飴の膝まくら
じっと注がれる視線もどこ吹く風、ウチのわんこは朝から食欲旺盛です。
・・・向かいに座った、あたしが圧倒されるほど。
「ねー・・・お腹痛いんじゃなかったの?」
仕草は綺麗なのに、食べる量が全然可愛くない。
見てるだけで、こっちのお腹まで膨れていきそうだよクロウくん・・・。
バスルームに駆けこんだ彼は、ほどなくして、なんだかスッキリした顔で出てきて。「ごはんごはーん」と鼻唄混じりに出掛ける支度をし始めた。
ちょっと空元気を疑うくらい。
そうして、戸惑って声をかけるタイミングを逃したあたしの手を引いた。
「・・・お腹?
アイリちゃんお腹痛いの・・・?!」
ハーブの練り込まれたソーセージをフォークで突き刺したままの格好で固まって、クロウくんが小首を傾げてる。
口がパンパンに膨らんでて、冬眠前のリスみたいだ。そんなんでも、ちゃんと喋れてる。
・・・何してても可愛いとか、実はこっちが呪いだったりして。異世界人には、そう見えるように出来てる呪いだったりして。
一瞬ぼーっとしかけた頭を抱えて、あたしは唸った。
あたしが気をつけてても、本人が暴飲暴食してたら腹痛は治らないんだから。
「あんたでしょ、クロウくん!
いきなりバスルームに駆け込んで・・・!
かと思ったら、悪いもの出してスッキリ、みたいなカオして戻ってくるんだもん」
「ぐ、っほ、ごふっ」
「・・・きたなー・・・」
口に入れたものの一部がお皿に戻ってきてる。
うげ、と体を引いたあたしのところに、ウェイターがポットを持ってやってきた。
彼は流れるような動作でおしぼりを差し出しつつ、あたしに「お客様、男には個室にこもりたい時があるのでございます・・・ところでお茶のおかわりはいかがでしょう」なんて囁いて。「結構です、どうも」と返したあたしに微笑みをくれる。
なんて素敵な従業員なんだろう。
クロウくんの呪いの模様にも怖気づくことなく、さらりと身を翻していった。後ろ姿、ちょっと肩がぴくぴくしてるけど。なにあれ怖いの、笑ってんの。
「・・・はぁー・・・苦しかった・・・」
グラスの水を一気飲みしていたクロウくんが、胸を叩きながら喉を鳴らす。
「急にたくさん食べるから・・・」
呆れたあたしに、彼は口元を引き攣らせた。
医者が体調のことに口出しされると、癇に障るもんなのか。
「・・・で、支度が済んだら王都に向かうんだよね」
素人の口出しをやめて、食事するクロウくんを見ていたあたしは、彼が食後のお茶を啜る頃合いを見計らって尋ねた。
口元をおしぼりで拭きつつ、彼が少しの間考える素振りを見せる。
「そうだね、こまめに休憩しながら移動しようか。
日暮れまでに王都に着くように、出来る限り早く出よう。
・・・さすがにこの辺りだと、街道の治安はあんまり良くないと思うんだ」
「うん」
返ってきた言葉に、若干の緊張を感じ取ったあたしは、真剣な面持ちで頷く。
自然と顔の強張ったあたしを見て、クロウくんが目を柔らかく細めた。
「心配しないで。
アイリちゃんのことは、ちゃんと俺が守るから」
稲妻模様の顔が、甘い笑みを浮かべる。
不覚にもちょっとドキっとしたあたしは、目を合わせてられなくなって。
「・・・、うん」
・・・今になってクロウくんの告白がじわじわ効いてきてるなんて、絶対言えない。
石畳で舗装された街道を、ミカンが風を切って走る。
“花の街”を出てから、街道の両側を咲き乱れる花が飾り立てていて、そこを走り抜けるのは気を紛らわせるのにちょうどいい。
「綺麗だねぇ」
何度目になるか分からない台詞に、クロウくんが笑った。
「アイリちゃん、さっきからそればっかり」
「そうなんだけどさ・・・」
自分でも、しつこいとは思うんだ。
でも、話題を考えるのも億劫で。
何も会話がないのも、居心地悪くて。
目が覚めてしばらくは体を動かしても何ともなかったんだけど、移動し始めてから、なんだか体が重たくなってきてる。
頭も少し、ぼーっとしてる。自分の外側に薄い膜が張ったみたいな・・・。
眠気に似たそれに流されそうになったところで、クロウくんが背後から手を伸ばして、あたしの頬に触れた。
そして、少しの間をおいてから囁く。
「・・・せっかくだから、この辺で休憩しようか?」
思わず頷いたあたしに「分かった」とだけ囁いた彼は、街道から少し外れた場所に向かって、ミカンを駆けさせた。
草の多い茂る場所を進んでいくと、おもむろにクロウくんがミカンから降りる。ミカンを繋いでおけそうな木を見つけたらしい。
「ちょっとの間、1人で掴まってられる?」
「ん・・・だいじょぶ」
心配そうなカオの彼に、取っ手を握る手に力を入れたあたしは頷いた。
木に手綱を括りつけたクロウくんが、まだミカンに跨ったままのあたしに向かって、両手を広げて差し出す。
「アイリちゃん、」
首元を隠すハイネックを着てても、それに袖がないんだから頭隠して尻隠さずなわけで。
“花の街”でも、いろんな人が驚愕して恐怖して、何人かに1人は好奇の視線を投げてきた。
「・・・おいで」
差し出された腕を這う呪いの線が、嫌でも目についてしまう。
ただの線なのに。この世界の人達にとっては、嫌悪を与える呪いの線。
「うん」
大きな手が腰を支えてくれて、あたしはミカンから降りる。
着地した足元がおぼつかないけど、それもクロウくんの腕に掴まってやり過ごした。
「疲れた?」
「ん・・・ちょっと」
「もー・・・」
平気な振りしたあたしに呆れているのか、彼がため息をつく。
「体、辛いんでしょ?
