わんこのご奉仕
ばちっ、と目が覚めた。
自分でもびっくりするくらい、激しく爽やかな目覚め。
「ちょっ・・・とぉぉぉっ」
絡まりついてくる腕を押しのけようと、全身で目覚めを主張する。
でも、絡まってる本人は、まったくもって起きる気配がない。
ひとの部屋でどんだけ熟睡してるんだ。
昨夜、初めて乗ったクエでの移動で痛めた背中が限界を迎え、クロウくんがマッサージと処置をしてくれることになったのは覚えてる。
あったかい手が強張った背中を丁寧に解してくれて、それが気持ち良くて、あっさり眠りに堕ちてしまったんだ。
・・・きっと疲れてたんだな。
飲み過ぎちゃった時みたいな、若干のやっちゃった感を背負いつつ、あたしは後ろから抱きついて離れない腕を、ぺちぺち叩いた。
これはきっと、冬の朝に、起きたらベッドの中にわんこが入りこんでたのと似たようなもの。
生憎あたしには、わんこを飼ったことも、男と同じベッドで朝を迎えた経験もない。
でもちゃんと服を着てるし、聞いてた体の痛みだってない。
背中越しに規則正しい寝息が聞こえてくるくらいに、色気も何もない雰囲気なんだし、遠慮することはないはずだ。
「クロウくん、クロウくん!」
思い切り叩いて、揺さぶる。
一度や二度じゃダメだ。安眠を貪る腕を、何度も叩いた。
すると、最初はまったく反応を示さなかった彼が、大きく息を吐き出す。
「・・・んー・・・うぅぅぅ・・・」
がっし、とあたしをホールドしていた腕が、あっさり離れて天井へと伸ばされる。
そして。
「あー・・・アイリちゃんだぁ・・・」
「のわぁっ」
ばふん、と再び腕が絡まってきた。
ぎゅぅぅぅ。
「はよー」
どうやら朝の挨拶らしい。
愛着を体で表現してくれるのは大変嬉しいところだけど、いかんせん場所が場所だ。
ボディタッチの多い世界だと聞いてはいたけど、これはちょっと、度が過ぎる。
「おはよ!離れてー!」
隣の部屋に響かないように小さく叫ぶ。
すると、あたしの体が、一層締め付けられた。
容赦ない。
これはあれか。プロレスか。
「く、るし・・・っ」
「もー・・・」
つむじの辺りに、クロウくんの息がかかる。
「ひどーい」
頭頂部が、何かでぐりぐりされてる。
力加減がおかしい。寝起きだからなのか。
わんこな医者なはずなのに。見た目細いのに!
「あだだだだっ。クロウくん、痛い!」
自由にならない腕の代わりに、バタ足で意思表示。
カーテンの向こうで揺れる陽の光に似つかわしくない、朝。
「むー・・・」
納得がいかないのか、彼が意味不明な鳴き声を上げて、ゆっくりと腕を離す。
解放されたあたしは、思い切り息を吸い込んで体を起こした。
すかすか、する。
背中を擦って、思わず声を上げた。
「おわっ」
外したままのワンピースのボタンに気づいて、慌てて留める。
すると、目の前でクロウくんが噴き出した。
「背中は?痛まない?」
「あ、うん・・・そういえば・・・」
言われて初めて、背中の引き攣った感じが消えていることに気づく。
すごく体が軽い。
戸惑い半分のあたしに、彼の手が伸びてくる。
ぎし、とベッドの軋む音に、体が勝手に硬くなった。
呆れたような、面白がるような表情を浮かべて後ろに回った彼が、一番上のボタンを留めてくれる。
「そっか、よかった」
「・・・もしかして、あたしが寝た後も?」
「ひと通り、しっかりマッサージさせていただきました」
「うわ、ごめん。
なんて律義な子・・・お医者さんの鑑だね。ありがと」
「・・・アイリちゃん、それはいくらなんでも前向きすぎる・・・」
背後から聞こえた声は、しょんぼりと肩を落とすクロウくんの姿を想像させた。
・・・褒めたのに。
「おいしー」
笑みを浮かべたクロウくんに、あたしも頬が緩む。
男の子が美味しそうに食事をするのを見るのって、気持ちがいいものだ。
でも気になるのは、その目の下のクマ。
「クロウくん、クマが出来てる・・・」
サラダをつつきながら言ったあたしに、彼はどういうわけか、意地悪く口角を上げる。
「そりゃあ、ね。
これでもか、ってくらいご主人さまにご奉仕しましたから。
身を削り過ぎたけど、これもまあ、男の勲章的な?」
がっしゃん。
給仕のお兄さんの手元から、カップが落っこちたらしい。
どうかあたしのカフェオレじゃありませんように・・・と祈りつつ、笑みを浮かべて小首を傾げるクロウくんを見つめる。
「ご主人って・・・まあ確かに、クロウくんは犬みたいだけど。
とにかく、その、マッサージに関してはありがとうね。
でも、あたしのこと起こしてくれたら、クロウくんだって自分の部屋で寝れたのに」
「そんなぁ・・・あんなにヘトヘトにさせといて、追い払うなんて酷いよぅ。
ちょっとだけ、と思ってウトウトして、気づいたら朝だったんだもん」
そう言って、彼はフォークで突き刺した果物を頬張る。
ぷくっと膨れるのは、ちょっとずるいと思うよ。
給仕さんが、あたしのカフェオレを持って来てくれた。
その顔が真っ赤なのが若干気になるところだけど・・・きっとカップを割っちゃって恥ずかしかったんだろう、と結論付ける。
「・・・でもちゃんと眠れなかったんでしょ?
