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3クラッシュ 「美卯、走る」

「それじゃあまたねー」

「ふぁーい」


 ボサボサの黒髪に白衣をまとった女性へと手を振る。

 彼女はたまたま出会った、昔からの美卯のお友達だ。

 同じ大学だが学部が違う上に、彼女はずっとひとりで研究室に引きこもっているので、あまり会う機会がなかったりする。


 それはともかく。

 住吉すみよし美卯みうは、オタサーの姫ではない。


 彼女と別れた足で、美卯は部室へと向かっていた。

 旧友との会話に少しだけ心が落ち着いた気もするが、所詮は一時しのぎにすぎない。

 部室にやってくる頃には、美卯の心に再び霧がかかっていた。


「はぁ……」


 いつもの席に座り、美卯はため息をついた。

 アンニュイなその顔に、部室の中で先に待っていた三人は、部屋の隅でこそこそと相談を開始している。


「な、なんかきょう、どうしたんだろうな、住吉さん」

「調子おかしいよな、暗い顔をして。いつもあんなに明るいのに」

「す、住吉さん、お、おなか減っているデブー?」


 美卯がちらりと顔をあげると、三人は風を切るように目を逸らした。

 すると美卯はまたしても、ため息。


「ふぅ……」


 四条河原野宮が神妙に「ひょっとして」とつぶやいた。


「……なあ、住吉さん、昨日俺たちが喧嘩したから、それであんなに悲しそうな顔をしているんじゃないのか?」

「それはあり得るデブー」

「!?」


 ガリ崎がこの世の終わりのような顔をしていたが。

 気にせず、まるで名探偵のような貫禄を見せつけながら四条河原野宮は続ける。


「住吉さんはすごく優しい子だからな……。表面上はなんともない風にふるまっていたけれど、でもきっと心の中ではひどく傷ついていたんだろう……そう、スマートフォンの画面についた傷は、どんなに些細なものでも目立ってしまうように……」

「ガリ崎は本当にひどいことをしてしまったデブねー」

「……!!」


 ガリ崎はその場に両手をついた。

 崩れ落ちる。

 その男は今にも涙を流さんばかりに、唇を噛み締めていた。


「俺は、俺はなんてことを……なんてことをしてしまったんだ……! あんなに優しくて可愛くてこんな俺たちにも優しくしてくれて可愛くて優しい住吉さんに、俺はなんてことを……!」

「こいつ、優しいと可愛いしか言っていないな」

「女の子を褒めたことがないから、語彙に乏しいデブね」


 そんな風に三人がわちゃわちゃとお喋りをしていると。

 美卯は男子三人を見つめ、ふふっ、と微笑んだ。


「みんな、仲が良くて、素敵だよね……」

『!?』


 その笑顔にどっきーん!である。

 口から心臓を飛び出した三人に、美卯は大地を作り、育んできた地母神のように微笑む。


「美卯ね、みんなのことが大好きなの。だから、みんなにはずっと仲良くしてほしいんだ」


 その言葉に込められた意味など知らず、三人の記憶は主に『大好き』というその一点にのみ作用した。


(美卯ちゃんが俺のことを大好きって、大好きって言った! 大好きって!)

(大好き、大好きだって……! ああ、可愛いな美卯ちゃん、そういえばいつも薬指に指輪をしているけど、誰かからもらったのかな……彼氏とかじゃないといいな……!)

(美卯ちゃん、バブみがあるデブ……)


