明日の約束
「・・・では、アイリさんは明日の夕方には街に戻るんですか」
夕食の後のお茶を差し出したラジュアのカオが、わずかに曇る。
「はい。
帰国するにしても、荷物をホテルに置きっぱなしなんで・・・」
曖昧に微笑んで答えれば、向かいでチョコレートタルトにフォークを入れてるオルネ王女が口を尖らせた。
またそんなカオして・・・。横でキラキラ美少年が鼻の下伸ばしてますけど。
「荷物なら、親衛隊の誰かに取りに行かせれば良い」
そんなこと言ったって、あたしは親衛隊を顎で使えるような立場じゃないし。
それに、考えてみて欲しい。宿泊客がチェックインしたきり姿を消したんだから、それなりに心配してるよな。
うああ今さらだけど、まさかまさか、事件性とか疑われて通報されてたりとか・・・。
いや待て、宿泊料金だって支払わなくちゃだし。そっちでこそ、通報されてたりするのかも知れないし・・・!
しかも領収書。領収書だけは絶対はずせない。
ほらやっぱり親衛隊には任せられないって・・・!
「いやいやそんな・・・」
そんなことを考えながら言葉を切ったあたしを見て、ぽん、と手を打ったラジュアが言った。
「それなら、護衛として誰か同行させましょうか?」
「そうだな。1人で出歩かせるのは心配だ」
王女が名案だ、とばかりに頷く。
本人を差し置いて決定しそうな雰囲気に、あたしは慌てて口を開いた。
このままだと、すっごく面倒なことになる!
「いやいやいやいや。
あたしなんかに護衛とか、大げさ過ぎません?!」
2人を交互に見ながら言えば、王女の手が止まる。
彼女はタルトを前に、開いた口をゆっくりと閉じた。
「む・・・そうか?」
「そうですよ。
あたしだって王城に足止めされる前は1人で、」
言おうとして、言葉を失う。
“1人で出歩いてたけど、全然平気だった”・・・って言おうとしたけど、思い出した。“朝日の街”からほとんどの時間、クロウくんと一緒だった・・・。
ここ最近の自分を省みて言葉に詰まったあたしは、王女が上目遣いで、物言いたげな視線を送ってることに気がついた。
でももう、この件は突っぱねるって決めたんだから。
あたしは慌てて息を吸い直して、一気に捲し立てる。こういうのは勢いだ。
「ひ、1人で出歩いてましたけど。
別に何もなかったし、全っ然平気だったんですから!」
「・・・何を動揺してるんです?」
「してませんっ。
とにかく、護衛は必要ないんですってば!」
鋭いツッコミをくれたキラキラ親衛隊長に言い返して、ふんっ、と鼻から勢いを逃がす。
すると王女が小さく息を吐き出して、あたしに言った。
「まあ・・・アイリが大丈夫だと言うなら、好きなようにさせよう。
治安に問題があるという話は、今のところ聞こえてこないようだしな。
・・・ところでアイリ、相談なのだが・・・」
ノックの音に俊敏に反応したあたしは、素早い動きで覗き穴から外の様子を確認する。
そして、知らされていた通りの人を見つけて、胃の辺りを何度か擦った。
・・・ミルベリーさんが、帰国の予定を確認しに来たのだ。
入り口で立ち話もなんだし・・・と、とりあえず彼女を部屋の中に入れる。
第一妃の目も耳もあるような場所で、お客様の帰国だなんて、大事な話をするわけにはいかない。
ドアを閉め鍵をかけて、あたしは彼女の背中に声をかけた。
「あの、わざわざありがとうございま、」
「業務の一環ですので」
あたしを一瞥した彼女は、何も言わずに紙を1枚、差し出した。
その瞬間、緊張に胃をキリキリさせつつも気合いで貼り付けた笑顔が、呆気なく崩壊するのが分かる。
・・・こっちを見て微笑んでくれるなんて、思ってはなかったけどさ・・・“朝日の街”の食堂で働いてた時とは、人格が違い過ぎないかい・・・。
2人きりなんだから素が出てとっつき易くなるかも・・・なんて思ってたあたしが間違ってたのか。
・・・そっか。もしかして、こっちが素だったりすんのか。
彼女は、考えを巡らせて凍りついたあたしに向かって、何もなかったかのように言葉を紡いだ。
