天使の部屋
「顔をお上げ」
・・・口から飛び出すのは防いだけど、心臓が縮んで痛い。
“おばさま”は、あたしの顔をまじまじと見つめた。
・・・痛い。視線が物凄く痛い。
蛇に睨まれたカエルの気分だ。
「・・・あまり見かけない毛色ね?」
あたしから視線を剥がすことなく尋ねた彼女に、オルネ王女が口を開く。
「先日街道で助けて貰った縁で、お付きとして雇っている者です。
長く異国を旅してきた者ゆえ、この国の空気を纏っていないのでしょう」
もっともらしい言葉に“おばさま”は、ふぅん、と何かを考える素振りを見せた。
オルネ王女の硬い声に相槌を打ちながらも、あたしに向かって射抜くような視線を投げてくる。
視線に晒されて胃がチクチクして・・・い、痛い・・・。
お腹を押さえたい衝動を堪えると、今度は変な汗が背中を伝う。
・・・ああもう、着替えが少ないんだから汗は掻きたくないのに・・・。
「街道で・・・なるほどね・・・」
呟きながらもその視線は鋭いままだし、なんだか値踏みされてる気分にさせられる。
・・・は、早く向こう行け・・・!
伏せたい顔をなんとか持ち上げ続けているあたしは、ふと、“おばさま”の向こうに、行列が出来ていることに気がついた。
揃いの地味なワンピースを着ているところを見ると、侍女とかメイドとか使用人、といった単語が頭に浮かぶ。
オルネ王女がいつもの尊大な態度を潜めているくらいだから、この国の偉い人なんだろうな、とは思うんだけど・・・。
でもこの王女様、この国の王子様にも遠慮のない言動をしてたしなぁ・・・敬語を遣うような相手なんて・・・。
なんとはなしに考えを巡らせたあたしは、やがて思い当たった人物に絶句した。
国王だ。昨日、オルネ王女は国王と会話してる時に、敬語を遣ってた。
・・・あれ、てことは“おばさま”って・・・もしかして、王妃・・・?!
当てずっぽうだけど、当たってる気がする。いや、当たってても嫌だけど・・・。
もしそうなら、こんな時に大変な人に出くわしたもんだ。
そう思った途端に、背中を冷や汗が伝っていく。
第一妃、と王女は言っていた。てことは、おそらく第二妃もいるんだろう。
目の前の人が何番目なのかは分からないけど、もし見合いを企画した第一妃だとしたら、えらいこっちゃだ。
あたしの素性がバレたら、“皇太子の恋人を連れて帰るように”とでも言われるに違いない。それこそ有無を言わさず、だまし討ちのようにでも構わないから、なんて言われるかも知れない。
・・・どっちかの味方をしたら、もう一方から恨まれるんだろうな・・・。
愛の逃避行まっしぐらな旅行者と、息子を奪還したい母親。
・・・拗れたら、どっちも怖いに決まってる。逆恨み率、すごく高い気がする。
だから、お客様には異世界結婚のために必要なことがある、ってことは伝えるけど、絶対手伝わないって決めてあるし。
ご両親や第一妃の説得は、自力で。自分の道は自分で切り開く、ってことで。
あたしは嫌な音を立てる鼓動を宥めようと、こっそり深呼吸した。
オルネ王女があたしの素性を口にしようとしてる気配はないみたいだし、ひとまず落ち着こう。
すると“おばさま”が、すっ、と目を細めた。
「ではオルネ、次に会う時には良い知らせをね」
「・・・善処いたします」
獲物をロックオンするような目つきをした彼女に返した王女の言葉は、なんだか政治家の台詞みたいに思える。
普段の彼女の言葉からみたら、凄まじいほどの事務的さ。
でも“おばさま”は、そんな彼女の態度には特に何も感じなかったんだろう。
優雅に含み笑いを残して、行列を引き連れて行ってしまった。
どうやら“おばさま”の興味の範疇から、あたしは外れたらしい。
チクチクした視線から解放されたことに気がついて、ほっと胸を撫で下ろした。
“おばさま”の行列が遠く離れていったのを見送っていると、ふいに王女が口を開いた。
「行くぞ」
短い囁きに振り返ると、すでに彼女とラジュアの背中が遠ざかり始めてるとこで。
あたしは2人に追いつこうと、慌てて小走りになった。
無言で、しかも穏やかならない空気を纏った王女には声をかけられないから、あたしの隣を歩く彼に向かって口を開く。
「あのさラジュア・・・」
「・・・はい」
キラキラオーラをぱったりと消した美少年が、あたしに視線を寄越す。なんだか物凄く、億劫そうに。
「・・・疲れてる・・・?」
「まあ・・・。
それで、何でしょう?」
ため息混じりに頷いた彼に、あたしは悪いなと思いつつも質問をぶつけてみることにした。
小さな声で、こそっと。
「さっきの、もしかして第一妃様だったりする・・・?」
「・・・ええ」
苦い表情で同意したラジュアを、オルネ王女が振り返る。
そのカオは、やっぱりどこか疲れて見えた。
「今回は、まあ、まだマシだったな」
あたしと同じように、こそっと、小さな声だ。
なんでだろう、と小首を傾げたら、彼女はあたしを見て言った。
「いろいろ聞きたいことも多かろうが、ここではな・・・。