ダメだよ、今日もこれから長いんだから・・・。
あたしも、昨日の夜みたいにならないように頑張るし・・・」
「ううん。まだ慣れないだろうから、俺が後ろから支えとく。
スピード上がると揺れも大きいし、落っこちたら危ないでしょ。
・・・これから毎日乗るんだから、ゆっくり体で覚えてくれればいいよ」
がしゃがしゃっ、べちっ。
何かが床に落ちた音がした。
そんなに手が滑るなら、一度ちゃんと洗った方がいいと思う。油は石鹸でちゃんと洗わないと、落ちないんだから。
荘厳な雰囲気の赤い絨毯と、いくつも並ぶ大きなテーブル。
何冊かの雑誌と今日の新聞を積み上げて、あたしは図書館の一角に腰を下ろした。
おじさんの引き攣った笑みに見送られて宿を出ると、クロウくんはあたしを図書館に送り届けて、どこかへ行ってしまった。
なにやら、ちょっとした用があるとか。
詳しくは尋ねなかったけど、「ちゃんと迎えに来るから、どこにも行かないでね」と繰り返し言い含められた。
・・・彼はちょっと、勘違いしてる。
「どこにも行かないでね」は、あたしの台詞だと思うんだ。
ともかく、王都から遠く離れた場所に土地勘のないあたしは、クロウくんに言われるまま、図書館で時間を潰すことになったわけだ。
幸い、ここには本がたくさんある。
あたしは“お迎え係”になった時に、この国の読み書きと日常会話のためのフィルムを摂取してるから、一般的な本なら読める。
フィルムというのは、薄い紙みたいなもの。それに、吸収したい情報を詰め込んで、舌から摂取する仕組みになってて。さすがに流行語やスラングには対応出来ないんだけど、とっても助かる代物だ。
積み上げたものの中から、まずは新聞を引っ張り出して広げる。
図書館の中は静かだ。
囁きすら聞こえない、時間から切り離されたような、不思議な感覚に陥る。
だから、記事に書かれた文字が、真っすぐに脳の中に入り込んでくるような気がした。
やっぱり目立つのは、皇太子とお客様の記事だ。
優里さんが教えて、皇太子と一緒に千羽鶴を作ったらしい。それを持って、孤児院や貧しい人達の暮らす集合住宅を慰問したとか・・・。
2人の好感度は上昇中みたいだ。
オルネ王女と縁付いて権力を取るか・・・それとも目の前の愛を取るか、みたいな、読んだら絶対に優里さんを応援したくなるような記事。
雑誌に記された日にちは、少し古い。
テレビもラジオもない世界では、毎日刊行される新聞が一番鮮度が高いのかも知れないな。
そんな感想を抱きながら、あたしはページを捲る。
次に目に入ったのは、王族に関しての記事。隣国のオルネ王女と、自国の王子達について書かれているようだ。
この国・・・ファルアには、王子が4人と王女が1人いる。
1番目の王子は、皇太子として様々な公務を。
2番目の王子は、剣術や戦術に長け、王立騎士団の団長を務めている。
3番目の王子は、学者気質。潮風に負けないような農作物の開発に勤しんでいるらしい。
4番目の王子は、何でもソツなくこなすけど、放浪癖がある。一応、騎士団在籍。
5番目に生まれた、1番目の王女。彼女は幼少の頃から病気がちで、ベッドからあまり出られないらしい。
実はあたし、この国の王族に関しての資料をほとんど読んでない。
先輩からはファイルを貰ってるけど・・・あれは絵姿付きだから。
「なかなかのイケメン揃いだった」と鼻の穴を膨らませた面食いの彼女の感想を聞いて、怖気づいたのだ。
その当時は、あたしもちょっと参ってたし。
「・・・このラインナップだと、お見合いが成立しそうなのは・・・」
記事には絵姿は載っていない。
彼らを表現する文章から察するに、1番2番は可能性大。3番は、眼鏡や読書男子が好きだっていう同僚の言葉を信じると、あり得るかも知れない。
4番目は判断がつかない。女性にいい加減な印象を受けるから、ないかも知れない。
「てことは・・・。
うーん・・・どっちにしても2人を引き裂く感じになっちゃうのか・・・。
ビジネスライク過ぎるかな、でもな、規約だしな・・・」
周りに誰もいないことを確認して呟いていると、ふいに自分を影が覆ったことに気づいた。
咄嗟に振り向きざまに見上げ、息を吐く。
「クロウくん・・・」
「どうしたの、そんなカオしちゃって」
苦笑混じりの彼は、大人びて見えた。
「あれ?
