【後日談】おいしいごはん
「ちょっと、クロウくん・・・」
呆然と見上げて、あたしは呟いた。
そんなあたしの顔を振り返った彼は、ちょっと得意気。
・・・なんでしょう、その余裕っぷり。
おいしいごはんで会話も弾んで、すごく楽しくて・・・で、宴もたけなわ、ってところでクロウくんが「じゃあ行こっか」なんて言い出して。
会計を済ませたあたしは、一体どういうことなのか首を捻ってる間に押し切られて、なんとなくついて来ちゃったけど・・・。
クロウくんが繋いだ手を、くいっ、と引っ張る。
・・・尻ごみしたの、勘付かれたか。
「そっち、王城しかないよね?」
引っ張られてたたらを踏んだあたしは、ちょっと大きめの声を出して立ち止まる。
すると彼は、あたしを見て小さく笑った。
「そうだねぇ」
何かおかしい?・・・とでも言いたそうなカオだ。小首傾げちゃって。
いつも可愛くしてれば誤魔化せると思ったら大間違いだぞ、わんこ。
「いやいやいや、だからさ・・・。
なんで王城に向かってんのかな?」
語気を強めたあたしに、彼は少し考える素振りを見せてから言った。
「なんでって・・・あれ、俺んちなんだけど」
「俺んちって・・・」
これはあれか。スケールの大きなお持ち帰りか。
言葉を繰り返して、あたしはため息をついた。
そして額に手を当てて呟く。
・・・この際だから、お持ち帰り疑惑に関しては目を瞑っておこう。そんなことよりも、もっと考えることがある。
「クロウくんち、こんな時間に気軽にお邪魔していい家じゃないでしょ」
「そう?」
あっけらかんと言い放ったクロウくんが、いっそのこと小憎たらしく思えるな。
あたしは力強く頷いて言ってやった。
「そうです。
部外者のあたしが中に入るなら、見学時間内にするべきです」
「・・・部外者かぁ・・・」
小首を傾げてた彼が、小さく唸る。
それから、ぽろっと零した。
「でも、アイリちゃんが泊りに来るって言っちゃったもん」
「言っちゃった・・・?」
頭を抱えたい衝動を抑えたあたしは、息を飲んでから尋ねた。
穏やかでない台詞だ。何かが起きる予感しか連れてこない。
「うん。まず一番偉いオジサンの許可を貰ったでしょ。
で、アイリちゃんが城の中出歩けるように、ヘジーに話して。
アイリちゃんのお泊りセット用意してもらうのに、ミリーに話して。
そんで関係各所がいろいろ頑張ってて、おもてなしするって張り切ってる」
「・・・ひぇぇ・・・っ」
吐かれた言葉に眩暈を覚えて、あたしは数歩よろける。
なんじゃそりゃ。
でももう、これで王城に泊らなかったら多方面にご迷惑なんじゃなかろうか。皆さん仕事として、いろいろ準備してるんだろう。
しかも末っ子とはいえ、クローネル王子殿下の顔にドロ塗っちゃった、なんてことに・・・なったりするんだろうなぁ・・・。
・・・なにこの多勢に無勢感。
そもそも“おもてなし”をしてもらうのも、なんか違う気がするんですけど。
「あ、そっかそっか。
第一妃や皇太子とは、顔を合わせないで済むように取り計らうからね。
だいじょぶだよ、怖くないよ」
慄いて言葉を失ってるあたしに向かって、クロウくんが諭すように言う。
言っとくけど、決してあたしが駄々こねてるわけじゃないんだよ。
胸の内で毒づいて、あたしはため息を吐いた。
「そんなこと言ったって、もうホテルおさえちゃったし。
大体ね、もっと早く教えてくれてたら、王様に手土産のひとつでも・・・」
「あー・・・だいじょぶ。そういうのは受け取らないから」
悔し紛れに呟いたら、思いっきり鼻で笑われた。
・・・いろいろ気になるけど、ここは流されといた方が賢いかも知れない。
あたしは考えを巡らせて、最後には渋々頷いたのだった。
夜勤らしい門番が、横を通り過ぎるあたし達に・・・いや、クロウくんに挨拶する。
ちなみにあたしが、一瞬矢のような鋭い視線を向けられたのは絶対に勘違いじゃない、と思う。
皇太子の恋人になった、迷子のお客様を迎えに来たのは、つい最近のことだ。
そのために王城に紛れこんだ時は、隣国クライツのオルネ王女が手を貸してくれた。
・・・まあ、それなりに込み入った事情があったからこそ、あたしみたいな庶民に手を貸してくれたわけなんだけど・・・。
あの時は、まだクロウくんは呪いが解ける前で。あたしを追って王城に忍び込んで、えらい騒ぎになったんだ。
