拉致からの
「んんーっ、ふ、むぅぅぅーっ」
叫んだつもりが、くぐもった声しか出てこない。
背後から引き寄せられたままの格好で身を捩っても、1ミリも体が動かない。
やばい。このままここでザクっとやられるかも知れない。
「・・・ひ、ぅっ」
怖い、と本能で感じた瞬間に、喉が引き攣った。
息が出来ない。苦しい。
もどかしさと恐怖に、心臓がおかしなリズムを刻む。
・・・ああもうダメだ・・・。
そんなふうに、自分の力ではどうにもならないことに絶望した刹那、耳元で低く囁く声が。
「・・・手、離すけど、大声出さないでね」
「っ?!」
その衝撃ったらない。
頭の中が真っ白になったあたしは、次の瞬間はっと我に返った。
「むぐっ、うぅぅぅぅ?!」
ああもう、振り返りたい!
顔を見なくちゃ、とてもじゃないけど信じられない!
身動きひとつ取れない、がんじがらめの自分がもどかしい。
いや、それ以上に易々とあたしを捕まえたこの腕が憎らしい。
「うーん・・・落ち着くまで待ってるしかないか」
呆れてるのか、怒ってるのか・・・落ち着いた声で囁かれて、恐怖に晒されて渦を巻いていた気分が落ち着いていく。
そうして沸騰しかけた頭の芯が冷えたあたしは、そっと口を閉じた。
すると、静かになったあたしに気づいたらしい彼が、ふぅ、と溜めていた息を吐き出してから、その腕を解いた、その、次の瞬間。
「やっと会えた・・・!」
むっぎゅぅぅぅぅぅ!
「・・・ク、ぐぇぇぇ・・・っ」
力の限りに抱きしめられて、肺から呻き声が押し出される。
声出すなとか、絶対無理だと思うんですけど!
本能的に命の危険を感じたあたしは、ばしばし背中を叩く。
「ぐ、ぐるし・・・!」
こういう時って白いタオルを投げるんじゃなかったか・・・などと、半ば現実逃避気味に考える。酸素だ。酸素が足りないからだ。
「・・・あ」
言葉と一緒に、彼の手がパッと離れた。
どうやら本気でたった今、あたしの惨状に気づいたらしい。なんてやつだ。
「ぐっ、げほっ、ごふ・・・っ」
ぶつけたい言葉を口にしようとしたら、思い切り咽てしまう。苦しい。
あたしは、背中を擦ってくれる手の温かさを感じつつ、ぐったりとその胸に頭を預けた。
何度も行ったり来たりを繰り返す手のひらに促されるように、呼吸が落ち着きを取り戻す。
すると背中を擦ってくれてた手が、今度は頭を撫で始めた。何も言わず、ただ、静かに胸板の向こうで揺れる鼓動に合わせて、ゆっくりと。
・・・ああそれ、熱出した時の手だ・・・。
・・・なんて。ほっとしてる場合じゃない。聞きたいこと、あるんだった。
「・・・はぁぁ・・・ほんっとにもぉぉ・・・!」
呼吸を整え、たっぷり酸素を取り込んで、ぐわっと顔を上げる。
その勢いに気圧されたのか、睨んだ先、眉が八の字に下がった。
思わず甘やかしそうになる自分をなかったことにして、あたしは手を伸ばす。
そして、その頬を思いっきり抓って言ってやった。
「クロウくん・・・っ。
どこほっつき歩いてたの・・・?!」
ほへほへ言いながら申し訳なさそうなカオをしたクロウくんは、真っ赤になったそこを擦りながら口を開いた。
「アイリちゃん容赦ない・・・」
眉が八の字に傾いてるけど、そこは無視することにして。
「心配したんだよ、帰って来なかったから」
「・・・うん、ごめんなさい」
しょぼん、と肩まで落とされては、言葉を続けづらくなってしまう。
口の中で小さく唸ったあたしは、そのことについては、とりあえず置いておくことにして詰まっていた息を吐き出した。
「ん、もういいや。とりあえず会えたし。
・・・て・・・あれ・・・?」
ふと浮かんだ疑問に、小首を傾げる。
「ん?」
クロウくんはそんなあたしに、同じように小首を傾げて先を促した。
あたしは訝しげに、その顔を覗き込む。
「一般の見学者は、一か所に集められてるって・・・抜けだしてきたの?
