13クラッシュ 「白鳥椿の告白」
プリンセスオブオタサー地下トーナメントの決勝戦は、椿の優勢で始まった。
「将来はツバキ国を作るのが夢だったんだよねー」と笑う通り、そのプレイングは実に危なげのないものだった。
一方、美卯は頭を使う競技はそこまで得意ではない。
いや、それでも同年代の女性に比べたら。ゲームもやってきた方だ。
周りでは中の上くらいの実力はあった。
つまり結局は、――椿がうわてだったのだ。
「えーっと、じゃあこのパネルはそっちに置いてね。可愛いツバキちゃんの、お願い☆」
椿がしなを作ってウィンクすると、男たちは猛った。
こうして都市の描かれたパネルが接続され、ひとつの街が完成した。オタクどもはツバキ国の住民となり、幸せそうに椿姫を崇めて暮らすのだ。
美卯国はまだまだ発展途上だ。ツバキ国の領地拡大についていけていない。
ジリジリと差がつけられていた。だがそれも5ターン後には歴然の差となって現れるだろう。
このままでは負けてしまう。
美卯は危機感を抱きながら、パネルを配置した。
一発逆転の策は残されているゲームだが、しかしどうなるか。
焦る美卯に、椿は楽しそうに囁いた。
「でも、決勝の相手がミウちゃんでよかったぁ。藤井ヒナちゃんってすっごく頭いいでしょ? こういうルールだったら勝てるかどうか、自信なかったんだよねー。あーあ、でもあの子はあの子でバカな子で助かったなー」
「べ、別に、まだ負けてないしっ!」
目を尖らせる美卯に、しかし椿は涼しい顔だ。
「ミウちゃん相手には可愛さで圧倒しているのに、去年はちょっとしたことでつまづいて負けちゃったからねえ。こう見えても、一年けっこー努力してきたんだよ?」
「努力って、いくつものサークルを破壊して、人の心をもてあそんできただけでしょ!」
「だって何事も練習あるのみじゃない? 人の心のもてあそび方だってさ」
にっと笑う椿に、美卯は悔しい思いを抱く。
こんな人に親友をバカにされて。
こんな人に負けてしまうなんて。
自分は自分、他人は他人で生きてきた美卯だ。
今だってその気持ちは変わっていない。マイペースに生きている。
しかし、これだけは看過できない。
友達は別腹だ。美卯は友達のためにはいくらでも怒るのだ。
決意というほどに硬いものではない。
だが、嫌なのだ。嫌なものは嫌なのだ。
――美卯は、自分が大好きなものがバカにされるのが、一番嫌いなのだ!
「負けないもん……美卯、負けないもん!」
だが、想いだけではどうにもならない。
世の中はそういうものだ。
今さら美卯が本気になったところで、仕方ないのだ。
「結局ねー、要領のいい可愛い子が得するんだよねー。オタサーだって一緒一緒。だってみんなツバキちゃんのこと、ちやほやしてくれるんだもーん。言うでしょ? 『可愛いは正義』って。それが事実なら、ツバキちゃんこそ正義でしょー?」
「ぐぬぬぬ」
美卯は地団駄を踏む。
そこで新たにエキストラの男の子たちが現れた。
彼らは――いつのまに応募していたのか――美卯の電子映像研究部の三人であった。
ガリ崎、デブ山、四条河原野宮だ。
彼らは美卯に手を振った後に、隣にいる椿を見て目を見開く。
「お、おい、隣の子、めっちゃ可愛いな……」
「すごい美人デブー」
「へえ、美卯ちゃんすごいじゃん、決勝戦であんなかわいい子と並んでいるなんて」
むぐぐう。
彼らに悪意はないのだ。わかる。わかるけれど!
なんだかもう、納得がいかないことばかりだ。
確かに椿は可愛い、可愛いが。
しかし、なんなのだ。ヒナもヒナだ。
なんで十年以上一緒に過ごしている自分と、こんな椿が同列に扱われなきゃいけないのだ。
納得がいかない。なんなんだ。なんなんだ本当に!
