり構っていられるほどの余裕がないというほうが、適切であったが。




 が、そんな遅い先頭集団の中から飛び出した影があった。


 陸上選手のように張りのある手足を力強く動かし、しなやかに大地を蹴る。

 その姿は暗黒幕張メッセがオリンピック発祥の地、聖地アテネに見まごうほどだ。

楽園簒奪者クラッシャーオブデストロイヤー』、白鳥椿である。


 黒のゴシックドレスを翻しながら走る彼女は、まさしく12時を目前にしたシンデレラ。

 背中がぱっくりと開いたそのドレスは、女の美卯が見てもドキッとするほどになまめかしく、セクシーなものだった。


 その疾走速度もまた、有象無象の姫どもとは比べ物にならない。

 美卯がウサギなら、白鳥椿はさしずめスピードスケートの選手のようだ。


 プロ歌手並の歌唱力を持ち、運動神経も抜群。それに容姿も優れていて、あまつさえ愛嬌まで良い。

 まったくチートだ。ずるい。その才能を分けてほしいと叫ぶ姫は山ほどいるだろう。


 白鳥椿はどんな舞台でも輝ける人物だ。

 それなのに彼女はその才能をサークルクラッシュという破壊活動に注ぎ込んでいる。


 どうしてそんなことを繰り返すのか、美卯には理解ができない。

 美卯は過去を悔やみ、心から反省した。だが椿はそうしなかった。

 なぜ自分ひとりが幸せになる道を見つけようとせず、他人を不幸にしようとするのか。

 それがわからないのは今、美卯が幸せだからかもしれない。

 しかし、だからこそ美卯は自分の幸せを奪おうとする相手に、牙を剥くのだ。


 まったくもう、まったくもう。

 憤慨する気持ちを動力に変えて脚を動かす美卯。


 ――その間に白鳥椿は、一番で400メートル先のご主人様のもとにたどり着く。


 映像はプロジェクターによって投影され、暗黒幕張メッセのスクリーンに映し出される。

 そして椿は息を整えるまでもなく、ゆっくりと優雅に一礼した。


 主観カメラによって捉えられたのは、花咲くような椿の笑みだ。


『――おかえりなさいませ、ご主人様』


 次の瞬間。


 ウオオオオオオオオオオオオオー! と。

 会場が揺れ動くかのような歓声が轟いた。


 完璧だ、完璧なお辞儀だった。

 今この瞬間、椿の姿は誰の目にもメイドとなって見えていただろう。

 高貴であり、従順であり、上品な、オタサーのメイドである。


 爆発的な人気があるのもよくわかる。素晴らしい笑顔だった。

 男に媚び尽くしたその態度は、会場の観客たちの心臓を鷲掴みにした。


「きゃーきゃー! 椿ちゃんー! きゃー!」


 ひときわ高く響き渡るのは、誰よりも鷲掴みにされた幼馴染ふじいひなの声だ。

 美卯はほぞを噛むような気持ちで、走る。


 白鳥椿。去年よりもずっとずっと姫力ひめりょくを高めている。

 これはひょっとしたら、――今の自分では勝てないかもしれない。



 白鳥椿に遅れること数分。

 26位でゴールした美卯はだらだらと汗をかき、思いっきり息を切らしていた。

 なんとかウサギ耳だけは死守したものの、先にゴールした姫たちを含む周りは死屍累々だ。

 

「もう無理、マジ無理……」

「なんでオタサーの姫が走んないといけないのよぉ……」

「イミワカンナイ……!」


 まったくである。

 しかしそれでも凄まじいプライドのなせる技か、「おかえりなさいませ、ご主人様」のときだけは皆、にっこりと笑顔を浮かべていた。

 息を切らせたことをご主人様に悟られないように努める、健気なメイドたちである。

 それはあるいは、執念によるものかもしれない。


 ここでメイドらしくないふるまいを行なってしまえば、もう一度400メートルを走らされるのだから、必死になるのも当たり前かもしれないが。


 とかく、26位でゴールした美卯の番が来た。

 この予選三回戦目の結果で、本選出場者が決定するのだ。

 失敗は許されない。

 あと、もう400メートル走りたくない。


 美卯は早鐘を打つ心臓を根性で律し、

 ウサギ耳が落ちないように慎重に、

 それでいて大胆にがばっとお辞儀をした。


「――おかえりなさいませ、ご主人様!」


 顔を上げるときには笑顔だ。


『おおっ!』


 スクリーンの映像に浮かんだ美卯の笑顔を見て、部費谷レオンが叫ぶ。

 いったい彼は何を見たのか――。


『こっ、この笑顔は! お慕い申し上げておりますご主人様というその気持ちを胸の内に隠しながらも、あくまでも自分は一介のメイドに過ぎないのだと一線を引いて健気にご主人様のことを想い続けている微笑み! 可憐! 愛しさと切なさと心強さを感じずにはいられない! 可愛い! 賢い! 住吉美卯! さすが前年の覇者! これには大幅な芸術点が加算されるでしょう!』


