わんこを見つけて
回ったお店の数だけ集めた領収書が、1枚も手元に残ってないなんて。
この現実、どうして受け入れられようか。
「まあでも、」
落ち込んで足取りの重いあたしに、オレンジ色が言う。
「お菓子がないのに、領収書だけ渡すっていうのもねぇ」
呆れ半分な声が、ため息を伴った。
「それは、そうだけ・・・」
あたしは口の中で呟いて、そして気がついた。
・・・違うだろそれは。
がばっ、と顔を上げてオレンジ色を睨みつける。
「そもそもお菓子が落っこちたのは誰のせいだっけ?!」
「んー・・・それは・・・」
詰め寄ったあたしから視線を逸らした彼は、少し考えてから、眉を八の字に下げて口を開いた。
「ごめんなさい」
オレンジ色、しょんぼり。ぺたん、と後ろに倒れた犬耳の幻覚が見える。
なんかそれ、見たことあるかも。
・・・いやいやいや、そんなわけない。
既視感を気合いで無視したあたしは、思い出した。
そういえば、さっき“殿下”って呼ばれてたよなぁ・・・。
王城勤めの騎士がそう呼ぶんだから、きっと本物の“殿下”なんだ。
だとしたら、やっぱり敬語を遣うべきなんだろうけど。そうするのが、ものすごく癪なのは一体どういうことなんだろう。
「・・・“殿下”かぁ・・・」
改めて口にしたら、なんだか胸にこみ上げるものがある。
ちょっと切ないような、でもなんか嬉しいような。
「え?」
ぼーっとしていたのか、気づけば彼があたしを見つめていた。
その視線が訝しげで、あたしは内心ひやりとする。思ったことを口に出したわけじゃないのに、胸の内を見透かされたような気になって。
真っ直ぐに視線を返したら、よく知ってる人を思い出しそうになる。
「な・・・何でも、ないです」
見返した先で揺れたオレンジの髪は、ちょっと眩しくて。
先に視線を外したのは、あたしの方だった。
さすがに隣を歩くのは良くないんじゃないか、と思ったあたしは、オレンジ色の斜め後ろを、つかず離れず歩く。
別に後を追って歩いてるわけじゃなくて、ただ、向かう方向が同じ、ってだけ。
彼の方だって、あたしに「ついて来い」って声をかけて歩きだしたわけじゃない。
急いでるんだから追い抜いて走って行ってもいいけど、そうするのは“殿下”に対して、やっていいことじゃない・・・ような気がするから。
行き交う人達の視線が痛いけど、彼は静かにオレンジ色の髪を揺らしてる。まるで王城の中の人達のことなんか、視界に入ってないみたい。
その彼を斜め後ろから眺めながら、考えを巡らせた。
半分拉致られるようにして、あたしは王城にやって来た。
突然声をかけられて、人違いで怒られて、拉致られて。
進行方向からして、あたしが王城に向かってるんだと考えてもおかしくないけど・・・でも、やっぱり不思議。
彼はあたしを、誰だと思ってるんだろう。
本物の“殿下”みたいだし、だったら尚更、あたしは彼を知らないんだけど。
けど・・・それより何より一番不思議なのは、嵐に絡め取られるみたいに翻弄されてここにいる自分が、全然不快に感じてないことだ。
状況はいまいち飲み込めてないけど、ひとつだけ、想像出来る。
・・・やっぱりこの人・・・。
でもそれを受け入れるには心の準備が要るから、まだ、確かめたくない。
きっと気のせい・・・って、思い込んでおきたい。
揺れるオレンジ色の髪を見つめて考えていたら、ふいに彼が、廊下の端に寄って道を開けていた侍女に声をかけた。
「ねーねー、お姉さん」
なんか、ずいぶん声をかけ慣れてる感じだ。
あたしは彼から少し離れた所で足を止めて、なんとなく2人の会話に耳を傾ける。
侍女の方は、彼の背後から覗いてるあたしなんか目に入らないのか、瞳が零れ落ちそうなくらいに目を見開いたまま固まった。
そして、次の瞬間弾かれたように息を吹き返して、頬を赤らめる。
「は、はい・・・っ」
そのカオは少女マンガに出てくるような、キラッキラした恋する乙女のそれ。
・・・うん、認めよう。この人、確かに見た目はイイよね。
オレンジ色は彼女の反応に気を良くしたのか、ひとつ頷いて尋ねた。
「国王のオジサン達、今どこにいるか教えてくれる?」
頬を両手で押さえた彼女は俯いて、小さく首を縦に振る。
・・・なんか、すごくイライラする。
女の子のキラキラした眼差しを受け止めて、一体どんなカオしたの。
想像したあたしは、喉の辺りがイガイガしてくる感じに顔をしかめつつ、静かに息を吐いた。
・・・いやいやいや、だからあたしがイライラしてどうする・・・。
そういえばオルネ王女が、4番目の王子は婦女子の敵だ、って言ってたけど。
・・・もし“そう”だったら、ちょっとやだなぁ・・・。
「ほらほら、行くよ」
一度考え始めたら、2人の会話なんか全然聞こえなくなった。
だから気づけば、オレンジ色があたしを見て、おいでおいで、と手招きをしてて。
はた、と我に返ったあたしは、慌てて足を動かす。
「・・・あの人達は、謁見の間に集まってるって」
「そ、そうですか・・・」
・・・か、会話が成り立ってる・・・。
それが意味するところを無意識に掘り下げようとした自分を、頭の端っこに追いやる。
・・・今はとにかく、4の鐘が鳴る前にお客様と合流しなくちゃ。
胸の内で呟いたあたしは、そっと視線をずらして、彼が前を向くのを待った。
だってまだ、知りたくない。
その時だ。
ふいに、手を引かれた。
くいっ、と腰を引き寄せられ、抗う間もなく、眼前にオレンジ色の髪をした彼の顔が。
お菓子の紙袋が、腕からすり抜けて落っこちる。
・・・あああああ、カシャッ、て・・・!
