ふたりの王女とお菓子とあたし
壁や天井のほとんどを覆うのが曇りガラスだからか、花の咲き乱れるサンルームは、ふんわり明るかった。
そんなセレブな場所で、綿菓子みたいなお姫様が手ずからお茶を淹れようと茶器を取る。
あたしはその様子をぼんやり眺めながら、どうして自分がオルネ王女と一緒になって、お姫様のお茶を待っているのかを考えていた。
普通・・・あたしにしてみれば、こういう場所自体が普通じゃないんだけど・・・は、お姫様は自分でお茶を淹れないし、騎士や侍女はお茶の席から少し離れた場所で待機してるものらしい。
それなのに、あたしはこうしてオルネ王女の隣に腰掛けて、借りてきた猫よろしくガッチガチに固まっているわけで。
・・・ああ、胃が痛い。クロウくん、今夜来るならぜひ胃薬をお願いしたい。
「お待たせしました・・・どうぞ」
綺麗な手が、テーブルの上にカップを置いていく。
心の中でわんこな彼に向けて念じていたあたしは、はっと我に返って慌ててお礼を言う。
「・・・っ、ありがとうございます」
「ありがとう」
オルネ王女が、お礼を言って手を伸ばす。
社会人として最低限のテーブルマナーくらいは勉強したとはいえ、そんなもの発揮する場なんて、これまでに結婚披露宴くらいしかなかった。
あたしは王女の所作を横目で観察しながら、何とか声を振り絞る。
出来るのは、せめて相手を不快にさせないように頑張ることくらい。
・・・クロウくんと一緒に食事した、宿の食堂が懐かしい。
「・・・えと、いただきます」
「ええ、どうぞ。お口に合うと嬉しいです」
お姫様が、微笑んで椅子を引く。
優雅に腰を落ち着けた彼女は、テーブルに置かれた三段重ねのトレーを指して言った。
「こちらもどうぞ。城の菓子職人の作ったものです。
本当は街で人気のお菓子を、と思ったのですけれど・・・」
言葉の最後で眉が八の字になった彼女に、王女がため息混じりに頷いた。
「昨日の侵入者騒ぎか。
ジュジュ姫、こちらに被害は?」
「御心配下さって、ありがとうございます。
・・・わたくしの方は何も。
このような奥まった場所に忍び込む危険を冒す侵入者など、おりませんよ」
笑みを含んだ声で言ったお姫様に、王女は苦いカオをする。
「またそのような・・・。
そなたは、自分の価値を低く見積もるきらいがあるな」
この人達、一体何の話してんの・・・?
あたしの頭の中を、ハテナマークが飛び交ってる。
やんごとない人達って、どうしてこうも掴みどころのない言葉を選んで遣うんだろう。一語一句逃さないように聞いてるつもりだけど、イマイチ話の内容が理解出来ない。
・・・ええっと、ええっと・・・ああもう、脳みそが沸騰しそう。
「・・・アイリさん?」
「はっ、はい・・・っ」
お茶の香りを堪能する振りをしてたあたしは、突然声をかけられて驚いてしまった。
慌てて視線を上げれば、そこには小首を傾げて不思議そうにこちらを見ている、お姫様のお顔が。
「眉間にしわを寄せて・・・もしや、御気分でも優れませんか・・・?」
本気で心配そうに囁かれて、罪悪感が湧いてくる。
知らず知らずのうちに、しかめ面で考え込んでしまってたらしい。
全力で首を横に振ったあたしを横目で見た王女が、呆れたように息を吐き出した。
「第一妃に遭遇して疲れた、などと言わないだろうな」
「あ、あはは・・・すみません・・・」
「まったく・・・相手をしたわらわの方が、そなたの倍は疲れているだろうに」
とりあえず笑って誤魔化したあたしに、王女の肩ががっくり下がる。
はっとしたように口元に手を当て、お姫様が声を潜めた。
「・・・そういえば、こちらにいらっしゃる前に・・・。
御気分を害されるようなことでも、言われてしまいましたか?」
「あた・・・わたし、は全然平気です。
てゆうか、むしろ緊張してよく覚えてなくて・・・」
・・・なんか、この台詞も若干失礼な気がするけど・・・。
乾いた笑みを浮かべて頬を掻くあたしを一瞥して、王女が首を振った。
「この国の王女とはいえ、そなたが気にすることではないだろう。
第一妃は、そなたの実の母でもないわけだし」
「そう言っていただけると、気が楽になるのですが・・・」
紡いだ言葉を途中で止めて、お姫様は憂鬱そうにため息をつく。
そして、困ったように微笑んだ。
「ティゼル様、最近ことに気性が荒くなった気がして・・・」
「皇太子のことだな」
「ええ、おそらく・・・」