だんだん腹が立ってきた。どうして自分はこんなところに立っているのか。
だいたい、だいたい……。
もはやなんとしてでもこの椿にいっぱい食わせてやらなければならないと。
強い義憤の炎が芽生える。
隣に立つ細い椿は、美卯よりもずっとスタイルがいい。
身長は160ちょっと。そしてなによりも足が長い。
「ねーねー、ミウちゃんなにあのオタクー、ずっとツバキちゃんたちのほう見ているんだけどー」
そう言って椿は頬に手を当てて、笑った。
「キッモーイ☆」
その瞬間、
美卯の中のなにかがブチッとキレる音がした。
「……もういい」
美卯はぎろりと椿を睨んだ。
「???」
首を傾げる椿に、美卯は拳を握って決意する。
いいさ、いいさ。
彼女は決勝戦を制し、このプリオタを優勝するだろう。
今から挽回するのは、よっぽど白鳥椿がミスを続けない限り、ありえない。
だったら――。
今ここで白鳥椿を剥いて、全裸にして、その姿をあの暗黒幕張メッセの大スクリーンに映してやろうじゃないか!
全世界に白鳥椿の生き恥をさらしてやろう!
いいじゃないか、やってやろう。
美卯は退場になるだろう。オタサー界を追放になるかもしれない。だが、それがなんだというのだ。
これもすべて、白鳥椿が悪いんだから!
美卯はそう思い、腕まくりをした。
不気味な目の輝きに、白鳥椿はわずかに怪訝そうな顔をする。
「ミウちゃん? ミウちゃんの番だけどー?」
きゃはっとこちらを振り向くその椿のスカートの中に、美卯はもぐりこんだ。
唐突に、だ。
「――ちょ、ちょちょちょちょちょなにしているの!? ばか! ばか! どこさわってんの!? ちょっとお!」
これ以上ないほどに狼狽する椿。
彼女は真っ赤になってぽかぽかと美卯の頭を殴りつける。
会場からは『キマシタワー!』の大合唱だ。
だが――。
「あ、あれ」
スカートの中に頭を突っ込んでいる美卯の脳裏に、閃くものがあった。
なんだろう、なんだろうこの感覚。
そういえばヒナは椿を見て、なんて言っていたか。
『ツバキさんはかっこいいですし!』と叫んでいた。
かっこいい? 可愛い、ではないのか。
――ヒナはもしかして、気づいていたのか?
スカートからがばっと抜け出した美卯は、信じられないものを見るような目をしていた。
椿はスカートを押さえながら後ずさりする。
美卯は右手を意味深にニギニギしながら。
「……椿ちゃん」
「な、な、な、なあに?」
椿はすっかり余裕のなくなった顔をしていた。
公衆の面前でスカートの中にいきなりもぐりこまれては、無理もないかもしれないが。
だが、それだけでもない。
美卯は椿だけに聞こえる声で、ぽつりとつぶやく。
「椿ちゃんって……、『男の娘』だったの?」
「――」
ぼんっと椿の顔が爆発するように赤くなった。
あったのだ。
しっかりと、あったのだ。
椿のリトル椿があったのだ。美卯はそれをしっかりと確認したのだ。
しかし椿は白を切る。
少年のような体つきを反らせながら、精いっぱい胸に手を当てる。
「は、は、はああ!? そんなわけないじゃん! こんなに可愛いツバキちゃんが男の娘なわけないじゃん! ばーーっかじゃないのー!? 美卯ちゃんなに言ってんのー!?」
その叫びに会場全体がざわついた。
「えっ、男の娘?」
「椿ちゃんって男の娘なの……?」
「どういうことだってばよ」
「ええっ、あんなに可愛いのに!?」
「ああああああああああああああああああ!」
椿は己の失言を悔やむ。
言ってしまった。言ってしまったのだ。
自らの口で言ってしまった!