 都合のいい脳である。


 三人は視線を交わす。

 そして心の中で思うのだ。


『――こいつにだけは負けられないな』


 と。


「ああ、みんなはいつまでも、いつまでも仲良くしてほしいな……美卯のことなんて気にしないで、いつまでも、いつまでも……」


 互いに出し抜く気満々の三人は、美卯の想いになど気づいてはいない。

 この瞬間、住吉美卯は完全にオタサーの姫であった。





 たったひとりの帰り道。


 仲の良いサークルの面々を見て、美卯は静かな決意を固めていた。

 やはり、断ろう。


 白鳥しらとり椿つばきが出てきたとしても、自分はもうオタサーの姫ではないのだ。

 そう思う美卯だが、心の中は暗かった。

 彼女自身、恐らく納得し切れていないものがあるのだろう。


 白鳥椿はどうやら『プリオタ』運営委員の何人かを懐柔し、無理矢理に招待状を手に入れたのだという。

 それも相当に強引な手段を使ったらしい。


 どうしてそこまで『プリオタ』に固執するのかはわからないが、しかし彼女は頂点という地位にこだわる人間なのだろう。

 顔を合わせたこともそう多くはないが、プライドの塊のような女であった。

 だからこそ、ひどいことが平気でできるのだ。


 彼女の手口はシンプルだ。

 仮入部としてサークルに所属し、ひとりひとりの連絡先を入手。

 それからそれぞれに甘い言葉をささやき、有頂天になった彼らを自分のために争うように仕向けてゆくのだ。


 そこに目的はない。ただ白鳥椿の快楽のために、部員たちは友情を踏みにじられる。

 大学生に培った人間関係は一生続くと言われる。それを椿はズタボロにしてゆくのだ。


 残虐にして残酷。まさしく傾国の姫。それこそが白鳥椿の本性だ。

 オタサー界では有名なはずなのに、その悪しき噂をも利用し、白鳥椿は「ひどい噂が流れていて……」だなんて涙目を作り、男どもをきょうもどこかで操っているはずだ。


 実際、美卯の周りでも白鳥椿にクラッシャられた者は多い。


 それは、彼女の昔からの友人のひとりも同様に、だ。

 彼のことを思えば、心は痛い。


 だが、だからといって、もうオタサーの姫ではない自分にできることなど――。


「――あれ、美卯ちゃん?」

「――」


 その瞬間、後ろから声をかけられて美卯は振り返った。


「ああ、やっぱり美卯ちゃんだ……。後ろ姿を見たら、すぐわかったよ。ウサ耳とか狐耳とかつけて、わかりやすい恰好をしているもんね、いつも……」

「け、健二けんじくん……」


 美卯はわずかに後ずさりする。

 彼の目の下には、大きなクマがあった。


「……ずいぶんと、やつれたね、健二くん」

「ああ、そう、かな……? そうだね……あれからもう、一年も経つのに、な」


 健二はそう言うと寂しそうに笑う。


 住吉美卯と佐原健二は、小学校からの幼馴染だ。

 家も近所でそれなりに仲もよく、中学ぐらいまでは付き合いもあったのだが、しかし高校後はしばらく疎遠になってしまっていた。

 だが、美卯と健二にはふたりだけに通じる、特別な思い出があった。


 ――白鳥椿がもたらした呪いだ。


「……やっぱり、まだ辛い?」

「ん……。どうかな、平気と言えば、嘘になっちゃう、かな」


 頬をかく彼は、小さく首を振った。


「……正直言うと、まだ夢に見るんだ。たまにうなされて、夜に目を覚ますこともあるよ。僕のリトルけんじくんもずっと元気がないままだしね」

「健二くん……」


 自らの下腹部を見下ろしながら、健二はそんなことを言う。


「でも、もう二度と僕みたいな人が現れなければいいな、とは思う、かな……」

「……」


 美卯は彼の身に起きた事態を思い出していた。


 健二は去年、高校三年生のときに知り合いととともに同人誌の即売会に遊びに行った。

 近所に住んでいる大学の先輩に可愛がられていた健二は、そこでひとりの女性と出会ったのだ。


 その女性は白鳥椿。当時大学二年生である。


 当時とてつもない人気を誇っていた擬人化戦艦で遊ぶゲームのコスプレをした白鳥椿に一目ぼれした健二は、それから熱心に大学のサークルに通った。

 彼もまた、甘ったるい匂いを放つオタサーの姫に魅入られた若者であった。


 白鳥椿は快活で、明るく、そして可愛らしい姫だった。

 そんな彼女は、健二に初恋の美少女を連想させたのだ。


 椿と健二の仲は、徐々に進展をしていった。

 ツイッターでもリプライを送れば返信をもらえるし、ラインだってちゃんと既読にしてもらえた。

 挨拶をすればおはようと返してもらえて、一日中見つめていたら時々目が合うことだってあった。

 そんな毎日は、とても楽しかった。


 椿とお喋りさえできたら満足であった健二の青春は、だが、徐々に変わってゆく。