もっと早く言わないとダメだよ。
気づいたから良かったけど・・・」
自分こそ大変な目に合ってるって思わないんだろうか。
あたしを気遣ってばっかりだけど、それでいいんだろうか。
「・・・はーい」
いろんな思いに蓋をして、あたしは小さく手を上げた。
宿を出る前にクロウくんが淹れてくれたハーブ茶で、喉を潤す。
ほのかな甘みに、ほっと息をついていると、クロウくんが何やら差し出した。
「熱さまし、一応飲んどこう。
・・・微熱だろうけど、体力が奪われるのは良くない」
「うん」
薄い紙に包まれた粉を、上を向いて口に流し込む。
「・・・ぅえぇぇ」
あまりの苦さに、思わず草むらに吐き出しそうになる。
漢方が苦手で敬遠してたけど、そんなの比じゃなかった。苦いし、エグい。
不味い、なんて言葉で片付けたら失礼なんじゃないの、ってくらいの不味さだ。
急いで水を含んで、ごくりと飲み干す。
でも、きめの細かい粉のほとんどは、あたしの喉に貼り付いて残った。
「水、いっぱい飲んで」
言われるまま、水を飲む。
そうして少しはマシになったかと思った時、苦笑混じりのクロウくんが、また何かを差し出した。
「も、薬はやだ・・・」
まだ喉の奥にへばり付いてる苦みに、顔をしかめながら首を振る。
ずーっと不味いんだもん、もう飲みたくない。次は吐いちゃうかも。
するとクロウくんは小さく笑って、あたしの鼻を摘まんだ。
「そういうこと、言わないの」
「わ、ふっ」
条件反射で口呼吸に切り替わった瞬間、何かが口の中に放り込まれる。
やられた!
・・・と、体を強張らせた瞬間、コロン、と口の中を転がったそれが、香ばしい甘さを放った。
「・・・あ、まい・・・!」
思わず頬を押さえて、喉に居座っていた苦みを全部なぎ倒していった甘さに浸る。
「街で買っといたんだ」
「そうなんだ・・・ありがと、クロウくん」
飴を舌で転がしながらお礼を言ったあたしに、彼は笑みを浮かべて頷いた。
そんなこんなで、大判の布の上で足を伸ばして、ひと休み。
ミカンに乗ってる間に、口の中の飴を喉に詰まらせても困るから、それが溶けてなくなるまでの短い間だけど。
少し前まで忙しなく動いていたクロウくんも、医者道具を片づけて隣に腰を下ろしている。
あたしは甲斐甲斐しく世話を焼いてくれた彼の顔をなんとなく眺めて、その目の下のクマから視線を剥がせなくなった。
「クロウくん・・・」
薬が効いてきたのか、頭に張った膜が消えてきてるのが分かる。
あたしは指先で、彼の目の下をなぞった。
「ごめん。
クマ、酷くなっちゃったね・・・」
「へーき・・・眠らないの、慣れてるから・・・。
医師団にいた頃は、夜勤明けで夜まで勤務することもあったし」
目を閉じて、ぼんやり呟く彼。
その時ふと、あたしはあることを思いついた。
「うーん・・・でも、ちょっと横になったら?
あたしのでよければ、膝、貸すよ。
飴、舐め終わったら出発なんだよね?
・・・それまででも、さ」
細かい時間は分からないけど、ゆっくり舐めてたら10分くらいはもつんじゃないか。
そんな思いつきを口にしたあたしに、彼はジト目を向けた。
「・・・アイリちゃん」
心なしか、クロウくんの声が低い気がする。口元、ひくひくしてる。
「え?」
思わず体を引いたら、手首が掴まれた。
そして、薬を飲んだ時のあたしみたいなカオをした彼が、ゆっくり顔を近づけてくる。
「忘れてないよね?