「あのぅ・・・」
それまで2人の会話を聞くことに徹して、なるべく空気になろうと努力していたあたしは、大きく息を吸い込んで手を上げた。
「ちょっとお聞きしても・・・?」
・・・指先が震えてるのは見逃して下さい。
注目を集めるのは小さい頃から苦手なんですよ。
そんなあたしの思いなんて露知らず、お姫様が身を乗り出した。
「はいっ、何でしょう・・・?!」
も、物凄い食いつき方だな・・・。
目を輝かせるお姫様に若干たじろいだあたしは、はっと我に返って口を開いた。
皇太子の話題になったから、ちょっと聞いておきたいことがあるんだよね。
「えっと、その・・・第一妃様は、ティゼル様とおっしゃるんですか?」
「アイリ・・・そなた知らないにも程が・・・」
「いいんですいいんです!」
沈痛な面持ちで呟く王女に向かって、お姫様がぱたぱたと両手を振る。
そして、どういうわけか両手を組んで、あたしを上目遣いに見つめてきた。
「他には、聞きたいことはありませんかっ?」
「え・・・?」
「気になることとか、知りたいこととか・・・!」
「あ、あのー・・・?」
きゅるん、と潤んだ瞳に見つめられて、わけが分からず首を捻る。
・・・必死な感じは可愛いけど・・・なんでだろ。
いや、知りたいことや気になってることなら、たくさんある。
それはまあ、会社にある資料を読み込んでなかった自分が悪いんだけど・・・。
それよりも何よりも、悪意のない可愛い女の子に詰め寄られる経験なんて今までなかったあたしは、ただひたすら困惑していた。
それはオルネ王女も同じだったようで、突然身を乗り出したお姫様に、訝しげな視線を送って言う。
「ジュジュ姫・・・?」
本人は王女の呟きが耳に入ってないのか、相変わらず、捨てられた子犬のような瞳をあたしに向けている。
・・・王女には、第一妃の耳や目が届かない場所で話をしてやる、みたいなことを言われたけど・・・果たしてお姫様の前で口にして良いものか。
そう思いつつ、ちらりと王女を一瞥したら、目が合って肩を竦められた。
よく分かんないけど怒ってるわけじゃなさそうだし、皇太子のことなんかを尋ねても咎められたりはしなさそう・・・かな。
勝手にそう解釈したあたしは、思い切って口を開くことにした。
「じゃ、あの・・・」
「はいっ」
目をキラキラさせて言葉を待つお姫様が、あろうことかクロウくんと重なってしまって、心の中で天を仰ぐ。
・・・どうしよう。あたし、わんこな年下にめっぽう弱いかも知れない。
「何でも訊いて下さい、おね・・・アイリさんっ」
「は、はぁ・・・」
引っかかる何かを飲み込んで、あたしは言葉を紡ぐために呼吸を整えた。
そのまま、温くなったお茶を流し込んで口を開く。
第一妃のことを尋ねても、彼女を“おばさま”と呼ぶオルネ王女の怒りに触れないことを祈りつつ、言葉を選ぶ。
まずは、あたしの素性を明かすところからだ。
国王陛下は既に知ってることだし、お姫様は第一妃と親しいわけじゃなさそうだし・・・打ち明けないと王族の話なんて聞き出せないだろうし。
「ええっと、その前に・・・。
わたし、オルネ様のお付きとして王城に留まってるんですが・・・。
実は皇太子様の恋人を連れ戻すために来た、旅行会社の者なんです」
「・・・あら、そうですか」
お姫様、全くもって驚く気配なし。
普通、もっと驚くもんじゃないのか。異世界の人間が目の前にいるんだけどな・・・。
そんなあたしの疑問をオルネ王女も感じたらしく、彼女が口を挟んだ。
「ジュジュ姫、そなたアイリのことを知って・・・?」
「い、いいえっ。その、ええっと、お父様から少しだけ・・・」
お姫様、明らかにしどろもどろ。一気に怪しさ満点。
相手の身分も自分の立場も忘れて、あたしは思い切りお姫様を凝視してしまった。
・・・打ち明けたの、失敗だったか・・・。
内心で唸っていると、ぱちん、と音がした。
見れば、お姫様が両手を合わせて小首を傾げているではないか。
彼女は、あたしやオルネ王女が口を開くよりも早く、言葉を紡いだ。
「わたくし、城の外に出たことがほとんどなくて・・・っ。
ですから外の方の話を聞いたりすると、どうしても気になってしまうのです。
アイリさんのことも、小耳に挟んでいたのを思い出しまして」
結構な早口が、また怪しいけど。
「・・・ふぅん・・・?」
オルネ王女が、彼女の言葉に相槌を打つ。
納得はしてないんだろうけど、特に追及するつもりもないんだろう。
