再会の彼
ガラス瓶に口をつけて、窓の外に目を遣る。
少し前に遠くで、ボーン・・・と日付が変わる鐘の音が響いてたけど、クロウくんはまだ帰ってこない。
「・・・っとにもう、どこ行っちゃったの・・・」
ぽつりと零しても、もちろん誰も答えてはくれない。
独りきりなんて、久しぶりだ。
何回目になるのか分からないため息をついたあたしは、テーブルに置いておいたバングルを起動させた。ヴヴヴ、という小さな振動音の後に、ボタンを押す。
指の腹を押し返してくる感触の、直後。
『・・・あいよー。どこから?』
何かの作業中なのか、物凄く上の空な声が応えてくれた。
「王都の、いつものホテルです」
『おけー・・・』
音声に混じって、キーボードを叩く音が聞こえてくる。
そして、ひと際大きくパチっと音がしたかと思えば、先輩が言った。
『・・・お待たせ。
で、体調はどう?』
「だいじょぶです。クロウくんの作ってくれた薬が、良く効いたんだと思います。
・・・すっごい苦かったけど」
問いかけに、頷きながら答える。
薬の味を思い出して、しかめ面になっちゃったのは言うまでもなく。
『うん、良かった・・・でも、』
あたしの言葉に、先輩が声を翳らせた。
『医者っての、本当だったんだね』
「え?」
思わず聞き返す。
すると彼女は唸って、それから言った。
『いやー・・・愛梨のことだから、また変なオトコが寄ってきたかと・・・。
ま、危害を加えるつもりはなさそうだったし、転送はやめといたけど』
言葉と一緒に吐き出された乾いた笑い声に、ムッとする。
どうやら先輩は、通信にクロウくんが出た時点で、あたしを呼び戻そうとしてたらしい。
何だろう。分かんないけど、とにかく嫌な気持ち。
・・・そりゃあ、今まで近寄ってくる男の人には嫌な思いをさせられてきたし、自分が誰かを好きになりかけようもんなら外野から目の敵にされて、尻尾を巻いてきたけどさ。
つまり、異性に関してはトラブルが多かったわけだけどさ。
・・・だからって、クロウくんを頭ごなしに怪しむことないじゃんか。
「・・・クロウくんは、信頼出来る人ですよ」
『ふぅーん』
沸々と湧いてきた、城門の件で感じたものに似た感情を隠して言ったあたしに、先輩が相槌を打つ。なんだか、意味深な響きを伴って。
だから、ちょっとだけ声に険を含んでしまった。
「・・・なんですか」
『べっつにー・・・そういや、その彼はいないの?
やけに静かだけど・・・あ、もしかしてシャワーでも浴びちゃってたり?』
あたしの声をかわした先輩が、やたらと楽しそうに尋ねた。
・・・もしかして、クロウくんのシャワーシーンを思い浮かべてたりするんですか。それはさすがにセクハラですよ先輩。
思わずジト目でバングルを睨みつけたあたしは、ため息混じりに返す。
「用事がある、って出て行って・・・それから戻って来ないんですよ。
どこほっつき歩いてるんだか・・・」
『ふぅん・・・まあ、戸締りはちゃんとしときなさいよ。
間違っても探しに出ようなんて思っちゃダメだからね』
「・・・はーい」
先輩の言葉に、適当に相槌を打つ。
そんなこと言ったって、帰ってくるはずの人が帰ってこなかったら、気になって仕方ないと思うんだけどな。
・・・ほんと、どこ行っちゃったんだろ。
なんとなく医者鞄に目を遣ったあたしは、内心でため息をついた。
その後続いた、くだらない話もひと段落したところで、あたしは考えていたことを切り出した。
「そういえば、先輩に訊きたいことが・・・」
『うん、何?』
何かを察したのか、先輩の声が少し硬くなる。
「異世界の人間と結婚したい時って、どうしたらいいんですか?」
『あああああんた結婚するの?!』
物凄く過敏な反応をされた。
特に先輩は、そのテの話題に敏感なお年頃だからだと思うけど・・・それにしても、その発想は奇抜だと思うよ。
「そんなわけないじゃないですか。
あたしじゃなくて、お客様ですよ」
『・・・あ、ああ、お客様ね・・・』
明らかにほっとした感の漂う声に、あたしは苦笑混じりに頷いて言った。
「なんか、皇太子との仲を引き裂くのも可哀相で・・・。
本人と話してみないと分かんないですけど、結婚も不可能じゃないんですよね?」
『うーん・・・不可能じゃないけど。
いろいろ面倒だとは思うけどねぇ・・・』
「手続きが、ですか?」
先輩が、あたしの言葉に相槌を打つ。
『そう。まず、国籍放棄の同意書が必要なんだけど・・・。
それを貰うのにも申請書が必要で。同意書が貰えるかどうかは、申請理由によるの。
・・・で、申請理由が異世界の人間との結婚である場合は・・・』
「・・・うぇぇ・・・」
ひと通りの説明を聞いたあたしは、その面倒くさい手続きの流れを理解しようと頑張った結果、テーブルに突っ伏して唸っていた。
目の前には、先輩の話を聞きながらとったメモがある。あるけど、もう見たくない。
『ね、面倒くさいでしょ』
「はぁぁ・・・」
『まあ、ほんとに相手を愛してたら出来るんじゃないの?
