彼の門限
「見えてきた・・・!」
王都の城門が見えて、あたしは思わず声を上げた。
・・・王都だ・・・!
初日に生ゴミと一緒に捨てられたことを思うと、無事に王都まで辿りつけたことに感動してしまう。
・・・あたし独りでは、こんなに早くは辿り付けなかっただろうなぁ・・・。
「やっとだね」
あたしの心境を慮ってか、クロウくんが背後で囁いた。
その声に、あたしのと同じくらいの嬉しさが滲んでいるような気すらする。
「うん・・・クロウくんのおかげです」
ありがと、と付け加えると、お腹に回った腕が、きゅっ、と力を込めた。
「俺も、アイリちゃんが一緒だったから旅してこれた」
解呪の方法を探すぞ、という意気込みが伝わる声に、あたしは頷く。
けど、すぐにクロウくんの声が翳った。
「・・・あー、でも、あれだな・・・」
「どしたの?」
肩越しに振り返ったのと同時に、彼は手綱を引いた。
街道の先を見据えて駆けていたミカンが、くえぇ、と不満そうな鳴き声を上げる。そして、ゆっくりと減速して足を止めた。
走るのが好きなのか、それともクエの本能なのか。ミカンがあたし達を目で振り返って、何か言いたそうにしている。
でも手綱を握るクロウくんは、右へ左へと視線を行ったり来たりさせながら呟いた。
「物凄く目を引くと思うんだよなぁ。今までの比じゃないくらい。
・・・ちょっと隠そうかな」
「隠さなくたって、今までみたいに堂々としてれば?
・・・あたしが一緒にいるんだし」
なんだか後ろめたいものを抱えてるみたいな雰囲気になって、あたしは口を尖らせた。
・・・クロウくんがコソコソする必要ないのに。悪いことしてないんだし。
「あたしは全然、平気なのに」
「・・・んー・・・」
そう言ったあたしに苦笑を向けたクロウくんが、ミカンから降りる。そのまま鞄の中に手を突っ込んで、ガサゴソやり始めた。
「その言葉はありがたいんだけどね・・・、っと。
・・・やっぱり、今の時期に呪いの模様を晒して歩くのは賢くない」
「そんなもん?」
なんか、人目に屈したみたいで嫌だな。
眉根を寄せて呟いたあたしに、クロウくんが言う。
その手には、真っ黒なシャツが握られていた。
「今はオルネ・・・隣の国の王女様が来てるでしょ。
定期便を運行させないのは過剰だけど、王都の中は厳戒態勢のはずだ。
呪いの模様が騎士団の目に留まるのは避けたいとこ」
そう言いながら、彼はシャツを羽織った。
リネン素材らしいそれは、風通しが良さそうな割に、彼の腕に走る模様を上手く誤魔化してくれる。
「うーん・・・顔も、隠せるとこは隠しとくか・・・」
取り出した布で目から下を覆った彼と、目が合う。
ぱちぱち、と瞬きした瞳は確かにクロウくんなんだけど・・・なんだかそれ、怪しい占い師みたいに見えるよ。逆に呼び止められるんじゃ・・・。
抱いた感想を飲み込んで言葉を探していると、クロウくんが手を伸ばした。ふっ、と息を吐き出す音と一緒に、ミカンに跨る。
「呼び止められたら、皮膚の病気ってことにしといて。
・・・医師団に診てもらうために来た、ってことで」
「ん、わかった」
もっともらしい設定に、あたしは頷いた。
少なくとも、売れない占い師、とかって設定よりは全然いい。
城門をくぐる時に、やっぱりクロウくんは騎士に呼び止められた。おかげで、あたしが彼らの視線を集めることは一切なかったんだけど。
でもクロウくんが「皮膚の病気で・・・」っていう設定を口にした途端に、騎士達が「布は取らんでいいから、早く行け!」とか、慌てちゃって。「感染しませんよ」ってちゃんと言ったのに、大の男が揃いも揃って、鳥肌の立った自分達の腕を擦り始めたんだ。
そんなのを見てしまったあたしは、思わず握りこぶしをプルプルさせて。
張本人のクロウくんが苦笑混じりに手を握ってきたから、何もしないで街の中に入ってきたけど・・・。
持て余した苛立ちをどうしたらいいのか分からないまま、クロウくんの隣を歩く。
「・・・はいはい、もう怒らないの」
笑われるくらい、むっすりしてたんだろうか。
隣を歩くクロウくんが、あたしに困ったような笑みを向けて言った。