王女は含みのある視線をあたしに寄越して、そのまま黙り込んだ。
・・・あたしのことだから、あたしに任せるってこと・・・なのかも知れないな。
沈黙をいいように受け取って、そっと口を開く。
「じゃああの、それは置いておくとして・・・。
王族の皆さま方のことを、ひと通り教えていただけないでしょうか・・・?」
お姫様がお茶のおかわりを用意してくれて、オルネ王女がお菓子に手を伸ばす。
あたしとお姫様の会話になるってことを見越したのか、どうやら純粋にお茶の時間を楽しむことにしたらしい。
そういえばこの王女様、ラジュアに連れてかれて対面したあたしに、お茶に付き合え、って言ってたよな。甘いお菓子に目がないんだろうけど・・・。
そんな感想を抱きながら横目で王女を眺めていると、お姫様がひとつ咳払いをした。
「王族のことですから・・・そうですね、まずは、やはりお父様でしょうか」
あたしも王女から視線を剥がして、居住まいを正す。
「はい、お願いします」
「お父様の御名前は、ジュゼタール・ディエ・ミュシファルア。
この海洋王国ファルアの君主ですね。
妃は3人・・・第一妃ティゼル様、第二妃アニス、第三妃ココット様がおられます。
ティゼル様は、ライネル兄様とヴァイアス兄様の母御であられます。
それから第二妃のアニスは、わたくしと3番目の王子ジュノアルトの母。
わたくしのすぐ上の兄の母御である第三妃ココット様は、数年前にご逝去を・・・」
「・・・そう、なんですか」
国王、3人も奥さんいたのか・・・それに、うち1人がもう他界されてるとは。
結構大事な情報を知らずにいた自分が恨めしい。というか、ちゃんと資料読まなかった自分を罵倒してやりたい。
・・・次に国王と面会した時、話題には気をつけないといけないな。
「第一妃ティゼル様は、山岳都市国家クライツのご出身です。
オルネ様の、伯母上にあたりますが・・・」
言葉を区切ったお姫様の視線が、王女に向かう。
それを受けて、お菓子を咀嚼していた彼女は、お茶をひと口含んでから口を開いた。
その表情は、苦い薬を飲んだ後みたいで。
「わらわの、腹違いの姉方の伯母だ」
「えっと・・・てことは・・・?」
言われたことの意味が掴みきれなくて、小首を傾げる。
すると、ため息をひとつ放った王女が、渋々教えてくれた。
「わらわと第一妃に、血の繋がりはない。
まったくの、赤の他人というわけだ」
「なるほど、それで・・・」
ほー、と感嘆の息を吐きつつ呟く。
だからああいう雰囲気になるんだな。なんとなくだけど、上司と部下、みたいな上下関係を想像しちゃったもん。
再びお菓子に手を伸ばした王女を見遣ったお姫様が、ため息混じりに言った。
「・・・クライツとの友好の礎になるための輿入れ、だったそうです。
我が国は、広く海に面した土地を有しています。それを狙う他国も多いのです。
山岳のクライツと友好関係を築いておくことは、他国へのけん制になりますから」
「そういうもんですか・・・」
物凄く分かりやすい説明だけど、雲の上の話みたいだ。全然、現実味がない。
正直な反応をとったあたしに、お姫様は頷いた。
「はい。
そういうわけで、クライツ女王の姉君を妃に据えた我が父ですから・・・」
「今回の皇太子に絡んだ一件も、そう簡単に一蹴出来ない、というわけだな」
「ええ・・・」
「まあ、己の感情だけで見合いを拒否出来ないわらわも、似たようなものか・・・」
甘いはずのお菓子に顔をしかめた王女が、大きく息を吐き出して言う。
「父も母も亡くなり、それでも王女として生かされている。
・・・その意味を考えれば、受け入れるべきなのだとは思うが・・・」
「その点では、わたくしも近いうちに・・・。
はぁぁ・・・何と夢のない職業なのでしょうね、王族というのは」
「まったくだ」
・・・後半の話、あたしの耳に入れても大丈夫なんでしょうか・・・。
てゆうかオルネ王女の身の上、まるで灰かぶりじゃないですか。
2人のやり取りを眺めて内心で途方に暮れていると、ふとした瞬間に、オルネ王女と目が合った。
大きく、力強く頷いた彼女の唇が笑みの形になる。
その刹那、嫌な予感が悪寒になって背中を駆けあがってきた。
「そういう事情もあって、アイリには期待しているのだ。
皇太子とモモ殿が上手くいけば、なんとかなりそうな気がする」
「・・・やっぱり・・・!」
あたし頼みってことですか!