 芸術点、そんなものがあったのか。

 会場からは先ほどの白鳥椿に匹敵するほどのどよめきが起きた。


「きゃーきゃーきゃーきゃー! 世界一かわいいよぉー! 美卯ちゃーん!」

『世界一かわいいよー! 美卯ちゃーん!』


 聞きなれた幼馴染の叫び声に追従するように、野太い声が響き渡る。

 疲労困憊の自分とはまるで対照的に、とてつもなく楽しそうにサイリウムを振る藤井ヒナを見上げ、美卯はかすかな笑顔を浮かべた。


 殴りたかった。




 そして三種目が終了し、力尽きたオタサーの姫たちが日向ぼっこするアザラシのように会場内に転がる中。

 ついに予選結果が発表された。

 パネルが表示される。


 一位通過は――。


 ――白鳥椿。


 当然であるという顔で前に出る純血のオタサーの姫は、しかしすぐにハッとする。


 同率一位。

 その名があった。


 ――住吉美卯。


 白鳥椿は眉根を寄せた。

 それは彼女がこの場で見せた、初めての負の感情であった。


 一回戦でも二回戦でも白鳥椿が優勢であった。

 しかし、三回戦目の住吉美卯の笑顔は、それに匹敵するものがあったのだ。


 やがて壇上にあがったのは、ふたりの少女。

 オタサーを破壊する者と、オタサーの姫ではないと自称する者。

 華美な衣装に身を包む、美しきふたりの姫である。


 ぱしゃぱしゃとカメラのフラッシュが無数に焚かれる中。

 ふたりには、ふたりだけの時間が流れていた。


 自らに並び立つ者などは、絶対に許せないとばかりに。

 椿はその顔を無表情に取り繕い、つぶやく。


 美卯にだけ向けられた声。

 そこには、薔薇の棘があった。


「ミウちゃん」


 一年ぶりの対話は、敵意バリバリに行なわれた。


「あなたは絶対にこのツバキちゃんが、叩き潰してあげるからね」


 望むところだ。

 美卯もまた口元に笑みを浮かべたまま、返す。


「椿ちゃん。もうあなたの好き勝手にはさせないよ。健二くんの仇は美卯が討つからね」

「けんじくん?」


 椿はきょとんとして首を傾げた。

 そして悪戯っぽい笑みを浮かべる。


「だぁれそれ。ひょっとしてミウちゃんの彼氏か誰かなの?」

「ううん、全然まったく微塵もそんなことはないっていうか、噂にされると恥ずかしいからやめてほしいレベルだけど」

「そ、そっか」


 思いのほか辛辣な返しに椿は一瞬だけ戸惑いながらも、しかし色っぽく笑う。


「ツバキちゃんはモテない男の子たちに、夢を与えてあげているんだよ。こんなに可愛いツバキちゃんが言い寄ってあげているんだから、むしろ感謝してほしいぐらいなんだけど。それなのに恨まれるのはちょっと筋違いだと思うんだけど」

「やり方ってものがあるよ。あなたのやり方はあまりにも人を傷つけすぎるもの」

「それは可愛いツバキちゃんの勝手でしょ?」

「美卯には許せないの」

「それもミウちゃんの勝手」


 椿はニッコリと笑う。


「姫ってば、本当に勝手。勝手、勝手、勝手な生き物なんだから。オタサーの姫ってみんなそう。だったら結局は一番可愛いコが意見を押し通すってものじゃない? うふふ、だったら誰が一番可愛いか決めるのが筋ってものだよねー」

「……美卯はオタサーの姫じゃないもん」


 自信に胸を反らす椿の前。

 あくまでも認めることができず、美卯は目を逸らしたのであった。

 



 

 こうして、ついに本選出場者が決定する。

 引き続き、合計128名による仁義なきプリンセスオブオタサー全日本地下トーナメント戦が開催されるのだ。


 ――が、そこには127名の名しか記載されていない。







 汗にまみれたオタサーの姫たちの化粧直しを、更衣室で嬉々としてお手伝いしている最中のことだった。


『予選敗退者の姫さま方は、会場にお集まりください。これより敗者復活戦を行ないます』

「ふにゃ?」


 藤井ヒナはその無機質なアナウンスを聞いて、のんきな声をあげたのだった。


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