痕のこと
あたしに布を掛けた彼が、侵入者がどっちに逃げたか、あたしに尋ねた。
窓辺に寄ったあたしは、迷わず答えた。“クロウくんが去っていったのとは、正反対の方向”を指差して。
・・・そうするように、って、クロウくんに言われてたから・・・。
あたしの指差した方角を確認して頷いた彼は、部下であるらしい騎士達に指示を出す。外を探せとか、街を巡回しろとか・・・。
騎士達は威勢良く返事をして、来た時と同じようにばたばたと駆けて行った。
あっという間に騎士達がいなくなって、部屋には、あたしと彼だけ。
突入の時に壊されたドアが、きぃぃぃ・・・と悲しげな音を立てて揺れてる。
それでも扉としての役目を負わせるらしく、彼は手と足を使って無理やりドアを閉めた。
そして、ひとつ息を吐く。
「それで・・・」
振り返った顔は、ちょっと疲れてた。
「一応聞いとくが、お嬢さんに怪我はないよな?」
「え、あ、はい・・・」
戸惑ったまま頷いたあたしを見て、彼は大きくため息をついた。
ワイルドなイケメンは、落胆してても疲れてても、渋みが効いてて格好良い。
桑原先輩が好きそうな外見だ。
「そりゃ良かった。で・・・久しぶり、だな。
・・・俺のこと覚えてるか?」
「ヘジーさん、ですよね・・・?
“朝日の街”の、食堂の・・・」
「ああ」
思い出しながら呟いたあたしは、彼が肯定するのを聞いて首を捻った。
頷く仕草にすら、野性味が溢れてる。
格好こそ騎士っぽく小奇麗だけど、ちょびっとヨレてる襟元とか、なんだろう・・・あの隙間から漂う色気は間違いなく、あの日会ったヘジーさんみたいだけど・・・。
・・・食堂の人が、なんでまた王城で・・・?
まさか戦うコックさんなのか、なんて考えて、視線を送る。
そんなあたしの視線に気づいたのか、彼は手をぱたぱたさせた。
「こっちが本業。
あの食堂の営業は、まあ、期間限定ってとこか」
「はぁ・・・。
それにしても、なんでまた“朝日の街”で食堂なんて・・・?」
ようやく彼が駆けつけた背景が分かって、独りごちる。
するとヘジーさんは、苦笑を浮かべて口を開いた。
「なんだよ・・・アイツ、お嬢さんに何も話さないで行ったのか」
そのひと言に、何かが引っかかる。アイツ・・・アイツって・・・。
あたしは内心で首を捻って・・・そして、はた、と気づく。まさか、まさかまさか。
「・・・あ、あの、アイツって、」
「ああ、クロウだけど」
言葉を遮って、さらっと言ってくれた彼に、あたしは絶句した。
ヘジーさんがクロウくんのことをアイツって呼んでて、ついさっきまで、ここにはそのクロウくんが侵入してて・・・でも、ヘジーさんは騎士だから・・・。
あたしの頭の中をぐるぐると考えが巡って、ひと回りした頃、彼が眉間にしわを寄せた。
「ったく・・・。
警備の隙を作れだの、女の悲鳴で突入しろだの、無茶苦茶言いやがって・・・」
「・・・クロウくん・・・!」
なんてこった。
今ので2人がグルだってことくらい、あたしでも分かる。
バレたらヘジーさん込みで処罰されるんじゃなかろうか。
「だいじょぶなんですか、こんなことして・・・?!」
咄嗟に小声になったあたしに、ヘジーさんが苦笑を向ける。
「何言ってんだ。
お嬢さんも共犯だろ」
「へ?」
思わず変な声を漏らしたあたしを見て、彼の苦笑が深くなった。
「・・・だから。
騎士団の捜索をかく乱するために、嘘の証言をしただろ」
「あ・・・!」
思い当たって、声を上げる。
クロウくんがワンピースの裾を捲り上げようとして、あたしが叫んで・・・。
その瞬間に、彼は苦笑混じりに「ごめん」、なんて呟いてあたしから離れた。
それから、ぽかんと口を開けたままのあたしの頭をひと撫でして、耳元で囁いたんだ。
「街の方に逃げて行った、って証言してね」って・・・。
・・・ってゆうか、この人あたしの証言が嘘だってこと、知ってたんだ。
もしかして、そのあたりも打ち合わせ済み・・・?