鞄なんか持ってた?」
図書館を出たあたし達は、街の外れを目指している。
並んで歩いて気づいた変化を指差すと、クロウくんは「ああ」と言って鞄を持ち上げた。
「ミルベリー・・・えっと、“朝日の街”の食堂のウェイトレスね。
彼女が持って来てくれたんだ」
あの童顔巨乳の萌え彼女か。
脳裏を掠める姿に、心の中で舌打ちする。
・・・ちがうもん、ひがんでないもん。
「・・・て、持って来たって・・・1人で?」
あっさり言った彼に、驚きをそのまま伝える。
「ああ、うん。1人。
彼女は武道に長けてるからね。1人でどこでも行っちゃうんだ。
・・・さっき、宿を出るときに伝言を聞いて、受け取りに行ってきたの」
「そっか・・・凄いんだね、ミルベリーさん。
それって、お医者さん鞄だよね?」
彼女の話になると、どうにも神様を恨んでしまいそうになるから、話題を変えよう。
あたしは彼の持つ鞄を指差して、尋ねた。
すると、クロウくんが頷く。
「うん。
これで、アイリちゃんがどこ痛くしても大丈夫だね」
しばらく何でもない話をしていたクロウくんが、思い出したように言った。
「今日は、森の中で野宿するよ」
「え?」
生まれて初めて直面した単語に、固まる。
そんなあたしを横目で見て、彼は噴き出した。
「やっぱり野宿、したことないよね。
・・・大丈夫、寝ないで焚火の前に座ってるだけだよ。
本格的な野営の準備はしないつもり。薄っすら明るくなったら、すぐに移動する」
「・・・危なくない?」
一番心配なのは、野生動物に襲われることだ。強盗の類も心配だけど・・・彼らは、金品を渡してしまえば命までは盗らないことが多い、と聞いたことがある。
不安な気持ちが全面に出ていたんだろう。
クロウくんが、苦笑いを浮かべて小首を傾げた。
「ちゃんと準備したから大丈夫だよ」
「・・・実はクロウくんが野盗でした、っていうオチはないよね・・・?」
カモるつもりで助けたなんて、告白された日にはヘコむなんてもんじゃ済まされない。もれなく身の危険まで付いてくる。
逃げるなら今しかないじゃないか。
「なんでそういうとこだけ警戒心が働くんだろう・・・」
早く否定して欲しいのに、クロウくんが頭を抱えて唸った。
そして、盛大なため息をつく。
「襲っていいんなら、とっくに襲ってるってば・・・。
今まで何も起きてないんだから、野盗なわけないでしょ!」
「・・・そう、なんだけど」
顔に走る稲妻模様が物凄く近づいてきて、思わず体を引く。
あたしは言葉に詰まりつつも、彼の服の裾を掴んだ。
「クロウくんのこと全然知らないけど・・・頼っても、いいんだよね・・・?
もうさ、マッサージされて寝ちゃえるくらい、心許しちゃってると思うんだ。
・・・ねぇ、今さら騙されてたりとか、ないよね・・・?」
お母さん達に散々言われた言葉だ。
“初対面の人間を簡単に信用するな”
でも、いくら仕事とはいえ異世界に放り出されたのと同じ状況で、誰も頼るななんて、現代っ子のあたしには果てしなく難しいことで。
最初に手を差し伸べてくれた人が、とっても良くしてくれたら、信用しちゃうよ。
わんこでも医者でも、後ろから抱きつかれてもさ。
クロウくんは、そんなことを口走ったあたしに、きょとんとした目を向けた。
そして、ちょっとだけ顔を赤くして、微笑んだ。
目の下にクマがあっても、顔に稲妻模様が走っていても、その顔は優しくて温かい。
「言ったでしょ。可愛い子犬を拾ったんだと思って、って。
俺、もうアイリちゃんに懐いてるもん。騙したり裏切ったり、しない」
小首を傾げた彼に、頷く。
言葉を貰ったら、案外すんなり気持ちが落ち着いた。
「・・・うん、ありがと・・・」
「ボーナス入ったら、何でも御馳走するし、何でも欲しいものプレゼントするね」
「・・・いいの?
俺、欲張っちゃうかもよ?」
「うーん・・・と、車のローンが残ってるから、金額は要相談でお願いします。
でも、あげられるものなら何でもあげたいから、遠慮しないで言ってね」
「なんかよく分かんないけど、太っ腹!」
「うん。頑張って稼ぐからね!
・・・あぁぁっ、領収書貰うの忘れてたー!」
秋の空に、絶叫が響いた。