「こちらに、モモ様の帰国の予定を記して下さい。簡単で構いません。
最後にサインもお願いします」
「え、あ・・・」
戸惑って、口から言葉にならない声が零れてくる。
もちろん頭の中も真っ白だから、紙を受け取ろうだなんて思いもしない。
そんなあたしに苛立ったのか、彼女は部屋に備え付けられた机の上に転がっていたペンと一緒に、紙を置いて言った。小さな嘆息と一緒に。
「聞き取って、私が書き留めてもいいのですが。
貴女の筆跡で、さらにサインがあった方が、陛下やライネル様はご安心かと」
なんだろう、言葉の外に“早くしろ”って匂わされてる気がする。
・・・目が。目が怒ってるもん。
ちょっといい加減なヘジーさんとは、似ても似つかない雰囲気だ。
兄が自由度の高い育ち方でもしちゃったのか。だから短気なのか。怒りっぽいのは、その反動か。
心の中でツッコミを入れつつ、無言の圧力を受け続けてるあたしは、カクカク頷いて椅子を引く。
強いんだ、なんて聞いておいて、敢えて苛立たせる勇気はない。
あたしじゃ絶対、口でも力でも勝てないのは目に見えてるもん。
お尻を椅子にぶつけるようにして机に向かったあたしは、転がっていたペンを握った。
転送を行う日時と、場所。それから、持って帰れる物とそうでない物・・・などなど、諸注意を含めて書き連ねていく。
さっきクロウくんに手紙を書いた時とはペンの重さが違う。
なんか、あたしが変なこと書かないか、とか、そんなことを監視されてる気がする。
「・・・で、出来ました」
箇条書きの最後に自分のサインをして、あたしはミルベリーさんに紙を差し出す。
彼女は受け取った紙に視線を走らせてから、ひとつ頷いた。
そして、紙をくるくる丸めて、持って来ていたらしいリボンで蝶々結びをして留める。
「確かに受け取りました」
無駄のない動きで綺麗な結び目を作った彼女は、そう言ってすぐに、あたしに背を向けた。
業務の一環だ、っていうからには、受け取るもんを受け取ったら終わりなんだろう。
彼女があたしに用事があったわけじゃなくて、あたしの書いたものに用事があっただけ。
・・・でも、あたしは違うんだよ。
あたしは慌てて、立ち去ろうとする彼女に声をかけた。
「あ、あのミルベリーさんっ」
ぴた、と彼女の足が止まる。
・・・振り返る一瞬が怖い。
呼び止めただけだけど、振り向きざまに怒鳴られるような気がしてならない。
こぶしを、ぎゅっと握ったあたしは足を踏ん張って、振り返った刹那の彼女に向かって、机の引き出しに入れておいた封筒を差し出した。
「・・・何でしょうか?」
彼女の問いに、あたしは大きく息を吸い込んだ。
せっかく今日、ここでミルベリーさんと2人きりになったんだから。
だから頑張れ。
「クロウくんに、渡していただけませんか」
沈黙が、肌にチクチク迫ってくる。
ミルベリーさんは封筒を受け取らずに、静かにあたしを見つめてる。
その視線を意識したらしただけ、重たい空気がさらに重くなった。
・・・けど、どうしてもクロウくんに届けなくちゃ。
「あの、あたし明日、お客様と一緒に帰るので・・・。
でもその前に、どうしても伝えておきたいことがあるんです。
こんなことお願いしたら、お仕事の邪魔になるのは分かってるんですけど・・・」
さっきまで散々考え抜いて、書いた手紙。結局たいしたことは書けなかったけど、その内容を思い出しながら言葉を並べたあたしは、祈るような気持ちで封筒を握り締める。
だって、ヘジーさんに頼むにしても騎士団まで行かなきゃいけない。
他の誰にも秘密なのに、まだ侵入者が見つかってない今、オルネ王女のお付きが騎士団に顔を出すなんて、怪しまれたらどうしたらいいのか。
特にあの2番目の王子ヴァイアスあたり、あたしが正しい入城の仕方してないの、良く思ってなかったし。
指先に力が入り過ぎたのか、封筒に皺が寄った。
小さなため息が聞こえる。
顔を上げれば、彼女の童顔が険しくなった。
「・・・アイリさん、でしたよね」
「はい」
