親と子と、急襲
胸に渦巻き始めたものを押しとどめて、あたしは呼吸を整えた。
目の前には、渋めの赤を身に纏った、白髪の男性が佇んでいる。
窓際から外の様子を窺っていたらしいその人は、ゆっくりとこちらを振り返った。
「・・・そちらも、大事なかっただろうね?」
年を重ねたからなのか、それとも元々の声質なのか。彼の声は低く、少し掠れていた。
国王の言葉に、王女がこくりと頷く。
「お気遣い、ありがとうございます。
こちらはご覧の通り・・・陛下は、その後お加減はいかがですか?」
「私も、見ての通りだ」
言いながら小さく肩を揺らした彼に、王女が頷いた。
すると国王の視線が、王女越しにあたしを捉える。
目が合っちゃった!・・・と思うのと同時に、体が強張った。
直立不動で、背筋を伸ばす。背中の針金が入ったみたいだ。
どうしよう、あたしから声をかけたら失礼にあたるんだろうか・・・でも目が合ったからには、挨拶しないとそれも失礼なような・・・。
いろいろ考えを巡らせて、あわあわ。
だから咄嗟に気の利いたことなんか出来るはずもなく、結局あたしは深々と頭を下げた。
「・・・初めて見る顔だね」
顔を上げたあたしの目に飛び込んできたのは、国王の凪いだ瞳だった。
興味でも敵意でもなく、ただ、あたしを映し出している瞳に見つめられて、なんだか落ち着かなくなってしまう。
・・・相手の気持ちが全然推し量れないって、こんなに違和感のあるものなんだな・・・。
王女越しで少し離れているはずなのに、その静かな視線の強さに圧倒される。
そして、とうとう視線を合わせていられなくなったあたしの耳に、彼の声が響いた。
「彼女は、オルネ王女の友人か何かかな」
「そのようなものです。先日、困っていたところを助けて貰いまして。
・・・今は、お付きとして城内に留めております」
「そうか」
頷いた国王に、王女が続ける。
「それで、恩ある彼女が困っていると聞きまして・・・陛下にお願いが。
わらわでは力不足でどうにも出来ないのです・・・」
あたしからは王女の背中と国王の表情しか見えないけど・・・彼の眉が若干下がったのと、王女が俯いたのは関係あるんだろうか。
「このような時に申し訳ないのですが・・・聞いていただけないでしょうか」
最初、ちょっと怖い印象すらあった国王だったけど、王女の言葉を聞くにつれて、全身を包んでいた気迫というか圧迫感みたいなものが萎んでいくのが分かる。
なんだか、ちょっぴり滑稽だ。
・・・あれ、でもなんかこれ・・・?
以前も似たような感覚を味わった気がして、内心に違和感を抱えて彼らを眺める。
すると、国王がため息混じりに王女に囁いた。
「・・・分かったから、そのような顔をしないでおくれ。
ただでさえ、そなたを巻きこんで申し訳ないと思っているのだ。
このままでは後ろめたくて、本当に病を患ってしまうよ」
「陛下・・・では、聞いていただけるのですか・・・?」
言いつつ小首を傾げた王女を見ていたら、ふいに横から舌打ちが。
ぎょっとして振り返ったら、そこには無駄にキラキラを撒き散らかしてるクセに、口の端をひくつかせたラジュア。
なんなんだよ、と思いながら視線を戻したあたしは、見てしまった。
・・・王女を見下ろし、目じりを甘く垂れさせた国王を。
オルネ王女はもしかしたら、年の差婚に向いてるのかも知れない・・・なんて、口にしたら隣のピリピリしてる騎士が抜刀しそうだからやめとこう。
・・・てゆうか、国王ってば仮病だったのか。いいのかそれで。
そのツッコミどころの満載さに、あたしは王女に声をかけられるまで、仕事のことなんかすっかり頭から消えてしまっていた。
「・・・それで、受け取って欲しいものというのは?」
国王が病人らしく、ベッドの上で体を起こす。
背中に当てたクッションに体重を預けた彼に、あたしは、ポシェットの中で出番を待っていた封筒を差し出した。
「・・・これです。
弊社の社長、奥村から預かって参りました」
「と、いうことは・・・そなた、旅行会社の・・・」
傍らから眼鏡を取り出した国王に、あたしは頷いた。
「・・・はい、お客様をお迎えに。
ですが、この手紙を優先するように、とのことでしたので」
わずかに目を見開いて固まった彼は、はたと我に返ったらしく、何も言わずに頷いて封を切る。
あたしは固唾を飲んで、国王の視線が、真っ白な紙の上に並んでいる文字をなぞるのを見つめた。
やがて、さらさらと流れるように文字を追っていた国王の目が止まる。
そしてゆっくりと、あたしの顔を覗き込んだ。
「そなたは、この手紙の内容を?」
「いえ・・・」
素直に首を振れば、横から王女が口を挟む。
「何が書いてあるのですか?