ここまで必死に隠していたその事実を。
本人の口から公表してしまったも、同然だ。
美卯はマイクを掴み、そして畳みかけるように叫ぶ。
「――しかもめちゃめちゃ大きくなってたよ!」
「あああああああああああああああああああああああああああああああ!」
椿の絶叫が響き渡った。
もはや椿はその場にへたり込んでいた。
足をぺたんと折り、女の子座りだ。
耳まで真っ赤になった顔を押さえている。
椿はしゃくりあげていた。
「ひっく、ひっく……。な、なんでこんなことに、なんで、こんな、ことにっ……」
会場もまるで震えるようだ。
椿推しのファンクラブなどは、口から泡を吹いて倒れていた。
緊急救護班が詰めかけて、タンカを担いでやってくる。
泣き叫ぶ男も現れた。
ふざけんなよと顔を真っ赤にして叫ぶ男も出てくる。
まさに阿鼻叫喚である。
白鳥椿は隠し通していた事実を暴かれて、泣きじゃくっている。
運営委員たちの中にも椿のファンがいた。
藤井ヒナはいまだに救護室で眠っているし。
もはや会場内はカオスだ。暴動が起きる寸前のようだった。
美卯はここぞとばかりマイクを掴んだ。
「待ってみんな! 椿ちゃんを責めないであげて!」
ぴたりと会場の騒ぎ声が止む。
姫の言葉は絶対なのだ。よく調教されている男たちである。
そして美卯は一息に言い切る。
「椿ちゃんは確かに男の娘だったけれど! 決勝戦でみんなからの視線を浴びてリトル椿ちゃんをスタンドアップさせちゃうような『ド変態!』だけど、それがなんだっていうの! いいじゃない! 『ド変態』でも! 『ド変態』だからなんなの! 『ド変態』だってトーナメントに出場してもいいんだよ! 『ド変態』の椿ちゃんを許してあげて!」
「もうやめてよおおおおおおおおおおお!」
椿がしっかりとした腹式呼吸で叫ぶ。
涙声であった。
そして立ち上がり、美卯に指を突きつけながらわめく。
「なんなの! なんなの! 違うし! ツバキちゃん男の子じゃないし! だいたいこんなに可愛い男の子がいるわけないじゃん! よく見てみなさいよ! ばーっかじゃないの!?」
「よしわかった。それじゃあ今ここでスカートめくってみて。みんなに見えるように。YouTubeにアップロードできるように。ほら、ほらほら、ほら!」
「やだよ!? それツバキちゃんが女の子だったとしても、っていうか女の子だけどいやだよ!?」
スカートを必死に抑える椿と、それを引っ張る美卯という凄まじい構図である。
あまりにもひどい。
ぜえぜえと息を切らし、ズレたウサギ耳の位置を直しつつ、美卯がつぶやく。
「さすが男の子、力が強いね……」
「だからツバキちゃん女の子だし!」
「別に椿ちゃんが男の子でも女の子でもいいよ。プリンセスオブオタサーに性別の規定はないし。自分が姫だと思ったらそれが姫なんだよ」
「……なんなの、急に優しくなって」
半眼でこちらを見つめる椿に、美卯は慈母の微笑みを見せた。
そして、マイクを差し出す。
「だから、宣言して」
「……え?」
「『ツバキちゃんは男の子です。今まで嘘ついててごめんなさい』って。ほら、言って。みんなに聞こえるように言って! ほら、言いなよ! 後ろめたい気持ちがないなら言えるでしょ! 言いなさいよ!」
「なんなの!? 絶対に言わないよ! 別にツバキちゃんがどっちでもいいでしょ!?」
「どっちでもいいなら言えるでしょ!」
「言いたくないし! 言いたくないだけだし!」
美卯の目がスッと細められた。
「ヒナちゃんに検索させるよ」
「――っ」
椿は青い顔になった。
「椿ちゃんの昔の写真。ネットに残っていなくても、ヒナちゃんなら見つけ出すよ。全世界から検索して、そしてYouTubeにアップロードするよ。ヒナちゃんなら二分でやり遂げるよ。それでもいいの? 椿ちゃん、いいの?」
完全に脅しである。
美卯は全力で白鳥椿を叩き潰しに来た。
椿はがくがくと震え出す。
「あ、あ、あ……」
椿は顔を手で押さえた。
詰みであった。
美卯はにっこりと笑う。
「ほら、椿ちゃん。みんなが待っているよ。今まであなたが弄んできたみんなが、ね。人の恋心を手のひらで転がし、弾いて、砕いてきたあなたが、すべてを清算するときが来たんだよ」
マイクを手渡された椿は、泣き笑いの表情であった。
『え、えと……』
椿がぽつりぽつりと語り出す。
プリンセスオブオタサーの歴史上に残るこの事件は、後に『ダークプリンセスの落日』と呼ばれ、動画サイトにアップロードにされた。
YouTubeで2000万回再生を超えることになる、伝説の演説であった。
『みなさまに、お話しなければならないことが、あります……』
深刻な語り口である。
