秘密のカノジョ
「・・・入れ」
キラキラ美少年のノックに、部屋の中から返事が返ってくる。
その声の、不機嫌そうなことったらない。
けどキラキラ美少年は、若干腰の引けたあたしを一瞥することもなく、部屋の中に入ることを断ってドアノブに手をかけた。
「もしやまた、お世話の者を追い返したのですか?」
彼が苦笑混じりに言葉を紡ぎながら、部屋の中へ入っていく。
あたしはドアの前に立ちつくしたまま、その背中を見送っていた。
お世話の者を追い返すって、かなり気が強いってことだよね。
不機嫌で、さらに身分ある人間の傍にひょいひょい出て行くだけの強さはない。
しかも今回の訪問は主人である彼女じゃなくて、側近らしい彼からのお誘いなんだから。もしかしたら彼女自身は、あたしに会うのを望んでないかも知れないし。
洞穴の件はクロウくんの方がお礼を言われる立場にあるような気がするし、あたしが今すぐ彼女に会う必要もないような・・・。
そんなことを考えていたら、部屋の中からキラキラ美少年が顔を出した。
「遠慮せず、中へどうぞ」
ちらりと覗く歯が、キラッと光る。
「・・・う」
思わずたじろいでいると、彼があたしの後ろに回って、背中を押した。
もとい、どついた。
爽やかな顔して、めちゃくちゃ力強く。
「ぅ、わぁっ」
ずしっ、と重い衝撃にたたらを踏む。
「・・・っと・・・」
コケそうになった足が持ち直したところで、あたしは顔を上げた。
もちろんキラキラ美少年に文句を言うためだったんだけど・・・。
「ラジュア、この者か」
「・・・ええ、お話し差し上げた方ですよ」
空気の隙間を縫うような鋭さで、声が耳に入ってくる。
やっぱり怒られるんだ、と思わず息を飲んだあたしが目にしたのは、お人形さんみたいな可愛らしい人だった。
赤や黄色や金色の、着物を思わせる色合わせをした民族衣装っぽいものが、顔映りを良くさせていて。
いろいろ忘れて、一瞬見惚れてしまう。
それにしても、せっかくお召し物も素敵で本人がアイドル級の可愛らしさを備えてるっていうのに、いかんせんその表情が・・・。
「・・・あのぅ・・・」
とりあえず挨拶して、元気になって良かったですね、くらいの言葉をかけて帰ろう。
すぐ、さっと帰ろう。
あたしは彼女の目が、キラキラ美少年に向けられた隙に口を開いた。
「お元気になられたみたいで、安心しました。
これから朝晩の冷えも深まりますから、ご自愛下さいね。では私はこれで!」
・・・よし、噛まずに言えた!帰ろう!
勢い込んで頭を下げたあたしは、くるっと踵を返す。
その瞬間。
「・・・待たれよ」
心臓が跳ねる。でも、体は跳ねさせない。気合いだ。
何が特大の重りになって、ご機嫌の天秤を傾かせるのか分かったもんじゃない。
身分ある人の怒りに触れたことはないけど、社長室に呼び出される恐怖なら知ってる。
あたしは必死に平静を装って、ばくばくする心臓を宥めながら振り返った。
でも、そこでかけられた言葉は彼女の印象とは真逆のものだった。
「わらわのお茶の時間に、付き合ってくれぬか。
・・・世話になった礼を、させて欲しいのだが」
不機嫌そうだった顔が一変して放たれた、微笑みの持つ破壊力ったらない。
気持ちは帰りたいって言ってるのに、気づいたら頭が勝手に頷いてしまっていた。
「ラジュア、客人にお茶を」
「はい、ただいま」
キラキラの彼は、ラジュアと言うらしい。
彼女の言葉に、美少年は恭しく頭を垂れる。
そして、にっこりとデフォルトな笑みを貼りつけた彼は、彼女に尋ねた。もちろん、手を動かしながらだ。
「ところで、お世話の者はどういう理由で?」
さっきの、“また追い返した”に関しての質問なんだろう。
あたしはなるべく自分の存在感を消しつつ、2人のやり取りを見守っていた。
すると目の前に腰掛けた彼女が、ふん、と鼻を鳴らす。
・・・不遜な態度、ものすごく様になってますね。
「誰を選ぶのか、それとなく探りを入れてきおった。・・・阿呆な女だ」
こ、怖い。さっきの甘い綿飴みたいな微笑みは最終兵器か。
ほんとはお茶の時間なんて口実で、やっぱりあたしが貸した服の胸の部分が小さくて苦しかったから気に入らなくて、見つけ出してヤキ入れてやろうみたいなそんな話だったりして・・・。
でもあたしだって、この不条理を耐え忍んで生きてきたんですよ。
「さてそなた、」
「すみません牛乳いっぱい飲んだんですけど」
彼女の言葉を遮って零れた心の声に、絶句する。
目の前で、きょとん、としてる彼女を見つめて目を見開いた。
なんてこと口走ってんだあたし。
心の中で「あぁぁぁぁ」と叫びながら、どう取り繕うかと頭をフル回転させる。