思わず息を止めて、足を踏ん張る。
ぐっ、と背中を支える手は力を込めて、あたしの動きを阻む。
思いっきり腕を突っ張っても、分厚い壁みたいな胸が遠ざかることはなかった。
・・・細っこいクセして!
「ちょ、」
口を開いたものの、非難の文句をぶつけるよりも早く、彼が囁いた。
他の誰にも聴こえないほどの、小さな声で。
「・・・気づいてるんだよね?」
鋭い矢じりを伴った台詞が、あたしを貫く。
思わず息を飲んだ。
こんなに衝撃を受けてるのに、鼓動がちっとも速くならない。
それどころか1周して、ぴたりと止まってしまったみたいに、静かだ。
視界いっぱいに広がってる彼の顔から目が離せなくなって。
彼の口の端が、意地悪く上がる。
「どうなの?」
気づいてるって、何に・・・?
どうなのって、何が・・・?
思考回路がぶつ切れになってて、上手く考えられない。
・・・そうだったらいいな、でも、そうだったら困るんだもん。
こんなの、現実的じゃないし。
こんなことが自分の身に降りかかるなんて、思ってなかったし。
息を飲んだまま固まり、動けなくなったあたしを見て、彼はオレンジ色の髪を揺らす。
そして、苦笑混じりになりながら顔を近づけてきた。
見惚れてしまいそうな造形をした唇に目を奪われたあたしは、長いまつ毛が震えるのを目の当たりにして。いつか間近で見たなぁ・・・なんて、思ったり。
いろんなことを考えてたら、あっという間に距離が詰められてて。
そうして、自分がどうなるのかが鮮明に想像出来た時。
べちん。
咄嗟に、悪気なく、自分でも説明出来ないくらいの自然な動きで、あたしは彼の顔面を、叩いていた・・・。
そして、はた、と我に返る。
・・・やっちゃった。
顔から血の気が引いた瞬間、心臓が早鐘を打ち始める。
そのリズムに、早く謝れ、って言われてる気がして、あたしは慌てて口を開いた。
「ご、」
ごめんなさい、って言おうとしたのと同時に、彼が手で顔を押さえて唸る。
そして遮るようにして、あたしの言葉を打ち消した。
「もぉぉ・・・」
彼の声、ふにゃふにゃ。
・・・あ、当たり所が悪かった・・・とか・・・。
彼は鼻をひと擦りして、心配になって口を開きかけたあたしの顔を覗き込んだ。
その目が、柔らかく細められる。
あたしはその、へにゃりとした笑みに目を奪われて。
「アイリちゃんてば、ほんとに容赦ないねぇ」
紡ごうとしていた言葉が、引っ込んだ。
今、なんて。
息を止めて凝視するあたしを、彼がさらに覗き込む。
心底不思議そうに、小首を傾げて。
オレンジ色の髪が、さらりと揺れた。
「あれ?
もしかして、分かんない・・・?」
ちょっとだけ肩を落とした彼が、わんこに見える・・・。
見慣れた幻覚に言葉を失っていたら、オレンジ色のわんこの眉がみるみるうちに、八の字に下がっていって。
そんな彼を見た刹那、すとん、と何かが収まるところに収まった。
・・・やっぱり、そうだったんだ。
口の中が、砂漠みたいに乾いてる。
「・・・クロウくん、だよね・・・?」
その瞬間、オレンジ色の彼のカオが、ぱぁっと明るくなった。
ああほら、ブンブンと力の限りに振れてる尻尾が見える。
「うん、うんうんうんっ」
勢いよく頷いた彼が、腕を伸ばした。
「やっと認知してもらえたー!」
「え、ちょっ、」
そのまま、物凄い力で抱きしめられる。
肺から空気が締め出されるのが分かるほどの抱擁は、もはや抱擁でも何でもない。
むぎゅぅぅぅぅーっ、と擬音が。いや、これはあたしの背骨の音か。
「いっった・・・!
いたい、クロウくん痛い!」
暴力に近い歓喜の表現に、あたしは悲鳴を上げた。
すると、ぱっ、と彼の腕が離れる。
・・・ほんと、細っこいクセに力はあるんだから・・・。
呆れつつも息を整えて、軋んだ背骨を伸ばす。
腰を捻ってみたら、ぽき、と軽い音が体の中で響いた。
「あのねぇ・・・!
・・・って、」
めちゃくちゃ痛かった、ってことを伝えようと口を開いたら、目の前でわんこが頭を垂れていて。
あたしは張り上げそうになった声を落として、そっと、その頭を撫でる。
オレンジ色の髪は、呪いがかかってた頃よりも柔らかい気がした。
白状します。
ほんとはクエに乗せられた時からずっと、オレンジ色の彼がクロウくんの本当の姿なんだ、って予感はしてたんだ。
でもそれが本当だったら、と思ったら、確かめられなかった。知りたくなかった。
だって、クロウくんが“殿下”になっちゃったら、今までみたいには・・・。
でもそんな気持ちは、喜んで項垂れて忙しい彼を目の前にしたら、ぱっと消えて、なくなってしまった。
とりあえず今は、クロウくんの呪いが解けたことを一緒に喜んでいたい。
「良かったね、元に戻れて」
小さく呟いた声は、クロウくんに聞こえてたんだろう。
彼は、頭を撫でたあたしの手を取って、自分の頬に添えた。
そして頬ずりするみたいに、目を閉じる。
あたしはそんな彼のことを、やっぱり可愛いと思うし、撫で回したいと思うんだ。




