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あたしのほくろ








「服を買おう」とクロウくんが言ったのは、“要の街”を出る少し前のことだった。


王都が近づくにつれて警戒が強まるかも知れないから、という理由に納得したあたしは、手近にあった店に入ることにした。


こざっぱりとした店内には、男女の服が同じくらいの比重で陳列されている。

店員さんの挨拶につられて笑みを返したあたしは、視線を受ける気まずさから、目の前にかけられている服の布地に指を滑らせた。

するり、と引っかかりもごわつきもない生地は、着心地が良さそう。

・・・ここで買っちゃおうかな。

真剣に選ぶつもりで、服に目を向けた時だ。

「アイリちゃん、これ着てみて」

クロウくんが、オリーブ色のワンピースを持って目の前に現れた。

「これなら、良くも悪くも目立たないと思うよ。

 他にも何着か、下着も買っていこうね。これから長いし」

そう言った彼の指差した籠の中には、ワンピースやら下着のセットやらが、いくつか入っていた。

・・・下着が。いやそれは百歩譲っても下着の色が。なんでその色。

「アイリちゃんに似合いそうなのを選んどいたよ。

 はい、試着室へどうぞ~」

ぽん、とワンピースを渡され試着室にぐいぐい押し込められて、しゃーっ、と試着室のカーテンが閉められた。

懐いてくれたわんこは、ちょっと強引だ。



「・・・お待たせ」

釈然としない気持ちのまま、言われた通りに着替えて試着室を出る。

着心地もサイズ感も文句のつけようがないけど、1つだけ問題が。

「あ、クロウく、」

「うん、やっぱり似合うね」

わんこな笑顔に遮られて、言葉に詰まる。

「う、でもちょっとこれ、予算、がっ」

「はいじゃあ行くよー」

言い終わる前に、待ち構えていたクロウくんに手を引っ張られて、そのまま会計に直行。

どうしよう、言いたいことがありすぎて言葉が出てこない。

ぐるぐると頭の中で渦を巻く言葉を捕まえられないまま、気づいたら、あたしは会計のお姉さんに縫い付けられていたタグを切って貰っていた。

・・・なんて早業だ。

「お買い上げありがとうございます、合計で6万シェルになります」

「ろっ・・・?!」

絶句するあたしを一瞥すらしないで、クロウくんがポケットからお札を取り出す。

その姿は、いつか先輩が食事を御馳走してくれた時みたいな、男の人の匂いを漂わせた。

・・・おかしい。わんこのはずなのに。

「いちにーさんしーごー・・・ハイ」

雑なのに慣れた手つきで数えられたお札が、会計用のお皿の上に乗せられる。

「確認させていただきますね」

綺麗なお姉さんが震える手で数えたお札は、丁寧な扱いを受けて小さな金庫に収納されていった。

そこであたしは、一大事を思い出した。

「あのっ」

思わず身を乗り出して、買った物を渡そうとするお姉さんに声をかける。

お姉さんの肩が、びくついた。

「今の会計の領収書、」

「要らないっす」

スパっと切り捨てられた台詞に、お姉さんが戸惑いの表情を浮かべる。

あたしとクロウくんを交互に見て、おろおろと。

「えぇぇぇっ?!

 でもあのっ、」

「どうもー」

食い下がろうとしたあたしの手は、クロウくんに勢いよく引っ張られた。

お姉さんの「ありがとうございました」がフェードアウトしていく。







緩やかに風を切って走るクエに揺られて、あたしは口を尖らせていた。

「そろそろ、ご機嫌直らないかなぁ・・・?」

苦笑混じりのクロウくんが、あたしのお腹を引き寄せる。

お金のこと考えてると、密着されても気にならないから不思議。

もう過ぎたことだから、あたしが払うか、買った物を返品するかくらいしか、選択肢は残されてないと思うんだけど・・・。

でも、ちゃんと思い出したからには今度こそ領収書を、と思ったのに。

「あれは、俺が買ったの」

何回目かの台詞。

「俺が選んで、俺がお金を出したの。

 アイリちゃんの会社とは全く関係ない出費なんだから、領収書は必要ナシ。

 したがって、アイリちゃんが怒る理由が見当たりません」

これも何回も聞いた。

「あたしの服なのに?」

「そ。アイリちゃんの服だけど、買いたくて買ったのは俺でしたー」

睨みつけるように前を見ているあたしの肩に、クロウくんの顎が乗ってくる。

ワンピースの裾が、風に吹かれて気持ちよさそうにたなびいて。

あたしはこっそり、ため息をついた。

小走りのクエも、ふん、と鼻を鳴らす。

・・・この仔が一番、この会話に辟易してるかも知れないな。

考えを巡らせるあたしに耐えかねたのか、クロウくんが口を開いた。

「・・・なんだっけ、ボーナス?