「いやでもさすがに、それは荷が重いというか・・・」
無理です、なんて言えなくて、ごにょごにょ呟いていると、今度はお姫様が、ぱちん、と両手を合わせた。
ああまた、嫌な予感。
無邪気なカオが怖い。
「実はわたくしも、アイリさんには“いろいろと”期待しているのです。
頑張って下さいね!」
にこやかに放たれたひと言に、あたしの口元が引き攣った。
「えぇぇ・・・?!」
あたしの仕事はお客様を連れて帰ることなんだけど・・・なんて、とてもじゃないけど言えるわけがなく。
結局、その後も王族に関してのレクチャーは続いたのだった。
「ご苦労様です。
・・・おやすみなさい」
廊下に立っている騎士に声をかけて、与えられた部屋のドアを閉める。
オルネ王女の部屋で食事を一緒に済ませて、戻ってきたところだ。
本来なら王女様は第一妃様の客人だから、国王や妃、皇太子達と一緒に食事を取ることになるらしい・・・んだけど。
国王は仮病で寝室に引きこもってるし、皇太子は親子の縁をボイコット中、お姫様は体が弱くて部屋で食事を済ませてるみたいだし。2番目の王子は騎士団の仕事で忙しくて、3番目は研究所だかに泊り込んでる。そして4番目に至っては、絶賛家出中だ。
・・・なんだこの一家。
ツッコミどころが満載過ぎて、誘われるままにオルネ王女と部屋で食事をいただいてきた、というわけだ。
日が落ちてから、まだそれほど経ってない。
ドアに鍵をかけて、部屋の中に足を踏み入れる。
・・・今日聞いた話、メモしとかないと忘れちゃいそうだな。
「えっと・・・」
1人で部屋にいると、つい独り言が増える。
王都に来るまでの数日間、クロウくんが一緒だったから余計だ。
あたしはそんな自分に呆れつつも、すっかり暗くなった部屋の明かりをつけようと、スイッチに手を伸ばした。
その時だ。
ぐいっ、と手首が掴まれた。
スイッチに一度は触れた指先が、勢いよく離れていく。
「・・・っ?!」
驚いて息を飲んだ瞬間に、その光景がスローモーションになってハッキリと視界に映る。
一瞬にして頭の中が真っ白に染まったあたしの腰が、後ろに引き寄せられた。
声、声出さなきゃ・・・!
半ばパニックになりつつ、息を吸い込む。
すると今度は、ばふっ、と大きな手に口を塞がれた。
「ぐ・・・っ?!」
「俺俺、俺だってば」
「むっ、ふぅぅっ?」
耳元で囁かれた台詞に、思わず大きな手の中で喚く。
意味不明な呻き声にしかならなかったけど。
こくこく頷いて、大きな声を出さないと意志表示すると、大きな手が口から離れた。
そしてすぐに、がしっと後ろから抱えられたまま、勢いよく振り返る。
そこには、申し訳なさそうに眉を八の字にしたクロウくんが。
「ごめん、明るいと外から見えちゃうからさ。
明かりは消したままで、お願いします」
「ん、分かった」
あたしが稲妻模様の走る顔を見上げて大人しく頷くと、彼は目を細めた。
「伝言通り・・・」
「うん」
もうこの際、抱きつかれたまま、っていうのには目を瞑ろう。どっちみち力比べでは敵いっこないし、別に嫌なわけじゃないし。
そんなことを思いながら、驚かされてバクバク煩くなった心臓を宥めていると、肩に、ぽふ、と重いものが乗ったのが分かった。
この重みも、実は嫌じゃなかったりする。