どうしても結婚したいんなら、それくらい乗り越えてみせろ、ってことなんでしょ』
「そうなんでしょうけど・・・」
呟いて、ちらりとメモに視線を投げたあたしは、ただただ脱力した。
どうやら今回の案件は、本格的にハスレくじだったらしい。
「・・・あふ」
一夜明けて、あたしは欠伸を噛み殺しながら街を歩いていた。
明け方まで起きてたけど、結局、クロウくんは帰ってこなかった。
騎士団に足止めされてることも、一度は脳裏を掠めた。
でもいくら怪しい占い師みたいな格好してるからって、連れて行かれても、すぐに解放されるはずだ。何も悪いことはしてないんだから。
そう結論付けたあたしは、自分に「心配ない」と言い聞かせてホテルを出たわけだ。
向かうのは王城。社長の手紙を、国王に届ける用事を済ませなくちゃいけない。
それから出来れば、その足でお客様との面会にこぎつけたいところだ。
「今日は帰ってくるといいなぁ・・・」
思わず言葉が零れた。
纏わりついてくるようだった彼が隣にいないのは、これはこれで寂しいもので。
・・・帰ってきたら、いつもより優しくしよう。
時に過干渉なわんこを、何度か邪険に扱った自分を反省しつつ、ため息をつく。
そしてあたしは、やがて見えてきた王城の大きくて立派な門を前に、背筋を伸ばした。
ここからは気を引き締めて、頭の中も仕事モードに切り替えなくちゃいけない。
ひとつ深呼吸をして、レンガで舗装された道を踏みしめる。
自分に喝を入れたあたしは、門を見据えた。
「・・・よっしゃ」
いつ来ても、ここの門番は強面が揃ってる。
敷地内には一般公開されてる場所も多いから、いろんな人が門を通過したくて門番のチェックを受けるんだけど。一様に、その顔は緊張に強張ってたりして。
・・・国王様が住んでる城に入って来る人間をチェックしてるんだから、強面の方が都合がいいのは分かるけどさ・・・。
あたしが国王に謁見を申し入れるのは、これが2回目だ。
記念すべき1回目は、あたしがお客様係になった時。この国の担当になったから、うろちょろしますヨロシクね、っていうご挨拶のためだった。
その時は心臓が破裂するかってくらい、緊張してて。一緒に来てくれた前任の先輩がほとんど喋ってくれたんだっけ・・・。
初々しかった自分を思い出して、頬が緩む。
チェック待ちの列が出来てるのを見つけたあたしは、その最後尾に並んだ。
老若男女、いろんな人が並んでる中に紛れて、ポシェットから封筒を取り出して順番を待つ。
結構な人が並んでいる割に、あたしの番はすぐにやってきた。
「用件は」
腰にぶら下げた剣が、がちゃ、と音を立てた。
低い声と厳めしい顔に、すぐ後ろの人が息を飲む気配がする。
・・・やっぱり怖い。凶器が似合い過ぎる。
変な汗を掻きそうな自分を叱咤して、あたしは口を開いた。
そして、持って来た手紙を見せる。
「旅行会社の者です。
国王様に手紙をお渡しするように、と言い付かって参りました」
「・・・なるほど」
「謁見して直接お渡しするように、とのことで・・・可能でしょうか」
顔色を窺いつつ尋ねれば、強面の彼は首を振った。
「いや・・・今日は無理だ」
「え、な・・・何故でしょう・・・?」
返ってきた言葉に、一瞬頭の中が真っ白になったあたしは慌てて問い返す。
「陛下は昨日より、体調を崩されて養生されている」
「・・・えぇ・・・?!」
まさかの展開に、あたしは肩を落とした。
これじゃ最優先の仕事が片付かないどころか、お客様に面会するツテも望めない。
「そう言うな。
手紙を持って来た、ということは陛下のお耳に入るようにしてやる」
強面の眉が、ほんの少しだけ下がる。
どうやら同情してくれてるらしい。らしいけど、彼は温度のない声で告げた。
「今日のところは帰れ」
「う・・・はい・・・」
ここでゴネたって、どうしようもない。
あたしは素直に頷いて、列から離れることにした。
その時だ。
「・・・あれ?