 そのご褒美を貰う罪悪感を紛らわすため、と思ってくれればいいよ」

「6万も?」

「金額は、何も考えないで買ったから関係なし」

「・・・あのね、クロウくん」

感謝の気持ちは、必ずしもプレゼントの金額に比例しないと思うけど。

あたしはそっと、視線だけで振り返る。

肩に乗った彼の顎が、わずかに揺れた。

今さらだけど、なんか近いな。

・・・いやいや、今はお金の話。大事な話だ。

「んー?」

「うちの家賃、7万なの。駐車場が8千。

 あたしの世界では、家賃は月収の3割程度が妥当なのね。

 だから、そのあたりから察して、おねだりしてくれると、大変ありがたい・・・」

並べた言葉に、彼が小さく噴き出す。

背中越しに伝わる振動が、彼の表情を想像させる。

「あのね。俺、王立騎士団付属の医師団で働いてたの。

 今は働いてないけど、金額には全っ然、拘りません。

 ・・・それにほら、大抵の物は、欲しかったら自分で買えるしさ」

どこの世界でも、勤務医は激務相応に、お金を稼いでいるのか。

それとも王立だからセレブなのか・・・あれ、ならどうして辞めちゃったんだろ。

内心で首を捻っていると、肩口から囁きが聞こえてきた。

「それに、高いものが欲しいわけでも、他人より良いものが欲しいわけでもないの。

 ・・・んー・・・説明が難しいけど、とりあえず心配しないでおいてよ。

 今はお互い、王都まで無事に行くことだけ考えよう。ね?」

「うん・・・まあ、そうだけど・・・」

やっぱり何か釈然としない気持ちではあるけど、仕方ない。

この話は終わりにします、という雰囲気に、あたしは口を閉じた。




てってってって・・・と、軽い足取りで、クエが進む。

“要の街”を出て、どれくらい経ったのか分からないけど、お腹の虫が騒ぎ始めた頃だ。

しばらくの間続いていた沈黙の中、クロウくんが唐突に口を開いた。


「・・・ねえ、アイリちゃん。

 君をゴミ山に投げ込んだのは、騎士だったんだよね?」

「え?」

硬い声に、思わず聞き返す。

すると彼は手綱を引いた。

リズミカルに跳ねるようだったクエの足音が、ゆっくりになる。

「・・・ごめん、急に」

零れた呟きに、そっと首を振った。

人が歩くのと同じくらいの速さで移り変わる景色を横目に、あたしは彼が紡ぐ言葉を拾おうと、耳を澄ませる。

「あの日、この世界にやって来たアイリちゃんを、騎士が、ゴミ山に投げ込んだ。

 ・・・ってことで、合ってる?」

「うん」

こくん、と頷いたあたしに、彼が呟いた。

「でも、時間的に考えて、アイリちゃんが現れたのは王城じゃないと思うんだよね」

「え、あれ?・・・でも、お客様は皇太子と・・・」

彼の言葉に頭の中が混乱して、首を傾げる。

そんなあたしのお腹に回った手が、ぽふぽふ、とリズムを刻んだ。

「うん、ちょっと聞いててね」

頷きを返すと、クロウくんが囁き始める。


「アイリちゃんを王城の手前から、あのゴミ捨て場に運ぶには、数日かかる。

 それは、王都に向けて自分が移動してみて、なんとなく理解出来るでしょ?