それとも・・・騎士団の関係者だから、顔パス・・・?」
「あー・・・んーと・・・」
彼が、真っ赤になってない方の頬を指で掻きながら、視線を泳がせる。
・・・物凄く、怪しい。
思わずジト目になって見つめれば、彼が乾いた笑いを漏らした。
「あはは・・・さっきの警報、煩かっタネー・・・」
その台詞を聞いた途端に、脳裏にあることが閃いた。
まさかとは思うけど、そのまさかなのか。
ちらりとよぎった考えが事実だったら怖いから、あたしは敢えて口にしないで・・・。
「侵入しちった・・・あは」
あたしの聞きたくなかった台詞を吐きながら小首を傾げたクロウくんの、赤くなってない方の頬までが真っ赤になったことは、言うまでもない。
「ほんとにアイリちゃん、容赦ない・・・」
「アレのおかげで、皆が外に出られなくなったんだから・・・」
しょぼん、と肩を落とした彼の額に、デコピンをお見舞いする。
ぺちん、と小気味良い音がして、クロウくんは口を尖らせた。
「だって、今の俺じゃ正面からじゃ入れてもらえないもん」
「あたしと一緒だったら、そんなことしなくても入れたかも知れないのに・・・」
「そうだけど用事が済んで部屋に戻ったら、アイリちゃんいなかったんだもん」
不貞腐れたようなカオをしてる割に、なんだか声が萎れてる。
「もしかして、」と覗き込めば、彼がたじろいだ。
「・・・な、なに?」
「置いていかれたと思って、怒ってる・・・?」
そっと囁いたあたしを見つめた彼が、小さく首を振る。
「別に約束してたわけじゃないから、俺が怒るのも違うんだろうし・・・。
ともかく、アイリちゃんも王城に用があるのは知ってたから、来てみたの。
・・・入ってから見つけ出すまでに、思ったより時間がかかっちゃったけど」
クロウくんの言葉に、あたしは脱力してしまう。
「ほんとにもう・・・」
がっくり肩を落とすのは、わんこの専売特許な気がするんだけどな。
こんなふうに力が入らないのは、経緯も理由も置いといて、ひとまずクロウくんに会えて安心したせいかも知れない。
「アイリちゃん」
「ん・・・?」
顔色を窺うような声色に、そっと視線を上げる。
思ってたよりも近くであたしを映し出す瞳が、小さく揺れた気がした。
不安そうなカオを引き裂くように、稲妻模様が走ってる。
「俺のこと、嫌いになっちゃった・・・?」
ほんと、クロウくんには甘いんだ。
小さく首を振ったあたしは、息を吐き出す。
「侵入だなんて、無茶なことしたのは怒ってるよ。
でも、それはクロウくんが心配だからで、別に嫌いになったわけじゃ・・・」
あまりの近さになんとなく目を逸らしたあたしに、彼が笑みを漏らした。
おでこに吐息がかかるんじゃないかって、ガラにもなくドキドキしてる。
・・・きっと、出された宿題の存在をたった今、思い出したせいだ。
「ほんと?」
ずっと小声で会話してるっていうのに、彼はひと際声を落として囁く。
その声は、するりと耳の中に入り込んで波紋みたいに広がった。
すぐにそれは耳の奥に熱を灯して、むず痒くなる。
彼は、なんとかそれに耐えて頷いたあたしの頭を、もう一度撫でた。
そして、その手は滑り降りて、頬に触れる。
促されるままに顔を上げれば、そこには甘やかな笑みを浮かべる彼がいた。
言葉にしないけど、その笑み越しに返事を求めてるのは分かる。
だからあたしは、そっと口を開いた。
「・・・ほんと。クロウくんのこと嫌いになるわけ、ないでしょ。
昨日は帰って来なくて、ずーっと心配だったんだから」
悔し紛れ照れ隠しのつもりで囁けば、ぐいっ、と引き寄せられる。
いっそう近づいた顔が満足そうに笑みを浮かべて、綺麗な形の唇が弧を描いた。
一瞬見惚れてしまったなんて、絶対に言えない。
先に言葉を発したのは、あたしだった。
甘い雰囲気の中で見つめ合って、心臓がもたなくなってきた頃だ。
「ところで、」
あたしの言葉に、クロウくんはきょとん、として小首を傾げる。
・・・こういう何気ない仕草が、いちいち可愛いから困るんだ。
思い浮かんだことを咳払いと一緒に、頭の隅に寄せる。
そして、あたしは尋ねた。
「呪い、どうなった?進行しちゃった?
解く方法は、見つかりそう・・・?」
クロウくんはあたしの質問に、苦笑混じりのため息をついた。