貴女は・・・」
唐突に真横から声をかけられたあたしは、顔を見て驚いた。
声をかけてきたのは、あの嵐の時に、洞穴で一緒に過ごした美少年だったのだ。
「あぁぁっ」
「・・・やはり貴女でしたか。
その節は、大変お世話になりました」
思わず声を上げてしまったあたしに、胸に手を当てて、ペコリと頭を下げた彼が微笑む。
・・・相変わらず、キラキラしていらっしゃる。
背後で、ほぅぅ、と色めいた吐息が量産されてるのを感じつつ、あたしは慌てて両手を振った。
「あ、いやあの・・・」
すでに多方面から、チクチクと棘のある視線を投げられてるのが分かる。
こんな美少年と親しげに会話なんかしようもんなら、放課後の誰もいない時間に体育館裏に呼び出されちゃったりするに違いない。ああ怖い。
・・・いや、別に会いたくなかったわけじゃないんだけど。
「どうしたのです?」
あたしの曖昧な反応に小首を傾げた彼は、言いながら門番にも視線を投げる。
その言葉に、強面の彼が顔を強張らせた。
「は、はい。
この女性が謁見を希望していたので、今日は帰るようにと伝えたところです」
明らかにキラキラ美少年の方が年下だろうに、強面の彼は直立不動。
・・・なんでだろ。
そんなことを思いつつ、あたしは彼らのやり取りを見守っていた。
すると、美少年が難しいカオをしながら言う。
「謁見ですか・・・それは難しいかも知れませんね。
まあ、とりあえず中に入りましょうか」
絶句。
言葉を失ったあたしは、水面で酸素を欲してる金魚みたいに口をパクパクさせる。
中に入るって、王城の中に、ってことですか。
「は・・・?」
門番の方も思わず、といったふうに言葉を零す。
でも彼は、絶対に聞こえたはずの声を無視して、あたしに尋ねた。
「我が主も、もし貴女に会えたら礼を・・・と話していたところで。
あの、一緒に来ていただけますよね・・・?」
「えぇぇ・・・?!」
周囲からの視線は痛いし、キラキラ美少年の目が懇願するように縋りついてくる。
拾って下さい、とでも言わんばかりの眼力を受けたあたしは、助けを求めるように門番を見上げて・・・。
「行け」
・・・撃沈した。
「・・・それ、どうしたんですか?」
抱えた紙袋を目で指して尋ねたあたしに、彼は目を細めて小首を傾げた。
「街で売っている果物やお菓子を食べてみたい、と・・・。
可愛い我儘を、叶えて差し上げようと思いまして」
その頬が、薄っすら染まる。
そういえば彼がこんなカオをするのを、あたしは洞穴でも見ていた。
「ご主人様のこと、大好きなんですね」
口にした台詞に彼が、ふにゃっ、と微笑む。
豪奢な王城の中で、その笑みはあたしの緊張を和らげてくれる。
「ええ、まあ。
それよりも・・・」
笑みを浮かべていた彼が、ふと声を落とした。
あたしは小首を傾げて、その先を促す。
「先日の彼は、一緒ではないのですね」
「あ・・・はい。
もともと、王都に入ったら別行動になる予定だったんです。
彼は彼で、自分の用事を片づけてる頃だと思いますよ」
心配してる部分は省いて言葉を紡いだあたしに、彼は頷いた。
そして、廊下に立っている騎士に片手を上げて挨拶をする。その騎士は、擦れ違いざまに彼に向かって頭を下げた。
それをさらっと流して歩く彼が、口を開く。
「なるほど・・・そうでしたか。
彼にも世話になったので、礼をしたかったのですが・・・」
「それは、ありがとうございます・・・。
・・・えっと、」
なんとなく気まずさを覚えたあたしは、話題を変えようと言葉を選んだ。
「彼女・・・熱を出していた方って、やっぱり貴族なんですね?
王城の中にいるくらいだし・・・。
・・・貴族の方とお話したことないけど、だいじょぶかなぁ・・・」
苦笑混じりに言えば、彼も同じように苦笑を浮かべて頷いた。
「あまり心配は要らないかと。
・・・少しばかり変わった方ではありますが」
なんでもない話をしながら階段を上がり、騎士達から挨拶を受けながら廊下を歩いて辿りついたのは、荘厳な雰囲気の漂うドアの前だった。
・・・なんか、思いっきり場違いですけど・・・。
落ち着かない鼓動を宥めながら、あたしは深呼吸を繰り返した。