・・・あ、いえ、外交上の問題になるなら遠慮いたしますが」
「そなたが見たところで、そう問題にはならないとは思うが・・・そうだな・・・」
ずいぶんと歯切れの悪い返事だ。
視線を右へ左へと投げる様子は、半ば上の空のようにも見える。
「ひとまず、返事を書くことにするが・・・」
言いながらも思案しているのか、言葉がたどたどしい。
小首を傾げて、そんな彼を見ていると、ふいに視線が返ってきた。
「いや、その前に確認しておこう」
言葉と一緒に薄れていたはずの王様オーラを投げられて、あたしの心臓が、きゅぅ、と縮こまる。
彼は、動揺したあたしに頷く時間すらくれなかった。
「そなたは、モモを連れ帰るために来たのだな」
温度のない声で問われたあたしは、一瞬頭の中が真っ白になる。
ぶつけられた言葉が一切、頭に入ってこなくなってしまった。
まいった。あたしの頭、そんなに丈夫に出来てなかったらしい。
そんなふうに、緊張なのか恐怖なのか分からないまま言葉を失っていると、横から囁きが。
「・・・皇太子殿の恋人ですよ。
アイリさんの探している、お客様、とやらです」
助け舟を出してくれたラジュアの言葉を聞いて初めて、国王の言いたいことを理解したあたしは、やっと口を開くことが出来た。
思いきって、言葉を紡ぐ。
「彼女がこちらに滞在して良い期間は、とっくに過ぎてしまってるので・・・」
旅行者は、必ず元いた世界に帰ることが義務付けられてる。皇太子の恋人だろうがなんだろうが、とにかく一度帰らないといけないのだ。
すると国王は、ため息をひとつ零してから、あたしに言った。
「そうするのが道理というのは、息子も理解してはいると思うのだが・・・」
「・・・はい」
沈んだ声で言った国王が、窓際で王女と会話してた時と同じように肩を落とす。
それを見て、どう返したものかと決めあぐねて相槌を打つと、彼は眉を八の字にして、あたしを見据えた。
その目から放たれるのは、さっきの威圧感とは別のものだ。
「・・・子の望みを叶えてやりたい。
そう思うのは、この場合に限って言えば、間違った親心なのだろうか」
・・・その縋るような目、どこぞのわんこを思い出すからやめてくれませんか国王様。
てゆうか渋いおじさまに甘えられたら、応えたくなっちゃうよ。
呆れ半分に胸の内で呟きながら、あたしは考えを巡らせた。
本当ならお客様に提案するべきことだとは思うけど・・・でも、国王様もお客様を引き留めたいみたいだし・・・うん。
踏ん切りをつけたあたしは、クロウくんと王都にやってくるまでに纏めておいた考えを、彼に伝えてみることにした。
「えっと・・・一応、お2人が一緒にいられる方法も考えてはあるんです」
「本当か?!」
噛みつかんばかりに勢いに、思わず息を飲む。
あたしは慌てて首を縦に振って、続きを話した。
「え、ええ・・・でも、それでも一度はちゃんと帰ってもらわないと。
異世界結婚するには、細々とした面倒な手続きが必要なんです。
・・・いやあのそんなカオされてもですね、これは決まりなので・・・」
破壊力抜群な視線を受け流したあたしに、国王が言う。
「そうか。
そなたの言いようだと、手続きさえ済めばモモはこちらで暮らせるのだな」
「そうですそうです。
それに、お客様のご家族も心配されてますし・・・」
「そうだな・・・」
「ええ、ですから出来ればご本人様と細かい話をしたいな、と思ってるんですが」
唸るように頷いた国に、あたしは相槌を打ちながらもうひと言。
すると納得してくれたのか、国王はしっかりした声で言ってくれた。
「・・・まずは私が、彼らに話をしてみるとしよう。