当然、騎士団が血眼になって侵入者を探して・・・で、そんな最中にあたしが紛れこんでたのが見つかって、咎められて。
でもオルネ王女が、その侵入者騒ぎの失態をクライツに戻った時には上手いことフォローしておく、って交換条件を出してくれて、あたしは見学者名簿に記名してなかったことを見逃してもらえたんだ。
・・・あ、そうか。
そこまで思い出して、ちょっと納得してしまった。
・・・前回国賓のお付きだったあたしが、今度はクロウくんにくっ付いて城に入ろうとしてるんだもん。そりゃあ睨まれるよ・・・。
思い至ったあたしは、がっくり肩を落とす。
「アイリちゃん?」
呼ばれて仰ぎ見たら、あたしの手を引いて歩いていたクロウくんが、不思議そうにしていることに気がついた。
相変わらずその歩幅は、あたしに分からないように合わせられてる。
あたしは、への字になりそうだった口角を上げた。
「・・・なんでもない」
そして、どんよりした空気を胸の中から追い出すように、そっと息をつく。
クロウくん曰く、今回は“国王陛下の許可”が下りたんだから、きっと放り出されたりはしないんだろう。
門からしばらく歩いて、城の入り口が近づいてきた。
あたしは、騎士が立っているのを見ない振りで、彼から離れないようにしながら中へ入った。
王城の中は、静まり返っていた。
時間が遅いからなのか、侍女っぽい女性の姿は見当たらない。
クロウくんの靴音や、城内を巡回してるらしい騎士がぶら下げてる剣が立てる音だけが、こだまするように響いている。
たまたま出くわす騎士は、恭しく挨拶をするか突き刺すような視線をくれるかのどっちか。
・・・やっぱりホテルに泊まろうかなぁ・・・。
この前は仕事のために頑張ったけど、今回はプライベートで来てるんだ。
小心者のあたしには、王城なんて立派なお家に泊めていただくのは気が引ける。
異世界トリップで一文無しになった迷子でもなし、あくまでただの旅行者だ。
・・・今ならまだ、引き返せるかも。
そう思いながら、あちこちに視線を投げて歩いていたら、流れでなんとなく繋ぎっぱなしになっていた手が、ふいに力を込めた。
「うわ」
「ん?・・・どう、」
どうしたの、と言おうとしたあたしは、視界に飛び込んできたものに驚いて、出かかっていた言葉を飲み込んだ。
進行方向には、階段の踊り場。
そこに、女性が2人佇んでいるのが見えたから。
そしてあたしは、ぽろっと零れたクロウくんの声で、彼が2人のことを知ってるんだ、ってことを直感した。
・・・まさか、元カノってことはないだろうけど・・・。
近づくにつれて、だんだんと彼女達の姿がハッキリ見えてくる。
1人は少女で、もう1人は熟女だ。
・・・ああでも熟女モテしそうだよねクロウくん・・・。
さっきまでとは別の意味でハラハラし始めたあたしは、なんとなく彼の手を握り返してみる。
頭をよぎるのは、これまでに経験してきた大小さまざまな異性トラブルだけど・・・。
思い出して気が遠くなりそうなのを堪えていると、女性2人があたし達に気づいたらしく、こっちを振り向いた。
「兄様っ」
可愛らしい声を上げた少女に、クロウくんが気まずそうに手を上げて応える。
「あー・・・うん」
なんか歯切れが悪い。
何を言われるんだろう、と反射的に身構えたあたしは拍子抜けして、きょとん、としてしまった。
それからクロウくんの引き攣った横顔を眺めて、内心で首を傾げる。
そして、はっとした。
・・・この子、ジュジュ王女だ。
オルネ王女のお付きとして王城に紛れこんでた時に、一度だけ会って話したことがある。
あの時は、オルネ王女がジュジュ王女に呼ばれて部屋にお邪魔して・・・で、お茶の席にあたしも招かれたんだったか。
ふわふわしてて金平糖みたいなお姫様、っていう印象で。
あたしが旅行会社の社員だ、ってことには全然驚かなくって。そのくせ「聞きたいことや知りたいことはありませんかっ」なんて、妙に前のめりになって訊かれた場面が、脳裏にこびりついてる。
・・・もしかしたら、クロウくんからあたしのこと聞いてたのかも知れないな。
だから、オルネ王女に声をかけて部屋でお茶をしてみたのかも・・・なんて、ちょっと深読みし過ぎかな。
「・・・おかえりなさい、兄様」
「た、ただいま」
微妙に強張った顔でやり取りしてるクロウくんを一瞥してから、あたしはジュジュ王女に向かって頭を下げた。
