【後日談】わんこの歩幅
転送独特の浮遊感に飲み込まれる、一瞬手前。
「・・・やっぱり、まずはこないだのお返し、だよね」
そっと、唇に指先を滑らせて。
あたしは、そう呟いた。
「・・・ん、ん~っ」
大きく伸びをして、深呼吸する。
転送の後って、体が圧縮されたような感覚が残ってるんだよね。
すっかり秋も深まって、冬の入り口にさしかかった海の綺麗な南の国は、今日も賑やかだ。
日が少し短くなったからなのか、人が足早に通り過ぎていく。
あたしは、なんとなく夕暮れの街を眺めながら、約束のホテルの前を目指した。
それにしても、これから自分がこの土地で働くんだと思うと、街の見え方が違うみたいだ。
この2年間、すぐ近くにいるはずのお客様をぱぱっと見つけて連れて帰るだけだったから、街を行き交う人達の声なんかただのBGMでしかなかったもんな。
あたしにとってこの世界の人達は、ゲームの中で決まった動きをするモブキャラに近いものがあって、まるで風景の一部だった。
「支店、かぁ・・・」
とある異世界の、海に面した三日月形の国。
なんやかんやあって決まった、あたしの転勤先。
そして信じられないことに、ここには・・・ごにょごにょ。
「・・・くぁぁぁ・・・っ」
直近の記憶を掘り起こして顔が熱くなったあたしは、手で顔をぱたぱた扇ぐ。
・・・ダメだ、思い出して恥ずかしいとか。どんだけだ。
動悸がするわ耳まで熱いわ、こんなんじゃ仕返しなんて出来そうにないな。
そんなことを考えながら、あたしが挙動不審になってても目立ってないことを祈ってみる。
通り過ぎる人が、ちらちらこっちを見るのは気のせいってことにしよう。
暗くなったけど、王都は街灯が多いから出歩くのに不便をあんまり感じない。
真夜中になったら出歩くのを控えた方がいいに決まってるけど、この時間ならまだ大丈夫だ。
そのへんに関しては、他の街よりも格段に治安がいいかも知れないな。もちろん、スラムみたいな場所になれば話は別だけど。
コツ、という靴音。
恥ずかし紛れにいろいろ考えていたあたしは、ふと、すぐそばに人の気配を感じて振り返った。
「・・・こんばんは」
目に入ってきたのは、街灯に照らされたオレンジ色の髪。
その人は口の端に笑みを乗せて、少し前よりもオトナなカオであたしの前に現れた。
むぎゅぅぅぅっ
「ぐっ、」
肺が潰れて、呻き声が漏れる。
嬉しいはずなのに、なんでこんなに苦しいんだ・・・!
オトナな男のひとのカオして出てきたから、ちょっとドキっとしちゃったじゃんか!
あたしのドキドキを返せ!
あたしは、必死に彼の背中をばしばし叩いた。
「やっと会えた~!」
ところが彼の方は、あたしがもがいてることに気づいてないのか、ぎゅうぎゅうと抱きしめる腕に力を込るばかりだ。
・・・ぎしぎし脳内に響いてくるコレ、あたしの肋骨が軋んでる音でしょうか・・・。
背中を叩いてた手に力が入らなくなって、いよいよ脛でも蹴ってやるかと思いついた時、ようやく彼の腕が緩む。
途端に肺の中に酸素が流れてきて、あたしは大きく深呼吸をした。
そして、きょとん、とした瞳をあたしに向けてる彼のほっぺを抓ってやったのは、言うまでもない。
・・・やっぱり全然オトナじゃなかった。
「変装とか、しなくて大丈夫なの?」
並んで歩くクロウくんに、それとなく尋ねてみる。
・・・一緒にいると忘れちゃうんだけど、このわんこ、実は王子殿下だったりするんだよね。
あたしに怒られて、しょんぼり肩を落として歩く彼が口を開いた。
「・・・ん、平気。
ちゃんと根回ししてあるから」
「根回し?」
気落ちした声で言った彼に、あたしは小首を傾げる。
そうやって歩いてる間にも、向かいから歩いてくる人がクロウくんのオレンジ色の髪を見て、目を逸らして通り過ぎていく。
・・・なんか、思いっきりバレてる感が否めないんですけど。
根回し・・・なんて不穏な言葉なんだ。
嫌な予感に落ち着かないあたしは、訝しげに眉をひそめて、彼の顔を覗き込んだ。
「何したの?」
「教えない。
そんなことより、」
声を落として聞いてみたら、彼は口を尖らせた。
しょんぼりしてたカオが、なんだかあたしを詰るみたいに曇ってる。
・・・てゆうか、教えないのか。
「やっと会えたんだよ?」
腑に落ちない気持ちになった瞬間、クロウくんが言った。
その言葉に、柄にもなく鼓動が跳ねたのは秘密だ。
「やっと、って・・・」
なんでもないフリをしたあたしが、そう返して。
そしたら、口を尖らせたままの彼が眉間にしわを寄せる。
「・・・アイリちゃんは、俺に会いたくなかったの?」
・・・なんかもうその台詞、彼女が久しぶりに会った彼氏に上目遣いで言ってる場面しか、思い浮かばないんですけど。
心の中でツッコミを入れたあたしは、口を開く。
でも同時に口を開いたクロウくんの方が、先に言葉を紡いだ。
「俺は、すっごい会いたかったんだけどな・・・」
ぺたん、と倒れる犬耳の幻が見える。
あたしは一瞬言葉に詰まって、息を吸い込んだ。
・・・やっぱり、オトナな雰囲気のクロウくんよりも、わんこで可愛いクロウくんの方が好きかも。
その時になって、やっと、彼があたしに歩幅を合わせてくれてたことに気づいて、ほぅ、と息を吐き出す。
出会い頭に思いあまって力技に出るクセに、こういう気遣いするなんてズルい。
無意識に浮かんだ苦笑が、ゆっくりほどけて、自然な微笑みに変わってく。
あたしは、しょんぼりしてるわんこに、そっと手を伸ばした。
仕方ない。だって、ナデナデしたくても頭には手が届かないもん。
「ん、」
長い指先を、やんわり握る。
びっくりしたのか、弾かれたようにクロウくんがあたしを見た。
・・・恥ずかしいから、こっち見ないでくれるかな。
あたしは前だけを見据えて、視線が揺れないように踏ん張って。
そして、小さな声で囁いた。
「・・・あたしも」
その後、嬉しさが溢れたらしいクロウくんが繋いだ手を振り回して。
・・・で、はっと我に返ってしょんぼりしてる彼が可愛くて。
長期休暇がこんなに嬉しいなんて、どれくらいぶりだろう。
それからあたし達は、約束通り一緒に食事をした。
もちろん今回は、領収書はナシで。