そうなると手紙の返事は、彼らの件が片付く頃にさせてもらうことになるが」
「うーん・・・」
国王の気持ちは、すでに皇太子とその恋人の行く末に向けられているんだろう。
手紙の返事を貰って来い、とは言われてないのを思い出したあたしは、少し考えてから頷いた。
「分かりました。
返事をお預かりするように、とは言われていないので問題ないと思います」
その後いくつか会話をして、息子の遅い春のためひと肌脱ぐ、と意気込んで下さった国王陛下にお礼を述べたあたしは、来た時と同じように客室へと戻った。
部屋に入るなり、あたしは口を開いた。
「あの、王女様・・・」
「ん?」
色合わせの鮮やかな民族衣装的な裾が、ひらりと翻る。
振り返った彼女に、あたしは頭を下げた。
「国王様に取り次いで下さって、ありがとうございました」
ほんとに、オルネ王女さまさまだ。この人がいなかったら、あたしが強制送還されるとこだっただろうから。
だけどあたしがお礼を言ったら、彼女は鼻を鳴らした。
でもそれが相手を見下してるわけでも何でもないと分かって、あたしは笑みを浮かべる。
「・・・先に助けられたのは、わらわの方だ。それに・・・」
彼女は、言葉の最後でため息を吐き出した。
「そなたの仕事が上手くいけば、此度の見合いも流れることだろう。
・・・結局、わらわの借りは減らないのだぞ」
「あ、そっか・・・」
「まあ、無茶をなさったご自分が悪いんですよね」
キラキラ美少年が笑みを漏らして、それを王女が軽く睨む。
「ラジュアよ、そなた未だに王都の外へ出たことを説教する気か・・・?」
そんな彼らのやり取りに、あたしは小さく噴き出したのだった。
とりあえず手紙の配達は済んだし、お客様との対話も可能性のしっぽくらいは掴めそう。
なんとかなる・・・ような気がしてきたあたしは、意気揚々と王城の廊下を歩いていた。
2番目の王子殿下が話していた書類が届いて、それに王女がサインをして。出来上がったものを、あたしが騎士団の事務所に提出することになって。
王女はラジュアに行かせればいい、と言ってたけど。侵入者の件で騎士達の緊迫した面持ちを見ていたあたしとしては、王女とラジュアを別行動させない方がいいと思ったわけで。
・・・で、いくつか押し問答した末に、あたしが1人で向かうことになったのだ。
希望の光が灯った気がしてるあたしの足取りは軽い。
廊下のふかふか絨毯も手伝ってか、跳ねるように歩を進めていた。
でも、仕事が上手くいきそうな一方で、心配なこともある。
他でもない、クロウくんのことだ。
「・・・どこにいるんだろ・・・王城に知り合いがいるって言ってたけど」
独り言なんて聞かれたら恥ずかしいから、ぽつりと零す。
厳戒態勢だと思ってた割に、この廊下には騎士も侍女もいないらしい。
かえってそれに助けられたあたしは、思い切りため息を吐き出した。
「もしかしたら、もう会えないのかも・・・」
仕事が済めば、帰る。
それは決まってたことだ。最初から。今の部署に移った時から。
だから仕方ないし、抗おうなんて思ってもない。ないけど。
「・・・帰る前に、お別れくらい言いたいのになぁ・・・」
呟きながら、自然と歩くスピードが落ちる。
そうして、無意識のうちに立ち止まってしまった時、ふいに部屋のひとつのドアが開いた。
ん?・・・と振り返る暇もなく、あたしは背後から伸ばされた腕によって、部屋の中に引きずり込まれる。
がっ、という衝撃と、絡め取る腕の強さ。
降って湧いた事態に、一瞬にして血が湧きあがった気がした。
塞がれた口の中で、漏らすに漏らせない声が暴れて苦しい。
後ろの方で、ドアに鍵をかける音が聞こえた気がした。