はっ、としたままの体勢で彼を凝視したら、今度は肩を竦められた。
「・・・ったく、落ち着いたら奢って貰わないと、割に合わないよな」
「あー・・・それでだ・・・」
話がひと段落したところで、ヘジーさんの目が泳いだ。
その様子が引っかかって、あたしは思わず小首を傾げる。
すると彼は、目を合わさないようにしながら、あたしを指差した。
「ほら、その、キスマークが全開の部分は、さっさとしまいなさい」
どういうわけか、口調がまるでお父さんだ。
・・・て、ゆうか。聞き捨てならない台詞が・・・。
「はい・・・?!」
思わず自分の体を見下ろしてみる。
「・・・あ・・・っ?!」
そして、見つけてしまった。胸元に散らばった、いくつかの点を。
胸の中心にひとつ。それから鎖骨のあたりにひとつ。水着みたいな下着と肌の境界あたりに、またひとつ。
・・・こんな、若干痛々しい、痣みたいなのが・・・?
「あの、ヘジーさん。この点々がそうなんですか・・・?」
確かにヘジーさんはそう言ったけど、あたし、見たことないんですよ。
恐る恐る尋ねたあたしに、彼が声を上げる。
「いいから早く隠しなさい。
素面でそんな、生々しいもの相手にしたくない・・・!」
その台詞が何かのスイッチを押したのか、あたしの顔に熱が集まってくる。
なんか今のあたし、歩く18禁になった気分だ。なんて恥ずかしい!
「す、すみませ・・・っ」
急いでボタンを留めて、散らばった点を隠す。
すると今度は、ヘジーさんが大きなため息を零した。
「触るなよ、っていうメッセージだろ。
・・・ああいや、勘違いしないでくれ。
俺はお嬢さんのことは何とも思ってない。っていうか、胸は大きい方が好みだ」
なんだその誤解の解き方は・・・。
てゆうか、判断出来るくらいには見てたんだな。最低だ。騎士のクセに。
「ぶん殴ってもいいですか」
肩にかかった布をかなぐり捨てる勢いで言うと、彼が手をぱたぱたさせた。
「別にお嬢さんの胸を否定するつもりはないんだ。あくまで好みの話で」
「なんでもいいので、一発殴らせて下さい」
ジト目で睨みつけてやったら、彼の頬が引き攣る。
「悪かった、謝る。すまなかった。他意はない。
・・・俺だって、麻酔針撃たれて、簀巻き状態で桟橋から落とされるのは勘弁だ」
「そんなこと・・・クロウくんが・・・?」
「あー・・・まあ、そういう目に遭ったのがいたんだ。昔な」
何かを思い出してるのか、ヘジーさんが遠くを見つめる。
・・・どんな日常を送ったら、そんなことする必要が出てくるんだよ・・・。
これはもう、次に会ったら本人に直接確かめるしかない。と思う。
彼の思わぬ言葉に怒りが消えたあたしは、入れ替わりに疑問を抱いた。
「あの、前々から気にはなってたんですけど・・・。
クロウくん・・・ほんとに医師団の人なんですか? 」
だって、あの身のこなし、お医者さんには必要ない運動能力だと思うよ。
少なくとも2階以上の建物から飛び降りるなんて、普通じゃない。いつかの洞穴でも、麻酔針を手にした時の雰囲気が・・・。
言葉にしてみたら、余計に疑問に思う気持ちの強くなったあたしに向かって、ヘジーさんは小さく首を振った。
「医師団に所属してるのは本当だが・・・。
ま、そのへんのことは、本人に訊いた方がいい」
言いかけて、途中で言葉を濁す。
曖昧に微笑んだ彼は、手を差し出した。
「とりあえず、形だけでも調書が必要だからな、同行してもらうぞ。
・・・立てるか?」
なんか誤魔化された感が否めないけど、自らイケメンに絡む勇気は持てないあたしは、仕方なく頷いて立ち上がる。
・・・もちろん、差し出された手はとらずに。