すると、彼女が噴き出した。
「面白い奴だな。
・・・気に入った」
心底楽しそうに頬を綻ばせた彼女は、あたしを怒るつもりはないらしい。
「アイリ、といったか」
「え?」
「ああ許せ、そこにおるラジュアから聞いた。
もっとも本人は、会話を聞いて覚えていたらしいが」
名前を呼ばれて少しばかり驚いているあたしをよそに、彼女はキラキラの彼を一瞥する。
彼の方は小首を傾げながら、用意し終えたお茶を持ってやって来た。
応接用らしいソファに沈み込んでいたあたしは、慌てて背筋を伸ばして彼からお茶を受け取る。
小さく「ありがとうございます」と会釈すれば、彼は「いえいえ」と言いながらテーブルの上にお茶菓子をセッティングし始めた。
「・・・良い匂いだ」
焼き菓子、果物、砂糖菓子・・・思いつく限りの甘い物を買い込んできたらしい。
彼女が見惚れて、目を細めてため息をつく。
「アイリは、どれが食べたい?」
瞳をキラキラさせて、彼女が囁いた。
その手には、取り皿とフォークが握られている。どうやら彼女も若い女子の多数派らしく、甘い物に目がないらしい。
「どれも美味しそうですねぇ。
・・・ええと・・・そういえば、何とお呼びしたらいいんでしょうか?」
彼女のことを呼ぼうとして名前を知らないことに気がついたあたしは、小首を傾げた。
「わらわを知らぬのか?」
目の前で彼女も、目をぱちぱちさせている。
そして、セッティングを終えて傍らに控えていた彼を、じとー・・・と見つめた。
「・・・すみません。
逃げられてしまうかとも思いましたので」
それとなく視線を逸らして呟いた彼に、彼女がため息を吐いて、あたしに向き直る。
なんだか改まった雰囲気に、あたしも居住まいを正す。
すると、こほん、とひとつ咳払いをした彼女が、口を開いた。
「オルネ・ウル・キュレイ。
気兼ねなく、オルネと呼んでくれると助かる」
「オルネ・・・」
反芻して、はっとした。
「って!」
しゃきん!と背筋が伸びる。
「王女様じゃないですか?!」
嘘だろ?!・・・と心で叫んで、キラキラ美少年を見上げた。いや、睨んだ。
そして、もう一度我に返って目の前の王女様を見つめた。
王女様の目の前で大声上げて、一緒にお茶なんか飲もうとしてた自分に絶望する。
なんてこった。そりゃあお世話の人の首も刎ねるだろうし、無茶だって言うだろう。不機嫌全開で、いろんなことしちゃうだろう。
「ええ、クライツの第2王女のオルネ様です」
さらっと肯定して、さらに彼は頭を下げた。あろうことに、あたしに向かって。
「助けていただいたこと、心から感謝しています。
あのまま熱が上がって肺炎にでもなっていたら、命にも関わるところでした」
「・・・それの言う通りだ。そなたが服を貸してくれて助かった」
「・・・いやー・・・」
真摯な瞳で真っすぐに見つめられては、もはや変な声しか出ない。
口元が引き攣ってるけど、そこはもう見逃してもらいたいところだ。
だってこんなの、どんなドッキリだよ。発泡スチロールで出来た壁を突き破って、社長とかが登場するんじゃないの。
「でも・・・実際処置したの、一緒にいたツレなので・・・」
「ツレ・・・か」
言い訳がましく呟けば、彼女の表情が険しくなった。
およそ甘い物を前にしたお姫様らしくない、狩人の目。
「それは・・・」
その時だ。
カーンカーンカーンカーンカーン・・・
けたたましいほどの鐘の音が響いた。
「何の音ですか・・・?!」
鳴り続ける音に頭の中をかき混ぜられそうになりながら、あたしはラジュアを仰ぎ見る。
すると彼は、懐から笛を取り出した。
ピーっというイルカのショーで聴くような音がして、一瞬の間を置いて、部屋のドアが開いた。
続きの部屋があるのか、開いたドアから護衛の騎士らしい人達がなだれ込んでくる。
彼らは何も言葉を発することなく、部屋のカーテンを全て閉め切った。
そして、あたしの目の前に腰掛けたまま表情を強張らせているオルネ王女が、立ち上がる。
あたしだけが座っていることに気づいて、慌てて立ち上がってみたものの、一体何が起きているのか説明を求めようかと迷ってしまう。
とてもじゃないけど、声を発していいような雰囲気じゃない。
「・・・やはり来たか」
呟きは、あたしにしか聞こえなかったらしい。
ラジュアも剣に手をかけたまま、四方を警戒している。
どうやら鳴り続けている鐘の音は、警報音だったらしい。
火事の可能性が頭の隅をちらついたけど、それはないのかも知れない・・・。
一体、何が起きてるのか。何が来たのか。
・・・てゆうか、あたしは絶対場違いだから今から帰れないかな。