 彼女を自分だけのものにしたいと願うようになる。


 そんな中、健二はついに椿に告白することを決めた。


 昔から行動力だけはあった健二だ。

 部室で一対一になり、夕焼けが差し込む絶好のシチュエーションで、健二は彼女に告白をした。


 だが――。


 白鳥椿はそんな健二を突き放した。

 健二は見事にフラれた。いや、それだけなら良かった。


 その日の晩に椿は健二をあろうことか、ツイッターでブロックをした。

 さらにラインでもブロックをした。

 ネタ話として、健二から告白されたことをツイッターで迷惑そうに語った。


 健二からの告白を、自らの価値を高めるために利用した。

 そして、コテンパンに叩きのめしたのだ。


 その様子を見た健二の落ち込みようときたら、本当にひどいものであった。

 健二のリトルけんじくんが一年後の今でもスタンドアップしなくなってしまうほどの、心の傷を負ったのだ。


 その後も、白鳥椿の暴虐は続く。

 彼女はわざとオタクを自分に好意を向けさせ、そしてその相手をこっぴどく振ることを趣味にしている女だったのだ。


 なんと所属しているサークルは、全て合わせて四十を超えるという。

 そのすべてのオタク系サークルで、白鳥椿は姫として絶対王政のように君臨していた。


 同じくオタサーの姫をしていた最中(していたとは言っていない)、健二の一件を知った美卯は、義憤を燃やした。

 彼女をこのままにしてはおけない。

 そう考えた美卯が、『楽園簒奪者クラッシャーオブデストロイヤー』こと白鳥椿をオタサーの姫の頂点から叩き落としたのが、去年の『プリオタ』の顛末だった。


 怒りに燃えた美卯は、あらゆる手段を使って椿に勝利した。

 それは自らが犯した過ちに対する禊のようなものであった。


 美卯は白鳥椿にオタサー界からの追放を命じ、彼女もそれに従った。


 かくして、美卯の戦いは終わった。

 あれは美卯ですら自分らしくない行動だと思い、今はもうほとんど忘れて日常に回帰していたのだ。


 そのはずであった――。


「……ちゃん、美卯ちゃん?」

「えっ? あっ」


 心配そうにこちらを覗き込んでくる健二を、美卯は見返した。

 彼のチワワのような瞳が、ぼーっとする自分を映し出している。


「うん、ごめんね、健二くん」

「え? なにが?」

「美卯にできることがあるなら……」


 美卯は小さくその拳を握り締めた。

 言うまでもない。できることはある。あるのだ。


 健二だけではない。

 白鳥椿は今もどこかで、純情な男心を弄んでいるのだ。

 そしてそれを『趣味』だと豪語し、鍵アカウントで笑い話として消費しているのだ。


 やっぱり、許せない。

 次に壊されるサークルにも、仲の良い男子たちがいるはずだ。

 ガリ崎やデブ山や四条河原野宮のように。


 そんな彼らが、たったひとりの女子によって友情を砕かれていい理由など、ひとつもない――。


「……健二くん、悔しいよね、辛いよね」

「え? そ、そうでも……。まあ、でも、そうかもね……」


 美卯の目に炎がともった。


「同じぐらいひどい目に遭わせてやりたいよね」

「え?」

「何度も何度もビンタして、裸にひん剥いて、土下座させて、両方の眉を剃って、それでも飽きたらずその映像をYouTubeにアップして、全世界にリベンジ拡散したいよね」

「そこまで思ったことはないよ!?」


 美卯は過激派であった。

 彼女の領域に踏み込むものを、美卯は決して許しはしない。

 優しいからこそ、一度怒ったらリミッターが外れてしまう。

 その瞬間、ラブリーなウサギは首刎ね兎(ボーパルバニー)へと変身するのだ!


「わかったよ、健二くん。美卯、がんばる!」

「う、うん。よくわからないけど、ファイト!」


 傷ついた幼馴染の熱烈な応援を受け、美卯はその心に闘志を抱いた。

 そうして、走り出す。


「じゃあね健二くん! おうちのパソコンをネットに繋いで待っててね!」

「待って! 美卯ちゃんのやろうとしていること普通に犯罪だと思うんだけど! 待って!」


 美卯は高いヒールを鳴らしながら走る。

 走ることに意味などまったくないが、この胸に燃える炎を、今は消したくはなかった。


 途中、携帯電話を取り出す。

 先日名刺を差し出してきた黒服に連絡を取るのだ。

 数回のコールの後、繋がった彼に美卯は堂々と宣言した。


「出ます。美卯、出ます! 出て、白鳥椿をけちょんけちょんにします!」


 電話の向こうから彼の感激の声が伝わってくる。

 そうだ。相手を叩きのめすために。


 全力を尽くそうじゃないか――。


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