用事を済ませて、部屋に戻ったら話すとしよう」
「へ?」
間抜けな声を上げたら、ラジュアが隣で耳打ちした。
「この城には、あの方の耳や目がたくさんあるんですよ」
「りょ、了解です」
・・・うっかり発言、気を付けます。
疲れた顔のオルネ王女とラジュア、そして変な汗で背中が冷たいあたし。
そんな3人だから、廊下を歩いて階段を上っても無言が続いた。
そして、そもそもこの国の王女に会うために廊下を歩いてたんだ、ってことをあたしが思い出した頃だ。
あたし達の向かう先に、騎士2人と侍女が見えてきた。
その後ろにはドアがある。
・・・そういえば昨日も、似たような光景を見た気が・・・。
既視感に内心で首を捻ったあたしの脳裏に、国王を訪問した時の光景がよみがえった。
・・・あ。
心の声に合わせて、固く閉じていたはずの唇が開く。
国王の寝室の前にも騎士と侍女が立ってて、来訪者を取り次いでいたはず。ついでに言えば、あの時は追い返そうとされたんだっけ。
・・・今回は、お呼ばれした側だから、そんなことはないだろうけど・・・。
あたしの心配をよそに、騎士と侍女の前で足を止めた王女が、おもむろに口を開いた。
いつの間にか、疲れた顔がいつも通りに戻っている。
「すまない、遅くなってしまったな」
「いえ・・・お待ちしておりました」
侍女が頭を下げ、騎士が道を開ける。
事務的だけど、昨日の国王の部屋でされた対応とは雲泥の差だ。
「・・・どうぞ中へ」
ドアを開けて中に入る侍女に続いて、王女が一歩踏み出す。
それに倣って、あたしとラジュアも部屋の中に入った。
部屋の中は、ふんわり甘い香りで満たされていた。
なんだか、年頃の女の子の部屋、って感じだ。
侍女が後ろを振り返らないのをいいことに、あたしはキョロキョロと部屋の中に視線を走らせる。
壁紙は爽やかな緑色で、至る所に観葉植物が置かれてる。中には綺麗な花を咲かせてるものもあるから、王女様が世話をしてるんだろうか。
観葉植物効果なのか、この部屋、心なしか空気が綺麗な気がする・・・。
室内観察をして感想を抱いていたあたしは、前を行くオルネ王女の足が止まったのに気づいて、それに倣った。
「姫様、お客様です」
「・・・ごくろうさま。
あなたは部屋の外で。おもてなしは、わたくしがします」
侍女の呼びかけに、声が返ってくる。
オルネ王女みたいに声に芯はないけど、その代わりこの部屋の空気みたいに澄んだ声だ。
「では御気分が悪くなられましたら、お知らせ下さいませ」
「ええ」
主の言葉に従った侍女は、あたし達に一礼して来た方へと戻って行った。
そして、ドアが閉まるのと同時に、部屋の奥から人影が。
「お待ちしておりました、オルネ様」
現れたのは、絵本から飛び出したのかと思うような、お姫様だった。
申し訳なさそうに、オルネ王女が口を開く。
「ごきげんよう。本日はお誘い、ありがとう。
・・・でも、すまないな。待たせてしまっただろう」
シフォン生地の、ふわふわした衣装を纏った彼女は、ゆるゆると首を振った。
「いえ・・・何かあったのでしょう?
たとえば第一妃様の御一行と、廊下で行き合ってしまったりとか・・・」
「まさにその通りだ」
肩を竦めた王女に、お姫様が苦笑を漏らす。
まだ立ったままの挨拶だけど、なんとなく緊迫したものは感じられない。
部屋を出る前に王女が言ってた通り、敵視されるような関係じゃないらしい。
・・・またさっきの“おばさま”の時みたいなことになったら、さすがに心臓がもたないとこだったな・・・。
つくづく王城なんてハイスペックな職場、あたしには似合わない。
オルネ王女とお姫様の雰囲気に安心したあたしは、内心でそっと息をついた。
そして、こっそり気を抜いた瞬間だった。
オルネ王女を見ていたはずのお姫様の視線が、あたしに向けられているのに気がついた。
「あら・・・?」
「あ・・・」
可愛らしい顔が、不思議そうに傾けられる。
第一妃に“毛色が・・・”と言われた時のことを思い出して、心臓がドッキリしてしまった。
あたしが咄嗟に何も言えないでいると、オルネ王女が口を開く。
「縁があって、付き人を務めてもらっている」
「・・・自己紹介して下さい」
横からラジュアに耳打ちされて、あたしは、はっと我に返った。
慌てて頭を下げる。
「初めまして、アイリと申します。
お目にかかることが出来て、光栄です・・・え、と・・・」
決まり文句を並べて、口ごもってしまう。
そういえば、お姫様の名前を知らないんだった。
・・・いや、ほんとは王族や主要な人物に関する資料があったんだけど、あんまり関わりたくないから思いっきり流し読みしてたんだ。
先輩の言うこと、もっとちゃんと聞いときゃ良かった・・・!
言葉に困ったあたしに、一瞬目を丸くしたお姫様の頬が綻んだ。
蕾が大輪の花に変わる瞬間を目撃して、思わずドキっとしてしまった。
「わたくしは、ジュジュ。この国の一番末の王族です。
初めまして、アイリさん。
・・・お会い出来て、嬉しいです」




