定期便と秋の空
「ヘジー?
俺、ちょっと王都に行ってみることにしたから!
探さないでねー!」
クロウくん、それは出奔する人の台詞だね。
がたんっ、と音を立てて椅子から立ち上がったクロウくんの元へ、カウンターの奥からヘジーさんが駆け寄ってくる。
「おいおいおいおいおい・・・っ」
こめかみに青筋が浮いて見えるのは、きっと気のせい・・・じゃないんだろうな。
・・・何故にあたしを睨むんだイケメン。てゆうか、こっち見ないでお願い。
「お嬢さん、コレ、置いてってくれるか」
不吉の象徴であるイケメンに凄まれて、あたしは思わずクロウさんの背に隠れる。
地震がきたら机の下に潜ってやり過ごすのと一緒。
イケメンなんて、あたしにとっては天変地異に含まれる。
一方クロウくんは、背後のあたしを目だけで振り返った。
彼の背が高くて助かった。ほっ。
「置いてっても無駄だよ。俺、帰巣本能あるからさ。
アイリちゃんのこと、追いかけて絶対見つけるもん」
「お前は犬かよ・・・。
くだらねぇこと言ってないで、おとなしく街で診療所でも開いててくれ」
「やーだねー」
クロウくんの表情は、あたしからは見えない。
けど、挑発的な声色と言葉に、ヘジーさんが苛立った気配は感じ取れた。
・・・困ったちゃん・・・。
途方に暮れて息を吐き出したところで、クロウくんがふいに振り返った。
「アイリちゃん、行こっ」
言い終わるよりも早く、彼が身を屈めて、あたしの膝の裏を抱える。
「ふぇっ?!」
間抜けな声が口を突いて出た頃には、もう遅かった。
「ぐ、」
彼の肩に担がれたあたしは、ご立腹のヘジーさんと目が合う。皮肉にも、担がれたおかげで目線の高さが同じになったからだ。
美しく険しい目つきで射抜かれて、何も言えない。
いやもうそれ以前に、美味しかった朝ごはんが逆流しそうで口を開けない。
「う、ぷ」
「万が一の時は、その後ちゃんと胃の中洗浄してあげるからー」
事後処理的な配慮を示されたあたしは、一度だけクロウくんの肩を思い切り叩いてやった。
だってこれじゃ、お釣りが!領収書がー!
あたしの心の叫びも虚しく、クロウくんは街道を突き進んだ。
さすがに街の大通りとしての機能も果たす街道だ。人出はちゃんとある。
そこを、ジタバタ抵抗する女を担いで、速足で移動していく、顔に稲妻模様の入った男と擦れ違ったらどんな反応をするか。
言わずもがなである。
みんな、擦れ違ったあとに振り返ってた。
だから不審者を見るような目と視線が絡むのはあたしの方で、クロウくんは振り返られてることにも気づいてないみたいだったけど。
「・・・え?」
おじさんの言葉に、あたしは思わず眉根を寄せた。
ただでさえ担がれたせいでグロッキーなのだ。
吐かずに耐えたあたしを、誰か褒めて欲しい。
「だからね、お姉さん。
王都行きの便はしばらく運休なの。
・・・お隣の国から王女様が来てるからって、王立騎士団からの通達でね。
こっちも商売あがったりなんだからさぁ・・・」
ため息混じりにぼやいて、おじさんがあたしを見返す。察してよ、とでも言いたげに。
お隣の国の王女様か。
さっき読んだ新聞に記事が載ってたな。
「・・・そういうことか・・・」
ぽつりと呟いたクロウくんが、あたしの肩を叩いた。
「アイリちゃん、クエに乗ったことある?」
「クエって・・・あの、定期便引っ張ってる?」
「そう。ある?」
ふわふわの羽毛が、風に揺れる。
「あたし、馬すら乗ったことないんだけど・・・」
ダチョウみたいな見てくれだけど、それよりもずっと大きい鳥。
落ち着かなく長い首を上下させたり、足を何度も踏み踏みしたり・・・。
・・・これって、威嚇じゃないよね・・・?
おじさんに手綱を引っ張られ、連れてこられたクエから一歩離れる。
そんなあたしを横目で見て、クロウくんが頷いた。
「俺が手綱握るから、アイリちゃんが前に乗ってね」
「・・・一緒に乗るの?」
でっかい鳥を前に、呆然と呟く。
おじさんは落ち着かないクエを適当につないで、何かを探しに行った。
「てゆうか・・・」
「ん?」
あたしの呟きが風に乗って、消えていく。
それを隣に佇むクロウくんは、律義に耳を近づけて聞き返した。
もう一度言おうか言うまいか考えて、結局口を開く。
「ほんとに一緒に行くの・・・?」
「なんで?」
「え、っと・・・」
真っすぐに訊き返されて、口ごもる。
何に対しての“なんで?”なのか、全然分からなかった。
「昨日会ったばっかりの怪しい医者とは、一緒に行動出来ない?
それとも俺のこと、巻きこんだとでも思ってる?
ついて行ったら迷惑?」
硬い声で次々と言葉を並べられて、あたしは首を振るしかない。
その口ぶりだと、あたしが邪険にしてるみたいだ。
しょぼぼん、とクロウくんの肩が落ちていく。
「そういうことじゃなくて・・・」
「じゃあ、いいでしょ。
俺、ここに家族いないし・・・王都に用事があるのは本当だし。ね?