それだけで、あちこちですすり泣きが聞こえてきた。
『ツバキちゃんは、実は今まで黙っていましたが……』
そこでちらりと椿は横を見た。
美卯が涼しげな笑みを浮かべている。
そして立てた親指を下に向けた。
今までのツケを支払え、ということだ。
周囲の視線が突き刺さる。
その中でスポットライトに照らされ、椿はついに告白した。
『ほんとは、男の子、なんです……。嘘ついてて、ごめんなさい……』
あちこちで悲鳴や絶叫が響いた。
そんなことは聞きたくなかったと男泣きの声がこだまする。
椿はほぞを噛む。
『騙す気はなかったんです……。でも、女装をしたのも、お姉ちゃんに無理矢理させされて……。でも、そうしたら、なんかみんなに可愛い可愛いって言われて、それがすっごく気持ちよくて……。チヤホヤされるうちに、なんか自分のすべてが許してもらえるような気がして……』
中学生、休みの日に女の子の服を着て外に遊びに行くと、いろんな人が声をかけてくれた。
その誰もが椿の外見しか見ていなくても、それでも椿にはよかった。たったひとつのアイデンティティを手に入れることができた気がした。
だから椿は己を磨いた。
もっともっと可愛くなりたかった。
メイクにファッション、立ち振る舞いに姿勢。
もっと美しくなれるように努力し、努力をしていない女を見下した。
どんな女にも負けたくなかった。
誰よりも可愛い。そう言われたかった。
『だって羨ましいんだもん! 女に生まれただけでチヤホヤされる姫どもが! ツバキちゃんのほうが絶対に可愛いのに! ツバキちゃん、可愛くなろうと思っていっぱい努力したんだよ! なのに、そんな姫をちやほやするみんなのことも嫌いで、だから……ツバキちゃんは、この世のすべてのオタサーを破壊したくて……』
椿はぽろぽろと涙を流していた。
しゃくりあげながら、手の甲で涙を拭う。
『ごめんなさい……。ツバキちゃんのことを嫌いになっても、ツバキちゃんの可愛さだけは認めてください!』
そう言って頭を下げる椿。
会場は静まり返っていた。
椿オンステージである。
そんな禊のような、懺悔のような言葉を聞いて。
オタクのひとりが、ぽつりとつぶやいた。
「……いい」
えっ、と美卯が顔をあげた。
さらに加えて、誰かが言った。
「悪くないじゃん……」
えっ、えっ。
つぶやきはどんどんと波及してゆく。
「男だとか、女だとか、関係ないかも……」
まさか、そんな。
人々の視線の明かりの照らされるように、椿も顔をあげた。
彼女――いや、彼に届くのは、暖かなまなざしであった。
「いいじゃん、可愛いし」
「そうだよ。いいじゃん、男の娘、いいじゃん」
「っていうか、逆にいいかも」
「うん、逆に尊い」
「逆にアリだな」
「俺は好きだよ、逆に」
「男の娘とか、逆に最高じゃん!」
やがて拍手が生まれた。
最初は小さなそれは、波紋のように広がり、やがて大きな音となる。
想いの力だ。
『男の娘ばんざーい! 男の娘ばんざーい!』
拍手喝采。そんな中、スポットライトを浴びた椿は目を潤ませる。
先ほどとは違う、驚きの中に一粒の喜びが混ざった笑顔で――。
『みんな、ありがとう! ツバキちゃん、これからももっともっと可愛くなるね! 応援よろしくお願いしまーす!』
『うおおおおおおおおおおおお! つばきちゃああああああああああああん!』
ひとり残された美卯は、絶句していた。
「なに、これ……」
思っていたのと違う。
そんな美卯の肩をぽんぽんと叩くのは、藤井ヒナだ。
医務室から戻ってきたのだろう。彼女もまた、ほくほくとした笑顔を浮かべていた。
「まあまあ、美卯ちゃん。いいじゃないですか。可愛いものは可愛い。それでいいんですよ」
「う、うん……。なんかすごい、納得できない。なんで丸く収まっているのかな」
「人にはひとつやふたつの秘密はあったんです。わたしにだってありますし」
「ヒナちゃんの秘密は一個どころじゃないと思うんだけど」
あらゆる不条理を内包した彼女に、うめく。
藤井ヒナは胸を張っていた。
「いいんです、男の娘でも女の子でもアラサーでもホログラム映像でも平凡でも、人は姫になれるんです。なれるってことなんですよ!」
「あ、はい」
目を細めて首をひねる美卯に、藤井ヒナは言った。
「美卯ちゃんだって――」
常に彼女が指にはめている左手薬指の、銀色の指輪を見つめて。
爆弾を投下した。
「――美卯ちゃんだって、結婚しているのに姫じゃないですかー!」
ヒナはそう言った。
うんまあ、とうなずきかけて、美卯ははたと気づく。
油断していたのだ。
思わずぽろっとはいたその言葉を。
「――え?」
椿が聞いていた。
攻守交代の音がした。