ちゃんと挨拶しとかないとな。可愛い女の子は大好きだし。
「その節は、お世話になりました」
「そんな、お世話だなんて・・・っ」
絵に描いたようなお姫様が、慌てた様子で両手を振った。
「またお会い出来て嬉しいです」
お姫様の微笑みにつられて、あたしの頬も緩む。
・・・こうしてると、クロウくんとお姫様は兄妹、って感じがするかも。
母親は違うらしいけど、向き合う様子を見る限りでは、仲が悪いってことはなさそうだし。
そんなことを、ぼんやりと頭の隅で考えていると、妹が兄を詰り始めた。
「兄様、ずるいです。
わたくしだって、アイリ義姉さまに・・・」
ぴしり。
彼女の台詞を聞いて、あたしの頬が引き攣った。
そこから先の会話の内容が、全くもって耳に入って来ない。
「お茶を」だの「時間があったら」だの、断片的にでも耳が台詞を拾おうとしてるけど、どうにも上手くいかない。
とりあえず、珍しくクロウくんが押され気味だ、ってことは分かるんだけど。
いやいやそれよりも何よりも、だ。
・・・お姫様、今のはあたしの空耳だと信じていいですか。
眩暈に似た感覚に、思わず額を押さえる。
すると、すかさずクロウくんが繋いでいた手を離して、あたしの腰を支えた。
「・・・わっ」
ぐいっ、と引き寄せられて、不意を突かれたあたしは大きくよろけてしまう。
そうして、たたらを踏んで落ち着いたのと同時に、お姫様の不満そうな声が聞こえてきた。
「あ、兄様っ」
「ジュジュ、この通りアイリちゃんも疲れてるからさ。
ゆっくり話をするのは、また今度にしよう」
突っかかってくる妹をかわす理由を見つけたらしく、クロウくんは笑みすら浮かべてる。
あたしはそんな場をややこしくするのも気が引けて、開きかけた口を引き結んでおいた。
そのまま兄妹のやりとりを半ば投げやりな気持ちで聞いていると、話が決着したのか、お姫様があたしの顔を覗き込んだ。
「あの・・・お茶にお誘いしたら、ご迷惑ですか?」
明かりのせいなのか、上目遣いに見つめてくる瞳が、心なしか潤んでるように見える。
きゅるん、とまるで子犬みたいだ。
気がついたら、あたしは小さく首を振っていた。
だって、可愛すぎる。
「まさか・・・。
とっても嬉しいです」
ふわふわの砂糖菓子みたいなお姫様は、あたしの言葉に声を弾ませた。
「良かった。
それじゃ近いうちに。女同士で楽しくお喋りしましょう、ね?」
言葉の最後で小首を傾げる仕草なんて、破壊力抜群だ。
お姫様の可愛さに、あたしは無意識のうちに頷いてしまっていた。
「まさか、ジュジュが待ち伏せしてるなんて思わなかった・・・」
げんなりした様子で、クロウくんが部屋のドアを開ける。
さすがの兄様も、妹君の子犬攻撃に精神的に消耗したらしい。
「すごい・・・なんていうか、綺麗なお部屋だねぇ」
絶妙な、お金の匂いのしない落ち着いた色の調度品や家具がたくさん。ソファも、見るからに座り心地が良さそうな感じだ。
カーテンもピアノカバーみたいなのじゃなくて、爽やかな緑で。大きな湖の絵が飾られてて、なんだか森の中にいるみたいな気分になる。
すると、吐息混じりに呟いたあたしの隣で、クロウくんが得意気に胸を張った。
「・・・でしょ?
ここ、俺の部屋だもん」
ああそっか、そうだよね。
ここに来るまでの長い廊下、部屋が一つもなかったもんね。
ごっつい騎士が2人、階段の踊り場にいたもんね。
そっかそっか、クロウくんの部屋って広いんだねー・・・って!
爆弾発言に、口の端が思いっきり引き攣った。
「はい?」
かろうじて、もう一度説明を求めるひと言を絞り出したあたしに彼は、けろっと。
「ん?
ここ、俺の部屋だけど?」
「じゃ、あたしが泊る部屋は?」
「ここに決まってるでしょ、何言ってんのアイリちゃん」
「決めたのは君か、クロウくん」
「もちろん」
「・・・別のへ、」
「やだ」
・・・やだ、って何だよ・・・。
遮られて、思わず頭を抱えた。
すると彼は、そんなあたしにはお構いなしにテーブルの上を指差す。
「ほら、アイリちゃんのお泊りセットも用意してもらったし」
彼の指差した方へと視線を投げると、そこには籠に入ったタオルや小瓶が。
・・・ホテルのアメニティみたいだけど、あれはなんだろ。
気になって近づいたあたしは、見慣れないものに首を捻った。
・・・ひょうたんみたいな形の、布・・・?