可愛い子犬を拾ったと思ってさ」
ダメ押しの台詞に見上げたら、稲妻模様が一瞬消えて、代わりに犬耳が見えた気がした。
もしかしてこの人、あたしが小さい頃子犬拾ったの知ってるのか?
・・・あの時は、返してきなさいって言われちゃったけどね!
「アイリちゃん、力抜いて」
苦笑混じりの声が、背後から囁く。
可愛い子犬を自称した割に、その声は低くて甘い。
密着した温もりが、風の強い海岸沿いでは心地よく感じる。
くっつき過ぎだとか、耳元で囁くなとか、頭ではいろんなことを喋ってるのに、あたしは声を出すことが出来なかった。
振り返ることも出来ない。
「乗ってる人間が体に力入れてると、クエが緊張して疲れちゃう。
アイリちゃんだって、あとで体のいろんなとこが痛むよ」
お腹に回された手のひらが、ぽふぽふと合図を送ってくる。
「だからほら、力抜いて」
そんなこと言ったって、言ったって。
ぱふ、ぱふ、と街道の土を蹴って緩やかに駆けるクエの揺れは、大したことはない。
実家にある可笑しなダイエットマシーンより、遥かに体に優しい揺れだ。
それなのに不安定で、体の軸がしっかりしてないと、ふらりと落ちてしまいそうな。
「黙ってて、集中してないと落っこちる・・・!」
やっとのことで早口になって言ったあたしを、クロウくんは笑う。
「・・・もうちょっと、俺に体重預けたら楽になると思うんだけどな。
取っ手にしがみ付いてないでさ」
背筋をピンと張って、取っ手を両手で掴んでるあたしは、無理、と首を振った。
「今動いたら落ちる。絶対落ちるー!」
「うーん・・・同時進行でいろいろこなせないトコは好みなんだけど。
とりあえず、体の筋がおかしくなって唸るアイリちゃんが脳裏をよぎるから、
・・・よいしょ、っと」
ぐい、というよりは、めりめりめり、という擬音語が正しいと思う。
片手であたしの体を後ろへ倒しにかかったクロウくんと、それに負けじと踏ん張るあたし。
・・・ああでも、たぶん一番迷惑してるのは、乗せてくれてるクエか。
時折「フンっ」て息を吐き出すのが聞こえるもんな。ごめんな。
ちょっぴり申し訳ない気持ちになったあたしは、変な踏ん張りを止めて、乗り慣れてるらしいクロウくんに背を預ける。
体重移動をしたら、急にスピードが上がった。
「・・・そっか。
ごめんね、クエ」
囁いて、そっと羽毛に覆われた体を撫でる。
「クエもバランス取りづらかったみたいだね」
クロウくんの言葉に、あたしは頷いた。
やっぱりちょっと、背中がぴしぴしするかも。
全然余裕がなくて見てなかったけど、海岸沿いに延びる街道からは、キラキラとお日さまの光を反射する波打ち際が見える。
遠くでたまに跳ねるのは、魚かな。
・・・お寿司、食べたいな。出来たら鯵の。
「定期便のことだけど」
背後から、あたしがすっかり忘れてた単語が飛び出した。
「うん?」
横から吹いてくる海風と、クエが風を切って走るせいで聞き取りづらい。
あたしは無意識のうちに、少し大きめの声で先を促した。
「隣の国の王女がどうの、っていうのは嘘だと思うんだよねー」
「どうして?」
「アイリちゃんが王都に戻ってきたら、困るから。
王女なんて年中護衛に取り囲まれてるんだよ?
この国が定期便を止める必要はないでしょ」
風の音に負けないようにしてるのか、なんなのか、クロウくんの声が硬い。
なんとなく背中が寒くなって、あたしは息を詰めた。
「クエが頑張ってくれたら、夕方には“要の街”に着くと思う。
そしたら、情報拾ってみようね」
「・・・クロウくん、」
「なにー?」
取っ手を、ぎゅっと握って振り返る。
彼が突然動いたあたしを支えようと、お腹を支える腕に力を込めたのが分かった。
クエも、ちょっとだけ走る速度が落ちる。
ちょっとだけ仰け反って見上げた顔には、稲妻みたいな乱暴さはない。
それはもう、お世話になりっぱなしで分かり切ってるんだけど。
「ありがと、頼りになるね!」
お礼を言ったら、真っ赤になってそっぽを向いた。
ぐっと頬に力を入れてるのが見て分かるから、なんか可笑しい。
途方もない展開になっちゃった気もするけど、とりあえず何とかなると思える。
1人じゃなくて、良かった。
「関係ないのに引っ張り出しちゃってごめんね。
ボーナス出たら、美味しいもの御馳走するからー!」
「ほんとー?」
うきうき浮いた気持ちのまま叫んだら、クエがびっくりしてスピードを上げた。
クロウくんの声が、風に溶ける。
「何でもいいのー?」
その問いにこくこく頷いたあたしのお腹が、引き寄せられた。
もうクエの動きにも慣れたから、バランス取るのも問題ないんだけどな。
気遣い出来る子だなぁ、クロウくん。何でも奢っちゃうよ。
「ふぅーん・・・じゃあ考えとくー!」
彼の楽しげな声に、あたしは大きく頷いた。
夕日が海にくっついた頃。
あたし達は見えてきた街の城門を前に、クエから降りた。