大きな瞳や、小さくてもぷっくりした唇が割と中央に引き寄せられてる顔立ちが、全体的に下がって見える。
心臓が縮んでいく気配がしてるけど、あたしは足を踏ん張って彼女の視線を受け止めた。
何回か断られることなんか、とっくに予想済みだ。
クロウくんに届けてもらうためなら何回だって頭を下げるつもりで、奥歯をぎゅっと噛みしめる。
すると、彼女は小さく息をついてから、ひと言だけ。
「確実に、という約束は出来ませんよ」
するり、と封筒が手から離れていく。
あんなに力が入ってたのに、不思議なくらいに、流れるようみたいに。
ぽかん、と口を開けたまま固まったあたしは、次の瞬間、我に返った。
勢いよく、勢いだけで頭を下げる。
「あ・・・りがとうございまひゅ!」
慌て過ぎて噛んだお礼の言葉は、それでも彼女に届いたらしい。
「いえ。
あとで彼に詰られても困るので」
・・・うん、親切心があると信じて託すことにしますけどね。
「なんでもいいです、お願いします」
ダメ押しで頭を下げたあたしが次に顔を上げた時には、彼女の手はドアノブを掴んでいた。
騎士団発行、入退城の許可証。
それは国王からの指示で、一旦ホテルに荷物を取りに帰るあたしのために発行されたもの。
・・・というわけで、出入りが許されていないオルネ王女に頼まれたお菓子を、ひと通り買い漁ってホテルに戻ってきたんだけど・・・。
「あー・・・重かった・・・。
こうなるから親衛隊連れてけ、って言ってたんじゃないだろうな・・・」
あまーいお菓子には似つかわしくない、どさっ、という音が部屋の空気を震わせた。
あ、今ので下に入れたの、形が崩れたりしてないよな。
王女の“城の外に出られるのは、そなたしかいないのだ”って言葉に騙されて、あたしは大量のお菓子を買い込むハメになったんだけど。
それが、あのお菓子屋さんでコレを、っていうんじゃなくってさ。
食べたいのは、一軒につき数種類を少しずつ。それを何軒も。
“本当は王都の焼き菓子コンクールで入賞したものが食べたいのだが、今回ばかりはホテルの近くの菓子屋に絞ったのだ”・・・なんて言ってたけど。
渡されたお菓子屋さんリストに載ってたの、ちょっと路地に入ったところのとかだったし。
・・・一体あの人、何者なんだ・・・!
「てゆうか、クロウくんの荷物も持って王城に戻るとか・・・無理じゃない?」
彼の医者鞄は、壁際に佇んだままだ。
置いて行った、ってことは、王城に忍び込むのには邪魔だったんだろうな。
独りごちたあたしは、そっと息を吐き出してカーテンを閉める。
明かりをつけて、彼の鞄から着替えを取り出した。“要の街”でクロウくんに買って貰ったワンピースだ。
「これ着て帰ろ」
とりあえず、明日のあたしに必要なものをテーブルに並べる。
まあ、ほとんどのものは持って帰れない決まりなんだけどさ・・・。
「渡してくれたかなぁ・・・」
荷物の整理も終えて、ただ、ぼーっと天井を眺める。
あたしは、ミルベリーさんに預けた手紙の内容を思い出していた。
帰国の日が、明日の4の鐘が鳴る時間になった、ってこと。
・・・日が変わるのが1の鐘。正午が5の鐘。それまでに、2と3と4の鐘が鳴る。
正午の5の鐘のあとは、6と7の鐘が鳴って、8の鐘の次になるのが日の変わる1の鐘。
4の鐘は、あたしの世界では大体午前9時くらいだ。
それから、今日は荷物を取りに戻ったホテルに、一泊すること。
そして、いつでもいいから城から出て、ホテルまで会いに来て欲しい、ってこと。
・・・だって、王城で話してると気を遣うんだもん。
いつ誰に聞かれるか分からないし、気づかれたらクロウくんが捕まっちゃうし。
とにかく王城を出て欲しい一心で、そんなことを書いた。
「クロウくん、抜け出して来れるかなぁ・・・。
・・・もう一回、会いたいなぁ・・・」
ぽつり、と零れた呟きが、耳に滲む。
遠くから聴こえてくる8の鐘が、意識を闇の中に引きずり込もうとしてる。
待ってなきゃ・・・。
そう思うのに、瞼は勝手に閉じてきた。
今寝たら、あっという間に明日になっちゃうのに・・・。