・・・目から下が布で覆われてたって、一緒に過ごしてきたから分かる。彼は今、絶対そういうカオをしてた。
あたしだって、何にこんなにイライラしてるのか、自分でも分かんないんだよ。でも、クロウくんに悪意が向いてるって分かったら、ムカムカしてきちゃったんだ。
「分かってるんだけどさー・・・」
呟いて、空を見上げる。雲がゆっくりと流れていくのを背景に、小鳥が数羽、連れ立ってどこかへと飛んでいくのが見えた。
・・・あたしがイライラしてたら、本人が憤れないか。
そう思うことにして深呼吸をしたところで、彼がひとつ息をついて口を開いた。
「・・・で、アイリちゃんが仕事の時に使うホテルはどっち?」
なんだか嬉しそうだ。
どうやら、本当に城門でのことは気にしてないらしい。
「ん、と・・・7番街とフェンネル通りの交差点の辺り。
花屋さんとパン屋さんの間にあるんだけど・・・」
言いながら、あたしは視線を投げた。
少し距離はあるけど、目の前に王城が見えてる。
「王城があっちだから・・・」
「7番はあっちだね」
方向を確認してるところで、ドサクサに紛れて繋いだままの手を、ぐいっ、と引っ張られた。
自分の意志とは無関係な方に引き寄せられて、足元がもたつく。
「わ、っと・・・ちょっと、クロウくん!」
慌てたあたしを笑い飛ばして、彼はさくさく歩いて行く。無駄に広い歩幅で。
だから、がっしり握られた手について抗議する間もなかった。
怪しい占い師風の男と手を繋いでやって来たあたしを見て、ホテルの支配人が口をぱくぱくさせて。
そして「2部屋お取りになりますか」と訊かれて「いえ、1部屋で」と答えたあたしを見て、おもてなしのプロらしからぬ表情を見せた。
ついでに隣でおとなしくしてたクロウくんも、小さく息を飲んでた。
・・・だって、仕方ない。
可愛いわんこが従業員や他の客から苛められたら、と思ったら、放っておけないじゃんか。あたしが守ってやらなくちゃ。
そんなこんなで、あたし達は無事に寛げる場所まで辿りついたわけだ。
「・・・でも、やっとスタート地点に戻って来れた、ってことだもんなぁ・・・」
ゴールな気分だったけど、まだまだこれからが本番なのだ。
あたしは荷物を片づけながら、ほぅ、と息を吐き出す。
するとハンガーに服をかけていたクロウくんが、顔を覆っていた布を取りながらやって来た。
「アイリちゃんは、王城に行くのは明日だね」
日が傾き始めたのを窓の外に見て、あたしは頷く。
「うん、そだね。
まずは桑原先輩に連絡取って・・・」
「そっか。
王城へは、1人でも大丈夫?」
「あー・・・大丈夫。だけど、また生ゴミの山に放り込まれたら困るなぁ・・・」
最悪な経験を思い出して、咄嗟に服や髪の匂いを嗅ぐ。
もうどんな匂いだったのかも思い出せないけど、酷いもんだったと記憶を辿ってぞっとする。
思わず身震いしたあたしに、彼は小さく笑って言った。
「さすがにそれは、もうないでしょ。
王城では国王を差し置いて何かするのって、難しいから」
「・・・だといいんだけど」
あたしは相槌を打って、ため息をつく。
その時クロウくんが、「あ」と声を零した。
「ん?」
小首を傾げて先を促せば、彼が少しの間視線を彷徨わせてから言う。
「・・・うん、ちょっと俺、出掛けてこようかな」
「お薬、切れちゃった?」
「ま、そんなとこ」
出掛ける理由を曖昧にした彼は、かけたばかりの上着を着て、顔に布を巻いてあたしを振り返った。
「遅くなるかも知れないから、夕飯は先に食べててね」
布の少し上に見えてる瞳が、やんわりと細められる。
あたしはそれに頷いて、軽く手を振った。
「分かった。
いってらっしゃい」
「ん、いってきます」
同じように目を細めれば、嬉しそうに頷いた彼が、部屋を出て行く。
ぱたん、というドアの閉まる音が消えて、部屋の中に沈黙が降りてくる。
ふかふかの絨毯が敷かれた廊下からは、彼の足音のひとつも漏れ聞こえてはこなかった。
そして夕飯を食べ終えても、シャワーを浴びても、クロウくんは戻って来なかった。
ふと視線を投げれば、彼の医者鞄に目がいく。
・・・中身が詰まって膨れた医者鞄は、部屋の隅で肩身が狭そうに鎮座していた。