後ろからついてきたクロウくんが、あたしが摘まみ上げたものを見て、「あぁ、」と声を漏らす。
「それは、オンナノコの日用の、だってさ」
さすがに大きな声では言えないのか、ご丁寧に耳元でこっそり教えてくれた。
でもちょっと色っぽいというか、普通じゃない雰囲気が漂った気がして、なんだか背中がむず痒い気分になる。
思わず首を竦めたあたしを見たクロウくんが、なんだか満足気なのも不思議だ。
その不思議さを追求しようか迷っていると、彼はあたしの手を引いて歩きだした。
「・・・こっちこっち」
「なに・・・?」
連れて行かれた先は、ドアの目の前だ。
「開けてみて」
そう言われても、と彼の顔を見上げてみるけど、回答する気はないらしい。
彼はにっこり笑って、あたしがドアを開けるのを待っているみたいだ。
あたしは小さく息を吐き出して、そっと、ドアノブに手をかけて・・・。
そっと窺うように開ければ、隙間風に乗って、ふんわりとした香水の匂いが鼻をくすぐる。
そして視界に飛び込んできた光景に、息を飲んだ。
「・・・っ?!」
そこには、大きなベッドが置かれていた。
クロウくんの部屋だというんだから、きっと彼が普段寝てる場所。
それだけなら別に驚いたりしないけど・・・。
「・・・なにこれ・・・」
目に眩しいほど、床にもベッドにも、赤やピンクの花びらが敷き詰められてるのだ。
「すご・・・っ」
言葉を失っていると、背後から囁きが聴こえてきた。
「関係各所による、おもてなしの一環・・・だってさ」
「ぜ、全力過ぎる・・・」
嬉しいとか有りがたいを飛び越えて、恐れ多い。
もてなされて慄いたあたしは、勢いよく後ろを振り返った。
「やっぱり帰る!ホテルに泊まる!
ベッドも1つしかないし!花びら踏んじゃうし!」
思いつく言葉を一気に並べて肩で息をするあたしを見て、クロウくんは苦笑混じりに小首を傾げる。
「もう遅いし、1人で城から出るのは門番にも止められるよ。
荷物は明日の朝一番で、誰かに取りに行ってもらうから大丈夫。
ベッドは1つしかないけど、これだけ大きいんだから問題ないでしょ。
てゆうか眠るかどうかはまだ分かんないし。
それから、えっと・・・」
すらすらと言葉を返した彼の口が、一時停止した。
なんかもう、どの言葉を拾えばいいのか分からないくらい、いろいろ追い詰められた頭の中が混乱してる。
それをどう整理しようかと戸惑っている間に、クロウくんが動いた。
「えっ?
・・・わっ?!」
あっという間に膝を掬われて、思わず声が零れる。
その次の瞬間には、すでにあたしは彼の腕に横抱きにされていた。
手慣れた感じが、ちょっと癪だ。
その気持ちを言葉にしようと口を開いた刹那、クロウくんが囁いた。
「花びらは、こうしたらアイリちゃんは踏まないで済むね!」
褒めて!・・・という心の声が、聞こえた気すらする。
「いやあの、ってちょっと!」
褒めるからとりあえず下ろして欲しい、と言おうと思って言葉を紡げば、彼の足が一歩踏み出そうと動いた。
進行方向にあるのは、もちろんベッドだ。関係各所のおもてなし作戦で、お花まみれになってる王子様ベッド。
慌ててクロウくんの肩をばしばし叩いたら、彼の足が止まった。
「むー・・・なに?」
超絶に不満そうだ。
あたしを見つめる瞳が、恨めしそうに潤む。
「話し合おう。うん。
とりあえず、あたしがソファで寝ることを提案する!」
負けずに瞳に力を込めて言えば、彼のカオが悲しそうに歪んだ。
「えー・・・やだ」
きゅるん、とその瞳が潤んで、あたしを大きく揺さぶる。
でももう呪いも解けたんだから、甘えないで1人で寝て下さい。
あたしは大きく首を振った。
するとクロウくんが食い下がる。
「アイリちゃんと一緒がいいんだもん。
お願い。何もしないから。一緒に寝るだけ!」
そういう感じの台詞、これまでの人生で何回か聞いたことある。
「何もしない、なんて嘘に決まってるもん。
優しいカオで“怒らないから”って言われて、話したら大体怒られるよね。
それと一緒でしょ?!」
「俺のは違うもん。
ほんとのほんとに、何もしないから・・・!」
「絶対やだ!」
「アイリちゃん俺のこと好きって言ったじゃん!
だったら信じようよ~!」
「それとこれとは別問題でしょーがっ」
そんなやり取りの末、最終的にまるめこまれて、王子様ベッドで一緒に寝ることになったのは言うまでもなかったりする。
それからあれだ。
“何もしない”なんて今後は口が裂けても言わないでもらおう・・・。
そんなことを、あたしは寝起きの頭で、ぼんやりと考えたのでした。