俺がアイリちゃんのこと好きなの・・・」
「そ、れは・・・」
言い淀んだあたしに、彼は、ずいっ、と身を乗り出した。
「それは?」
寝不足の目が、据わっちゃってる。怖い。
彼から顔を背けつつ、あたしは言う。
お腹の底に、薬とは違った苦みがぐるぐると渦巻いてるのが分かる。
「わ・・・忘れてません、けども・・・」
「けど、なにさ」
口を尖らせたクロウくんが、次の瞬間、肩を落とした。
そして、ため息が零れる。
「・・・いいや」
お花畑のど真ん中で、2人の間に流れる空気が重くなる。
肌で感じたそれに、あたしの鼓動が速くなってきた。
薬が効いてるはずなのに、手のひらが、じんわり汗ばんでくる。
「この場でバッサリやられないだけ、全然マシだと思うことにする・・・。
でもさ、アイリちゃん」
ため息混じりというか呆れ半分というか、彼はそんなカオであたしを見た。
・・・それ、仮にも告白した相手を見る目ですかね。
そして彼は、沈痛な面持ちになったかと思えば、すぐに真剣なカオをした。
あたしを見据える目が、据わってたはずの瞳が、熱を帯びてる。
「ちょっとは意識してくれてると思ってたんだけど。
それって、俺の勘違い・・・?」
い、今、心臓がぐにゃって。ぐにゃって変形したよあたしの心臓。
クロウくんの瞳に滲んだものに、顔が熱くなってきた。
「う・・・ううん?」
詰め寄られて、咄嗟にうわずった声で首を捻る。
「それ、どっち?
否定してんの?肯定してんの?」
もう、思いっきり動揺してた。
動揺し過ぎて、体全体の熱が上がってる気がする。
医者のクセに、患者が快方へ向かうのを阻害してますよあなた。
全然体が休まらない。休憩してるはずなのに。もう飴、噛んじゃいそうだよ。
そんなことを熱に浮かされたみたいに考えたあたしは、いつの間にか言葉を紡いでいた。
「・・・ひ、否定・・・?」
「その言い方はグレーですよアイリちゃん・・・」
みるみるうちに、わんこがしょぼくれる。
肩が急な下り坂を作ってるのを見て、かわええ、とか思っちゃうあたしは、とっくにクロウくんに絆されてるんだ。分かってる。
それでも、この気持ちが男女のお付き合いに相当するほどの“好き”なのか、全然分かんないんだよ。分かんないの。
撫で回したいって思う気持ちは、好きってことになるんですか。
うーん、と唸ったあたしに、彼は眉を八の字にして笑みを零した。
「ま、しょうがないよね。そういうアイリちゃんが好きなんだし。
仕事が片付くまでに、いろいろ考えといてよ」
ガリッ
・・・飴、噛んじゃった。
物凄く自然に、さらっと言い放たれた言葉に動揺して、大事に舐めてた飴を、歯医者さんとは無縁の歯が誤って砕いてしまった。
「飴、なくなったから出発してみるとか・・・?」
恐る恐る尋ねたあたしに、クロウくんが小首を傾げる。
そして口の端を意地悪く持ち上げた彼は、唐突に、腰の引けたあたしの鼻を摘まんだ。
「あ、ふっ」
条件反射で口を開いた途端、コロンと口の中に何かが投げ込まれる。甘い。
・・・同じテに2回も引っかかってしまうとは・・・!
「ぷ、くく・・・っ」
あたしの鼻を摘まんでた手を離しながら、クロウくんが笑いを堪えてる。
どこから出したのか知らないけど、あたしに餌付けするの止めてくれませんか。
からかわれてるんだと気づいてムカっとしてるのに、心の半分が一緒に笑ってしまいたい気持ちで埋め尽くされてて。
「じゃ、お言葉に甘えて膝借りまーす」
さらりと言ったクロウくんが、結局どっちつかずの変なカオになったあたしの膝に倒れ込んできた。
咄嗟に足を揃えて受け入れ態勢を整えるあたり、あたしもなかなか反射神経がいいらしい。
勢いの割にやんわり頭を預けた彼は、目を擦りながら呟いた。
「飴、舐め終わったら起こしてね・・・」
あふ、と目を閉じたまま欠伸を噛み殺したクロウくんは、不思議なことにちょっとだけ大人びて見えたのだった。
王都まで、あと少し。
頭の中、半分はお客様をどう説得するか、ということが占めてる。
けど、もう半分はクロウくんに言われた通り、いろいろを考え始めていた。
・・・今ならちょっとだけ、優里さんの気持ちが分かるかも知れない。