 ・・・だから、アイリちゃんは王城に降り立ったわけじゃない。

 皇太子達は王都で出会って、迎えを混乱させるために、場所を移したんだ」

先輩が“お客様の近くに降ろす”って言ってたのを思い出す。

なんとなく話が見えてきて、あたしは尋ねた。

「・・・迎えを避けるために移った場所に、あたしが現れた、ってこと?」

クロウくんが、それを静かに肯定してくれる。

「うん、そう。

 アイリちゃんは、騎士がいたから王城だと思い込んだんだろうね。

 “森ノ宮”って、知ってる・・・?」

「もりのみや・・・」

「その感じだと、ピンときてないね。

 ・・・王族の別邸なんだ。だから、騎士が常駐してる。

 今日これから入る森の奥に湖があって、その湖畔に建ってるんだけど」

「なるほど・・・そういうことだったのか」

相槌を打ったあたしに、彼は続けた。

クエはいつの間にか丘を越えていて、あたし達の眼前には小さな街が広がっている。

「それでね、ここからが本題なんだ」

「え?」

今の話は前置きだったのか。

じゃあクロウくんが話したかった本題って、何だ。

小首を傾げていると、クエの進行方向が若干ずれた。

向かう先には、大きな木が立っている。

「アイリちゃんを追い払った皇太子達が、森ノ宮から王都に向かったとして。

 殺したつもりはないだろうから、迎えが追いかけてくることも想定済みだと思う」

・・・いや、ちょっぴり死んじゃうかと思ったよ、あたしは。

心の中で呟いている間に、彼は木の下でクエの足を止めた。

その声は、硬い。

「だとすれば、この辺りからアイリちゃんを足止めするために、何か講じてるはずだ。

 例えば、騎士達に似顔絵を持たせて、街に入る時にチェックさせてるとかね。

 服は違うものに変えたから・・・」

言いながら、クロウくんがクエから降りる。

そして手綱を大きな木の枝に引っ掛けた。

「・・・逃げちゃわない?」

あんまり頼りない繋ぎ方に不安を覚えて、思わず訊く。

すると彼は小さく笑って、手を差し出した。

「へーき。

 ・・・ほら、おいで」

「うん」

クエの上で横座りになるように体を捻ったあたしは、クロウくんの手を取って腰を浮かせ、鐙の部分を軽く蹴った。

その瞬間に彼のもう片方の手が、あたしの腰を支えて地面に着地させてくれる。

何度もこなすうちに、乗り降りもずいぶん慣れたもんだ。

・・・手こずったのは最初から、あたしの身のこなし、だけなんだけど。

それにしても、だ。

「あたしの方が、お姉さんなのになぁ・・・」

扱いが、年上に対する尊敬の念を欠いている気がして、若干気に食わない。

いやまあ、この世界でも1人で出来ることなんて全然ないから、クロウくんに何とかして貰ってる感は否めないんだけども。

「・・・おねーさん・・・じゃあ、ないよね」

試しに口にしてみたけどイマイチだったのか、彼は肩を竦めた。


クエに餌を強請られて、あたしは荷物の中から果物を取り出す。

サクランボみたいな小さな赤い実を、早く早く、と開けられた口の中に放り込んだ。

「んーと・・・」

背後では、クロウくんが鞄を覗きこんで何かを探してる。

童顔巨乳さんが持ってきてくれた荷物だし、きっと何が入ってるのか確認してるんだろう。

彼がゴソゴソ何かしてる間にも、あたしはクエと戯れ続ける。

サクランボキャッチは、すでに習得済みだから、次は何を覚えさせようかな。

・・・そういえばこの仔、名前なかった気がする。


そんなことを考えていたら、クロウくんに呼ばれた。

「アイリちゃん、」

手招きされて、持っていたサクランボもどきを地面に置いて、踵を返す。

「なあに?」

「ちょっと顔変えよう」

真顔で肩を掴まれて、あたしは仰け反った。

「せ、整形はちょっと!」

手術怖い!

「せいけい?

 ・・・よく分かんないけど、ホクロ付けとこう。

 これで結構、印象変わると思うんだけど・・・」

「ん?」

呆気に取られて固まったあたしを尻目に、彼は黒いものを摘まんだまま呟く。

「口元か、目元か・・・」

「ホクロ付けるだけでいいの?」

そんな簡単なことで、顔って変わるんだろうか。

あたしの疑問に、彼はあっさり頷いた。

「ほんとは、髪の色とか変えたいけど・・・急な雨が怖いからさ」

「髪、切ってもいいよ?」

肩ほどの長さの髪は、こないだ美容院で切り揃えてもらったばかり。

ほんとは短くするのは嫌なんだけど、王都に入るためなら仕方ない。

けど彼は、あたしの思い切った提案には首を縦に振らなかった。

「やだ。

 髪は、普通に長いくらいが好みなの」

腰に手を当てて、憮然と言い放つクロウくん。

ああ、好みの問題だったんだね。

・・・あほか。

呆れてため息をついたあたしは、鞄に手を伸ばして言った。

「髪は放っておけば伸びるもん。

 いいよ、ほら、医者なんだから鞄にハサミくらい入ってるでしょ?」

「うわわわ、ダメダメダメ!

 付けボクロで、とりあえずホクロで乗り切ろうよ!」

慌ててあたしの手を掴んだ彼が、必死の形相で言い募る。

そこまで言うなら、とあたしは頷いた。

少し離れた所で、クエが鼻を鳴らすのが聞こえる。


黒いものを摘まんだ手が、行ったり来たりして場所を探す。

「うーん・・・どっちがいいかなぁ・・・」

鏡がないから、あたしには共有できない悩みだ。

「目元も口元も、どっちも良すぎて決められない・・・!」

うん。共有出来ない、あほな悩みだ。

どっちも良い=どっちでも良い、に辿りつかないもんだろうか。

「どっちでもいいよー、早く街に入ろうよー」

クエー、という鳴き声が響く。

「よくない!

 ・・・どっちもそそられる・・・心配だ・・・!」

しまいには意味の分からんことをのたまって、頭を抱える始末だ。

・・・あたし1人でも、クエが街まで連れてってくれないかな。


ちらりと視線を送れば、やる気に満ちたオレンジ色の尾がぷるる、と揺れた。









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