それから、ヘジーさんに連れられて、あたしは当初の目的地だった騎士団の詰め所のような所に向かった。
そこで、持ってきた書類を提出して、彼が宣言した通りに、形だけの調書のために聞き取りを受けることになって。
・・・それがまた、嘘のオンパレード。あたしがいなくても書けましたよね、っていうような出来だった。
そうして、いろいろが終わった頃には予想通りに心配したらしいオルネ王女からの指示で、キラキラしたラジュア騎士が迎えにやって来たのだった。
おかげで帰り道は、平均が服を着たようなあたしに、チクチクした視線が・・・。
キラキラ美少年は、王城の侍女や小間使い達から人気があるらしい。
ま、本人がオルネ王女しか目に入ってないから、余計にあたしみたいなのが並んで歩いてると癪に触るんだろうなぁ・・・。
そんなこんなで、あたしは王女におおまかな成り行きを説明したあと、用意された個室で体を休めているわけだ。
・・・一応付き人としてちゃんと働くつもりだったんだけど、王女のピンチを救った人間をこき使うつもりはない、ということなので、お言葉に甘えることにした。
ちなみに明日、あの時あげた服があたしのもとに返ってくるらしい。荷物一式をホテルに預けてきちゃった身としては、ありがたい限りだ。
「・・・んー・・・っと・・・」
シャワーを浴びて、鏡に胸元を映す。
痣みたいな色の点々が、やっぱり3つ、消えずに残ってるのが分かる。
「キスマークって、こんな痛々しい色してるんだな・・・」
およそ色気も何もない呟きを零したあたしは、その部分に指で触れてみた。
・・・痛くもないし、痒くもない。なんか、拍子抜けだ。
「意外と簡単に付いちゃうもんなんだね」
高校生の頃なんかは、彼氏が出来た友達がキスマークの話をして照れたりしてたっけ。あの時のあたしは、聞いてもよく分かんなかったから、想像すらしなかったけど。
ぽつりと呟いて、その部分を撫でてた指を離す。
そしてもう一度鏡の中を覗き込んだあたしは、はた、と気がついて固まった。
呼吸するのを忘れたせいか、顔が熱くなってくる。
もちろんそれだけが原因じゃない、ってことは分かってるけど・・・。
「え・・・え、え・・・?!」
狼狽のあまり、ちょっと右往左往。
いつの間にか消えていた、耳の後ろあたりにあった虫刺されを思い出したのだ。
野宿をして、森を抜けた頃のことだったか・・・笹川先輩の指摘に、変な虫に刺されたんだと思い込んだあたしは、クロウくんの薬を塗って・・・。
「そりゃ、効く薬なんかあるわけないよね。キスマークだもん・・・!」
ああああああ、と力のない声を上げたあたしは、頬を押さえて熱をやり過ごす。
あのキスマークも、きっとクロウくんに違いない。
だって、あたし達は一緒にいた。いつの間にか、気づいたら同じベッドにクロウくんが入り込んでたことだって。
「クロウくん・・・!」
何も知らずに騒いだあたしを、彼はどう見てたんだろう。
面白可笑しく見守ってたのか、それともほくそ笑んでたのか・・・分かんないけど、とにかくこれは問題だ。
勝手にキスマークを付けたことも、それをあたしに隠してたことも。
でも何より問題なのは、あたしが嫌な気持ちになってない、ってことだ。
・・・寝てる間に勝手に付けられたキスマークも、押し倒されて抵抗の末に付けられたそれも・・・あたしは全然、嫌じゃなかった。
さすがにそれ以上されそうになって、一発殴ったけど・・・でも、彼のしるしが自分にあることは、嫌じゃ、ない。
「・・・ああもう、どうしよう・・・」
クロウくんから預かった宿題、仕事よりも早く片付けられるかも知れない。




